地球温暖化懐疑論のその後
しばらく更新していないうちに、江守正多さんが日経エコノミーに連載していた記事が最終回を迎えていました。
私は地球温暖化については専門家ではありませんが、IPCCを支持する温暖化論者と懐疑論者の論争を客観的に見れば、前者の主張のほうが納得できると考えています。
それにしても驚いたのは、CO2温暖化説を否定している槌田敦さんが、「地球温暖化懐疑論批判」が名誉棄損だとして東京大学を訴えてしまったこと。この裁判についてマスコミはほとんど報道していないようですが、ネット上では槌田さんを支持される方たちの意見が優勢のように感じられます。でも、どうなんでしょう? 「地球温暖化懐疑論批判」はネットでダウンロードして読むことができますので私もざっと目を通しましたが、書籍やネットでの科学論争に関して提訴という手段をとるというのは・・・。
ある科学者の主張が他の科学者によって否定されることなど日常茶飯事です。科学論争はあくまでも論文や書籍に書いて理論で対抗すべきです。自分の主張が名指しで否定されたからといって、それが名誉棄損だと主張することに驚きを禁じ得ません。こうしたことを法廷の場に持ち込んでしまう槌田さんには、正直いって面喰ってしまいました。槌田さんは気象学会も提訴していますが、一審は敗訴でした。論文が雑誌の査読者によってリジェクトされることなど日常茶飯事です。普通は査読者の意見を聞いて書きなおすとか、他の雑誌に投稿するものですが、提訴とは何ともはや・・・。
槌田さんの主張や裁判に関しては、近藤邦明さんが全面的に支持され、近藤さんの管理される「環境問題を考える」で報告しています。
一方、槌田さんに関しては、「温暖化の気持ち」さんが「一周年記念特別企画・地球温暖化懐疑論者列伝(6) 槌田敦さん」で、「槌田さんは情熱的に自説を語られているのですが、その理論は支持者を除いた科学者や一般社会にはあまり正しく理解されていないのです」「さて、槌田さんと気候学者は理解し合えていないわけで、そのせいでマグマがたまるようにストレスがたまり、それが吹き出したのが槌田さんの訴訟です」と指摘されています。「温暖化の気持ち」さんが言われるように、お互いに理解し合えないまま論争しているのであれば、提訴したところで問題が解決されるというものではなく、いつまでたっても平行線ではないでしょうか。結局、第三者がどちらが正しいかを判断するしかありません。
ところで、懐疑論者あるいは懐疑論支持者の中には、CO2素温暖化説が国による謀略であると考えている方がいるようです。たしかに国が行っている温暖化対策には、その効果に関して疑問を抱かざるを得ないものが多々ありますし、危険な原発を推進する動きもありますので、そのように考えてしまいたくなるのはよく分かります。権力を疑ってかかるのは、大切なことです。しかし科学論争までをも「はじめに謀略ありき」で考えるべきではありません。国の研究機関がCO2温暖化説を主張しているからといって、それが権力者による騙しだと決めつけるべきではないでしょう。温暖化については科学者がデータや理論によってそのシステムを解き明かす必要がありますが、「温暖化の科学」と「国の行っている対策が実効力のある適切なものであるかどうか」は、別問題としてとらえる必要があります。
国が温暖化対策に力を入れることは評価すべきですが、気をつけなくてはならないのは、温暖化対策を名目にお金儲けをしようと狙っている人たちがいて、効果がないような対策まで押し進めようとしているということです。私たち市民は、そのような無意味な対策を見抜いて資源や税金の無駄遣いをさせないようにし、本当に実効力のある対策をとるように導かなければなりません。江守さんが「温暖化の科学をめぐる議論は、科学論争というよりも、『イメージ戦争』の側面が大きいと」と指摘するのも頷けます。
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どうやら槌田氏は学術誌に査読済み論文が掲載された経験が皆無のようです。
投稿: 節操のない者 | 2019/06/06 19:59