子どもから冒険心を奪う大人
少し前のことですが、北海道新聞の夕刊一面トップに「ボルダリング人気上り坂」という記事が出ていました。ボルダリングとはフリークライミングの一種で、ザイルを使わずに岩を登る技術のことです。人工の壁にホールドと呼ばれる突起物をつけた練習場がつくられており、十勝では新得町のトムラ登山学校に人工壁があります。その新聞記事によると、札幌の大型商業施設の中に国内最大級の人工壁がオープンしたとのこと。
その記事には、人工壁にへばりついている子どもたちの写真が大きく掲載されていたのですが、正直なところその光景は私の目には異様としか映りませんでした。説明によると、昨年には札幌のクライミングジムでジュニア大会が行なわれ、壁に取り付く子どもたちに親が声援をおくっていたそうです。
もはや岩登りの練習という目的は消え失せ、遊び感覚あるいはスポーツ感覚なのでしょう。でも何のために子どもたちに人工壁を登らせ、しかも大会で競争させるのでしょうか?
今の中高年の方たちは、子ども時代は外で思いっきり遊んだのではないでしょうか。夏はもちろんのこと、冬でも雪遊びに高じていたと思います。わが娘たちも小さい頃はよく雪遊びをやっていて、ストーブの前には濡れた手袋や帽子、ウェアーなどがいつも並べられていたものです。でも、最近は外で雪遊びをしている子どもたちをあまり見かけなくなったような気がします。子どもたちは塾や習い事に行くか、あるいはゲームをしたり施設の中でスポーツでもやっているのでしょうか?
子どもというのは本来冒険心や好奇心のかたまりであり、屋外でのさまざまな遊びはそんな子どもの欲求を満たしてくれるのです。どこで何をするのか決め、自分たちでルールをつくり、創意工夫をこらし、試行錯誤して子どもだけの世界にはまり込んで夢中になるのが本来の遊びの姿のはずです。そうやって自然に考える力や判断力を養っていったわけですし、友だちとの関わり方も知らず知らずのうちに身に付けたものです。
ところが、今や大人は子どもたちを大人の管理化においてスポーツという名の下に競争をさせ、親が声援を送っているのです。このような傾向は近年とみに強まっているのではないでしょうか?
こうした姿に、私は不健全なものを感じざるをえません。これでは大人が子どもたちから冒険心や探検心、考える力や行動力を奪ってしまっているも同然です。
この記事の隣に、ずっと小さく「パレスチナ死者800人」という記事が掲載されていました。記事の配置や重要性の認識にも疑問を抱いてしまいます。
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