チビクロハエトリの謎
版元に注文していた「写真日本クモ類大図鑑 改訂版」(千国安之輔著、新海栄一改定監修、偕成社)が届きました。税抜きで3万円という価格だったのでちょっと迷っていたのですが、絶版になってしまったら入手できなくなるので思い切って購入したのです。
この図鑑の初版は1989年に出版されたのですが、最大の特徴はクモの全体の写真だけではなく、同定に用いられる生殖器の顕微鏡写真が掲載されている点です。これほど鮮明な生殖器の構造が多数掲載されている図鑑はそれまでにありませんでした。普通種の大半が掲載されていてクモを調べたい人にとっては非常に有用な図鑑でしたが、しばらく品切れが続いていたのです。
著者の千国先生は亡くなられたものの、改訂版では新海さんによって最新の種名が取り入れられ、生態写真なども加わってより使いやすくなっています。
さて、図鑑を開いてほっとしたことがあります。初版にチビクロハエトリHeliophanus aeneusとして掲載されていたハエトリグモの種名が、ウスリーハエトリHeliophanus ussuricusに直されていたことです。
この写真のクモは私が千国先生に送ったものです。私は「ウスリーハエトリです」といってクモを送ったのですが、千国先生は「これはチビクロハエトリだ」とおっしゃって譲りません。というのもそれまで日本ではこの仲間のクモはチビクロハエトリしか記録されていなかったのです。そして、このチビクロハエトリとウスリーハエトリというのは外見がそっくりなのです。
私も、日本ではチビクロハエトリしか記録されていないということもあり、はじめのうちは北海道で採集されるものはチビクロハエトリだとばかり思っていたのですが、その後生殖器を調べたところウスリーハエトリと一致することに気づきました。そこで、少なくとも北海道で私が確認しているのはチビクロではなくウスリーであると発表したのです。そして、「ウスリーハエトリですよ」といって図鑑用にクモを送りました。
しかし、千国先生はどうしてもそれに納得できなかったようで、図鑑では私の送った北海道産のウスリーハエトリがチビクロハエトリという種名で掲載されてしまったのです。この事情を知らない方は、千国図鑑のチビクロハエトリとウスリーハエトリは同じにしか見えず、区別つかないということで混乱を招くことになりました。区別できないのは当然なのです。
それでは、本物のチビクロハエトリは日本にいるのでしょうか? それは今のところ謎です。谷川明男さんの日本産クモ類目録(2005年版)にはチビクロハエトリの名前も掲載されています。しかし過去に記録があったとしても、チビクロと同定できる標本が確認できなければ確実に生息しているとは言い切れません。分布から考えるなら、日本にはチビクロは分布していないと考えるのが妥当ではないかと私は考えています。
こういう誤同定というのは、実はけっこうあります。過去の同定が間違いだったのに、それに気づかずに誤同定を続けてしまうのです。同定をするときには、過去の記録に頼らず自分で生殖器を精査してみることが大切なんですね。
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