苦い経験
昨日の記事で、「崎浜医師の気持ちがよくわかる」と書きましたが、私はこの記事を書いていて苦い経験を思い出してしまったのです。それは北海道新聞社が創立60周年記念として企画した本のことです。
この本は大雪山の自然をテーマとし、「山岳・地史」、「高山植物」、「動物・昆虫」の3巻の刊行が予定されていました。写真を主体とし、価格も一冊13,000円という高価なものです。一番初めに「高山植物」が発行され、次ぎに「動物・昆虫」が発行されました。問題が起きたのはこの「動物・昆虫」です。
この本の発売広告が北海道新聞に掲載されたので、近くの道新販売所に注文すると「手違いがあって刷り直しをすることになり、発売が遅くなるそうです」と言われました。私は内心驚きました。写真をふんだんに使った大型写真集といえる本ですから、製作費はかなり高額になるはずです。何があったのかわかりませんが、発売直前にこのような高価な本を刷り直すなどというのは出版社にとっては大変なことです。
注文をしたのを忘れてしまったころに、その本が届きました。ペラペラとページを繰っていて愕然としてしまいました。クモの写真がかなり使われているのですが、種名が間違っているものがゾロゾロ!
この著者からは以前、クモの種名を教えて欲しいとして数枚の写真が送られてきていました。しかし、同定を頼まれたのはこの本に掲載されているクモのうちのごく一部です。しかも、本に掲載する予定だとの説明もありませんでした。クモや昆虫の場合、写真だけでは同定が困難なものも少なくありません。私は、写真では正確な同定はできない旨を書いて疑問符をつけたうえで返送しました。ところが、疑問符をつけた種名がそのまま書かれているのです。さらに、本文には私の私信が紹介されていました。
同定を依頼されなかったクモや、種名を確定しなかったクモの同定責任は著者にありますが、なぜゲラの時点で私に種名の最終確認を依頼しなかったのでしょうか? また、私信というのは公開を前提として書いているわけではありません。本の中で紹介するのであれば事前に了解を得て欲しいものです。
名前を出されたうえに誤同定だらけなのですから、それ以上本を開く気にもならず放置していました。たとえ誤同定を指摘したとしても、一度刷り直しをしている高額な本を再度刷り直すなどということにはならないでしょうし・・・。
ところが、だいぶたったある日のことです。北海道新聞の片隅に載っていた記事を見て、目が点になりました。この本に100箇所以上の種名の誤りがあることが分かって刷り直しをしたので、無料で交換するというのです。誤同定があったのはクモだけではなく昆虫や鳥にも及んでいたのです。
私はすぐさま「クモの種名は本当にきちんと直されているのか?」との疑念に襲われました。版元からは、私のところに何ら種名についての確認の依頼がなかったのですから。北海道新聞の担当者に電話で確認をとると、「今回は専門家に依頼したから大丈夫」と太鼓判を押します。それでも食い下がって、どの写真の種名がどう修正されたのか確認すると、案の定、一部しか訂正されていないことがわかりました。なんてこった!
結局、私の私信が出ているページの誤同定部分だけは、急遽シールを貼って訂正してもらうことにしたのですが、それ以外のページは誤同定のままになりました。新しい本と交換してもらいましたが、この本はやっぱり開く気になれずに放ってあります。
このような事態を招いたのは、著者の同定に対する認識の甘さでしょう。専門外の動物の同定を専門家に確認してもらわずに素人判断で行ったということです。ゲラの段階で専門家に同定依頼をしていれば、こんなことにはならなかったはずです。その結果、版元に苦情が寄せられて多大な迷惑を被り、予定されていた「山岳・地史」は日の目をみないことになってしまいました。第1巻が欠落した記念出版などというのは前代未聞ではないでしょうか。
それにしても、編集者は種名の確認のことまではまったく気がまわらなかったのでしょうか? 本というのは、形として後世に残るものなのです。一度出版してしまえば、インターネットの記事のように修正することはできません。誤同定はその本を見る者に永遠に影響を与えてしまいます。著者は自分の力で本を仕上げたいという気持ちだったのかもしれませんが、写真だけで専門外の動物の同定までしてしまうというのはあまりにも無謀です。
草薙さんに情報提供した崎浜医師も、草薙さんや講談社に対して似たような気持ちを抱いたのではないでしょうか。草薙さんや編集者の問題意識はわからないわけではありませんが、やはり情報提供者の了解も得ずに調書の引用をしたことは無謀なことと思えてなりません。
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