原子力発電

2017年12月16日 (土)

破局噴火と原発

 12月13日に、広島高裁は四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを命じる決定をした。原子力規制委員会の策定した「火山影響評価ガイド」では原発から160キロ内にある火山を対象に、火山活動の可能性や噴火規模を推定し、原発稼働時の安全性を評価するように定めている。推定できない場合は、過去最大の噴火規模に照らし火砕流などの影響を評価するように確認している。

 伊方原発は熊本県阿蘇カルデラから約130キロに位置しているので、「火山影響評価ガイド」に従って火山活動の可能性や噴火規模を推定しなければならない。高裁は、阿蘇カルデラの約9万年前の破局噴火による火砕流に言及して、立地に適さないとした。今回の決定は「画期的」「歴史的判決」などと評価されているが、火山影響評価ガイドに照らし合わせたごく当然の判断だろう。この当然の判決が「画期的」ということは、今までの原発訴訟がいかに科学をないがしろにしたものだったかを物語っている。

 川内原発の火山影響評価で九州電力および規制委が「運用期間中(核燃料が存在する期間)に、設計対応不可能な火山事象によって、本発電所の安全性に影響を及ぼす可能性について十分小さい」と判断してしまったことの方が妥当性を欠く。これは科学を無視した「再稼働ありき」の結論だ。

 今回の広島高裁の決定に対し、ツイッターなどでは、阿蘇カルデラの破局的噴火を想定するなら原発より九州が壊滅状態になることの方が重大事だという意見が散見されて驚いた。

 確かに破局噴火が起きれば、九州どころか日本が壊滅状態になりかねない。具体的にどんな状態になるのか。神戸大学海洋底探査センター巽好幸教授の記事が参考になる。

最悪の場合、日本喪失を招く巨大カルデラ噴火 

 「巨大カルデラ噴火」「破局噴火」などと呼ばれる大規模噴火で直近のものは7300年前の喜界カルデラ噴火だが、この噴火は南九州の縄文人を絶滅させ、火山灰は東北地方にまで達したという。そして巨大カルデラ噴火は今後100年間に約1%の確率で発生するとされている。早い話し、いつ起きてもおかしくないということになる。2万9000年前に鹿児島湾を作った姶良カルデラ噴火を参考に、九州中部で巨大カルデラ噴火が起きたと想定するとどうなるか。

数百℃の高温の火砕流は2時間以内に九州のほぼ全域を焼き尽くし、関西では50センチメートル、首都圏は20センチメートル、そして東北地方でも10センチメートルの火山灰が降り積もる。ここで重要なことは、10センチメートル以上の降灰域では、現在のインフラシステム(電気・水道・ガス・交通など)は全てストップすることだ。つまり、この領域に暮らす1億2000万人の日常は破綻する。しかもこの状況下での救援活動は絶望的である。

 ここまでの規模にならないとしても、九州の部分的な壊滅はあり得るし、偏西風によって火山灰が四国や本州に流されることを考えれば、被害面積は相当なものになるだろう。農地は火山灰に覆われ、日照も妨げられるから食糧危機にもなる。果たして日本人がどれだけ生き残れるかという状況になるかもしれない。

 巨大カルデラ噴火そのものだけでも大変なことになるが、火砕流が原発を襲ったらどうなるのか? 「川内原発を襲う、カルデラ噴火【日本壊滅のシナリオ】」という記事ではこんなことが指摘されている。

「数百度の熱を帯びた火砕流が川内原発敷地内まで到達する可能性があります。そうなれば、原発自体が破壊されるのはもちろんのこと、原発作業員も全員火砕流でやられてしまいます。火砕流と放射能で、外部から救助にも原発の収束作業にも入れないという恐ろしい事態になってしまうのです」

「噴火に伴う原発事故の場合、火山灰に放射性物質がくっついて、風に乗って全国に降り注ぐことになります。しかもカルデラ破局噴火の場合、日本最大の地上の火山である富士山と同じくらいの体積の降下物が飛散します。それだけの降下物が放射能を伴って日本中に降り注ぐ可能性を考えないといけません」

 手のつけられなくなった原発がメルトダウンし暴走を始めるのは目に見えている。福島第一原発の事故では格納容器が破損したものの形は留めており作業員が懸命に被害の拡大を防いだ。しかし、高熱の火砕流が襲ったら格納容器も燃料プールも破壊されて大量の放射能をばら撒くだろう。そして、とめどなく放出される放射能が火山灰とともに偏西風に乗って日本中に拡散され続けるのだ。飛行機も飛べないし、なす術がない。福島の事故とは比べ物にならないような汚染が広がるだろう。

 九州には巨大カルデラが複数あり、160キロ以内に川内原発、玄海原発、伊方原発がある。これらの原発が1基メルトダウンしただけでも恐ろしいが、同時に複数の原発が破壊されることもあり得る。それだけではない。日本中に火山灰が降り注ぎインフラシステムがダウンしたら日本列島の他の原発も制御できなくなる可能性がある。考えただけでも恐ろしいが、日本列島は死の島になるだろうし世界中が深刻な放射能汚染にさらされるだろう。

 いつかは分からないが破局噴火は必ず起きる。これまでは地震や噴火の静穏期にあったが、今は活動期に入ってきていると言われている。とするなら、破局噴火の時期はそう遠くないかもしれない。そのときに原発が巻き込まれるか否かで難を逃れて生き残った人たちへの影響が大きく異なってくることは間違いない。

 利己的な人間は、しばし自分の生きている時代のことしか考えない。自分が生きているうちには破局噴火などないだろうと他人事のように考えている人が大半だと思う。だからこそ地震大国・火山大国である日本に54基もの原発建てられてきた。しかし、2011年にマグニチュード9という超巨大地震が日本を襲い、福島第一原発は3基もの原子炉がメルトダウンし、今も収束の目途は立っていない。私自身、生きている間にこんな巨大地震が日本を襲うなどとは考えたこともなかったが、それがいかに甘い考えだったかを痛感した。

 プレートの縁に位置する日本では、巨大地震や巨大津波、巨大噴火がいつ起きてもおかしくない。そして、その度に原発事故に怯えなければならない。もはや原発がなければ電気が足りないなどという主張が幻想であることははっきりしている。それにも関わらず原発にしがみつき、国土のみならず世界中を放射能汚染させてしまうのなら、あまりに利己的で無責任というほかない。  

人類はいつか必ず起きる破局噴火を防ぐことはできない。ならば、自然災害に伴って世界中に放射能をばら撒く愚かなことだけは何としてでも防がなければならない。そのためには一日でも早く原発を停止して廃炉にするしかない。あとは(破局噴火は手に負えないとしても)できる限り大噴火の予知に努め、被害を最小限に食い止める工夫と努力をするしかないだろう。

2017年11月27日 (月)

福島の原発事故による被ばくで健康被害は生じないと断定できるのか?(追記あり)

 ここ数日、映画監督の想田和弘さんが早野龍五氏の姿勢を批判したことで想田さんに対する攻撃が続いている。私も「福島の原発事故による被ばくで健康被害は生じない」と断定的な発言をしている菊池誠氏などに対する批判的なツイートをしたのだが、菊池誠氏や早野龍五氏らの批判をすると攻撃的なツイートが湧いてきた。まるでネット右翼の様相だ。

 私の言いたいことの要点は以下。

 福島の原発事故後には体調に異変を来たしたなどの報告が多数あったし、福島県で行われた小児の大規模な甲状腺検査では多数の甲状腺がんが確認された。福島の原発事故よる被ばくと健康被害の因果関係については現時点では明確に否定できる状況ではなく、「健康被害は生じない」と断言するのは科学的な態度ではない。

 私のツイートにムキになって揚げ足取りのいちゃもんをつけてきた人が何人もいた。自分の身分も示さず匿名でいちゃもんをつける人にいちいち返信するつもりはないが、ここでは、現時点で「福島の原発事故による被ばくで健康被害は生じない」などと断定できる状況ではないと考える理由についてまとめておきたい。

過剰診断説について
 健康被害は生じないと主張する人たちは、福島の場合、検査によって放置しても問題のない癌を見つけているだけで、多発ではなく多発見だと主張する。その根拠として持ち出すのが韓国での成人の甲状腺検査のデータだ。これに関しては国立遺伝学研究所の川上浩一教授が以下のように指摘している。

 福島の小児の甲状腺検査によるがんの多発に関し、検査によって問題のない良性のがんが発見された可能性があることは否定しない。超音波診断の専門家である筑波メディカルセンター病院乳腺科の植野映氏は、超音波検査では微小甲状腺癌が多数発見されることを指摘している。また「福島県外でのスクリーニングは論外である。これは香川の武部晃司先生(たけべ乳腺外科クリニック)も述べているが,彼は私と同じく,超音波による甲状腺癌のover surgeryを唱えており,小児でも同じであると警鐘を鳴らしてきた」と書いている(https://togetter.com/li/900034 参照)。ただし、成人と小児でスクリーニング効果が同じであるとするデータは示されていない。

 福島の小児の甲状腺がんで重視しなければならないのは、転移をするような悪性のがんの発症率や、がんの進行速度であろう。これに関しては、手術を行った鈴木真一氏が「過剰診療という言葉を使われたが、とらなくても良いものはとっていない。手術しているケースは過剰治療ではない」と主張しているし、手術している子どもにリンパ節転移をはじめとして深刻なケースが多数あることが分かっている(リンパ節転移が多数=福島の甲状腺がん 参照)。放置しても問題がない良性のがんが検査で見つかっているだけであるなら、なぜ転移もしていて手術が必要な深刻ながんが多数見つかるのだろう。

 私はテレビを見ていないのだが、昨日はNHKのBSスペシャルで「原発事故7年目 甲状腺検査はいま」という番組が放送された。この放送を見た方がこんなツイートしている。

 1巡目で発見されないのに2巡目で悪性腫瘍が見つかった子どもが60数名もいたのであれば、がんの進行が非常に速いということではなかろうか。

 なお、福島とチェルノブイリで甲状腺被ばく量を比較すると、福島の場合は圧倒的に被ばく線量が小さいので、福島での甲状腺がんの多発は放射線の影響とは考えにくいという意見がある。しかし、staudy2007氏の「見捨てられた初期被曝」(岩波書店)では、福島では事故直後に速やかに被ばく量検査が行われなかったために被ばく量の推計を著しく困難にしてしまったこと、3月26日から30日にかけて1080人の小児に対して行われた甲状腺被ばく調査は過小評価であることが指摘されている。

 被ばくと健康被害の因果関係を証明するのはきわめて困難であり、数十年にわたる疫学調査が必要だ。チェルノブイリの原発事故でもスクリーニング効果があることは分かっており、甲状腺癌と被ばくの関係について決定的なエビデンスを得るまでに約20年かかっている(チェルノブイリ甲状腺がんの歴史と教訓 参照)。

 福島の場合も、現時点で「被ばくによる健康被害はない」などと断言できる状況ではないと思う。

ホットパーティクルに関する最新の知見について
 私は原発事故による人工放射能の問題について、「科学と認識」というさつきさんのブログをしばしば参照し、紹介もしている。さつきさんは大学の教員であり、放射線に関して専門的知識がある方だ。とりわけさつきさんが今年8月に紹介している福島の事故で放出されたホットパーティクルに関する論文は興味深い。その概要とさつきさんのコメントは以下だ。

放射性セシウム微粒子についての最新の研究論文の紹介(その1) 
放射性セシウム微粒子についての最新の研究論文の紹介(その2) 
放射性セシウム微粒子についての最新の研究論文紹介(コメント) 

 私は専門的なことは分からないが、さつきさんは「コメント」で重要な指摘をしている。その部分を引用したい。

 ポイントは、この論文の要旨で「CsMP は、放出された放射性核種のうち体内に吸引摂取され得る形態のものを運搬する重要な媒体であった」と指摘されている点であり、また、イントロに書かれている「難容性の CsMP は、東京に最初に降下した Ce の主要なキャリアとして認定された」も重要である。(中略)

 核兵器の爆発の場合は、その破壊力に比べて実際の核分裂生成物の量は原発よりはるかに少ないし、メルトダウンに引き続く、コアーコンクリート反応のような、比較的ゆっくりとした反応が進行する時間的余裕もない。実際、大気圏内核実験によるグローバルフォールアウトの人工核種をトレーサーとした海洋の三次元的海水循環の研究(例えば、Eigle et al., 2017 )を参照すると、採水測定によって得られた鉛直方向の拡散速度は、粒子として沈降した成分の存在を否定しており、大部分が海水に溶けていると模擬することでうまく説明できるという。

 チェルノブイリはどうか。これは黒鉛炉であり、メルトダウン時に還元的な雰囲気になった筈で、この点で軽水炉である福一とは反応環境が大きく異なっていたであろう。チェルノブイリ周辺でこのような放射性微粒子を探す努力がどの程度なされたか知らないが、ATOMICA に記載されているチェルノブイリで見つかった粒子は、本来のホットパーティクルの概念とは異なる性質のものである。もしかしたら、福一から放出された放射性物質の主成分が CsMP であったことは、地球上に本格的な多細胞生物が出現したおよそ6億年前以降、生命が初めて直面する種類の脅威であるのかもしれない。

 福島の原発事故で放出されたホットパーティクルは、核実験によって放出された放射性物質ともチェルノブイリの原発事故で放出された放射性物質とも形状が異なるそうだ。そして、3月15日に東京にまで流され降下したホットパーティクルは「体内に吸引摂取されえる形態のものを運搬する重要な媒体」であるという。

 また、さつきさんはICRPの被ばく線量評価に最高を迫る最先端研究を無視するサイエンスライターで、上記の論文の著者のお一人が書かれた健康影響についての予察を引用して紹介している。福島の小児の甲状腺がんを含め、健康被害について考える上でも重要な指摘だ。

 こうした新知見が提示されているのだから、内部被ばくの人体への影響に関しては福島とチェルノブイリを単純に比較できないのではなかろうか。ホットパーティクルの健康への影響については分かっていないことも多く、この点を考慮せずに「健康への影響はない」などと断言するのは安易と考えざるを得ない。

「断定できない」について
 私が「福島の原発事故による被ばくで健康被害は生じない」とは断定できない、と書いたら、「UNSCEARの報告を信用しないのか」という批判がきた。これについては以下のツイートを貼っておく。

 「断定」に関しては、悪しき相対主義 を読めという意見もあった。

 私は今までに公表された情報や専門家の指摘から、「エビデンスを得るためには長期間にわたる調査が必要であり現時点で安易に断定するべきではない」という立場で意見を述べているにすぎない。この記事で指摘しているような相対主義的な考え方を推し進めているわけではない。私が批判しているのは菊池誠氏や早野龍五氏といった大学教授であり科学者だ。彼らはその立場から社会に与える影響がきわめて大きいゆえ、発言には慎重さや正確性が求められると考えている。

最後に
 原発は「トイレのないマンション」と言われるように核廃棄物の処理技術すら確立されていない未完成の技術といえる。現時点では原発事故を完全に防ぐこともできないし、環境中に放出された放射性物質を回収することもできない。福島第一原発では融け落ちた核燃料も手をつけられず、放射性物質は未だに海へ大気へと垂れ流しが続いている。原発こそニセ科学といえるものではなかろうか。

 私は菊池誠氏や早野龍五氏にはこうした原発の問題点についてご自身の意見を明らかにしてほしいと思っている。

 原発が国策として推進され、安全神話という嘘が振りまかれてきた以上、原発問題は政治とは切り離せない。したがって、原発についての意見を述べることは政治的姿勢と関わらざるを得ない。しかし、被ばくに関する意見を発信して注目を浴びている科学者である以上、原発に対する自らの意見、立ち位置を明らかにする責任があるのではなかろうか。

 今回の想田さんへの攻撃や私への攻撃は、いわゆるネット右翼と呼ばれる人たちの言動と何ら変わらない。私は原子力推進派がツイッターを利用し、菊池氏や早野氏などの安全発言をする科学者を擁護し、彼らを批判する人たちを攻撃することで情報操作をしているのではないかという疑念が払しょくできない。つまり、菊池氏や早野氏は原子力推進派に利用されていると感じている。

 彼らが御用学者ではないという立場であるなら、なおさら原発にまつわる問題に関し、科学者としての意見を明らかにすべきだと思う。

 なお、原発事故後の体調不良や健康被害の増加に関しては、以下の記事が客観的データとして信頼できると考えている。

東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌 ―Googleトレンドは嘘をつかない― ②データ編 

【11月29日追記】

林 衛氏が以下のツイートをしている。

 ここで引用している鈴木眞一「福島原発事故後の福島県小児甲状腺県信と小児甲状腺癌」(「医学のあゆみ」2017年3月4日号特集:甲状腺疾患のすべて)の内容は以下。

 一方では過剰診断治療が問題とされている。超音波検査の利益・不利益は当初から理解し、わが国の甲状腺専門家たちのコンセンサスを得たうえで抑圧的な検査基準を設定している。すなわち著者らは、検診をはじめる際にも超音波を検診に用いると多数例がみつかることを想定し、二次検査での精査基準を設けた。5mm以下は細胞診をしないで経過観察。5.1mmは甲状腺結節の超音波診断基準の悪性7項目のほとんどが合致する場合は細胞診を、それ胃倍は経過観察としている。10.1~20mmでは同じ診断基準悪性7項目のうち、1項目でも悪性を疑う場合やドブラ法で貫通血管が認められる場合に細胞診をする。20.1mm以上では前例細胞診を施行することとして腫瘍径とエコー所見で性弁をかけ過剰診断にならないように努めている。ATAのガイドラインでも10mm以下は細胞診をしないとされているが、悪政を疑う場合は別であり、同様の対応を明確にしているものである。また、非手術的経過観察には進められない画像をLeboulleuxらは提示しているが、著者らの精査基準と同様であり、今回の手術された微小癌のほとんどが湿潤型で被膜外湿潤、リンパ節転移も高率であった。このように、抑制的にしているにもかかわらずアメリカ・韓国の過剰診断論から同様に問題とする方がいる。

 鈴木氏によれば超音波の検診ではスクリーニング効果があることを認識しており、福島の検診では過剰診断にならないよう基準をつくって抑制したとのこと。したがってアメリカ・韓国の過剰診断論をそのまま当てはめられないことが分かる。過剰診断にならないよう抑制的にしてもリンパ節に転移しているなど手術を必要とする事例が多数あったのだから、今後はその原因が問われることになるだろう。

2017年3月10日 (金)

原発は地震・津波対策をすればいいというものではない

 今日の北海道新聞のトップ記事は「規制委、北電見解認めず 泊隆起『地震の可能性も』」とのタイトルで、原子力規制委員会が泊原発の立地している積丹半島沿岸の地形隆起は地震による可能性があるとして、審査再会を北電に伝えるという内容だった。

 北電はこれまで泊原発の周辺の隆起地形について、「地震性ではない」と主張してきたのだが、規制委は北電の主張を認めないという判断をした。

 泊原発に関して、北電は2004年の留萌南部地震と同程度の地震が起きるケース想定して最大620ガルの地震動、最大12.63メートルの津波想定してきた。しかし、今回の規制委の判断によって、北電の想定が認められない可能性が高くなった。泊原発の周辺の隆起地形が地震によるものだという説は、北海道大学大学院名誉教授で地理学者の小野有五氏がかねてから主張していたことだが、北電は地震隆起説を排除する合理的な説明ができず、規制委も地震隆起説を否定できないのだ。

 今回の規制委の判断によって、泊原発の再稼働は確実に遅れることになるだろう。とりあえず規制委はまっとうな判断をしたと思う。

 ただ、いつも思うのは、原発は一度過酷事故を起こしたら取り返しのつかない破滅的な事態を招くわけで、日本のようにしばしば巨大地震や大津波に襲われる国において100%安全な原発などあり得ないのではないかという疑問だ。これについては「さつきさん」の以下の記事が参考になる。

 電力業界が模索する原発の確率論的地震ハザード審査の危険性 

 福島第一原発の事故は3基もの原発がメルトスルーし、チャイナシンドロームという最悪の事態を招いてしまった。先日の2号機のロボットによる写真撮影や線量測定で、溶融燃料の状態が確認できないばかりか、人も近付けない高線量であることがはっきりした。現時点では溶け落ちた核燃料を取り出す技術はなく、お手上げ状態だ。プールの燃料がどうなっているのかも分からないし、取り出しも極めて困難としか思えない。東電の廃炉に向けた行程表など、絵に画いた餅であることは間違いない。しかも、汚染水はずっと垂れ流し状態で止める術もない。

 チェルノブイリでは石棺で大量の放射能の放出は抑えられたが、福島は石棺にもできず、どうみても史上最悪の原発事故が6年間も続いているのだ。太平洋の汚染は、海の生き物に相当の影響を与えるに違いない。とてつもなく深刻で恐ろしい事態になっている。

 原発とは、ひとたび過酷事故を起こせばこういう壊滅的な事態を引き起こす。もし、再び同じような過酷事故が起きれば、日本は滅亡の危機に瀕するだけでなく、世界中に迷惑をかける。

 原発の稼働にあたって、どれほど耐震基準を高めて対策をとったところで、100%安全などということは考えられない。昨年の熊本地震では最大で2.2メートルもの横ズレが生じたとされる。もし原発直下でマグニチュード7クラスの地震が起きて2メートルものズレが生じたら、技術的に可能な限り耐震性を高めても耐えられるとは思えない。アウターライズ地震が正断層で起きれば、東北地方太平洋沖地震のときより遥かに高い津波に襲われると言われているが、もしそのような津波が起きたなら今の防潮堤では浸水してしまうだろう。

 100%の安全が確保できないのなら、耐震基準を高めるというよりも原発そのものを止めるという選択しかないと思う。地震、津波、火山、台風など自然災害が頻発する日本において、やはり原発という選択はしてはならなかったのだと思わずにはいられない。

 明日であのおぞましい原発事故から7年目になる。あの原発事故は今も現在進行形であり、大量の放射性物質を垂れ流し続けていること、史上最悪の手のつけられない事故であることを忘れてはならない。

2016年3月17日 (木)

5年前に関東を襲った放射能プルームを忘れてはならない

 忘れもしない。5年前の3月15日に私は東京に行く予定で飛行機を予約していた。帰りの飛行機は3月22日に予約。しかし3月11日の震災によって急きょ予定を変更し、実際に東京に行ったのは3月29日の夜だった。

 当初、米国から来日するというある方と3月21日に東京でお会いする約束をしていたのだが、予定変更を伝えてやむなくキャンセルをした。もっとも、その方も出発の少し前に米政府から出国を止められて日本に来れなくなったのだが。米政府が日本への渡航を禁止したということは、当時東京に行くことがどれほど危険なのかを知っていたからに他ならない。

 私が東京に行ったときは東京の汚染がどの程度のものなのか正直いってよく分からなかった。しかしフクイチが爆発してからは原子力資料情報室の動画を頻繁にチェックしていたので、格納容器が破損して大量の放射性物質が放出されたことは知っていた。また東京でも一時的に放射線量が上がったことも知っていたし、乳幼児には水道水を飲ませないようにとの報道があったので、健康被害が懸念される汚染があったという認識はあった。

 しかし3月15日と20~21日に放射能プルームが東京を襲い、それによってかなり土壌が汚染されたことを知ったのは帰ってきてからである。予定を変更していなかったら、私も相当の被ばくをしていただろう。

 5年前の恐るべき放射能汚染を忘れないためにも、2回にわたって関東地方を襲った放射能プルームのことを再度とりあげておきたい。

 1回目、3月15日の大量放出に関しては、広く知られている。このとき東京にいた人たちが浴びた放射線量は一日でおよそ700マイクロシーベルト(0.7ミリシーベルト)と見積もっている方がいる。これだけでも健康に影響がないといえるレベルではない。

3月15日 東京を襲った「見えない雲」 (Stop ザ もんじゅ)

 そして3月20日から21日にかけて再び放射能プルームが東京を襲った。15日のフォールアウトは希ガスが主体だったのに対し、20~21日のフォールアウトはヨウ素、セシウム、ストロンチウムなどが主体と考えられている。いずれにしても、この2回のフォールアウトによって関東地方の人たちは大量の被ばくをしてしまったのは間違いない。20~21日のフォールアウトに関してはishitaristさんが詳しく報じているが、この2日間だけで大気圏核実験が頻繁に行われていた過去50年間の降下量とほぼ同量のセシウム137が降り積もり、関東地方の人たちはそれを吸い込んでしまったことになる。

2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発(Space of ishtarist)

 5年前の3月だけで、東北から関東地方に住む人たちはかなりの被ばくをしたのであり、どう考えても「健康に影響がない」というレベルではない。現に、福島の子ども達に甲状腺がんが多発している。上記、ishtaristさんは、グーグルトレンドを使って3.11以降の健康被害について考察しているが、東京でも健康被害が広がっていることが読み取れる。

東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌 ―Googleトレンドは嘘をつかない― ②データ編(Space of ishtarist)

 私が東京に行った3月末、テレビでは学者を名乗る者が何度も出てきて「格納容器は健全です」と繰り返していたのをよく覚えている。つまり、放射能漏れはないから安心してよいといっていたに等しい。原発が4機も爆発して建屋は吹き飛び、3号機の爆発のときにはキノコ雲も発生したし、東京の水道水に放射性ヨウ素が含まれていたのだから、そんな学者の話しなど端から信じてはいなかったが、テレビではこんなことが平気で垂れ流されていた。

 後に知ったことだが、震災で騒然としていた中、東電社員の家族は早々に避難していたと言われている。東電も政府も米国も、フクイチでメルトダウンがはじまっていたことや大量の放射性物質がまき散らされたことをもちろん知っていたのだ。5年前の今ごろ、東電も国も大量の放射能漏れを知りながら、パニックを理由に国民に何もしらせなかった。マスコミは御用学者をつかって虚偽の情報を流し、安全論を振りまいた。5年前の今ごろ、原子力ムラの人たちは国民の命などこれっぽっちも考えずに保身に走った。日本国民は5年前のあのとき、見捨てられたのだ。

 3月11日の震災を風化させてはいけないとマスコミは口をそろえる。しかし、なぜか福島の原発事故を風化させてはいけないとは言わない。原発事故のことは早く忘れさってほしいと思っているのだろうか。5年前の今ごろ、政府とマスコミ、御用学者たちが国民の命に関わる重大な情報を隠蔽して被ばくをさせ、健康被害を拡大させたことを私は決して忘れない。今でも、福島の原発事故程度では健康被害は生じないなどとねぼけたことを言っている科学者がいるが、いったい何を根拠にそんな無責任なことが言えるのだろう。

 もちろん責任者を批判したり、彼らが謝罪したところで被ばくが消えるわけではない。しかし、この重大な責任を黙認するということは、この国にはびこる無責任体質を容認することに他ならない。

2016年3月11日 (金)

原発事故から5年経ち思うこと

原発事故から5年経ち思うこと  東日本大震災と原発事故から5年が経った。東北の太平洋側を襲った巨大津波の記憶はまだなまなましく残っているが、地震や津波という自然災害を前に人間はなんと無力なのだろうかと思い知った災害だった。もちろん日頃から防災を心がけていることで救えた命はたくさんあったし、それを思うと無念でならない。そもそも東北地方は昔から大津波に襲われていたという記録がある。しかし、そうした記録は次第に忘れ去られ、人々は津波の危険性のある海岸の低地に街をつくってしまったうえ、避難体制も不十分だった。津波による被害は、防災意識を忘れ去った、あるいは軽視したことによる人災の側面があることも否めない。

 これは東北地方に限らず言えることだ。4つものプレートが重なり合っている日本は大地震や大津波に襲われる宿命にある。そんな日本に生きる以上、防災意識は忘れてはならないとつくづく思う。

 一方、福島の原発事故は巨大地震と巨大津波が引き金になったが、巨大地震や巨大津波が襲うことは予測されており、明らかに人災である。人災である以上、事故には責任がつきまとう。反対の声も無視して原発をつくり地震や津波対策をとってこなかった東電はもちろんのこと、原発を推進してきた政府、原発の不都合な真実の隠蔽に関わった人たち、原発訴訟で電力会社を勝たせてしまった裁判官も責任があるだろうし、原発を容認してきた国民にも責任の一端はある。

 5年が経過した今、マスコミ報道では原発事故よりも津波などの震災の被害の方がより強調されているように感じてならないが、地震・津波による被害と原発事故による被害はきっちりと分けて考える必要がある。震災に関しては悲しみを乗り越え地道に復興に取り組んでいくしかないが、事故を起こした福島第一原発は今も放射性物質を大量に放出していて収束の目途もたっていないし、被ばくによる健康被害がより顕在化するのもこれからだろう。避難の支援や健康被害の軽減、補償などに取り組まねばならないはずなのに、被ばく問題や健康被害に関してはタブーであるのかマスコミはほとんど報道しない。

 東北や関東地方では濃淡はあるものの深刻な汚染が生じた。東京ですら放射線管理区域を超える汚染地があったのだ。福島の60の小中学校の土壌汚染調査では今もなお8割が放射線管理区域を超える汚染が確認されているという。その中にはチェルノブイリの原発事故で「移住の義務」を命じられた区域に匹敵する場所もあるという。

 「女性自身」が驚愕の原発汚染調査報告! 福島の小中学60校の8割で「放射線管理区域」を上回るセシウム(LITERA)

 こんな状況であるにも関わらず、政府は避難の必要性を年20ミリシーベルトで線引きし、汚染地に住民を帰還させるという驚くべき方針をとっている。チェルノブイリの事故で「移住の義務」や「移住の権利」の基準が決められたのは事故から5年後の1991年。ところが、日本は5年経った今も20ミリシーベルトという基準を見直す気配がない。チェルノブイリの教訓を生かすどころか完全に無視し、被ばくと健康被害の隠蔽に必死だ。“驚愕”するのは汚染よりこちらの方だ。

 福島とチェルノブイリ5年後の避難基準の比較(「スナメリチャンネル」~みんなが笑って暮らせる世界へ~)

 チェルノブイリと福島で大きく異なるのは汚染地の人口だ。福島の事故では汚染は人口密集地である首都圏にまで及んでいる。

 【重要】マスコミが報道をしない全国の放射能汚染地図!東京は猛烈な汚染!静岡も東部や太平洋側で高い数値! (真実を探すブログ)

 政府は密かに福島の事故による健康被害を想定しており、ベラルーシのような避難基準にしたら大変なことになると分かりきっているのだろうと思う。移住の義務や移住の権利をチェルノブイリ並みにしたなら補償費用はとんでもない数字になるだろう。それだけではない。東京の土地が暴落したり経済活動に大きな影響がでるのは間違いない。原発への反発も強まるだろう。だから汚染の過小評価をし、隠蔽を重ね、健康被害は無視し、人々を被ばくから守らないという方針をとったのだ。この国の政府は、人災でありながら被害者の救済などそっちのけで、自己保身をはかることしか頭にないようだ。

 甲状腺がんの多発に関しては、今はスクリーニングを持ち出して言い訳をしているが、いずれ被ばくとの因果関係を認めざるを得なくなるだろう。チェルノブイリの事故ではICRPも甲状腺がんだけは被ばくとの因果関係を認めたのだから、福島でも最終的には認めざるを得ないという心づもりだと思う。しかし、チェルノブイリと同様、それ以外の健康被害については被ばくとの因果関係は認めないという方針をとるのだろう。だからこそ、甲状腺がんだけは検査をしているとしか思えない。しかし、それ以外の健康被害については恐らく必死で隠蔽しようとするに違いない。私たちが騙されてはいけないのはこの点だ。

 私は福島第一原発が爆発をしたとき以来、この事故に関して大きな関心を抱いてきた。そして案の定、東電も政府も事故の原因究明をあやふやにし、過小評価に必死になり、汚染や被ばく隠しに必死になった。だからこそ、事故からしばらくの間はブログでもこの問題を何度も取り上げてきた。政府が放射能汚染や被ばくに関して情報を速やかに出さず、避難の権利も認めず補償もろくにしない以上、一人ひとりが情報収集をしてどう対処するか判断し、被ばくを回避するための努力をするしかない。だからこそ、その判断に供するためにも自分が信頼できると思う情報を書いてきたつもりだ。

 最近は原発事故についてほとんど話題にしなくなったが、それは決して関心が薄れたからではない。事実を知る努力をし、避難すべきと判断した人の大半は事故後2、3年のうちに避難したと思う。一方で、避難しないと決断し今も住み続けている人は自分や自分の身の回りに異変が起きない限り、誰が何と言おうとそう簡単にその決断を変えることはないと思う。未だに、日本では健康被害はほとんど生じないなどと明確な根拠もなく主張し安全論を振りまいている科学者がいるが、それを信じて汚染地に住み続ける人を他者が変えることはできない。とはいうものの、安全論を振りまく科学者や医師の責任は大きいと言わざるをえない。

 ネットで放射能の危険性を叫んでいる人の中には東京は滅びるだろうという人もいるし、被ばくで○万人が亡くなるだろうと数値をあげる人もいる。いずれ病人が多発してキエフと同じになるだろうという人もいるようだ。さまざまな情報から、すでに首都圏でも健康被害が広がっているとしか思えないが、私には現時点でそれがどの程度のものになるのかまでは何とも言えない。放出された放射性物質の量や核種も被ばくの状況も、チェルノブイリと同じではない。しかし「東京は壊滅する」とか「避難を主張しない人は皆エートス」など、根拠なしに危険性を声高に主張したり、避難の主張をしないという点だけを取り上げて原子力に反対の立場の人すらエートス呼ばわりする人にも、安全を主張する人と同じ危うさを感じざるを得ない。

 先月、10日ほど東京に行った。東京は風が強い日が多い。東京はまだらではあるがそれなりに土壌汚染されたし、今でも放射性微粒子があるだろうと思い、私は風の強い日はマスクをして出歩いていた。しかし、もはや東京でそういうことを気にしてマスクをしている人はほとんどいないようだ。子どもたちは何事もなかったかのように校庭や公園などで遊んでいる。東京に住み続けることを選択した人たちにとって、もはや汚染や被ばくはほとんど頭にないのかもしれない。

 居住の可否に関し、年20ミリシーベルトという信じがたいほどの高線量で線引きをしている日本では、避難をするかどうかの判断も、避難の費用やその後の生活もすべて個人の責任で行わなくてはならない。

 誰も避難の補償をしてくれないのなら、高齢者の多くは住み慣れた場所から移住などする気になれないだろうし、働き盛りの人たちはそう簡単に仕事を変える決心はつかないと思う。自宅を持っていたり住宅ローンを抱えている人ならなおさらだ。東京に住み続けるには、被ばくのことなどいちいち気にしていられないという心境なのだろう。あれだけ沢山の人が住んでいるのだから、正常性バイアスに捉えられて何とも感じなくなってしまうのは当然といえば当然なのかもしれない。

 原発を推進してきた政府と東京電力に重大な責任がある事故でありながら、被ばくから身を守る責任は被災者個人に負わされているのだ。なんという無責任国家なのだろう。  しかし、だからこそツイッターなどで流れてくる情報に耳を傾け、神経をとがらせないと自分や家族の健康は守れない。そんな国になってしまった。

 もちろん、被ばくは汚染地に住む人だけの問題ではない。100ベクレルという高い基準値のために、汚染された食品が全国に流通している。汚染が日本中に薄く、広く広がっている。どこにいても食品の産地に注意を払い、できるだけ汚染地のものは避ける努力をする必要があると思うし、外食や加工食品なども避けるに越したことはない。そういう努力をしている人でも、日本人はみな原発事故前よりだいぶ多くの放射性物質を体内に取り込んでしまったし、これからも取り続けることになるだろう。

 5年前の原発事故を教訓に、今後どうしていくのかが私たち日本人に課せられた課題だ。過酷事故を起こしたなら取り返しのつかない被害をもたらす原発をどうするのか? 放射能汚染や被ばく問題をどう捉えるのか? 被ばくや健康被害にどう立ち向かい対処するのか? あるいは国の情報隠蔽や被害の過小評価、補償の放棄に対してどう行動するのか?

 自分のことだけではなく、未来の人たちのために考え行動せねばならないと思う。

2016年1月 9日 (土)

小野昌弘氏の放射能恐怖に関する連載記事についての感想

 英国在住の免疫学者である小野昌弘氏の「放射能恐怖という民主主義の毒」という連載記事に関し、ツイッターで賛否両論が交わされている。私は小野氏の放射能に関する認識は間違っており、間違った認識によってお門違いの批判を展開していると捉えている。

 この小野氏の主張は、ニセ科学批判クラスタの人たちによる、根拠薄弱な放射能安全論と深く結びついていると私は考えている。そして、放射能による影響が明確になってきている今だからこそ、このようないい加減な安全論の流布に対してはっきりと批判しておくべきだと思う。

 小野氏の連載最終回の記事を読んでの私の連続ツイートを以下に貼り付けておきたい。

①小野昌弘氏はこちらの記事http://bylines.news.yahoo.co.jp/onomasahiro/20160102-00053053/で、原発事故後に「『御用学者』というレッテルを貼る動きが科学者・専門家全体に拡大し、本来的検証の動きを阻害した」と言うけれど、御用学者など原発事故前から大勢いた。

②ただ、原発事故前はそれほど目立たなかったにすぎない。否、日本の大学等の研究機関において、公の場で堂々と政府批判をする研究者は少数派で、多くの研究者は立場上、自由に批判もできず沈黙しているか、あるいは魂を売って御用学者になってしまっているといっても過言ではなかろう。

③大学教授などの科学者が政治とまったく無関係でいられるということにはならない。とくに多額の研究費が必要な自然科学系の研究者が研究費を得ようとしたなら、政府の望む研究を手がけるというのが当たり前の状況だ。大学教員の多くは自分の探究心より研究費や地位を優先せざるを得ない。

④つまり研究費を得、昇進するためには、政府の望む分野での研究を手がけるのがもっとも手っ取り早い。そうやって、科学者は政府に利用され御用学者になっていく。国立大の教授を定年退職したある知人から聞いた話しだが、在職中はなかなか自由に物を言えないというのが現状らしい。

⑤そんな中で御用学者にならないよう自分の意志を貫くのは強い意志が必要だし、場合によっては昇進もあきらめねばならない。小出裕章氏が助教のまま退職したのも、原発に反対しつづけてきたからだろう。しかし、小出氏のように地位や高給を望まず自分の意志を貫ける人はほとんどいない。

⑥study2007氏は「科学」への投稿も匿名だったし、「見捨てられた初期被曝」も匿名で出版した。彼が匿名でしか被ばく問題を書けなかったのも、研究者として名を明かせない事情があったのだろう。この国では研究者が良心に忠実で誠実な態度を貫くことはとても困難だ。

⑦日本の研究者の置かれた状況を考えるなら、権力者の意向に流されず自分の主張を貫く研究者は冷遇される。だから多くの研究者は御用学者になってしまうか、あるいは政治的発言を控えて沈黙を貫く。しかし、魂を売った御用学者の嘘が暴かれ批判されるのは当然の成り行きだろう。

⑧一方で、小野氏の言う「御用学者パージ」とは何なのだろうか? 私が思うに、小野氏は「原発業界御用学者wiki」の批判がしたかったのではないかと思う。専門家に対し、こういう吊るしあげや晒しをするなと。もちろん、御用学者wikiが間違いだらけならそういう批判も有りだろう。

⑨しかし小野氏はここで完全な勘違いをしていると思う。原発問題、被ばく問題に関しては、原子力や放射線の御用学者が明らかに存在した。しかしそれ以外にもニセ科学批判クラスタ等による浅薄で根拠薄弱な放射能安全論が流布された。彼らの大半はエア御用と称された。

⑩つまり、利害関係の絡む御用学者と、リテラシーの欠如と思い込みで「健康被害は生じない」と流布した科学者の問題は分けて考える必要がある。前者は自分の利益のために意図して嘘を撒き散らすが、後者は善意と思い込みで嘘を撒き散らしているのであり、ともに有害だが質がまったく違う。

⑪そして小野氏はニセ科学批判の人たちの言説を真に受け、彼らの放射能安全論を具体的に検証もせず、彼らを批判する反原発の人たちを「放射能おばけ」と揶揄して批判した。つまり、小野氏の被ばくに対する認識は、ニセ科学批判クラスタの人たちと何ら変わらないということだ。

⑫確かに反原発の人たちの中には、これから首都圏では被ばくで○万人が死亡するとか、東京は滅亡するといった根拠のほとんどない発言をする人たちもいるし、妄想としか思えない陰謀論を振りまいている人たちもいて、私はそういう人たちは警戒して距離を置くようにしている。

⑬しかし放射能安全論を振りまく科学者に何の疑問を持たずに専門家として持ちあげ、根拠なく危険を吹聴する一般人のみを「放射能おばけ」と批判する姿勢にはとても賛同できない。小野氏はリテラシーのなさから的外れの批判を展開してしまったとしか私には思えない。


 それから、以下はニセ科学批判の人たちに対する私のツイート。

ニセ科学批判の人たちを見ていて感じるのは、彼らは常日頃から批判できる対象探しに目を光らせていて、これぞと思う事例を見つけては批判をして悦に入るという習性が身についてしまったのではないかということ。批判することが目的になると、批判のネタが目についたらすぐに飛びつく。

福島の原発事故のあとも、彼らは放射能絡みのニセ科学批判に飛びついた。批判が的を射ていればいいのだが、誤認や思い込みで批判を展開してしまったがゆえ反原発の人たちから批判される結果となった。早い時点で過ちに気付いて訂正すればよかったのだが、なぜかそういう判断はしなかった。

彼らの危うさは、「はじめに批判ありき」という意識が強くなりすぎ、批判すること自体が目的になってしまって否定の根拠を探すことに躍起になり、自分たちへの批判を真摯に受け止めないこと。そして誤ちを訂正する方向に向わず、集団の同調性によって暴走してしまうことだと思う。

*ツイートをあとから読み返すと日本語としておかしな言い回しもあるが、ツイートは訂正できないのでここではそのまま掲載した。

2015年12月11日 (金)

大津波は想定外ではなかった―「原発と大津波 警告を葬った人々」

 福島の原発事故から4年9カ月が経った。あの大地震と大津波は言葉を失うほど衝撃的だったけれど、それ以上に震撼とさせたのはやはり原発事故だった。

 以前から、日本の原発には底知れぬ怖さをうすうすと感じていた。チェルノブイリのような大事故がいつか起きるのではないかと。そして、東北地方太平洋沖地震という巨大地震の発生でとうとうそれが現実となってしまったが、さらに驚いたのはメルトダウンの隠蔽や事故の過小評価、被ばく隠し・・・。この国の根っこにある体質が、あっけなく露呈した。

 日本の原発は「五重の壁」で守られているから大事故は起きないとあれだけ喧伝されていたのは一体なんだったのだろう? 「想定外」とはなんと便利な言い訳の言葉だろう。そんな思いで添田孝史氏著「原発と大津波 警告を葬った人々」(岩波新書)を読んだ。

 この本は、津波に焦点を絞り、福島第一原発が事故前になんども大津波の警告を受けながら津波への対策を怠っていたことを、関係者へのインタビューや資料に基づいて詳細に検証しており、一読の価値がある。

 同じ太平洋側にありながら、女川原発は海水ポンプも含め標高14.8メートルのところにあり、東北地方太平洋沖地震の大津波による被害をかろうじて免れた。ところが福島第一原発の場合、非常用海水ポンプはたった4メートル、原子炉建屋は10メートルのところに建てられた。福島第一原発が建てられたときに想定されていた津波の高さは、過去12年での最大記録のチリ津波(小名浜港の3.12メートル)だったというのだ。建設当時にはまだプレートテクトニクス理論が確立されていなかったとはいえ、東北地方といえば古くから大地震による大津波の記録があるところだ。信じがたい想定というほかない。

 電事連が2000年に出した「津波に関するプラント概略影響評価」では、福島第一原発は想定の1.2倍の津波(5.6~6.2メートル)の津波に耐えられないことが分かっていたとのこと。島根原発とともに、日本でもっとも津波に対する余裕が小さい原発だったのだ。

 東電が福島第一原発の1号機の運転を開始したころになって、プレートテクトニクス理論が確立した。当然のことながら地震の専門家などから耐震設計や大津波に対して警告がなされることになる。東電が津波対策を講じることは可能だったが放置された。

 2006年には保安院も津波の対処をするように指示をしていた。しかし、東電はそれらをすべて無視し、うやむやにして対策をたててこなかったのだ。否、無視したというよりむしろ積極的に工作活動をして津波対策を潰してきたといっても過言ではない。土木学会は、東電が対策をとることを逃れるために大きな役割を担った。いったい、日本の電力会社は安全というものをどう考えているのだろうか。これほど杜撰で無責任な会社に危険な原発の運転を任せているということに、背筋が凍る思いがする。

 それでも、東電は2008年3月頃から津波想定見直しを本格化させ、対策を進めるつもりだったらしい。この頃に行われたシミュレーションでは、福島第一原発に高さ15.7メートルの津波が到達する可能性があることが分かったのだ。ところが、これを知らされていながら関係者に根回しを行い津波対策を見送ったのが武藤栄・原子力・立地副本部長と、津波想定担当の吉田昌郎・原子力設備管理部長だった。このときに速やかに対策をとっていたなら、津波被害は免れた可能性が高い。事故当時、福島第一原発の所長だった吉田氏は、あの大津波を目の前にして、いったいどんな気持ちだったのだろう。結局、彼は自分で自分の首を絞めることになってしまった。

 福島第一原発の事故は、もちろん津波対策をしていたら防げたというわけではないと思う。地震によって送電線が倒壊したし、1号機は地震の揺れで配管が破損したという指摘がある。しかし、津波対策をきちんとしていたなら、あそこまで大きな事故になっていなかったのではないか。そう思うと、津波の危険性を知りながら、何十年ものあいだ津波対策から逃げ回っていた東電の無責任さに憤りがこみ上げてくる。

 著者は最後にこう語る。

 しかし規制当局や東電の実態を知るにつれ、彼らに原発の運転をまかせるのは、とても怖いことを実感した。間違えば国土の半分が使い物にならなくなるような技術を、慎重に謙虚に使う能力が無い。しかも経済優先のため再稼働を主張し、科学者の懸念を無視して「リスクは低い」と強弁する電力会社や規制当局の姿は、事故後も変わっていない。防潮堤をかさ上げすれば済む話ではないのだ。

 私もまったく同じように思う。津波の危険性を知りながら対策に取り組まないばかりか、裏工作までして対策を先送りさせる。都合の悪いことは隠蔽し、嘘をへいきでつく。大事故を起こしても誰も責任をとらない。地震も火山活動も活発化しており、いつまた大地震や大津波に襲われるかもしれないのに、火山学者や地震学者の意見を無視して再稼働へと突き進んでいる。狂気の沙汰としかいいようがない。

 ただし、これは電力会社だけの問題では決してない。著者の添田氏も指摘しているが、自分が東電の責任者だったら、はたしてどうしていただろうか? 組織の中で、自分の保身を優先し、都合の悪いことを無視したりもみ消したりしなないと言えるだろうか?

 秘密保護法も安保法制もあっけなく通ってしまった。そして、川内原発は再稼働。この狂気の政権を支えてきたのは誰なのか? 自己保身を優先し、目先の経済のことしか頭にない国民ではないか? この国に横たわる無責任体質は、決して企業や政治家、官僚だけのものではない。私たち一人ひとりが問われている。

2015年3月11日 (水)

東日本大震災、原発事故から4年に思う

 今日で東日本大震災から4年になる。地震と大津波、そして原発事故で多くの方が亡くなられた。亡くなられた方たちのご冥福をお祈りしたい。

 4年の歳月がたった今も不便な避難生活をつづけている方、あるいは原発事故による被ばくで苦しんでいる方たちが大勢いる。地震と津波による被災も、原発事故による被災も現在進行形だ。

 海水が山のようにせり上がって押し寄せ、砂防林も家屋も田畑もまたたくまに飲み込んでいった大津波の映像は今も生々しく脳裏に焼き付いている。その巨大な力には人間のつくった防波堤など玩具に等しく、人々はただただ逃げるしかなす術がなかった。今までの人生で、自然の脅威をこれほどまで感じたことはなかった。私たち日本人は、常に地震や津波と隣り合わせで生きているのだ。いつ誰がこうした災害に巻き込まれてもおかしくない。

 東日本大震災の被災地は比較的人口密度の低い東北地方だったが、大都市が大地震や大津波に襲われたなら、被害はとてつもなく甚大なものになるだろう。考えただけでも恐ろしいが、そういう時がいつか必ず来ると心していなければならない。

 日本は過去にもあんな大津波に何度も襲われてきたのだが、世代を重ねるたびにそんな記憶はどんどん風化してしまう。そしてほとんど忘れ去ったころにまた災難に襲われるのだ。それがあの東日本大震災だった。

 しかし、それに追い打ちをかけるように恐るべき原発事故のニュースが飛び込んできた。悪夢に悪夢が重なり、その惨事に数日間は呆然とした日々を過ごした。

 自然災害は天災であり、どんなに大きな被害が生じても、そう遠からぬ将来必ず復興が遂げられる。関東大震災の焼け野原も、阪神淡路大震災も復興したように。しかし、東日本大震災の教訓として決して忘れてはならないのが、今も放射性物質ダダ漏れの原発事故だ。あの恐るべきチェルノブイリの原発事故では石棺によって放射性物質の大量放出を止めることができた。しかし、福島の原発事故は今なお収束の目途すらついておらず、放射性物質が拡散されつづけているのだ。

 あの事故以来、多くの子ども達が甲状腺がんを発症して苦しんでいる。もちろん因果関係が証明できないだけで、被ばくがもとで亡くなった人は相当数になるのだろう。そして、今後、健康被害がさらに広がっていくことは想像に難くない。原発事故は紛れもない人災だし、加害者や責任者がいる。それにも関わらず4年たった今でも誰も責任をとっていない。何という国なのだろう。

 農作物が汚染され、海産物も汚染されたが、そんな汚染された食べ物が日本中に流通している。除染によって出た汚染廃棄物も山積みのまま放置され、物によってはリサイクル処理されて全国に拡散されようとしている。放射性物質に限らず、環境を汚染させる物質は封じ込めるのが鉄則であるにも関わらず、まったく逆のことが平然と行われているのだ。

 あのおそるべき災害から4年、マスコミは大地震・大津波の被害やそれからの復興ばかり報じている。もちろん復興や防災を報じることに異論はない。しかし、人災である原発事故も同じくらい目を向けるべきではないか。御用マスコミの報道は恣意的に人災である原発事故から目を逸らすように誘導しているかのようだ。

 日本は必ず大地震・大津波に襲われる。この事実と福島の惨事に目を向ければ、日本では決して原発を建設してはならなかったことは自明である。それなのに、この国の首相は原発再稼働にまっしぐらだ。そして、そんな政権を支持する人が一定程度いる。目の前にぶら下がった利権、自己保身がそうさせているのだろう。

 しかし、思い返してもらいたい。たった4年前、多くの日本人は原発などこりごりだと思ったのではなかったのか? 溜まる一方で処理もできない核廃棄物のことだって知れ渡ったはずだ。あんな大事故を起こし、国民総被ばくという状況に置かれていても、なお経済成長やエネルギーの大量消費を望むことが私には理解しがたい。福島の事故をきっかけにドイツでは脱原発を決めたが、当事国の日本はそんな決断すらできないでいる。この国の劣化は著しい。

 被災者はモルモットか? 東北で復興に便乗した社会実験、人体実験が始まっている(LITERA)

2014年11月24日 (月)

ホットパーティクルによる健康被害が広がっている

 「龍渓論壇」さんから、ホットパーティクルに関する重要な論文を教えていただいた。渡辺悦司、遠藤順子、山田耕作著の以下の論文だ。ダウンロードできるので、是非ゆっくりと読んでいただきたい。

【福島原発事故による放出された放射性微粒子の危険性-その体内侵入経路と内部被曝にとっての重要性】
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-g6vjvc7r6wit4cx2kxaxjggqma-1001&uniqid=8c2cb368-f11e-42c0-8cdf-73e3fe368e76&viewtype=detail 

 この論文に書かれている情報の多くは、これまでにも断片的に出されていたことである。すなわち福島の原発事故は単なる水素爆発だけではなく再臨界または核爆発が起きていたと考えられること、放射性セシウムの他にストロンチウムやプルトニウム、ウランといった放射性物質が微粒子(ホットパーティクル)となって広範囲に飛散したこと、それらを呼吸によって体内に取り入れることで健康被害が生じること、東京においても被曝が原因と考えられる健康被害が生じていることなどなど。

 しかし、この論文で重要なのは、エビデンスに基づいて、まずは福島の原発事故で飛散した放射性微粒子について微粒子形態を分析し、放射性微粒子が体内に入る経路や内部被曝が人体に及ぼす危険性を示し、さらには実際に起きている健康被害にまでつなげて論じている点だ。原発事故によって生じるこのような人工放射能の微粒子こそ、内部被曝を語る上で欠かせないものであり、きわめて重要なポイントであることをこの論文は示している。

 東京を中心とする関東圏での健康被害にも言及しており、2011年以降、放射線との関連性が高いとされる悪性リンパ腫、白血病などが2倍以上に増えているとしている。また、白内障の増加に関しても眼科の患者数のデータを示しており、非常に憂慮すべき状態であると理解できる。

 東京でも健康被害が顕在化してきているのだ。東京とは比べ物にならないような汚染をし、さらに今も福一からの放射性物質が飛散しつづけている福島県やその周辺地域がきわめて深刻な状況に置かれていることは言うまでもない。

 福島の原発事故による放射性物質の放出量やホールボディカウンターによる検査などから、日本では大きな健康被害は生じない、あるいは心配する必要がないと主張している医師や科学者がいる。またそうした主張になびいてしまっている知識人やジャーナリストもいる。そのような方は、ここで論じられているような放射性微粒子による被ばくの問題を意識的に無視しているとしか思えない。

 論文では、福島のような原発事故の確率にも触れ、「原発を維持し続ければ、今後10~30年間に、再度福島のような破局的事故が生じる可能性が高いのである」としている。大きな地震が起きるたびに私たちは「原発は大丈夫だろうか?」と恐怖にさらされる毎日を送っている。大津波や火山噴火も同じだ。まるで爆弾を抱えているような生活だ。

 それにも関わらず、現政権は原発再稼働を目指している。また、福島から出た汚染土を全国で焼却するという改正法を成立させてしまった。放射性物質を含む土壌や廃棄物を焼却したりリサイクルしたなら、放射性微粒子が日本中に拡散されることになる。放射能を閉じ込めるという原則を無視した信じがたい方針をこの国はとろうとしているのだ。

 また秘密保護法によって、これからは原発の情報や被曝による健康被害の情報も統制されるようになるだろう。

 原発事故がおきて3年8カ月が過ぎた今、私たちがすべきことは何か? まずは来る選挙で原発の維持や再稼働を進める政党にノーをつきつけることではなかろうか。彼らに投票してしまえば、国民全体に被曝を強要し、日本国民は集団自殺に追い込まれる可能性すらある。

 また、一人ひとりがこの論文の著者たちのように事実をきちんと国民に知らせることも大事だ。ブログで、ツイッターで、広めてほしい。

2014年11月12日 (水)

片瀬久美子氏の「きのこ」氏告訴は力で言論を封じ込める行為

 科学ライターの片瀬久美子氏が、「きのこ組組長」の「きのこ」氏を刑事告訴したという。以下は片瀬久美子氏の告訴を告知する記事。

名誉毀損で刑事告訴しました(warblerの日記)

 これに対する「きのこ」氏のブログ記事が以下。片瀬久美子氏に対して逆告訴すると言っている。どうも告訴合戦の様相を呈してきた。

 片瀬久美子は絶対に、許さない! (建築とかあれこれ のろいもあれこれ)
ずさんなトリック (建築とかあれこれ のろいもあれこれ)

 片瀬久美子氏が告訴の根拠とした「きのこ」氏の記事のひとつは、どうやらこれのようだ。

 「美味しんぼ」叩きの3ババトリオご紹介 (建築とかあれこれ のろいもあれこれ)

 「きのこ」氏はこう書いている。

一個3千円の線量バッジ(安物ガラスバッジ)を
2万円で売り、
1万7千円をボロ儲け
その数30万個

 片瀬氏はこの発言を、自分が線量バッジを売って儲けたという嘘を書かれたと解釈したようだ。

 もし自分に関して間違ったことを書かれたなら、相手に間違いを指摘して訂正なり削除を求め、また自身で反論をすればすむことだろう。それこそ、「書く」ことを本業とする者がとる態度だ。また、上記でとりあげた「線量バッチで儲けた」という記述は主語がなく、片瀬氏のことを指しているとは言えない。記事の最後に貼り付けてある線量計配布についての解説を読めば、配布したのは福島県であり片瀬氏らのことを指しているのではないことは明らかだ。どうも、片瀬氏は早とちりしたのではなかろうか。

 片瀬氏は科学ライターとして、とりわけ「ニセ科学批判」の立場から詐欺的商法などを取り上げさまざまな批判活動をしてきた。その内容はともかくとして、悪質商法に騙されないように注意喚起するのは大いに結構だろう。しかし、自分が批判や論評をする以上、それに対する反論や批判があるというのは当たり前のことだ。

 片瀬氏が「ニセ科学批判」の人たちと一緒になって放射能の危険を指摘する人たちを批判していたのは確かであり、私はその主張には科学的根拠が極めて乏しいと常々感じていた。また、片瀬氏はSTAP細胞問題で小保方晴子氏の捏造説を主張していたが、私は小保方氏が捏造したとは考えていない。お二人の論調のどちらを支持するかと言えば、「きのこ」氏になる。

 一方、「きのこ」氏の片瀬久美子氏批判も過激さを感じざるを得ない。批判や論評をすること自体は大いに結構だと思うのだが、「3ババトリオ」とか「ネットチンピラ」という表現は言いすぎのように思う。批判や論評であれば、事実をわかりやすく書き、問題点を指摘したり自分の意見を具体的に説明すれば事足りる。

 批判に付随して多少の皮肉や揶揄は許されるとしても、感情的になって罵倒したり人格否定のような書き方をすべきではない。「きのこ」氏に限ったことではないが、例えば「馬鹿」とか「クズ」、「低能」、「低レベル」などといった相手を見下す表現は慎むべきだ。このような書き方は批判を通り越して悪口でしかないし、相手に喧嘩をふっかけているも同然だろう。

 それから、ときどき他者から批判されると「攻撃」とか「妨害」と言う人がいる。しかし具体的に理由を書いて批判的意見を言うことがなぜ攻撃とか妨害になるのだろうか。言論に言論で対抗できないから「攻撃」とか「妨害」などと言って自分があたかも被害者であるかのように思わせるのだろう。

 あるいは、このような人は他者を「敵」とか「味方」に分ける習慣がついているのかもしれない。しかし、他者を敵と味方に分けるというのは私には理解しがたい。私はどんなに意見が合わない人であっても「敵」だとは思わない。世の中には好きになれない人が確かにいるが、だからといって「敵」だとは思わない。また、知人・友人だからといって「味方」という意識もない。自分を批判する人を「敵」だと考える人は競争意識が強く、常に自分が上に立たねばならないと警戒する癖がついているのだろうか。自分自身が攻撃的だからこそ、相手が「敵」で「攻撃的」に見えるのかもしれない。

 しかし、片瀬氏と「きのこ」氏のような言い争いが、刑事事件として扱われてしまうということにこの国の言論の自由の危うさを感じざるを得ない。たしかに名誉毀損は犯罪でもあるし、誰もが訴える権利があることは否定しない。しかし、反論が可能なネット上の言い争いに対し、刑事告訴という手段を使い犯罪者だと主張するのはあまりに大人げない。

 山崎行太郎氏も指摘しているが、言論に対しては言論で対応するのが基本だ。公の場で自分の意見を主張し他者の批判をしているのなら、自分が他者から批判されるのは当たり前だし、それが言論の自由というものだ。ライターと称している者が、力で言論を阻止しようなどと思うこと自体が情けない。

 「片瀬久美子・刑事告訴・事件」の黒い霧。「小保方博士バッシング報道事件」と「片瀬久美子【掲示告訴】事件」の裏を読む。 (哲学者=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』)

 山崎行太郎氏の以下の言葉を引用しておきたい。

そもそも片瀬久美子は、「エセ医学批判」、民間療法バッシング」や子宮頸癌ワクチン薬害問題(推進派)」放射能=原発問題」「スタップ細胞事件」など、今、日本国民が関心を持ち続けている諸問題で、かなり過激な言論活動を、ネットやTwitterなどで、やって来た人である。論敵が、多数、存在し、反論反撃を受けて当然、の立場にいる人だろう。

批評・批判・罵倒、誹謗中傷・・・などを恐れるならば、言論活動を自粛すればいい。自分からは批評・批判・罵倒を繰り返すが、自分に反論反撃することは、許さない、というのは、問題外である。

片瀬久美子は、学問や思想、論争や言論戦レベルの問題を、そのレベルで対処出来ずに、警察や裁判所に、問題を委ねる時点で、あるいは警察や裁判所に駆け込んだ時点で、言論人失格、ジャーナリスト失格、学者思想家失格である。

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