クライメートゲート事件と情報源の信頼性
クライメートゲート事件については、「クライメートゲート事件とマスコミ」で書きましたが、その記事で紹介した江守正多さんの記事の続報が日経エコノミーに掲載されています。
「クライメートゲート事件」続報・科学にとって「査読」とは何か
*参考までに、クライメートゲート事件に関する江守さんのこれまでの関連記事も紹介しておきます。
ここでは論文が学術雑誌に掲載されるために通過しなければならない「査読」についての説明と、IPCCの報告書の信頼性についてわかりやすく解説されています。
地球温暖化に関してはIPCCの報告書をもとに温暖化による危機を唱える方が多いのですが、その一方でIPCCの報告に対してはさまざまな批判があり、温暖化懐疑論があります。ところが物理や気象などの専門知識のない多くの一般の人たちにとっては、これだけさまざまな主張があると、いったい何を信じるべきか?ということになりますし、判断ミスで誤った主張を信じてしまうことにもなりかねません。さらに、その誤った主張がネットなどによって大きく報じられることで、さらに誤った主張を広めてしまうことにもなりかねないのです。こうした連鎖はとても恐ろしいことです。
江守さんが12月28日付けの一連の記事の最後に書かれている以下の言葉は、温暖化人為説に賛同する方も、懐疑論者も、そして一般の人たちも心に留めておかなければならない重要なことだと思います。
「最後に、僕自身がこのような解説を書くときにも、文献を調べる作業を自分の判断によりどこかで打ち切っています。その結果、もしもその判断が間違っていて、間違った内容の解説をしてしまったとしたら、その責任は自分にあると思っています。
いわゆる「懐疑論」を語る方々にも、そのような責任をしっかりと感じていただきたいものだと思います。
2009年ももうすぐ終わりです。新年を迎えるにあたり、読者のみなさんも、ご自身の信用している温暖化に関する科学的な情報を、情報源の信頼性をご自身の責任で判断するという観点から、今一度振返ってみてはいかがでしょうか」
ここで、クライメートゲート事件についてやはりネット上で取り上げていて江守さんとは対極的な意見を書かれている経済学者の池田信夫さんの記事も紹介しておきましょう。
是非、読者の皆さんには江守さんの一連の記事と池田さんの記事を読み比べ、どちらが信頼に足る記事であるかを判断していただきたいと思います。
「もしもその判断が間違っていて、間違った内容の解説をしてしまったとしたら、その責任は自分にある」という指摘は、私自身にも当てはまります。私は物理学や気象学については素人ですが、温暖化に関してはたとえ素人であっても自分が納得できる情報を紹介し、意見を言っています。しかし、あくまでも自分が納得できるということを判断基準にしているだけですので、私の判断が誤っている可能性ももちろんあります。
「情報源の信頼性をご自身の責任で判断する」ということは、なにも温暖化問題に限ったことではありません。日本のマスメディアの多くが権力者の意向を汲んだ記事を書き「権力の監視」をできる状況になっていないのですから、たとえ一般市民であっても社会問題についてブログのような公の場で発信する場合は、このことを常に肝に銘じなければならないと思います。そして、もし自分の判断に重要な誤りがあった場合は、きちんと訂正や謝罪をすることも大切なことです。
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