公開での協議に応じない不思議
チャンネル北国tvの4月20日の回答に対し、以下の反論をしました。問題箇所も示せない状態なのに、なぜいつまでもブログ非公開を強要するのでしょうか? なぜ、公開状態での話し合いができないのでしょうか? チャンネル北国tvの説明は破綻しています。
4月20日の回答で、あなたは「従いまして、最初のご連絡の時点で、どの箇所(個別の単語や文)が問題で、その箇所さえ修正や削除されれば、問題がなくなるという考え方はしておらず、各記事やコメントの文脈から利用規約に抵触すると判断しておりました」と弁明していますが、これは驚きです。名誉毀損や不快を理由に削除を求める以上、具体的箇所の指摘は不可欠ですし、簡単に修正できるネット上での発言では修正を検討するのが当然です。
あなたは私の部分修正要求を受け入れ、規約違反の具体的箇所を知らせると明言しました。事前に記事をきちんと読んで22本全ての記事が規約違反に相当する「不快」な内容であることを明確に認識していたなら、記事を確認し終えた時点で「不快」とする具体的箇所の指摘ができたはずです。ところが、2ヶ月以上経った今でも具体的違反箇所の指摘がありません。これは記事を検討したところ、規約違反かどうかの判断ができない状態になってしまったことを意味します。
「不快」の箇所が指摘できないのは当然のことです。なぜなら指定された記事は常識的に考えて規約違反とするには無理があるからです。たとえば「自費出版の原点を大切に」という記事は、読んだ本の感想に関連してアマチュアの本の販売についての意見を書いたもので、特定の個人や企業を名指しで批判した記事ではありません。この記事のどこが削除や修正をしなければならないほど「不快」なのでしょうか? 多くの人が日常的にブログでのこのような意見表明をしています。この記事が規約違反なら、ブログでの言論活動は成り立ちません。
渡辺勝利氏への反論記事は、渡辺氏が私を批判したことに対する正当な反論です。これらの記事のどこが問題なのでしょうか? またこの反論記事は第3弾まで書いていますが、削除要請されたのは第1弾と2弾です。どうしてこの二つだけが違反なのかという説明も必要です。柴田晴廣氏に関する記事も柴田氏の不可解で矛盾に満ちた言動に起因するものであり、記事を読めば疑われたことの責任が柴田氏自身にあることは明白です。
事前に記事をきちんと読んでいたなら、削除が必要だとは安易に判断しなかったはずです。
あなたは2月24日および25日のメールで以下のように説明しています。
「私たちが目指しているのは、ブログを活用した地域情報サイトであり、地域密着型コミュニティサイトです。そのため、ブログ上での情報発信、情報共有は大いに歓迎しておりますが、特定の企業・団体・個人に対する過度の批判行為に対しては、弊社の運営方針に基づき、ご遠慮をいただいております。チャンネル北国tvは、こうした考えの下で同意頂いた上でご利用いただいておりますサービスですので、今回の件につきまして慎重な判断をさせて頂きたいと存じます」(24日のメール)
「通報をいただいた方に、今回の該当記事において、具体的にどの部分で、どのように不快感を感じられたのかを、改めてお聞かせ頂き、修正で解決するものにつきましては、私から松田様に修正頂けるかどうかご相談申し上げたいと存じます」(25日のメール)
記事を読んでも具体的な箇所の特定ができないために通報者に問題箇所の提示を依頼しなければならなくなり、私には「特定の企業・団体・個人に対する過度の批判行為」を非公開の理由として持ち出したといえます。しかし、このようなことは利用規約に書かれていませんから、私は同意などしていません。こんな理由付けは無効です。
貴社は規約違反とするまっとうな説明ができず、違反かどうかの判断ができない状態であることは明白です。これは当初の「規約違反」との判断が誤りだったことを示しています。白紙撤回してリセットすべきことです。このまま非公開を続けることは、理由なく言論の自由を侵害していることにほかなりません。
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