谷津干潟と森田三郎さんの思い出
昨日のNHKの「たったひとりの反乱」は、千葉県の谷津干潟でひとりでゴミを拾いつづけた森田三郎さんでした。私にとって谷津干潟はなつかしい思い出の地であり、森田三郎さんは谷津干潟とともに心に残る人です。
学生時代、休みといえば野鳥を見に出歩いていた私ですが、シギやチドリなどの水鳥を見るためによく通ったのは東京湾です。当事は東京湾の大方の干潟は埋め立てられていたので、わずかに残っていた新浜とともによく通ったのがこの谷津干潟です。埋立地に囲まれた長方形の「埋め残された干潟」で、当事は大蔵省水面と呼ばれていました。2本の水路で東京湾に繋がっているので潮の干満があり、渡りのシーズンには何千羽ものシギやチドリが集まってきました。なぜこんな形で干潟が残っているのかが不思議なくらいだったのです。そこが埋め立てられて湾岸道路が通るという計画があり、この貴重な干潟の保全のために、千葉の干潟を守る会などの地元の自然保護団体が活動していました。当事は、干潟の海側に広大な埋立地が広がり、バードウオッチャーたちが休日になると野鳥の観察に訪れるだけのようなところだったのです。
そんな中で知り合ったのが森田三郎さんでした。私たちは野鳥の保護の観点から埋め立てに反対し、観察会や集会、署名集め、あるいは役所との交渉などをしていたのですが、森田さんの活動はそんな私たちがとても考えつかないような驚くべきものだったのです。考えつかないというより、たとえ思いついても実行に移せるようなことではありませんでした。
そのひとつが、干潟に捨てられたゴミ拾いです。ゴミ拾いといっても、道端のゴミを拾うのとは訳が違います。どろどろの干潟に投げ捨てられた大小さまざまなゴミです。彼は、誰もが考えつきもしないようなこのゴミ拾いを一人でもくもくと続けたのです。彼のもうひとつの驚くべき行動は、埋立地で繁殖するコアジサシやシロチドリの調査でした。ある日、森田さんが私たちの前に調査結果を書き込んだ大きな紙を広げたときには、私たちバードウオッチャーは本当にたまげてしまいました。その紙には彼が見つけた何千という卵の数が書き込まれていたのです。いくら野鳥好きの私たちでも、こんなすごい調査は考えもしないことです。彼のすごさは、その発想とそれを実現するバイタリティーにありました。
そのバイタリティーはどこからきていたのでしょうか。彼は、折に触れて、子どもの頃の干潟での遊びを語ってくれました。目を細めてとても懐かしそうに。森田さんの活動の原点は、毎日泥だらけになって遊びころげた干潟の原風景にあったのです。自分の信じた行動を一人で何十年もつづけるという彼の強靭な精神力は、子どものころの体験と原風景に裏打ちされていたのです。その子どもの頃の遊びを表した彼の絵には、今は幻となったかつての干潟の光景が、まざまざと描かれています。
私たち、野鳥観察や自然保護活動をしている人たちの大半は、干潟の近くに住んでいたわけではなくよそ者です。すでに埋め立てられてしまった東京湾と、わずかに残された干潟に集まる野鳥しか知りません。森田さんと同じ原風景を共有できなかったのです。いえ、たとえ共有できたとしても、森田さんのような行動はとれなかったでしょう。彼の彼の心の原風景が、類い稀な精神力と重なって、とてつもない作業をやり通したのでしょう。
湾岸道路の建設によって谷津干潟の一角が埋め立てられましたが、谷津干潟が残されたのはここをなんとか守ろうと奮闘した森田さんや自然保護団体のメンバーの活動の賜物です。私は1980年に北海道にきたので、谷津干潟との関わりも5年間ほどだったでしょうか。昨日は、テレビの画面でほんとうに懐かしく森田さんのお顔を拝見しました。少しとつとつとした話し方は、あの頃とほとんど変わっていません。
8年ほど前になるでしょうか。東京に行った折に、かつての鳥仲間と谷津干潟を訪れました。湾岸道路の脇に作られた歩道はこんもりと生長した木々に囲まれ、かつては何もなかった埋立地に住宅が建ち並び、野鳥観察のための立派な建物ができていました。その変貌に目を見張りつつ、遮るものの何もない埋立地を野鳥の姿を求めてひたすら歩き回ったあの頃を思いだして複雑な思いにかられました。森田さんにとって、猫の額ほどになった谷津干潟がかけがえのない大切な場所であるように、私たち古きバードウオッチャーにとっても、思いでの詰まった忘れがたい場所なのです。
なお、森田さんの活動については、松下竜一さんが子ども向けに書かれた「どろんこサブウ」(講談社)に詳述されています。
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はじめまして
TVで谷津干潟の事を知って、たまたま時間ができたので、今この場所に来ました。ネットでいろいろ調べていて松田さんのブログを見つけました。
都市部にあって野鳥がたくさんいる谷津干潟はとっても不思議ですね。いろいろな人が残されたこの自然を守ってきたんですね。
投稿: 榊原 | 2010/02/27 12:34
榊原様
こんにちは。コメントありがとうございます。
私が東京湾で野鳥を見始めた時は、すでに広大な干潟の大部分が埋め立てられてしまってからです。かつての東京湾の原風景は知りませんが、わずかに残された谷津干潟と、写真や映像などで在りし日の干潟を想像するしかありません。
残された谷津干潟は、果てしなく続いていたかつての広大な干潟に比べたら、何とちっぽけな存在なのでしょうね。しかし、わずかに残された野鳥の生息地としてだけではなく、私たちが犯してきた自然破壊を反省する場所として、なくてはならないものなのかも知れません。
谷津干潟を訪れる人たちには、かつて東京湾いっぱいに広がっていた干潟、そしてそこに群れる何千、何万という野鳥たちの姿を頭に描き、私たちが何をすべきかを考えてほしいと思います。
投稿: 松田まゆみ | 2010/03/02 12:24
はじめましてーー
僕はまだ小学6年ですww
しかしこの森田三郎さんのことはよく知っていますなぜなら今年学校の劇でやったから!!このひとはたったひとりではじめた干潟のゴミ拾いを誰になんと言われようとくじけずついには少しずつ仲間を作り
「森田三郎議事」にまでなりました
本当にすごいと思います
投稿: 石川 リク | 2012/11/04 17:03
石川リク様
コメントありがとうございます。
学校の劇で森田さんのことをやったのですか。
誰も思いつかないような大変なことを一人でもくもくとやる、というのはすごい精神力と行動力ですよね。そして、そうした努力によって今まで無関心だった人を動かすこともできるのです。森田さんはそれを示してくれました。
みんなが森田さんの真似はできなくても、一人ひとりが信念をもってマイペースで努力することで、社会を変えていくこともできるのではないでしょうか。
投稿: 松田まゆみ | 2012/11/04 22:33