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2008/07/31

学術学会とIPCC

 7月29日の北海道新聞夕刊に、「CO2増は原因でなく結果」という地球温暖化の二酸化炭素説に懐疑的な福田正巳氏(アラスカ大国際北方圏研究センター教授)の見解が掲載されていました。

 懐疑論については、「温暖化論への異論は信用できるのか?」や「温暖化懐疑論と反論」ですでに書きましたし、これ以上ここで言及するつもりはありません。しかし、この記事を読んで以下の記述がとても気になりました。

 「そもそもIPCCは政府間の組織で、参加している研究者はいわばボランティアであって、学術研究連合や国際学会とは性格が全く異なる。またIPCCは独自の調査研究は実施せず、既存の研究成果に基づいて合意を形成し、報告書を作成したことになっている。政策立案者向けに作成された報告書にすぎず、学術論文のように厳密な審査を経たものではない」

 IPCCが政府間の組織であることを強調していますが、それを理由に政治的利用を目的とした組織だといいたいのでしょうか?  研究者がボランティアで参加していることについて指摘していますが、そのことになにか問題があるのでしょうか? ボランティアによる参加と中身の信憑性に関係があるとは思えません。そもそも学術学会も会員からの会費で運営している非営利組織、要するに基本的にボランティアで成り立っている組織です。

 またこの記述では、学術論文は厳密な審査を経ているから信憑性があるとも受け取れますが、本当にそうでしょうか? 学会誌の場合、通常はレフェリー制をとっていて数人のレフェリーによる査読が行われます。つまり数人の研究者個人の判断によって採否が決められてしまうともいえます。レフェリーの見解に反する論文が投稿された場合、個人的な判断で掲載されないということもありうるのです。学会誌は、恣意的に不採用にされる可能性もあります。

 ちなみに、IPCCの第4次報告書は130ヶ国以上の450名を超える研究者が執筆し、800名を超える執筆協力者が寄稿し、2500名以上の査読を経ているとされています。

 この記事が掲載される一週間ほど前の21日の北海道新聞に、「温暖化懐疑論の『品格』」というタイトルで、論説委員の堀野収氏の意見が掲載されていました。堀野氏は「懐疑論には首をひねる向きが多い」として、「現象の一部を切り取り、部分的な因果関係を頼りに全体を論じ、温暖化否定に結びつけるような論法が目立つからだろう」と書いています。また「学者と称する人が評論家的な言動に終始するのも品性を疑いたくなる」とも。

 私も、それに関しては基本的に同感です。さまざまな立場の研究者が研究成果を示して議論することに異論はありませんが、上述した福田氏のように学術学会を持ち出してIPCCと対比させたり、政府間の組織であることをことさら強調するような論調には、疑問を感じざるをえません。科学者が自分の専門分野から離れた評論家的な発言をするのであれば、少なくともその根拠を明確に示す必要があるのではないでしょうか。

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