奥日光の巨木の森
東京で開かれた蜘蛛学会に参加したあと、学生時代からの友人と三人で奥日光に行ってきました。奥日光といえば、学生時代の夏休みに環境庁(当時)のアルバイトをしたことがあります。湯元で自炊生活をしながら、ゴミ拾いをしたり戦場ヶ原などへ巡視に出かけたりという毎日を過ごしました。あれから38年ほど経ちますが、久々の夏の奥日光です。
さて、今回行ったのは西ノ湖から千手ヶ浜です。以前は西ノ湖には歩いていかなければならず、暑い炎天下を延々と林道歩きをした覚えがあります。ところが、今は赤沼に立派な駐車場ができて、そこからバスが出ているのです。赤沼には自然情報センターまであります。かつては赤沼茶屋が一軒だけの閑静なところだったのですが、すっかり変わっていました。それに、西ノ湖までこんなに手軽に行けるようになるとは・・・。
小田代ヶ原を過ぎて西ノ湖入口で下車し、ゆっくりと西ノ湖に向かいましたが、車窓からの光景は記憶の奥にあった風景とはずいぶんかけ離れたものでした。38年の歳月を経て植林したカラマツの苗が成長し、シカの食害で林床の植生がすっかり変わってしまったためでしょうか。単調なカラマツの植林地を抜けて目を見張ったのは、ミズナラの巨木の森です。かつての原生林を彷彿とさせる光景です。
全体でどれくらいの面積なのか分かりませんが、これだけの巨木のあるミズナラ林はそう簡単にお目にかかれないのではないでしょうか。胸高直径が1.5メートルは優に超える木もあります。また、西ノ湖畔の森はヤチダモの遺伝子保存林として保護されているとのことで、ここもなかなかの森林でした。さて、学生時代にはこんな巨木の森を歩いた記憶がないのですが、当時はあまり森林の様子に関心がなかったからかも知れません。ミズナラの梢を舞うゼフィルス(ミドリシジミ)の姿に心を奪われたことは、しっかりと覚えているのですが。
ただ、この奥日光の巨木の森も、林床の植物がすっかりシカに食べられて裸地同然になっており、日本の森とは思えない光景になっていました。かつてはこのあたりの林床はササに覆われていたそうですが、ササはまったくありません。そして、シカによる樹皮食いを防ぐために、プラスチックのネットを巻かれた樹があちこちにあります。
それにしても、その昔はこんな巨木の点在する森が続いていたのかと思うと、人による自然破壊のすさまじさを身にしみて感じます。北海道では今はこんな森はほとんど見られませんが、かつてはこんな巨木が茂り、シマフクロウがあちこちの森に棲んでいたのでしょう。樹洞のある巨木が消え、堰やダムでサケが遡上できなくなった現在、北海道の森からシマフクロウが姿を消していくのは自然の成り行きなのでしょう。
こういう森を見ると、これからは失われてしまった巨木の森を取り戻していかなければならないと思わずにはいられません。とはいっても、巨木の森を復元するには数百年は必要でしょうね。
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