北海道新聞2009年7月8日付夕刊のコラム「魚眼図」で、中村太士氏が「川の樹林化」について書いていました。十勝川の支流、然別川の河畔林が大々的に伐採され、十勝自然保護協会が河川管理者である帯広開発建設部に質問書を出していたこともあり、大いに関心をもって記事に眼を通しました。
中村氏は、日本の多くの川では洪水撹乱が減ったことで「樹林化」が進んでおり、河原特有の植物(カワラノギク・カワラハハコ・カワラバッタなど)が姿を消しているが、ダムや取水によって流量が低下あるいは安定し、河川改修によって河道(中村氏は「澪筋」と表現)か変動しなくなってきたことが原因だとしています。また、樹木が茂ることで洪水が流れづらくなり氾濫する危険性が増し、流木による堤防決壊や橋・道路などの破壊の危険性が増すと指摘しています。しかし伐採して管理するには多大な税金がかかる。だから、新陳代謝を促す堤防と堤防の間での洪水撹乱が必要だと説きます。
これ読んで、中村氏は何をいいたいのかと考えこんでしまいました。ここで冷静に彼の論理の妥当性を検討してみましょう。
中村氏は、北海道の川ではなく、日本の多くの川と言っています。本州の多くの河川は世界的に見ると特異な河川形態を有しています。それは広い砂礫川原をもつことです。ここを生活の場とするのがカワラノギクでありカワラハハコなのです。この砂礫川原は短い間隔で繰り返される洪水によって維持されています。ですから、ダムによって流量が平準化すると他の植物が繁茂しこれらが消失することになりかねません(これについては「新・生物多様性国家戦略」で指摘されている)。なお、北海道の多くの川は、本州と異なり広い砂礫川原をもちません。このことは安定した河畔林となりやすいことを意味します。なぜ中村氏は、北海道の河川の特性を無視し「樹林化」というのでしょう。
次に核心部分である河畔林が氾濫の危険性を増し、流木化して構造物を破壊する危険性を増す、という指摘についてです。
明治以来、わが国では川を直線化して水を速く流すという治水がおこなわれてきました。しかし、これは下流部に一気に水を集め洪水被害を起こすことにつながります。このため河畔林が流速を落とすことで下流部の急激な増水を抑える効果が見直されようとしているのです。ですから河畔林によって水の流速が落ち氾濫の危険性を増すとの指摘は未来につながる思考とはならないでしょう。
百年に一度、あるいは数百年に一度というような大雨による洪水では、河畔林から多量の流木が発生することもありますが、通常の増水程度では大規模な流木化は生じません。流木が生じた場合でも、中流域や下流域の河畔林は上流からの流木を捕捉する役割を果たします。また、流木が橋脚に引っかかって集積し、堤防決壊や橋・道路などの構造物を破壊するという指摘は、川(流域)の特性を考慮したうえでなされなければならないでしょう。川(流域)の特性を見極めて対策を立てるべきであり、河畔林は流木の元とばかり伐採するというのは短絡思考です。
たとえば日高地方の厚別川流域では、2003年8月の台風10号によって未曾有といわれる集中豪雨に見舞われました。厚別川の上流に建設されていた大規模林道は法面の崩壊でズタズタになりましたが、路上には斜面から流れ出た立木が山となっていました。流木の供給源は河畔林だけではないのです。ここでは流木が橋に引っかかって橋が押し流されるという被害が生じましたが、大量の流木の発生は道路建設による斜面崩壊も関係していました。このとき流出した河畔林は一部であり、とくに中・下流域の河畔林の多くは流されることなく上流からの流木を捕捉するという役割を果たしたのです(光珠内季報:河畔林の消失と流木の捕捉実態参照)。
また、ダムや堰の設置により河床が低下し河岸が段丘化してしまった場合には、河岸の崩壊によって河畔林が流木化しやすくなります。つまり、大雨によって流されやすい河畔林というのは限られているのです。河畔林や流木による危険性をことさらに取り上げるより、流木が発生する原因や河畔林の働きに目を向ける必要があります。
さて、中村氏はこのコラムで何を言いたかったのでしょうか? 河畔林の伐採は多大な税金を必要とするとしながらも、河畔林の伐採そのものを否定してはいません。また、ダムや取水などによる「川の樹林化」が問題だとしながら、ダム建設を否定したりダムによる水の管理方法に言及しているわけでもありません。天然林伐採の時もそうでしたが、行政への配慮を欠かさない方のように見受けられます。
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