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2010/02/25

登山の商品化に思う

 昨年7月に、大雪山のトムラウシ山で中高年の登山ツアー参加者8人が亡くなるという遭難事故が起きました。この遭難事故を受けて、日本山岳ガイド協会の調査特別委員会が事故の背景や原因についてまとめた最終報告書を公表したというニュースが流れました。

 今日の北海道新聞によると、報告書は「事故の責任は第一義的にガイドのミスとし、対応が後手後手に回ってパーティー全体を危険に追い込んだ」とし、主催者であるアミューズトラベルについて、「他社がコスト高などから撤退しているプランを、惰性的に継続するだけの安易な運営が行われてきた」、「旅行業界がツアー登山を観光の延長線上に安易に商品化していた面も事故の背景にある」と指摘しているそうです。

 これらの指摘は当然のことと思います。報告書でも指摘しているように、近年の「中高年登山ブーム」と、それに便乗した「登山の商品化」という背景を、私たちはもっと自覚しなければならないのではないでしょうか。

 「登山ツアーと百名山」にも書きましたが、「登山ツアー」などというものがない頃は、登山というのは基本的に個人あるいは登山仲間で組織したパーティーの責任で行うものでした。つまり、登山という行為は営利とは無縁の世界だったのです。

 ところが、中高年の間に登山ブームが巻き起こりました。若い頃から山に登っていたのではなく、中高年になってから山に登る人が急増したのです。そのような人たちをターゲットにして「登山ツアー」という商品が登場しました。会社が日程をセットし、ガイドが連れていってくれるのですから、一人では不安な人でも、交通が不便で個人では行きにくい遠方の山でも気軽に登ることができます。百名山ブームにも乗って、そのような登山ツアーが広まっていったといえるでしょう。観光ツアーの登山版です。

 しかし、登山は危険と背中合わせであり、危機管理が求められる行為です。お互いの体力や経験も知らない見ず知らずの人たちがパーティーを組むこと自体が登山という行為にふさわしいとは思えません。リーダーであるガイドも見ず知らずの人たちですが、ツアーに参加している以上、基本的にそのガイドの指示に従わなければなりません。観光旅行のような感覚で登山ツアーを企画すること自体に大きな疑問を感じざるを得ないのです。

 とはいっても、「登山ガイド」そのものを否定するつもりはありません。たとえば、個人あるいはグループが「ガイド」を雇って登山するということはあっていいでしょう。登山を計画した山域に不案内の人(あるいはグループ)が、その山域に精通したガイドを雇うとか、自然などの解説をしてくれるガイドを雇う、ということなら理解できます。しかし、いわゆる旅行会社の企画している「登山ツアー」というのは、このようなガイドとは異質です。トムラウシの事故でも、トムラウシに登った経験のあるガイドは一人しかいなかったというのですから、驚きです。

 今回の事故で痛切に感じたのは、登山という営利とは無縁だった行為に営利が入り込み、その結果として悲惨な事故が起こってしまったということです。山に登るという行為は、自分の体力に応じた計画を立てることや、交通手段を確保することなども含め、自分で責任を持つということが基本ではないでしょうか。それが面倒だ、あるいは無理だというのならあきらめるという判断も必要です。

 登りたいと思う山に登れなくても、生きていくのに何も困ることはありません。登山を楽しみたいのであれば、自分に合った登山をするべきなのです。のんびりと植物や写真撮影を楽しむ登山があってもいいし、山頂まで行かず体力に応じて引き返す登山があってもいいのです。商業主義の裏に潜む危険性をもっと自覚し、むやみにお金や利便性に頼ってはいけないということだと思います。

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