2026/10/12

赤い実をつける針葉樹

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 東京に住んでいたころ、イチイという木の名前は知っていたものの、身近な存在ではなかった。というのも、イチイは冷涼な気候を好み、本州以南では亜高山帯などの山地に生育しているからだ。ところが、北海道ではイチイが庭や公園などあちこちに植えてあり道民にはなじみのある木だ。北海道ではイチイというよりオンコといわれることが多い。寿命が長いために道内各地に巨木が知られている。

 

 赤い実をつける木といえば、ナナカマドやマユミ、ガマズミ、チョウセンゴミシなど広葉樹が頭に浮かぶ。ところが、イチイは針葉樹でありながら秋になると緑の葉の中に真っ赤な実をつける。雌雄異株なので、実をつけるのは雌株だ。そして、この赤い果肉のように見える部分は仮種皮と呼ばれ食べることができる。しかし、中の種は有毒。仮種皮以外は植物全体にアルカロイドを含むという。

 

 ところが、イチイの実は野鳥の好物だ。我が家の庭にも小ぶりだが1本のイチイがある。赤い実をつけはじめると、次々と野鳥がやってくる。見ていると、鳥によって食べ方が違う。スズメなどは赤い仮種皮だけを食べて、中の種子は捨ててしまう。シジュウカラやコガラ、ゴジュウカラなどのカラ類は、逆に赤い仮種皮を捨てて中の種子だけを食べる。大型のヒヨドリやカケスは仮種皮ごと丸のみしてしまう。野鳥にとっては、種子は毒ではないのだろう。

 

 野鳥は木の実を食べることで種子をあちこちに運ぶ。植物が目立つ色の実をつけるのは野鳥に食べて種を運んでもらうためだ。ただ、イチイの場合仮種皮ごと飲み込むヒヨドリやカケスが種子散布者として一番役立っているのだろう。

 

 イチイが好物なのは野鳥だけではない。エゾシカはイチイの葉も樹皮も大好物だ。冬になって食べ物が少なくなると、庭に植えてあるイチイをたちまちのうちに見つけ出し、背伸びをして葉を食べ、樹皮をかじる。エゾシカにぐるりと樹皮を食べられてしまうと、枯れてしまう。イチイにとってエゾシカは大敵だ。

 

 野鳥やエゾシカが食べるからと言って人が食べられるわけではない。人には分解できない毒でも分解できる生き物もいるのだ。動物に食べられないための毒なのだろうけれど、その防御も完璧ではない。

 

 私が本州の山ではじめてイチイの存在に気づいたのは上高地に行ったときだった。亜高山帯の森林の中に、まっすぐに立つ立派な針葉樹があった。はじめは何の木だか分からなかったが、赤茶色で縦に裂け目の入る樹皮を見てイチイだと気づいた。北海道のイチイの巨木は幹は太いものの樹高はそえほど高くはなく、寸詰まりの樹形をしている。こんなすっくと立つ高木のイチイを見たことがなかった。日当たりのよい場所では寿命の長いイチイは幹ばかりが太くなるのだ。イチイはもともと耐陰性の強い木で、亜高山帯の針葉樹林ではトドマツやエゾマツのように上に向かって高木に成長するのだと知った。

 

 今年は庭のイチイの実も豊作だったが、赤い実は日ごとに数を減らしている。

 

2026/10/07

「安心」を買って失ったもの

 10月6日の北海道新聞「くらし」欄に、「ぼけますから、よろしくお願いします。」という映画を監督した信友直子さんを紹介する記事が掲載されていた。この映画は直子さんが娘の視点から実の親にカメラを向けたドキュメンタリーだという。

 

 直子さんの父親は昨年105歳の誕生日を迎え、今年6月に老衰で旅立ったという。大往生だ。母親が認知症になり介護が必要になったとき90代半ばになっていた父親は、「おっかあの面倒はわしがみる。あんたは仕事を続けんさい」と言ったそうだ。また、危篤になって復活したときは「わしゃ、死にはぐれたのか」と笑い、「年金を長い間もらって、もう元を取ったわい」と爆笑させる。そして、介護スタッフには「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えることを忘れず、最後までネガティブなことは言わなかったそうだ。ああ、この姿勢こそが、生きる活力を生み出すのだと感銘を受けた。

 

 この記事を読んで、私はTさんのことを思い出した。Tさんは私の母の友人だった人だ。父が亡くなって母一人になってから、母は私の自宅の隣に建てた別宅で夏を過ごすようになった。ある初夏のこと、Tさんは妻とともに北海道旅行にきて、母の家に2泊した。私も母とTさん夫妻を夕食に招いたり、交通手段のない3人を連れてドライブに行った。母が70代後半の頃だったと思う。

 

 その頃、Tさんの妻はすでに認知症を発症していた。Tさんはそんな妻の世話をしながら、妻のためにもと東京から北海道に旅行に来たのだ。おしゃべりで快活なTさんは、かいがいしく妻の面倒を見ながらも、今後のことに悩んでいたようだった。

 

 ここからの話は私が母から聞いたことだ。その後、Tさんは自宅を売り払い、民間経営の終身利用型老人ホームに夫婦で入居したという。介護はもとより、病院とも連携している施設だったそうだ。Tさんはそこを終の棲家と決めたのだろう。おそらく入居時に高額な費用を払ったのだと思う。認知症の妻の介護の負担や不安、妻に先立たれた後の自分の介護などの問題から解放され安心感を得たかったのだろう。これで認知症の妻がいても、安心して老後を送れるだろうと・・・。

 

 その後、Tさんの妻は認知症が進行し、やがて病院に移されることになったという。Tさんは一人になってしまった。一方、住まいである老人ホームでは周りの人たちが次々と亡くなっていく。そんな環境で精神を病み、鬱になってしまったという。あの快活だったTさんがそんなことになったと聞いて、やりきれない気持ちになった。

 

 生きる意欲を失わず105歳まで生きた信友さんの父親と、安心を求めて介護施設に入ったTさんは、いったい何が違っていたのだろう? 恐らく、死についての覚悟が違うということだけではないだろう。信友さんの記事を読んで、私はTさんが安心をお金で買ってしまったことが大きく関わっているように思えてきた。介護や医療はお金を出せば施設がやってくれる。それは介護の不安を抱えた高齢者にとって、大きな安心感につながる。しかし、元気な高齢者にとって配偶者の介護や看護を施設や病院に任せてしまえば、貢献感を奪ってしまうことになりかねない。妻と離れ離れになり、周りの友人たちも次々と旅立ってしまうという状況に追い込まれてしまったTさんには、終の棲家が墓場の待合室のように感じられたのかもしれない。

 

 介護や医療をお金で買えば安心感は得られるだろう。しかし、貢献感や生きる意欲はお金では買うことができないのだから、それらを失ってしまったら鬱になってしまうのも理解できる。終身利用型老人ホームだからといって、最後まで穏やかな生活が送れるわけではないのだ。

 

 信友さんの父親は、90代という高齢であっても自ら妻の介護を引き受けることで、大きな貢献感を持つことができたに違いない。そして、感謝を忘れない姿勢は、介護をしてくれる人たちに大きな貢献感をもたらす。在宅サービスをフル活用して最後まで自宅で過ごしたことも、生きる意欲を持ち続けることにつながったのかもしれない。

 

 信友さんの父親の生き方は、高齢者が幸福で穏やかな最後を迎えるための道しるべになるだろう。

 

2026/10/04

再生可能エネルギーは持続可能か

 地球温暖化による気候変動は年々深刻になるばかりだ。そして、二酸化炭素の排出を抑えるために、化石燃料から再生可能エネルギーへの転換が叫ばれている。

 

 再生可能エネルギーとは「枯渇せずに繰り返し永続的に利用できるエネルギー」だ。石炭や石油、天然ガスあるいは原発に使うウランは有限でありいつか枯渇する。しかし、バイオマスや太陽光、風力、地熱などは「再生可能エネルギー」だという。しかし、「再生可能エネルギー=持続可能」ではない。

 

 バイオマス、つまり薪とか木炭を燃やすのは純粋な再生可能エネルギーだ。樹木は再生産できる。ただし、成長量を上回る伐採をしたなら枯渇してしまうので、過剰な伐採は禁物だし、植林をして利用できる森林面積を維持する必要がある。化石燃料が普及していない頃は、人々は薪や木炭を暖房や調理に利用していた。樹木を過剰に伐らなければ、バイオマスは持続可能なエネルギーと言えそうだ。

 

 しかし、それは伐採や運搬、加工などに化石燃料を使わないという条件がつく。かつては、里山から薪となる材を切り出すのは手作業で化石燃料を使うことはなかった。北海道などの雪国では、冬に山に入って木を伐り馬橇等で搬出し、川を利用して流送した。しかし、現在は伐採から枝払い、丸太づくりまで機械で行うようになってきている。そして運搬もトラックだ。つまり、バイオマスをエネルギーとして利用するにも化石燃料を使うことになる。とすると、純粋な持続可能なエネルギーとは言い難い。では、伐採や運搬を化石燃料以外のエネルギーで行えるかといえば、現時点では無理だろう。ただ、再生可能エネルギーの中では持続可能性が高い方ではないかと思う。

 

 水力はどうだろうか。例えば水車を動力として粉を引いたり米搗きをしたり、機械を駆動させることも再生可能エネルギーと言えるだろう。風車も同様に、灌漑や製粉などに用いられた。水車や風車は人類が古くから使用している再生可能エネルギーであり、水車の回転によるエネルギーをそのまま動力として使う小規模なものであれば持続可能なエネルギーと言えそうだ。

 

 ダムによる大規模な水力発電はどうか。水力自体は再生可能エネルギーだが、建設にはやはり化石燃料を使う。大量の砂利やセメントという資源も必要だ。そして、ダムをつくることで河川の生態系を破壊してしまう。山からの土砂の供給を止めてしまうので、川床低下や海岸浸食が進行し、その対策が必要になる。自然破壊を伴う発電は、やはり持続可能とは言い難い。しかも、日本では新たなダムの適地はほとんどなくなってきている。

 

 太陽光も再生可能エネルギーだ。直射日光で水を温めたり、室内に太陽光を取り入れるなど、太陽の熱エネルギーをそのまま利用するなら持続可能なエネルギーだ。しかし、太陽光発電となると話は変わってくる。

 

 近年は大規模ソーラーや風力発電の建設による自然破壊が大きな問題になっている。また太陽光パネルをつくるためには、希少金属や有害物質が使われる。太陽光パネルの場合、20~30年ほどといわれる耐用年数がきたら、新しくしなければならない。リサイクルを行ったとしても、完全にリサイクルできるわけではない。近年急激に増えたメガソーラーの寿命がきたら大量の廃棄物が生じるが、いったいどれくらいリサイクルが可能だろう? これでは持続可能とは言えない。風力発電もレアアースが不可欠だ。

 

 電気自動車の蓄電池にもリチウムやレアアース、希少金属などが使われる。ガソリン自動車を電気自動車に置き換えたなら、膨大なリチウムやレアアースやレアメタルが必要になる。レアアースやレアメタルなどは産地が限られるということだけが問題ではない。これらを取り出すために、環境が汚染されたり採掘地での搾取労働が問題になっている。

 

 リチウムやコバルトついて、斎藤幸平氏は「人新世の『資本論』」の中で次のように指摘している。リチウムは産地が極めて限られている。また、リチウムは乾燥した地域で時間をかけて地下水として濃縮されていくため、リチウムの採掘は大量の地下水をくみ上げることになる。これによってチリではアンデス・フラミンゴの数が減少し、住民たちが利用できる淡水が減っているという。

 

 コバルトの採掘も、水質汚染や農作物汚染、景観破壊をおこし、奴隷労働や児童労働が蔓延しているという。リチウムやコバルトに限らず、昔から金属の採掘には環境破壊や鉱毒問題を抱えている。これでは、ちっとも「持続可能」ではない。

 

 鉱物産出量は、増加の一途をたどる。ではリサイクルはどうか。斎藤氏は同書で「一方、リサイクルされているのはわずか8.6%で、その割合は資源消費量の急速な増大を前にしてむしろ下がっている」と記している。金属などの資源のリサイクルはまだまだ少ないし、すべてリサイクルできるわけではない。

 

 地球温暖化対策として叫ばれる「再生可能エネルギー」は多くの場合、太陽光や風力、地熱などを利用して発電をすることを指す。しかし、前述したように、発電をするとなるとさまざまな有限な資源を使わざるを得なくなるし、自然破壊、環境破壊、環境汚染の問題がつきまとう。このような問題を棚に上げてあたかも再生可能エネルギーがクリーンであるかのように喧伝するのは騙しではないか。

 

 化石燃料から再生可能エネルギーに変えていかねばならないのは言うまでもない。しかし、それだけでは持続可能なエネルギーということにはならない。今の私たちはあまりに「電気」に頼り過ぎてしまった。私は、電気の使用量自体を減らし、バッテリーを使う機器を減らしていく努力が不可欠だと思う。AIの開発・普及などもってのほかだ。そして、再生可能エネルギーも持続可能性の高いものを選び、できるだけ小規模で地産地消を目指すべきだろう。もちろん、前提として経済成長も止めなければならない。

 

 気候変動対策の目安として、斎藤氏は生活の規模を1970年代後半のレベルにまで落とすという提案を支持している。1970年代後半といえば、パソコンも携帯電話も普及していなかった。それでも、不便だと感じたことはなかった。私たちは、いちど利便性を手にしてしまうと「昔のレベルに戻すことなどできない」と言う。しかし、それは「できない」というより「したくない」という方が正確だ。

 

 SDGsつまり、持続可能な開発目標が謳われているが、再生可能エネルギーは決してクリーンではない。経済成長をしながら環境も維持し持続可能な社会をつくるなど不可能だ。本当に持続可能な社会を求めるのであれば、今の生活を根本から見直す必要があるのではないか。便利さや効率性にばかり目を奪われていたら、私たちの生存基盤である地球はどんどん傷つき汚染され、気候変動に苦しめられる。私には、科学技術で発展した人類は科学技術で滅びるのではないかと思えてならない。

 

2026/09/30

ツノオニグモ

 腹部の肩に突起があるツノオニグモ。北海道では広く分布するが、本州では高標高地などの冷涼なところに多いようだ。私の居住地では8月から9月に成体が見られるが、あまり多くはない。体長は雌が10~13mmくらい、雄が10mm前後。写真の個体は雄。コガネグモ科。

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2026年9月15日 北海道十勝地方

 

2026/09/28

クスサンあれこれ

 昨年に続いて今年もクスサンは多かったが、そろそろクスサンのシーズンも終わりだ。そんなわけで、クスサンという蛾について書き留めておきたい。

 

 クスサンは翅を広げると10センチ以上になる大型の蛾で、ヤママユガの仲間だ。淡い水色のオオミズアオなども同じヤママユガ科だ。漢字で書くと「樟蚕」または「楠蚕」。クスノキの葉を食べることに由来するのだろうけれど、実際には広食性でクスノキに限らず様々な広葉樹の葉を食べる。

 

 クスサンの幼虫は白い長い毛が生えており「白髪太郎」と呼ばれている。かつてはこの幼虫の頭を切って糸を出す器官(絹糸腺)を取り出し、糸を引き延ばし、酢水につけてテグスを作ったという。繭は「透かし俵」と言われ、中が透けて見える網目状の繭をつくる。この繭は非常に硬くて頑丈なのだが、なるほどそのために丈夫な糸を出すのだろう。成虫は秋に発生する。

 

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 クスサンの分布は図鑑などでは日本全土となっている。しかし、クスサンはどちらかというと南方系の種で、北海道の寒冷地ではかつては見られなかった。それが、近年は寒冷な地域でも見られるようになり、しばしば大発生するようになった。分布の拡大はおそらく温暖化のせいだろう。大発生の原因ははっきりしないが、広食性で何でも食べるということの他に、寄生バチや寄生バエなどの天敵とも関係しているのだろう。

 

 翅の色は褐色だが、個体変異が著しい。いくつか写真を上げておきたい。
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 クスサンは後翅に大きな目玉模様を持つのだが、止まっているときはこの目玉模様は隠れている。指で頭などをつつくなどして刺激すると、前翅を持ち上げて後翅にある目玉模様を見せる。
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 蛾の目玉模様は、野鳥などの外的を脅かすためと言われているが、前翅を広げる動作は緩慢で、外敵を脅して逃げるなどという機敏さは全くない。触っても逃げないどころか、下に落ちてバタバタしたりする。これでは、目玉模様は外敵から逃げるためには全く役立たないだろう。クスサンが集まっているところでは、バラバラになった翅をよく見かけるが、カラスなどの大型の野鳥に簡単に食べられてしまう。

 

 雄の触覚は羽毛状で、雌は両櫛歯状。大きな蛾というと「気持ち悪い」「見るのも嫌」という人が多いが、ヤママユガの仲間はなかなか可愛らしい顔をしている。
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 さて、去年、今年と大発生したので、寄生バチなどの天敵が大活躍すれば来年は少し減るかもしれない。

 

2026/09/26

マエモンキエダシャク

 本種の特徴は中横線と外横線が後縁で接近して太くなっていること。色彩はかなり変異があるようだ。写真の個体は前翅長15mm。シャクガ科エダシャク亜科。

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2025年6月26日 北海道十勝地方

 

2026/09/24

プライヤオビキリガ

 秋に発生するキリガの仲間。環状紋から斜め後方に白斑が続く。前翅長は15mm前後。ヤガ科キリガ亜科。

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2026年9月18日 北海道十勝地方

 

2026/09/23

ミドリハガタヨトウ

 秋に現れるキリガで、環状紋と腎状紋は大きく、腎状紋は四角形をしている。緑色には見えないが、写真を撮ろうとして近づいたら翅のところどころに緑色の部分があることに気づいた。幼虫の食餌植物はケヤキとされているが、当地にはケヤキはないのでハルニレを食べているのかもしれない。写真の個体は前翅長25mm。ヤガ科モクメキリガ亜科。

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2026年9月16日 北海道十勝地方

 

2026/09/22

お彼岸とおはぎ

 昨今は甘いお菓子はすっかり食べなくなった。砂糖の摂り過ぎは健康に良くないし、そもそも砂糖は依存性がある(こちら参照)。そんなわけで砂糖は料理には使うが、砂糖たっぷりの洋菓子や和菓子、清涼飲料は自分で買うことはまずない。自分でお菓子を作ると分かるが、ほとんどの洋菓子や和菓子はものすごく大量の砂糖を使う。紅茶やコーヒーにも砂糖は入れない。そんな生活をしていると、「甘いものを食べたい」と思うこともなくなった。

 

 それでも、なぜか秋のお彼岸になるとおはぎが食べたくなる。お彼岸だからといってお墓参りに行くわけでもない。私の親のお墓は信州なので簡単には行けないし、連れ合いの親のお墓も札幌で、高齢になってくるとやはりなかなか行けなくなる。それに、まったく信心深くないので「お供え」をするという習慣もない。本来なら先祖への感謝を込めてお供えすてから食べるのだろうけど、そのようなことはしない。お彼岸が近づくと何となく食べたくなるのだ。

 

 スーパーのチラシを見ると何と1個150円~200円はする。いつからこんなに高くなったのだろう。ただ、たとえ安くても市販品を買いたいとは思わない。なぜなら甘すぎるからだ。甘いお菓子を食べないのが習慣になると、たまにお土産などでいただいたお菓子が驚異的に甘く感じる。チョコレート然り、洋菓子然り、和菓子然り。なんでこんなに砂糖を入れるのだろうかと不思議になるくらい甘い。

 

 それで、毎年ではないものの、お彼岸の頃になると自分で粒あんのおはぎをつくる。以前はきな粉やゴマのおはぎも作ったが、最近はもっぱら粒あんのおはぎだ。今は連れ合いと二人だけなので、もち米も1合かせいぜい1合半。これで大ぶりのおはぎが8個くらいできる(小さめなら10~12個くらい)。

 

 あんの砂糖は標準的な量の半分くらいにする。これくらいだと甘すぎず、胃もたれもせずに食べやすい。前の晩にあずきを魔法瓶に入れて熱湯を注いでおくと、煮る時間がぐっと短縮できる。翌日の午前中に粒あんをつくり、もち米を焚く。そして、お昼ご飯はおはぎになる。

 

 こうしておはぎを食べると、甘党だった父のことや、父が亡くなってから大量のおはぎをつくって母と一緒に家族でドライブに出かけたことなどを懐かしく思い出す。おはぎをお供えして先祖に感謝するというより、おはぎを作ることで在りし日のことを思い出し感謝するのがお彼岸の習慣になっている。

 

2026/09/20

シロシタバ

 日本産シタバガ類Catocala属)ではムラサキシタバと並ぶ大型種。なぜかオオシロシタバの方が小さい。後翅は白い地色に2本の黒い帯がある。幼虫の食餌植物はサクラ類などバラ科。当地ではあまり見かけず、綺麗な翅の個体の写真が撮れていない。ヤガ科シタバガ亜科。

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2026年9月19日 北海道十勝地方

 

«ムラサキシタバ

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