「木」を見て「森」を見ない末期的症状
森の中にある1本の木のことを知るためには、その木だけを見るのではなく、森全体の中でその木がどのような存在であるかに視点を置いて見なければなりません。たとえば、1本のエゾマツがいつからどうしてそこに生えているのか、その木の生長速度や枝ぶりは何を物語っているのかを知るためには、周囲の森のことを知る必要があるのです。隣にあった大きなトドマツが倒れたために、それまで日陰になっていたエゾマツに陽が当るようになり、生長が良くなったのかもしれません。個々の木は、他の木との競争にさらされているのですから、森全体の視点から見ることが必要なのです。
共同出版問題でも同じことがいえます。たくさんの出版社(木)が出版業界(森)の中で競争関係にあります。一本の木が倒れたら、その隣の別の木がぐんぐん生長するかもしれません。著者を惑わせ騙すようなことをしている出版社が複数あるのに、一つの出版社にしか目を向けなけないのであれば、同業他社を潤わせるだけで根本的な問題の解決にはならないのです。大手出版社の名の下に、同様のことをやっている出版社もあるようです。
メディアが新風舎の提訴を話題として取り上げるだけで、この問題を掘り下げて追求・報道する姿勢がないのであれば、本を売りたいと考えている著者の方たちは、新風舎以外の共同出版社の門を叩くだけでしょう。今回の提訴を取り上げるにあたり、新聞社やテレビの記者の多くはJANJANの記事も読んでいると思います。読んでいながら新風舎のことしか報道しないのであれば、結果として同様の商行為をしている出版社に加担してしまうことを理解しているのでしょうか? 偏った報道によって新風舎が倒産するようなことにでもなったら、多くの被害者が出てしまうことを分かっているのでしょうか? その責任の一端はメディアにあるのです。
権力べったり、広告掲載している企業の問題は書かないという、低レベルの日本のメディアのひどい実態は今さらいうまでもないことかもしれませんが、今回の新風舎の提訴の報道でも、つくづくそれを感じさせられました。提訴の内容をそのまま知らせる報道ならジャーナリストではなくてもできることです。原告の方たちの主張をそのまま報道するだけではなく、この問題についていろいろ調べて検証し、掘り下げていくことこそ、ジャーナリストに求められていることではないでしょうか? そのような姿勢のジャーナリストも必ずいると信じたいのですが・・・。
今や、既存の媒体を利用しなくても、ジャーナリスト個人がインターネットを利用してどんどん意見を発信できる時代ですが、この問題に関していうならば、残念ながらそのような力量のあるジャーナリストはほとんどいないようです。私がこれだけ丁寧に共同出版の問題点を指摘しているのに、「森」の視点から「木」を見ようとしない視野狭窄のマスコミとジャーナリストだらけの現実に辟易としてきます。
そこで、今回の提訴のことについて、インターネット新聞JANJANに記事を投稿しました。
文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(18)新風舎の提訴と共同出版問題
ところで、最近の文芸社の新聞広告に「文芸社良書刊行評議会」を設置していると書かれていて、目が点になりました。広告にはその委員の方々の名前や経歴まで書かれていますが、講談社などの大手出版社の編集長を歴任した方や、有名書店の関係者などです。業界の方たちは共同出版の問題を知らないのでしょうか? 今の時代に、インターネットでの情報収集もしていないのでしょうか? それとも、まったく問題のない出版社だと考えているのでしょうか??
「木」を見て「森」を見ようとしないメディアも末期的ですが、業界関係者もかなり末期的ではないかと、暗澹たる気持ちになってしまいます。
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