消えた大森浜の砂丘
東京に一週間ほど行っていた間のこと。7月17日付けの北海道新聞の「編集委員報告」に、中尾吉清さんの「名作の舞台 海辺のいま」という記事が掲載されていました。道内の3カ所の浜辺を訪ね、その地形や変貌、歴史などを紹介した記事です。
その記事で驚いたのが、函館の大森浜です。大森浜とは函館山の東、住吉漁港から松倉川河口付近までの、ゆるやかに弧を描いた海岸です。今ではコンクリートの護岸に固められてしまっていますが、明治時代の測量によると東西3273メートル、南北500メートル、高さ36.3メートルの砂丘があったとのこと。今では想像もつきませんが、かつては函館の海岸にも立派な砂丘があり、巨大な砂の山があり、海浜植物の乱れ咲く海岸線が連なっていたのです。
その砂山の砂には大量の砂鉄が含まれていたために、1955年頃から鉄鋼材料として採掘され、10年ほどで砂山が消失してしまったといいます。
石川啄木の以下の歌は、この大森浜で詠まれたと考えられているそうです。
潮かをる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ今年も咲けるや
砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日
在りし日の啄木が、海浜植物の茂る砂山に腹這いになって遥かな故郷を偲び、歌を詠む姿が目に浮かぶようです。しかし、その啄木像のあるところはもはや昔の海岸の面影はなく、コンクリート護岸と消波ブロックが延々と続いています。啄木もこんな光景は想像だにしなかったことでしょう。
道南のイソコモリグモ調査では、函館周辺はすっかりコンクリート護岸で固められていたために、車から降りることもしなかったのですが、かつてはこの大森浜にも立派な砂丘と砂浜があり、海浜植物が繁茂していたのです。恐らく函館湾にも砂浜が続き、イソコモリグモが生息していたのでしょう。
コンクリートで固められた海岸を当たり前のように見ている私たち現代人は、かつてそこに豊かな海浜生態系が息づいていたことも忘れてしまっているのかもしれません。
北海道にはまだまだ自然の砂浜が残っているとはいっても、護岸化と海岸浸食によって確実に蝕まれています。せめて、今残っている自然海浜こそそのままの状態を保ってほしいものですが、日本中の海岸で浸食が容赦なく進み、おびただしいゴミが漂着している様子を目の当たりにすると、そんな希望も虚しくなります。
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