証明できなかった三の沢の土石流
昨日は然別川三の沢の砂防ダム改修工事の件で、帯広土木現業所から十勝自然保護協会に説明がありました。三の沢砂防ダムの改修工事については「手放しで賛同できない砂防ダムのスリット化」でも触れていますが、魚が往来できるようにすることを目的に、ダムに幅1メートルのスリットを2本入れ、さらに土石流による巨礫の流下を防ぐためにスリットの部分に鋼鉄製の横棒を60センチ間隔で入れるという事業です。
十勝自然保護協会は、スリットを入れることには同意しましたが、鋼鉄製の横棒は不要であるとの見解を示し再考を申し入れました。しかし、土木現業所はあくまでも横棒が必要であるとして譲りません。その理由として、昭和56年(1981年)の土石流を引き合いに出してきました。このときに土石流が発生したので、再度の土石流の流下を想定して横棒が必要だというのです。ちなみに、このときは300年に一度といわれる大雨が降りました。詳細は、以下の記事参照。
私たちは現地を視察していますが、30年前に土石流が三の沢ダムの下流に達したという痕跡は確認できませんでした。なぜなら、ダム下流部の川岸には30年以上前から生育している樹木が茂っているのです。ダムの下流部にまで土石流が押し寄せていたなら、このような景観にはなっていないはずです。
そこで、昭和56年の土石流の写真を見せるように要求しました。その要求に基づいて開かれたのが昨日の説明会です。
で、提示された写真というのは砂防ダム付近から上流にかけて撮影した写真だけでした。しかも、砂防ダム付近の写真も土石流が押し寄せたという状況には見えません。ダムの下流の写真がないことについて質問すると、「見つからなかった」のだそうです。ダムの上流部しか写真を撮っていないなどということは考えられないので、紛失したか隠しているのかのどちらかでしょう。
そういえば、幌加の風倒跡地の皆伐問題でも、林野庁に伐採前の写真を見せてほしいと言ったところ、「写真はない」と言われました。皆伐をするのに写真を撮っていないなどということはあり得ません。お役所というのは、都合の悪い証拠写真は隠す習癖があるのでしょうか。
結局、土木現業所は「土石流が下流部に達したという証拠はない」、とあっさりと認めました。ところが、当会がダム下流部の河畔の写真を示して「30年前に土石流があった形跡は認められない」と主張しても、頑として「土石流が下流に達した」のであり、「横棒が必要」と主張して譲りません。しかし、そのような説明を誰が信じるというのでしょうか。すでに予算要求は通っているとのことですので、いまさら「土石流が下流に達していなかった」などとは決して言えないのでしょう。入札は今年の9月頃になるだろうとのことでした。
ところで、不可解なことを耳にしました。現在、三の沢砂防ダムには8メートルほど土砂が堆積しているとのことですが、スリット化に当たっては、堆砂を除去しなければなりません。その堆砂の処理について、環境省からは国立公園の外に運び出すようにと言われているのに、林野庁は国有林の外には出すなと言っているそうなのです。ダムを建設するにあたり、「土地は売ったが土は売っていない。土を国有林の外に運び出すなら土の代金を支払え」というわけです。ダムがなければ海に流れ下っていくはずの土砂ですが、ダムに溜まったら国のものであり有料だというのですから、林野庁の主張には呆れます。
必要だという証拠も示せない「スリットの横棒」に税金が使われるのです。いったい誰のお金で工事をするのか、考えてほしいものです。
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