出版社の危機管理
「創」11月号に掲載された、長岡義幸氏の「自費出版大手『新風舎』内部文書が語る実態」を興味深く読みました。
とりわけ興味をそそられたのは、ライバル会社への対応策です。「競合を叩く!」などという内部文書があるというのですから、よほどライバルの存在を気にしていたのでしょう。もっともそれは文芸社にしても同じはずです。何しろ共同出版のトップの座を新風舎に奪われた経緯があるのですから。
新風舎も文芸社も、やっていることは基本的にそれほど変わりありません。文芸社も過去に著者から提訴されています。それなのに、なぜ今回の提訴を契機に新風舎ばかりが叩かれるのでしょうか? その理由のひとつは、今回の提訴が集団訴訟の形をとり、記者会見を行ってマスコミにアピールしたからでしょう。もうひとつは、文芸社の方が過去の裁判の経験やネット上の批判を踏まえ危機管理を強めているのに対し、新風舎は脇が甘いということだと思います。取材に応じないという態度も、批判の対象になってしまいます。
長岡氏も「『文芸社商法裁判』で業界内で話題になったり、文芸社関係者や著者らが本誌などを舞台に告発したこともあって、危機管理が進んでいるようでもある」と書いていますが、私もまさにその通りだと感じています。
もっとも企業の危機管理というのは、批判に対して真摯に対応し、必要に応じて情報を公開し、不適切なところがあったら改めて信頼回復に努めることであるはずですが、文芸社の危機管理はそれとはちょっと意味が違うような・・・。
長岡氏は、新風舎の9月18日付けの準備書面についても言及していますが、そこで新風舎は重要なことを述べています。その部分を引用すると「原告が支払った代金には印刷・製本代は含まれるが、宣伝・販売費用等は含まれないとし、〈書籍を出版物として継続的に流通過程に置く作業の一部を、被告が自己の費用負担を持って行うのである〉」としているのです。これは松崎社長がこれまで公言していたことと同じです。
この説明からは、新風舎自身が宣伝や販売の費用を実際に負担していると受け止められますが、本当でしょうか? 本当なら、著者は長岡氏がいうような「お客」ではありません。もし嘘なら、著者は騙されたことになります。ところが、今回の裁判では、文芸社にも共通するその肝心な費用の分担については問題にしていないので、それは争点にはならないのです。なぜ裁判で争点にしないのか、とても不思議ですよね。だからこそ私はこの裁判の訴状が稚拙だと思うし、意図を感じてしまうのです(「木」を見て「森」を見ない末期的症状 事実から見えてくるもの 危ない「危ない!共同出版」参照)。
長岡氏が最後に述べている業界としての対応策は、とても大事なことだと思います。でも、業界はこの問題に対しては沈黙しているようです。なぜなのか? それは多くの商業出版社が密かに著者に費用負担や買い取りの条件をつけた出版を行っているからではないでしょうか? それは新風舎や文芸社と同様の契約なのです。
なお、長岡氏は消費者センターの「情報が少なく交渉に不利な立場にある消費者への助言を行っているが、個人事業主であっても、消費者としての契約とみて対応することはある」という見解を紹介しているので、これについて一言。
共同出版が一般の人を対象にした悪質商法である以上は、私も、消費者センターなどの相談機関が対応すべき問題だと思います。ただし、契約書は販売を目的とした出版権の設定契約であり消費者契約ではありません。著作財産権の取引契約なのです。プロの著者とアマチュアの著者との線引きは現実的には不可能であり、アマチュアだからイコール消費者契約だということにはなりません。アマチュアであっても稀にヒットしてそこそこの印税を得られることもあります。さらに同様の契約をして、きちんと共同出資している商業出版社もあるはずです。ですから、「著者を消費者と同様の弱者の立場」として捉え対応する必要はあるものの、「契約書は消費者契約ではない」という点は明確にすべきでしょう。
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