霞堤とヨーロッパの取り組み
「標津川の蛇行復元問題」でも触れましたが、日本には優れた治水法がありました。
霞堤(かすみてい)をご存知でしょうか。堤防をところどころで切断し、下流側の堤防を上流側の堤防の外側に二重、三重に伸ばして築くのです。川が増水すると自然に水が溢れて遊水地に誘導されます。川の水位が低くなれば、遊水地に集められた水が速やかに川に排水されるのです。釜無川の信玄堤が有名です。
強固な堤防を築くことが困難だった時代に、堤防の決壊を防ぐために考案されたのです。似たようなものとして、堤防の一部を低くした乗越堤(越流堤)などがあります。
また、天野礼子氏の「ダムと日本」(岩波新書)によると、吉野川では堤防を築かず、下流域に二重・三重の竹の水害防備林を造っていたそうです。自然に氾濫させることで洪水が上流から運んでくる栄養分を作物の栽培に利用していたのです。
日本では洪水を力ずくで制御するのではなく、氾濫させることで川の運ぶ養分を利用しつつ水害から身を守るという自然の理にかなった治水法が確立されていたのです。ところが、国が河川管理を行うようになってからは、このような地域に根ざした伝統的な治水法は見捨てられてしまいました。
日本が明治時代に手本にしたのは、オランダの河川工法でした。しかしオランダでは、ライン川の河口に造られたハリゲンフリート堰によってデルタ地帯の生態系が失われ、ヘドロが溜まり、河口堰の開放を余儀なくされたのです。
ヨーロッパでは、堤防をかさ上げしダムを次々とつくっていく治水が、氾濫原の持っていたさまざまな機能を破壊し洪水を招くことを認識し、その反省のもとに大きな転換をしたのです。遊水地を造って水を誘導する、氾濫原には建物をたてない、地表の浸透性を高めるなどの方法で氾濫原の生態系の復元に取り組んでいます。こうした治水は経済的にも優れているといわれています。
ヨーロッパの人々が失敗ののちにたどり着いたのは、日本で従来から行われていた霞堤と同じ発想だったのです。
ところが、日本は聞こえのいい「自然再生」の部分だけを取り入れて土木工事の延命を図っているのです。過去の過ちの反省をしようとせずにダムを造りつづけ、大雨のたびに川岸をコンクリートで固めている光景は、この国の土建大国の構図を物語っています。
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