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2009/08/14

NHKと「やましき沈黙」

 8月9日から11日にかけて、NHKスペシャルで「日本海軍400時間の証言」が放送されました。私は初日は見なかったのですが、二日目の「特攻 やましき沈黙」について感じたことを書こうと思います。

 私は、テレビはほとんど見ません。くだらないテレビ番組が多すぎて時間の無駄であるということと、本当に伝えるべき真実がかなり隠されてしまっており、放送内容を鵜呑みにできないからです。取材で知りえたことの中でも本当に伝えるべきことを、権力者や大企業の顔色を伺ってカットしてしまうということが日常的に行われているのでしょう。しかし、ときどきはタイトルに惹かれて見ることがあります。

 「特攻 やましき沈黙」は、海軍の反省会の録音テープをもとに、神風特攻隊や人間魚雷など、人間そのものを兵器とするおぞましき特攻作戦を軍令部が計画的につくりあげ、それによって5000以上の若者が命を落としたことについて語ったドキュメンタリーです。特攻は、表向きには「自ら志願した」とされながら、実際には軍によって強制的に行われていたことが赤裸々に語られています。

 特攻などという作戦はあってはならないと自覚しながらも、そのことに反論できるような空気が組織内部にはなく、だれも止めることもできないまま特攻作戦が続けられたのですが、そのことを「やましき沈黙」と表現しています。戦争という名のもとの人殺しに、国民が巻き込まれないよう、おかしいことにおかしいといっていくことの必要性を説いたという点では、評価できるでしょう。

 しかし、「あってはならない」と自覚しながらなぜ沈黙したのでしょうか? 反論したなら制裁が加えられるからでしょう。果たして制裁が加えられることを覚悟してまで反論できる人がどれだけいるでしょうか? 個人個人が確固たる信念を持って発言することが重要なことは言うまでもありませんが、問題はそれだけではないはずです。絶対的な主従関係によって成り立っている、軍隊という暴力組織の問題にまで切り込むべきではなかったでしょうか。「やましき沈黙」とは、暴力によって押さえ付けられた沈黙だといえるでしょう。そこにまで言及せず、あたかも個人の責任にしてしまうかのような終わり方には、釈然としないものが残りました。

 「おかしいと分かっていても反論できる空気ではなく、沈黙してしまう」というのは、日本の社会に広く蔓延している感覚です。いわゆるKYですね。なぜそうなるのかといえば、日本の社会ではたとえおかしなことであっても、組織に不利益になるような発言をしたなら圧力や恫喝があるのが普通だからでしょう。政治的な暗部を暴いたなら、犯罪者に仕立てあげられることもあります(「伝えるべきは植草氏の真実」参照)。企業の不正を追求したなら恫喝訴訟を起こされることもあるのです(「オリコン烏賀陽訴訟とSLAPP」参照)。日本社会は戦争中とさして変わらない暴力社会だといえそうです。

 そうした状況が子どもたちの学校生活にまで入り込んでおり、空気を読まなければいじめを受けてしまいます。子どもたちは常に周りに合わせて自分を殺してしまうという息苦しい生活を強いられています。私が子どもだったころはここまで酷い状況はありませんでしたが、状況はどんどん悪化しています。ところが、この国では子どもたちのいじめ防止についての取り組みが著しく遅れているといえるでしょう。

 そもそもNHK自身が政治家からの圧力によって番組を改変したわけですが、NHKには反省したという姿勢が見られません。圧力と闘うこともせずに個人に「やましき沈黙をするな」と訴えかけても、なにやら虚しさが募ります。NHKという公共放送こそ真っ向から圧力と闘ってもらいたいところですが、どうも期待は持てそうにありません。

 「数学屋のめがね」さんが、NHKについて興味深い連載記事を書いています。

NHKの研究 その1 

NHKの研究 その2

NHKの研究 その3 

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