資本と権力
早いもので、ブログをはじめてから1年半以上が過ぎました。ブログを訪問してくださった皆さんに、あらためてお礼を申しあげます。
今年は暗いニュースの続いた一年でした。サブプライムローンの破綻で新自由主義の化けの皮がはがれ、騙しの世界から目を覚ましたこの世界は、これからいったいどのような方向に向かうのでしょうか?
どん底に向かう中で希望に見出すことができるとしたら、その源はやはり一人ひとりの意識や発言、そして行動ではないでしょうか。私達は今、何を見つめどうすべきかをいろいろな意味で考えさせられた一年だったともいえます。
作家の辺見庸氏が、今年の3月から新聞に「水の透視画法」という随想を連載しています。その中の「“半端ねえ”明日へ」というタイトルの一文は、とりわけ心に突き刺さるものでした。
小林多喜二の「蟹工船」について書かれたものです。蟹工船を読んでレポートを書かねばならない学生たちは、そこに描かれた労働環境を“半端ねえ”と表現します。
辺見氏は、「世界大恐慌前夜ともいわれるいま、大学のテキストとなり、理解のどあいはべつにして、若者たちに読まれているということが感にたえない」としながら、多喜二が特高警察によって内出血で「墨とべにがら」色にされてなぶり殺された、その凄惨さを若者の多くは知らないといいます。そして企業と政府による労働者の搾取の構図が鮮明になった今、多喜二の書いた「蟹工船」を出版して利益を得ようとする企業がいます。
辺見氏は、以下のように締めくくっています。
資本と権力はとどのつまり「どんな事でもする」。かつてより“半端ねえ”のは、それではないか。
資本と権力は労働者を使い捨てにして搾取したのです。その現実を描き批判した作家を、権力は「墨とべにがら」色にまでしたのです。蟹工船と似たような労働環境になりつつある今、資本は「墨とべにがら」色にされた作家の著作物を出版して利益を得ようとするのです。
資本や権力が「どんな事でもする」ことを容認するのか、あるいはしないのか。それは、今を生きる私たち一人ひとりにかかっているのではないでしょうか。資本と権力がその本性を現した今、少しでも希望のもてる社会に変えていく原動力は、搾取されている労働者、弱者、あるいは若者にこそあるはずです。果たしてインターネットはそのために賢く利用されるのでしょうか?
一年の最後に、そんなことを考えてしまいました。
では、みなさま良いお年をお迎えください。
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