赤木さんの言いたかったことは?(2)
私は、詐欺的な共同出版の問題や自然保護運動に取り組んでいますが、そうしたNGO活動で常に感じることは、当事者以外の人の大半は無関心、あるいは関心を持っていても傍観者でしかないということです。たとえば共同出版社とトラブルになっても、自分のトラブルが解決してしまったらそれ以上は関わろうとしない人が大半です。当事者が黙っていたらだれも解決しようとはしません。
だから、社会的な問題を解決するためには他者をあてにするのではなく、まず当事者たちが発言し行動しなければならない、状況を変えていくためにはじめに歯車を動かすのは当事者しかいないということを痛切に感じています。
左派政党は無駄な公共事業を批判しその政策に環境保全を掲げていますが、だからといって自然保護活動に直接的な支援をしてくれるわけではありません。また悪質商法を取り上げて注意喚起をしているからといって、悪質商法をなくしてくれるなどということはまずありません。協力してくれることはあっても、主体者にはならないのです。そして現実に自然破壊を食い止めてきたのは、政治家でも政党でも知識人でもなく、現場で活動しているNGOといえます。
左派に体制を変えろと要求し、何もしてくれないと不満をいってもはじまりません。だからといってもちろん自民党を支持するということにはなり得ません。自然破壊の大半は政府の推し進める公共事業であり、それは利権構造と直結しているのですから。こうした構図はワーキングプア問題であっても同じではないでしょうか。結局は消費型社会ではなく循環型社会・福祉社会に変えていかなければならないと思うのですが、その変化は誰かが与えてくれるものではなく、自分たちで築いていくものです。
ワーキングプアの問題を解決するには、雇用の仕組みを変えていくとか、アルバイトやパートの賃金を正社員と同じように引き上げ社会保障を充実させていくことが必要でしょう。そのためには法改正をはじめとしてさまざまな視点からの取り組みが必要です。たとえばNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」は、生活に困窮したフリーターの若者に対して、さまざまな支援をしています。ほかにもいろいろな活動体があるでしょう。
ところが、赤木さんは労働闘争は無意味、デモに参加すれば逮捕されるリスクがあるなどといって当事者の行動に消極的のようです。さらに生活保護もワークシェアリングも、ベーシックインカムもあっさりと否定してしまうのです。結局のところ、ああだこうだといっては、当事者が動くことも左派の提案する方策も無理だという。そしてひとつの解決方法として戦争を提案する。たとえそれが問題解決のひとつの方法論だとしても、その危険な飛躍に率直な疑問を感じます。
社会的な活動をしているNPO・NGOなどは、自分たちに何ができるか知恵を絞りあって解決方法を探るのです。あれもダメ、これもダメと否定するのではなく、まず自分たちのできることを考え行動してみるのです。広報活動、署名集め、講演会、国や自治体への働きかけ、交渉・・・。
もしフリーターの人たちを集結することができたなら、それは大きなうねりをつくることに繋がるのではないでしょうか。そのための試みなしに戦争に望みをつなぐことを強調してしまったら、せっかく重大な問題提起をしていながら反発を買うだけではないでしょうか。 たとえば、赤木さんはインターネットに精通しているようですから、サイバーアクションなどを行っていくという方法が考えられます。環境保護団体のグリーンピース・ジャパンでは、国に対してメールで意見を届けるサイバーアクションを行っています。メール署名を集めるという方法もあるでしょう。そうした活動をネットを通して広めていくことができます。問題意識をもっているがなかなか行動には移せないという人でも、このようなインターネットを通じた行動であれば手軽に協力してもらえるのではないでしょうか。
しかし、そうはいっても赤木さんの発言には非常に大きな意味があります。赤木さんはご自身のサイト「深夜のシマネコ」で以前から自分の主張をしていました。だからこそそれを読んでいた「論座」の編集者が原稿を依頼し、それが注目を浴びたことから発展して単行本が発行されることになったのす。当事者によるこうした発信こそ、意味があります。「フリーターはなんの保障もなく、悲惨な状況に置かれている」「こんな若者を見殺しにするような国はおかしい」そう訴える続け、多くの人に知らしめたことこそ評価されなければならないでしょう。
ただし、左派の注目を引くために丸山眞男をタイトルに掲げ、「希望は戦争」を方法論として使うことで、それは結果的に本質的な問題提起から目をそらせることに繋がってしまったように思います。左派が噛み付いて話題になることを見越して「希望は戦争」としたのであれば、その手法は感心できません。
赤木さんは、平和を守ることは醜い社会を守ることだといいます。でも、社会というのはそのどこかに常に醜い部分を持っているものではではないでしょうか? その醜い部分に目をつむり放置してしまうことによって、醜さは次第に根を張り、不正がはびこり不平等が広がるのだと思います。赤木さんのいう「正しい平和」などというものがあるとは思えません。
平和な社会を守るということは、醜い社会を守ることではなく、社会の構成員である一人ひとりが、自分のできるやり方でその醜さを摘み取る努力をしていくということではないでしょうか。他者に頼り期待するだけでは、なにも変わらないのだと思います。
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