ガラス蜘蛛とメーテルリンク
先日札幌に行った際に、昨年出版されたメーテルリンクの博物文学「ガラス蜘蛛」(工作舎)を買いました。メーテルリンクは1862年にベルギーで生まれた文学者で「青い鳥」の作者です。ノーベル文学賞も受賞しているのですが、博物学に関する著述もいくつかあり「ガラス蜘蛛」もそのひとつです。そして「ガラス蜘蛛」とはミズグモのことなのです。
ミズグモはその生活の大半を水中で過ごすという驚くべき生態をもった蜘蛛なのですが、魚のように水中の酸素を利用して呼吸しているわけではありません。腹部に空気をまとうことで呼吸をしているのです(クモの呼吸器官は腹部下面にあります)。また水草に糸でドーム状の住居をつくって水面から空気を運びこみ、休息や食事に利用しています。腹部を包む気泡が銀色に輝いて見えることから、メーテルリンクは気泡をまとったミズグモを「クリスタルの潜水服」と称しています。
メーテルリンクは少年時代に祖父のところでミズグモを見たのですが、その後はミズクモのことを忘れていました。ところが60年ほど後のこと、ベルギーから瓶に入れられたミズグモが送られてきました。この偶然の巡り合わせともいうべきミズグモとの再会によって、ミズグモの生態について書き上げたのがこの「ガラス蜘蛛」なのです。
彼はミズグモの不思議な生態を紹介したあとで、虫は本能によって機械的に行動しているだけだとするファーブルを批判します。そしてミズグモは知性によって水中生活を選んだのではないかと想像し、虫に知性を見出そうとするのです。私も昆虫やクモなど小さな動物の織り成す美しさや正確に網を張っていくクモに目を奪われ息を呑むことがあります。そしてこの繊細な造形や行動が偶然だけによって生まれたのだろうかと、心の隅で密かに疑惑を抱くこともあります。ですから彼の、小さな虫にも知性があるのではないかと意識する感性には魅かれるところがあります。
さて、私がこの本を読んでメーテルリンクに大いに共感したのは、少年時代の体験を綴った「青い泡」という一文でした。家の前の運河で溺れそうになったこと、洗濯用のたらいを船の代わりにして運河へ漕ぎ出たこと、完全防備のもとにスズメバチの巣を襲ったものの反撃にあったことなど、自然を相手に冒険を繰り広げていた少年時代がその後の博物文学の土台となっていたのです。
この本の導入部ではセキショウモという水草の実に不思議な受粉のしくみが紹介されています。セキショウモの雄花は水面に向けて伸びていくものの短い花茎によって水面に到達できません。しかし雄花に封じ込められた気泡が花茎を断ち切って水面に浮かび出ることで、水面で待機している雌花に花粉を届けるのです。セキショウモの気泡からミズグモの気泡へとリンクして展開していくという視点も、メーテルリンクがすぐれた博物文学者であることを窺わせます。(つづく)
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