綿井健陽さんの視点とジャーナリズムの危機
去る4月22日、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で広島高裁は死刑の判決を言い渡しました。この裁判については、ジャーナリストの綿井健陽さんが関心を寄せて取材しています。私も綿井さんが月刊誌「創」に書いてきた記事を読んでいましたので、判決内容はもとより、マスコミの報道に危機を感じていたのです。
綿井さんといえば、イラク戦争を報じてきたジャーナリストです。その綿井さんが光市の母子殺害事件に興味を持った理由は、マスメディアの流す情報と現場との間に大きな隔たりがあることに気づき危機感をもったためだといいます。
綿井さんは、ご自身のブログで「世の中の流れや見方がマスメディアを通じてすべて一方向に流れるときは、非常に危険です。それは確信できます。そういうときこそ、逆の側の異論を知らなければならないと思っています」と綴っていますが、私もこの点については日ごろからそう感じていますし、昨年からの新風舎報道でも同じことを痛感しました(共同出版問題については、カテゴリーの「共同出版・自費出版」を参照してください)。このような不自然な流れになっているときというのは、なんらかの意図が働いていると感じられるのです。
光市の事件については、橋下徹弁護士がテレビで弁護団の弁護士への懲戒請求を呼びかけたことで懲戒請求が殺到し、弁護士事務所には苦情の電話や脅迫状が送られるなど、異常ともいえる事態に発展しました。
こうした行動を起こした人たちは、弁護団の主張についてきちんと事実を把握し、理解していたのでしょうか? マスコミの偏った報道によって、多くの視聴者に事実が伝えられていなかったのではないでしょうか? マスコミ報道が原因になったともいえる弁護団叩きについて、マスコミ自身はどう考えているのでしょうか? そして弁護団の行ってきた真実を明らかにする行為について、マスコミはどう考えているのでしょうか? こうしたことを明らかにすることこそマスコミのやるべきことだったと思うのです。
私は、自分自身で物事を理解・判断しようとせずに、マスコミの報道に迎合して批判や抗議に走る人たちの「うねり」のような行動に危機感を覚えるとともに、そうした行動に毅然と対処できないマスコミに愕然とするのです。この事件の報道からはジャーナリズムの危機がはっきりと感じ取れます。ジャーナリズムの危機こそ、民主主義の危機でもあるでしょう。この国は、危険な方向に向かっているとしか思えません。
綿井さんのブログにも紹介されていますが、多くの人に安田好弘弁護士の以下の記事を読んで欲しいと思います。
http://www.jca.apc.org/hikarisijiken_houdou/hou%20to%20minsyusyugi200711.pdf
また、判決の前後に書かれた綿井さんのブログも読んでいただいて、一人ひとりがこの問題について考えてほしいと思います。
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