科学や倫理では原発は止められない
東日本大震災から15年が経った。津波被害からの復興はそれなりに進んだのだろう。しかし、原発事故はずっと続いているし、いつ廃炉にできるかも分からない。
福島の原発事故のあと、日本の原発はすべてストップした。そして、原発の安全神話は完全に崩れ去った。過去の原発反対裁判はことごとく負けてきたが、その判断が誤りだったことがはっきりと示された。私は、これからはそう簡単に原発を動かすことにはならないだろうし、再稼働阻止の裁判では勝つこともできるのではないかと何となく思っていた。
しかし15年経った今、原発裁判は思うようには勝てず、原発は次々と再稼働に舵を切っている。原発の敷地内や近くに活断層があると指摘されても、活火山からの火砕流が到達する可能性があると指摘されても、事故のときの避難体制に問題があると指摘されても、原発を止めて廃炉にするという判断にはならない。
こんな状態を見ていると、この国では科学や倫理では原発を止めることができないのだとつくづく思う。結局、何が原発を動かそうとしているのかと言えば、電力会社の採算であったり、電気の需要であったり、産業界の意向だ。消費者も電気代が安くなるなら再稼働もやむを得ないという人が増えてきた。つまり、お金が再稼働をさせているのだ。裁判長も恐らく圧力に抗えないのだろう。もともと日本の裁判長は「ヒラメ裁判官」といって、お上の意向を伺う人が大多数だ。国の方針が再稼働賛成なら、裁判でノーを突き付けるのは難しい。
人類は、エネルギーをまだしばらくの間、石油などの化石燃料に頼ることになるだろう。しかし、それとて有限だし、石油の掘削にお金がかかるようになってきている。掘削のコストが高くなれば、原油の値段も上がらざるを得ない。これからは、石油の値段が上がることはあっても下がることはないだろう。地球温暖化の問題もある。そうすると、ますます再生可能エネルギーや原子力に頼らざるを得なくなる。しかし、原発はもちろんのこと、再生可能エネルギーも問題が山積している。
東日本大震災のとき、東京では計画停電なるものが実施された。私はあの年の3月下旬に東京に行ったが、スーパーや電車の照明が暗くなり、ネオンサインが消え、街路灯もわずかになった。そして、駅などのエスカレーターも半分くらい止まった。それでも、何とかなっていた。現代人は電気を湯水のように使ってきたのだ。しかし、いつの間にかまた元にもどってしまった。節電は一時のものでしかなかった。それだけではない。これからAI推進でさらに電気が必要だと言っている。
恐らく、これから私たちはエネルギーに大きなコストをかけることになるだろう。原発もすっと使い続けることはできず、やがて廃炉に多額の費用がかかることになる。使用済み核燃料の保管や処理にもお金がかかる。「ワクチンで人口削減が企てられた」などということが囁かれているが、これから訪れるであろうエネルギー不足、エネルギー高騰のことを考えれば、人間の数を減らしたいと思う人がいても何ら不思議ではない。
エネルギー不足が深刻化したら、3.11のあとの東京のように、計画停電も実施されるかもしれない。大型農業機械は石油で動かしているが、燃料が高騰したら農作物の値段も高騰せざるを得ない。こんな状況なのに、湯水のようにエネルギーを使い続けていていいのだろうか? AIなど本当に必要なのだろうか? そして、地震や火山噴火のたびに、私たちは原発におびえなければならない。










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