八木健三さんと自然保護運動
1ヵ月ほど前のことになりますが、7月18日に北海道の自然保護運動に大きな足跡を残した八木健三先生が亡くなられました。93歳とのこと。
私が八木先生と直接行動を共にしたのは、士幌高原道路の反対運動のときでした。当時は建設予定地で何度も調査や観察会が行われましたが、八木先生はいつもご専門の地質調査用のハンマーを片手に、大きな声で地質の解説をしてくださったことを鮮明に思い出します。当時もご高齢でしたが、足腰がとてもしっかりしていて登山も何のそのというお元気さでした。
そして、「ナキウサギ裁判」のときには原告団長として闘われたのです。ナキウサギのぬいぐるみを片手に法廷に入られ、「ウサギではなくヤギです」とおっしゃっていたのが今でも忘れられません。
そのナキウサギ裁判の思いが心に強く残っていたのでしょう。「えりもの森裁判」のはじめての口頭弁論のときは、ご高齢にもかかわらずお一人で裁判所まで傍聴に来てくださり、記者会見でもしっかりと発言してくださったのです。そんな行動力、そして裁判を支援してくださる熱い気持ちに私たち原告はたいへん勇気づけられたものです。
また、大変勤勉な方で、病に倒れる前まで日本科学者会議の学習会にも参加されていたそうです。若々しい精神を持ち続けられたからこそ、90歳を越えてもなお向学心が旺盛だったのでしょう。
私は、知床の伐採問題で揺れていた頃はほとんど自然保護運動に関っていなかったのですが、八木先生は知床の伐採問題でも大きな役割を果たされたと聞いています。千歳川法水路問題でも然り。北海道自然保護協会が最も精力的、というより果敢に自然保護に取り組んでいたのも八木先生が会長の時代だったように感じられます。とても情熱的な方でした。
あとを継ぐ私たちは、この素晴らしい大先輩を手本としたいものです。ご冥福をお祈りいたします。
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