魑魅魍魎の共同出版批判者
どうも共同出版問題では、批判的な人たちの中にも不可解な人がいますね。
「アホらしい主張」に柴田晴廣氏がコメントを入れてきましたが、柴田氏も不可解な態度をとられる方だとつくづく感じました。柴田氏のはじめてのコメントは、2月28日の「本を売るということ」という記事です。柴田氏は、「はじめまして いわゆる共同出版についての問題点、ネット上ではじめて正鵠を得た見解を目にしました。それとともに、外部から眺めていて新風舎問題を扱う団体などの不可解な行動の疑問も解けました」との挨拶で、私のブログにコメントを入れるようになりました。
まず「正鵠を得た見解」といって私の見解について持ち上げています。また「新風舎問題を扱う団体などの不可解な行動の疑問」といっていますが、この団体は「新風舎商法を考える会」を指すものと思われますから、尾崎浩一氏の深く関る「考える会」の行動が不可解だということでしょう。
柴田氏は、その後もいくつかの記事にコメントしてきました。たとえば次のような記事です。
「呆れ果てるマスコミ」
このコメントで柴田氏は共同出版の契約書は請負契約ではない、また著者は消費者ではないとして、私の意見に賛同していますが、実費費用ではない請求金額については「『請求金額が原価より高額であっても疑問をも』っていないなっとくしているわけですから、契約上もなんの問題もありません」(原文ママ)としています。
そして、「著者が支払っている費用というのは、出版社の商品としての本をつくることが前提ですから、出版社は著者に原価費用を請求するべきです。また、費用の分担を謳っているのですから、著者からではなく本を販売することで利益を得るべきです」という私の見解に対しては答えず、「この費用の負担額については著者は不満があるわけではないということですね」として片付けてしまっているのです。私の見解に「正鵠を得た」といっておきながら、まったく理解していないとしか思えない発言です。
共同出版や「新風舎商法を考える会」にあたかも問題があるかのような発言をしながらも、柴田氏の見解は出版社やマスコミはそれほど責任がなく、「著者に責任がある」ということになってしまうのです。
そして「アホらしい主張」のコメントでは、抽象的・誘導的ともいえる質問をして私を小バカにするかのような発言をしました。私は自分の体験した契約の経緯を示し、過去の記事では騙されたことについても言及しているのに、文芸社の行為については質問しても無視のようです。あれだけ頻繁にコメントしておきながら、無責任としかいいようがありません。柴田氏に対する信頼感は完全に吹き飛びました。
「アホらしい主張」のコメントで、α氏は柴田氏が文芸社の関係者ではないかと疑われています。私は柴田氏が文芸社の関係者であるという証拠は得ておりませんので、それについては何ともいえません。しかし、柴田氏のコメントや質問に回答しない態度は、文芸社の行為を容認しているも同然です。また「オーマイニュースの衣替え?」で、柴田氏がα氏の質問を無視し、話題を逸らしている態度も釈然としませんね。
これでは、α氏から疑惑を持たれても仕方ないでしょう。α氏はこのブログのコメント書き込み中にウイルスの警告が出たことも指摘していますが、もしα氏の推測が当っているのなら、α氏が誰なのか何としてでも知りたいと思う人がいるのも頷けます。
ついでにいうなら、持ち上げたり賛意を示してオーナーを信頼させ情報を引き出そうとする、次第に話題をずらしたり難解な話題を持ち出してオーナーを疲弊させるというやり方は、批判者つぶしの常套手段です。
リタイアメント情報センターの尾崎浩一氏といい、柴田晴廣氏といい、共同出版に疑問を呈する方の中には理解しがたい人物がいます。私にとっては、新風舎の倒産時に著者を勧誘した高石左京氏よりよほど不可解な存在です。
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