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2010/02/21

ネットでの匿名問題に思う(その1)

 少し前のことですが、あるブログのコメントで私のことについて以下のように書いている方がいました。

正直に書きますが、私は「正義」(とその人が信じているもの)を振りかざすことは好きじゃなくなりました。迎合するという意味ではありません。結局「正義」はもろ刃の刃。人を傷つけます。松田さんというかたがなさったことがきっかけで、深く傷ついた人たちを私はたくさん知っています。実は私もその一人。強すぎる「正義」は、想定外の相手まで斬り捨ててしまうことがあると、自らの体験で知りました。

 このコメントの「松田さん」というのは、前後の脈絡から私のことを指しているのは明らかです。このコメントを読んだときに、正直いって愕然としました。何に対して愕然としたかといえば、おそらく私が読んでいないだろうという前提のもとに、ブログのコメント欄という公の場で、匿名(ハンドルネーム)で具体的な根拠を説明せずに個人を名指しで批判していることです。

 この記述からは「私の行為がきっかけで多くの被害者を生んだ」というように読み取れます。まるで私が加害者であるかのような書き方ですが、何を根拠にそのようなことを主張されるのかが全くわかりません。

 あくまでも推測ですが、「松田さんというかたがなさったこと」というのは、私がJANJANや自分のブログで共同出版の問題点を指摘する連載記事を多数書いたことを指し、それらの記事がきっかけで新風舎が倒産し、多数の倒産被害者を出したということを指しているのではないかと思われます。

 そうであるなら、私にとってこの方の発言は名誉棄損ともいえるものです。私が共同出版の批判記事を書いた目的は、悪質出版商法の実態や問題点を多くの人に知ってもらい被害者を減らすこと、そして悪質な商法を行っている出版社に警鐘を鳴らすということです。私は文芸社や新風舎などの行っている共同出版について2005年の秋にJANJANに10回の連載記事を書きました。その記事では確かに集団訴訟のことも示唆しています。しかし、新風舎は軌道修正をするどころか事業の拡大路線をとりつづけました。この時点で軌道修正して会社の規模を縮小し、著者からのクレームに対して誠実な対応をしていたなら、おそらく倒産は回避できたでしょう。私は、反省することなくひたすら著者獲得を目指して暴走する新風舎の姿勢にさらなる危機感をもち、2006年秋から再度JANJANに連載記事を投稿しました。それでも軌道修正する姿勢は見られませんでした。

 また、新風舎の倒産に関連し、被害者らに集団訴訟をけしかけた人物に数々の不審点や疑惑があったこともJANJANやブログで指摘しつづけてきました。倒産が仕組まれたものであった可能性が極めて高いのです。私は倒産が多くの被害者を出すことが分かっていましたので、それを防ぐために水面下でできる限りの努力をしていました。新風舎の倒産は、批判を省みずライバル会社に対抗して無謀な拡大路線をとったこと、クレームに対して適切な対応をしなかったこと、そして集団訴訟を起こされマスコミで報道されことによる経営破たんです。私の書いた記事が倒産のきっかけになったというのなら、因果関係を示すべきです。因果関係について納得できる説明もないまま、批判記事を書いた私が加害者であるかのように書かれたのではたまりません。私の記事を読んで、悪質商法の被害を免れた方もたくさんいるはずです。

 この方は他の記事のコメントでご自身が書籍編集者であることを明かしています。書籍編集者は名誉棄損について常に留意しなければならない立場です。このような方が、場合によっては名誉棄損にあたるようなことを匿名で書いたことに対し、私は愕然としたのです。

 私は、ブログなどで時として公人のみならず私人の批判を書くことがあります。だからこそ、自分の名前や所属などを明らかにすることで責任の所在を明確にしています。誤ったことや不適切なことを書いたのであれば、訂正もします。また、私に直接連絡がとれるように、ブログからメールを送信できるようにしています。ですから、私に対する批判も責任をもって書いてほしいし、意見があるなら直接伝えてほしいのです。

 私は、この方のコメントを読み、以下のようなコメントを書き込みました。

こんにちは。わたしがしたことであなたを傷つけてしまったとのこと。だいたい察しはつきますが、もし差し支えがなければ直接メールをいただけたら嬉しく存じます。傷つけてしまったのであればお詫びをしなければならないと思いますし、事実関係も確認しなければなりません。私はあなたの発言に共感するところも多かったので、このような公の場で陰口のように書かれるのはとても残念です。私が「正義」を振りかざしているとお考えのようですが、私は「正義」という言葉は好きではなく、ほとんど使ったことはありません。正義など、その時の社会情勢によっていくらでも変わるものです。そんなものを振りかざすなどというのも大嫌いです。あなたは何か誤解をされているように私には感じられます。私は容子さんと同じように、自分の良心に従って発言し行動しているだけです。言いたくなくても言わなければならないことが時にはあります。

 これに対し以下のような謝罪のコメントがありました。

投稿がかちあったようで、びっくりしました。結果的に「陰口」のようになってしまったことについては、お詫びいたします。ただ私は、自分の良心に従って発言し行動して、言いたくないことも言っている行動そのものが、他者にとっては「正義をふりかざす」行為に見えることもあると思います。これは松田さんに対してというわけではなく、市民運動のような活動そのものに感じることです。それは、自分自身を振り返って反省していることでもあるのです。松田さんとお会いすることができればいいなぁと思いますが、遠いですよね。残念。折を見て、直接メールをお送りしたいと思います。でも、その流れによって結果的に起きたことですので、事実関係の確認というようなこととは違うかもしれません。取りざたされたことは事実としてあっても、違う側面もたくさんあること、それによっていわゆる被害者がさらに莫大な被害をこうむる結果となることを知りました。「正しい」ことは、むずかしいです。いずれにしても、ここでの私のコメントには不愉快な思いを抱かれたことでしょう。申し訳ありませんでした。

 この返事に対し、私は以下のようなコメントを返しました。

丁寧なお返事ありがとうございました。私もあなたにお会いしてお話できたらいいなあと思いますが、遠くて残念です。あなたがおっしゃるように、自分がそうすべきと思ってやっていることが、他者にとっては「正義をふりかざす」行為に見えることは確かにあるでしょうね。自分の意見を主張すればするほど、そう見えるのかも知れません。とても難しい問題だと思います。あなたのおっしゃる「違う側面」についてのご意見も、ぜひお聞かせいただけたらと思います。メールをいただけるのをお待ちしています。

 残念ながら、10日以上経った今もメールはありません。

 おそらくこの方は、ご自身のコメントが名誉棄損に当たるかも知れないという認識はなかったのでしょう。しかし、たとえブログのコメントといえど、全世界に公開している場なのです。個人を特定して批判するのであれば、責任が生じます。ブログのコメントという場に対する認識の甘さのようなものを感じざるを得ません。

 もしこの方が自分の所属や名前を明らかにしたうえでコメントを書かれているのであれば、このような書き方をしたでしょうか? 私はもう少し、書き方が変わっていたのではないかと思えてなりません。そこに匿名の無責任さが潜んでいます。

つづく

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