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2010/08/12

ゲラチェックという検閲を認めた毎日新聞社

 先日の烏賀陽弘道さんの本の感想を書いた以下の記事の中で、あえて書かなかったことがあります。

「『朝日』ともあろうものが。」で見えた日本の堕落

 それは、検閲に関することなのです。烏賀陽さんは、検閲について以下のように書いています。

 「権力による検閲が、言論・出版の自由(フリー・プレス)の敵であることは言うまでもない。民主主義の敵である。日本の新聞や出版社は、戦前に検閲によって重苦しい経験をしている。今も、この世界のどこかには、権力の検閲に従わなかったために発禁処分を受けたり、投獄されたりする記者がたくさんいる。だから、検閲を許すような行為は、今でも『報道・出版を職業とする人間が絶対にやってはならないこと』だ。そのひとつが『出版前の原稿を外部に流出させること』である。それは、これまでに先達が血と涙を流しながら勝ち取った『言論の自由』に唾することである。まして、そんな冒涜行為を自分からするような人間に記者を名乗る資格はない」

 確かにもっともなことです。肝心なのは、こうした検閲行為を許さない相手は、何も権力者だけということではないということです。取材相手すべてです。その理由を烏賀陽さんは以下のように書いています。

 「『見せても相手の言うことに応じなければいい』などという人は甘い。不利な記事であれ有利な記事であれ、向こうは必死で向かってくる。内容が気に入らないと言い出す。表現を変えてくれと頼んでくる。あらゆるつてをたどり、必死に働きかける。訴訟やコネ、広告差し止めをちらつかせてくる。少しでも応じると、もっともっととキリがない。結局は検閲と同じになる。それは『取材先の合意を得た記事』であって、記者なり新聞社なりの主体的な判断に基づいた記事では、もうない。だから、そういう主体性のない記者、取材の正確さに自信がない記者ほど、簡単に屈服する。

 『言論の自由』の中には『書かれた相手の同意がなくても出版する権利』『同意されないような内容でも出版する権利』が含まれている。また、その自由を外部から侵害されない権利がある。これを『編集権の独立』という。だから、原稿を相手に見せて、向こうの要求に従って直したりすれば、それは『編集権の自己破壊』である。」

 これを読んでハッとしたのは、「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)で、福田君の弁護士がインシデンツに対してゲラのチェックを求めたことです。インシデンツの寺澤有さんは、このジャーナリストとしての原則を守り、弁護士によるゲラチェックを拒否しました。

 寺澤さんは、私のメールによるインタビューで次のように答えています。

― 「創」(2009年12月号)では、ジャーナリストの浅野健一さんと綿井健陽さんが、弁護団を支持する論調の記事を書いています。彼らの主張について、どのような感想や意見を持たれましたか。

 浅野さんと綿井さんは、進んで福田君にゲラをチェックしてもらい、彼の文章変更を受け入れています。福田君は自分のコメントだけでなく、地の文も変更しています。そこに誤字があっても、そのまま誌面に反映されています。こういう内実を読者が知れば、浅野さんや綿井さんの記事が客観的なものだと思うでしょうか。「自分たちは福田君にゲラをチェックしてもらっている。だから、おまえたちも見習え」と言われても、それは無理です。(引用ここまで)

 たとえ権力者相手ではなくても、ゲラを見せない、出版前の原稿を外部に流出させないというのは、ジャーナリストの鉄則ともいえることなのですね。相手が刑事被告人であっても、その弁護人であっても、それは当然守られねばなりません。もしゲラを見せて被告人や弁護人から都合の悪い部分の書きなおしを求められたなら、それは検閲行為なのです。弁護士という法を遵守すべき立場の者こそ、「ゲラを見せろ」と迫り、「仮処分をかける」と恫喝するなど、決してやってはいけないことではないでしょうか。

 私はジャーナリストではありませんので、権力者でなければ取材相手本人からチェックを求められればゲラを見せてもらえることもあり得るのではないかとなんとなく思っていたのですが、それは甘い考えであることが烏賀陽さんの説明で納得できました。浅野さんも綿井さんも、取材者の検閲を受け入れてしまったわけで、これはジャーナリストとして軽率な行為と思わざるを得ません。

 寺澤さんは「言論の自由」や「編集権の独立」を守るために、弁護団の脅しのようなゲラチェックや出版差し止めの仮処分に屈せず出版したということです。しかし、そのことが一般の方にはなかなか理解されていないように思えます。

 驚くのは、一般の人どころか毎日新聞という、原則を守るべきマスコミそのものがこのことを理解しておらず、「(仮処分の)決定を待つのがせめてもの出版倫理ではないか」などと社説に書いていることです。メディアが出版倫理を持ち出すのであれば、ゲラチェックを求めた弁護士こそ批判すべきであり、検閲に屈しなかった出版社を評価すべきでしょう。  ところが、毎日新聞社はそれと逆の社説を書いたのです。これについては以下の記事を参考にしてください。

毎日新聞社名誉毀損訴訟の判決への疑問

 そして、この裁判の中で、毎日新聞社は以下のように主張しています。

 「原告らは、本件書籍の原稿を福田に確認させないまま本件書籍を出版しようとした。同事実を前提として本件書籍の出版を不意打ちと評価したことは正当な論評である」(判決文より)

 毎日新聞社ともあろうものが、検閲の拒否を評価するどころか、逆に検閲させずに出版しことを「不意打ち」と批判して開き直っているのです。裁判に勝つためには、ジャーナリズムの原則とか言論の自由なんてどうでもいいのでしょうか。さらに「言論の自由」を守るべき裁判所も、毎日新聞社の主張に同調してしまっている・・・。烏賀陽さんがこの判決文を読んだら、仰天するのではないでしょうか。

 市民はジャーナリストではありませんので、ゲラチェックという検閲問題があまりピンとこないものです。だからこそ、マスコミこそその点を問題視しなければならないのに、そのマスコミもこんな状態なのです。烏賀陽さんのこの本で、ことの重大性を再認識しました。

 この問題については、世のジャーナリストや出版社などが、ゲラチェックそのものが言論の自由の侵害であることをもっと主張すべきだと思えてなりません。相手が人権派と言われている弁護士だと、気が引けて主張できないのでしょうか? 不思議なことです。

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