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2009/06/05

足利事件から見える自白強要

 足利事件で無期懲役が確定していた菅家利和さんが逮捕から17年ぶりに釈放されました。17年間もの間、無罪の人を拘束したことに対する捜査機関と裁判所の責任は、はかり知れないものがあります。菅家さんの釈放は心から喜ぶべきことです。しかし、失われた時間や尊厳は取り戻すことができません。また、冤罪を主張しながら認められずに死刑が執行されてしまった方、刑に服している方や拘留されている方たちがいると思うと、とても複雑な気持ちになります。

 少し前に安田好弘弁護士の「死刑弁護人」(講談社文庫)を読みました。そこに登場するのは、人権を完全に無視したすさまじい取調べや自白強要によってつくりだされた冤罪事件、検察のストーリーに沿うようなでっちあげや証拠隠滅など、背筋が凍りつくような捜査機関の実態です。辻褄の合わない検察の主張を覆すべく、あらゆる手をつくす弁護士の姿勢に深く共感する一方で、理解できない不当な判決を下してしまう裁判官に、この国のゆがみを感じずにはいられません。

 死刑廃止を訴え、死刑弁護人として検察と真っ向から対峙する安田弁護士は、検察によって事件をでっちあげられ逮捕・拘留されるのですが、そういう事実自体が検察の恐るべき暴走を物語っています。凶悪事件の被告弁護人として、冤罪被害者として、安田弁護士ほど警察や検察のおぞましき実態を知り尽くしている方もいないのではないでしょうか。

 足利事件も、そうした警察・検察の暴挙が作り出した冤罪でしょう。ただし、DNA鑑定という科学的手法が適用されたからこそ勝ち取れた冤罪です。このような証拠がない冤罪被害者が、救われるわけではないということを忘れてはなりません。

 腹立たしいのは、4日の北海道新聞夕刊に掲載されていた元捜査幹部のコメントです。元栃木県警幹部は「捜査は妥当だった」とコメントし、当時の刑事部長は「無罪が確定したわけではない。問題はこれから。法律に基づいて妥当な捜査をし、自供も得ている。(菅家さんが)やったと信じている」と話したそうです。捜査機関が、菅家さんの苦痛と怒りを真摯に受け止めようとせず、自分たちの面子にこだわりつづける以上、冤罪はなくならないでしょう。こんな悲惨な冤罪を生まないためにも、取調べの可視化は絶対に必要です。

 警察の裏金を告発した元愛媛県警の仙波敏郎さんが、5月29日号の週刊金曜日の「警察はヤクザと同じ犯罪組織だ」という記事で、こんな発言をしています。「・・・警察にとっては有罪だろうが無罪だろうがどっちでもいいんですね。なぜなら、一人逮捕したら架空の『情報をもたらした協力者』をつくって、二万円渡したことにできる。それを五人くらいに増やせば10万円になって、『捜査費用』という名目で結構な額の裏金に回せますから。それでとにかく身柄がほしいんですね、有罪かどうか分からなくても」

「裏金をつくるために身柄が欲しい」「有罪か無罪かはどうでもいい」という感覚で無実の人が犯人にされ、自白を強要されたのではたまったものではありません。

 自白については、JanJanに興味深い報告があります。日本の事例についても触れられているので、是非読んでいただきたいと思います。

講演「なぜ、無実の人が自白するのか?-アメリカの虚偽自白125事例が語る真実-」に参加して

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