光市事件

2013年5月31日 (金)

光市事件、実名本訴訟は言論封じ(SLAPP)訴訟

 光市母子殺害事件の死刑囚である福田孝行君の実名や顔写真を掲載した本、「福田君を殺して何になる」がプライバシー権や肖像権の侵害にあたるとして、著者の増田美智子さんと出版社(インシデンツ)の寺澤有さんが福田孝行君側から訴えられた訴訟の高裁判決が昨日あった。

光市事件の実名本訴訟、出版元が逆転勝訴 広島高裁(朝日新聞)

光母子殺害:実名本出版、元少年の承諾認定 広島高裁(毎日新聞)

 この裁判、ことのはじまりは福田君の弁護士が出版の直前になって本のゲラを見せるよう版元の寺澤さんに要求したことにある。寺澤さんが表現の自由を根拠にそれを拒否すると、弁護士側が少年法違反で法的手段をとると脅してきた。そして、本当に提訴したのだ。

 なぜ弁護団がゲラを見せるよう要求したのかは、「福田君を殺して何になる」を読めばピンとくる。この本の福田君に関する記述は、福田君に有利になることは書かれていても、不利になるようなことは書かれていない。ただし、弁護団についての批判が書かれている。というのも著者の増田美智子さんは広島まで何度も行って福田君に取材を重ね、福田君も増田さんの取材に終始協力していた。また増田さんは、弁護団にも取材を求めていた。しかし、弁護団は彼女の取材依頼にまともに応じようとしないばかりか彼女の福田君への取材すら妨害した。増田さんはそうした弁護団の対応についても本の中で詳しく記述している。

 つまり、福田君にとって有利になる本であるにも関わらず、弁護団にとっては不利になることが書かれた本だった。弁護団がゲラを見せてほしいと要求した理由は、批判が書かれているのではないかと察した弁護士が内容を事前にチェックしたかったからだと思われても仕方ない。しかし事前チェックを断られたたために、少年法違反やプライバシー侵害などを持ち出して提訴し、出版の差し止めを求めたのだ。

 しかし、増田さんは福田君に実名を出してよいかどうか尋ね承諾を得ており、1審では福田君が実名掲載に合意したことが認められている。本人が実名掲載に合意していたのにも関わらず少年法違反を持ち出したのは、福田君の意思ではなく弁護団によるこじつけとしか思えない。

 プライバシーや肖像権侵害が理由なので原告は福田君本人なのだが、ことの経緯からも裁判を主導したのは弁護団であることは明らかだ。福田君は弁護団に従わざるを得ない立場に置かれている。この裁判は福田君の裁判というより、福田君を利用した弁護団による裁判だと言っても過言ではないと思う。

 ニュース報道では判決部分ばかり報じて裁判の経緯に触れていないため全く分からないのだが、この裁判は弁護団による言論封じの恫喝訴訟(SLAPP)といえるものだ。

 弁護士は依頼人の利益のために弁護するのが仕事だが、いくら依頼人の利益になるからといって嘘の主張をしてはならないと思う。嘘をついてしまうとその嘘を正当化するためにさらに嘘をついたり矛盾した主張をしなければならなくなり論理が破綻してしまう。また、言論封じを目的とした恫喝訴訟はあるまじき行為であり、絶対にやってはならないことだ。

 まして法の専門家である弁護士が、福田君からの依頼というより自分たちの都合で嘘の主張をし、出版を止めることを目的にジャーナリストを提訴するなどというのは言語道断だ。安田好弘弁護士の業績は評価すべきものも多いが、このようなSLAPP訴訟を起こしたことについては落胆した。福田君の弁護団は今回の判決に対しコメントを出さなかったそうだが、もし上告するならせめてコメントくらい出すべきだろう。

2012年9月 3日 (月)

事実を報じず訂正しないマスコミの怖さ

 「福田孝行君の死刑に思う」という記事に野島秀一さんから以下のコメントが寄せられた。

私は、死刑制度は無くしてはならないと考える立場の者です。
あなたは、福田孝行の死刑はあまりに重すぎると言っておりますが、福田孝行に殺され犯された本村弥生さんと、その娘の命の重さを考えれば、私は死刑でも軽いくらいだと考えております。
福田孝行を生かしておいて、死よりも恐ろしい罰を与える事も可能ですが、そのような事は日本の憲法が認めていないし、それを望む人も少ないでしょうから、福田孝行本人の為にも死刑が妥当だと考えます。
更生の可能性についてですが、私は福田孝行に更生の可能性は無いと考えます。
日本では年間千数百件の殺人事件が発生しており、検挙率は90%を越えているにも関わらず、死刑確定者は年間で0~20名程度です。
殆どの殺人犯に更生の可能性があるが、更生の可能性が全く無い一部の者に死刑判決が出ているという事です。

 このコメントを読んで、思い出したことがある。先日、いじめ問題の第一人者である内藤朝雄氏の「いじめと現代社会」(双風舎)という本を読み返していたのだが、光市母子殺害事件の加害者である福田孝行君について言及している部分を読んで愕然とした。一部を以下に引用しよう。

 加害者が不幸な生い立ちであろうと、教育によって変わる可能性があろうと、そんなことが人殺しの罪を軽くする理由になってはなりません。人間の尊厳は、教育や心理(たかが、こころの事情!)ごときとはくらべものにならないぐらい尊いものでなければならないからです。
 他人をなぶり殺したり、強姦目的で進入して女性と乳児を殺したりした者が、軽い刑罰しか受けなかった場合、どうなるか。「ほんとうは」人間は虫けらと変わらないのかもしれないという地面の上に、人間の尊厳という最高価値を理念的に実在化し続け、そのことによって第二の自然を人間の世界として「でっちあげ続ける」ヒューマニズム化の作用が壊れてしまいます。私たちが死守すべきは、普遍的なヒューマニズムが、第二の自然となった人権の社会です。(71ページ)

 内藤氏は福田君が「他人をなぶり殺した」「強姦目的で侵入した」と断定しているのだが、これは事実ではない可能性が高い。本村弥生さんの殺害に関しては、弁護団の主張するように大声を出さないよう口を塞ごうとしたが、手がずれて首を絞めてしまったという可能性は否定できないし、夕夏ちゃんの遺体には床にたたきつけられた痕跡は認められていない。少なくとも「なぶり殺した」「強姦目的」と断定できるような証拠はない。

 また、内藤氏は福田君が友人の少年に送った手紙のことも取り上げている。

 「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うのは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」
 この手紙がマスコミにすっぱ抜かれたあとですら、少年は裁判の二審で「勝ち」ました。(67ページ)

 少年への手紙については、捜査機関が関与した「やらせ」と言えるものだったことが増田美智子さんの取材によって明らかになっている。つまり、何としても死刑にしたい検察が、福田君の友人に手紙を書かせ、他人に同調しやすい福田君の性格を利用して挑発したのだ。マスコミはその手紙の一部のみをセンセーショナルに取り上げ、「全く反省していない」「モンスター」という人物像を作り上げた。内藤氏もこうしたマスコミの報道を真に受けたのだろう。

 そしてさらにまずいのは、こうした背景が明らかにされているのに、マスコミは自分たちの過去の報道に対し何ら訂正あるいは追加報道しようとしないことだ。だから、誤った認識が人々の頭の中にインプットされたまま、いつまでも正されないのである。酒鬼薔薇聖斗の事件も同じで、冤罪としか考えられないにも関わらず、多くの人が今でも少年が犯人であると信じている。

 福田君のことについては是非、増田さんの著書「福田君を殺して何になる」(インシデンツ刊)をお読みいただきたい。以下は私がこの本を読んだ感想である。

「福田君を殺して何になる」を読んで 

 福田君は決してモンスターなどではない。もちろん内藤氏は前述したような事実を知り得なかったのであろうから、マスコミ報道によって慎重さを欠く判断をしてしまったのはやむを得ない。そういう意味では、内藤氏がこのような判断をしたのはマスコミ報道の無責任さの結果ともいえるだろう。

 なお、内藤氏は死刑については以下のように書いている。

 私は理念的には死刑に賛成ですが、警察の捜査能力を考えて、技術論的には死刑は不可能だから廃止すべしという立場です。

 彼は、凶悪な犯罪に対しては厳罰化し、死刑扱いの終身刑をつくるべきだとの立場だ。

 ところで、「内藤朝雄氏の指摘するいじめの論理と解決への提言」にも書いたが、いじめが「集団の心理」に起因するものであり、生徒をクラスに閉じこめベタベタすることを強制する学校がいじめを蔓延させているという内藤氏の指摘には賛同する。

 また、内藤氏は英米系のいじめ対策であるピア・カウンセリングを否定している。ピア・カウンセリングとは生徒にいじめのカウンセリングをさせるというものだ。内藤氏は、ピア・カウンセリングは「やくざに十手を持たせるようなものだ」として、以下のように論じている。

 「みんな」が「みんなの嫌われ者」をいじめる場合、当然、「みんな」が行う人民裁判は「いじめられる側に原因がある」とするであろう。日本の教員がいじめをやめさせようとして開いた学級会は、おうおうにして、被害者の欠点をあげつらう吊るしあげの祭りになる。英米系のいじめ対策をありがたがる一部文化人や教育学者たちは、こういった「学校の常識」を知らないはずがないのに、自治を無条件で輝かしいものと考える習慣の方を優先させてしまう。(「いじめの社会理論」33ページ)

 内藤氏は暴力系のいじめに関しては学校内で対処するのではなく、法システムに委ねることを提唱している。

 確かに、日本の学校で子どもたちにピア・カウンセリングをさせていじめ問題が解決するとは思えない。常にまわりの空気を読んで皆と同調することを求められ、異質であれば排除される日本社会で、欧米の手法をそのまま導入してもうまくいかないだろう。内藤氏が指摘するように、場合によってはさらに被害者を追い詰める状況にもなりかねない。かといって、暴力的ないじめを法システムで対処するという提案には賛同できない。日本の刑事裁判は捜査機関の恣意性と「ヒラメ裁判官」によって、とても公正とは言えない状態に置かれているからだ。また、日本は少年犯罪の厳罰化を推し進めているが、厳罰化は決して犯罪を減らす根本的な解決にはならない。

 話しを元に戻そう。冒頭に紹介した野島さんは、なぜ「更生の可能性がない」と判断したのだろう。私はこのような意見を耳にするたびに、モンスターでもない少年の更生可能性を否定する理由は何なのだろうかと不思議で仕方ないのである。

2012年5月24日 (木)

原告の嘘が認定された光市事件出版差し止め訴訟をどう見るか

 光市母子殺害事件の福田孝行君についてのルポ「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ刊)の出版差し止め裁判で、23日に広島地裁の判決が出た。この裁判は福田君が刑事事件の代理人でもある安田好弘弁護士らを代理人にし、著者と版元の寺澤有に対し出版差し止めと1300万円の損害賠償を求めていたものだ。

 マスコミ報道からは判決の詳しいことは分からないが、出版差し止めに関しては棄却し、顔写真の掲載や許可を得ていない手紙の掲載はプライバシーの侵害だとして66万円の賠償を命じたとのこと。

 この裁判に関しては何よりも訴えの背景を考えなければならないと思う。この出版差し止めに関しては、出版される前に、福田君本人ではなく福田君の弁護士と寺澤さんが「ゲラを見せる」「見せない」で対立していたという事実がある。寺澤さんがゲラチェックを拒否すると、弁護士が「ゲラを見せなければ、法的手段をとる」「法的手段をとれば、こちらが勝つ」という脅しともいえる要求をしたという。これについては以下の寺澤さんへのインタビュー記事を参照していただきたい。

寺澤有さんへのインタビュー(その1) 

 そして実際に起こされた裁判では、福田君側は、「許可なく実名を掲載した」「出版前にゲラを見せると約束していた」と主張した。それに対し、著者の増田美智子さんや版元の寺澤有さんは、実名掲載は福田君の許可を得ているし、事前に原稿を見せる約束をしたという主張は捏造だと真っ向から否定していた。

 今回の裁判では「原告は出版前に実名の記載を承諾しており、掲載禁止を肯定するほどの違法性はない」としている。福田君側の主張は退けられており、福田君側が嘘を言って裁判を起こしたことは明らかだろう。ではなぜ嘘をついてまで訴訟を起こしたのだろうか? これは非常に重大なことで、寺澤さんも弁護士らによるSLAPP(恫喝)訴訟だと主張している。

 嘘によって起こされた裁判であるのは間違いないと思うが、問題なのは嘘をついたのは福田君なのかそれとも弁護士なのかということだ。刑事裁判で死刑か無期懲役かが焦点となっているときに、福田君が嘘をついて訴訟を起こしてもメリットなど何もない。むしろ裁判で嘘が認定されたなら「嘘つき」のレッテルを張られて不利になる。しかも「福田君を殺して何になる」は福田君の裁判に情状面で有利に働く内容であり、福田君にとってマイナスになる本ではない。

 一方で、この本には増田さんの取材をめぐる弁護団の対応について、批判的に書かれていた。弁護団にとっては歓迎しない本だろう。このことこそ出版差し止めの目的だったのではなかろうか?

 忘れてはならないのは、福田君はリーダー的存在である安田好弘弁護士に従わざるをえない状況に置かれているということだ。このことは今枝弁護士の解任の際の状況でも明らかだ。福田君は今枝弁護士を最も信頼しており解任したくはなかったのだが、安田弁護士らの求めに応じて泣く泣く解任したといえる。だから弁護士らによる嘘の主張による提訴を福田君が拒否できないのは容易に想像がつく。

 客観的に見ても、出版差し止め裁判は福田君の意思で起こされたのではなく、弁護士らの意思で起こされたとしか思えない。そうであれば、福田君はまさに弁護士に嘘を強いられた被害者だ。人権侵害も甚だしい。そして福田君はおそらく今でも本心を言えない状況に置かれている。

 嘘の主張による訴訟提起は厳しく糾弾されるべきだし、そもそも嘘をついたのは弁護士である可能性が高い。このような訴訟は訴えそのものを無効にすべきだと私は思う。

 写真や手紙の掲載がプライバシー侵害だという点に関しても、福田君の意思というより弁護士の主張をそのまま受け入れざるを得なかっただけではなかろうか。写真は少年時代のもので成人した彼を特定できるようなものではないし、手紙だって福田君の刑事裁判に悪影響を及ぼすような内容ではなかった。

 たとえ福田君の本意によるものだとしても、この本は小説や単なるエッセイではない。大きな社会問題になった重大事件に関するルポであり、報道目的に出版されている。そのような本での写真や手紙の掲載について、どこまで本人に確認する必要があるのだろうか? これでは事件報道が相当制約されることになるだろう。

 増田さんらは控訴するとのことだが、控訴審ではこのような点について明確にしてほしいと思う。

2012年2月20日 (月)

福田孝行君の死刑に思う

 今日、光市母子殺人事件の被告人に死刑が言い渡され、マスコミが一斉に実名報道に切り替えた。

 私は、はじめは安田弁護士らを全面的に支持していたが、「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ刊)を読んでからは弁護団に対する考えが変わった。だからといって福田君の死刑を支持するつもりは毛頭ない。更生可能な若者を死刑に追いやる今日の判決は非常に残念であり、また複雑な思いだ。

 なお、この事件についてはブログで何回も取り上げてきた。

光市事件 

 一連の記事の中でも、とりわけ増田美智子さんと寺澤有さんへのインタビュー記事は、是非読んでいただきたい。

増田美智子さんへのインタビュー 

寺澤有さんへのインタビュー 

 以下に死刑判決についての今日のツイッターでのつぶやきを転載しておきたい。

**********

光市母子殺害事件の被告人である福田孝行君に死刑が言い渡された。予想はできたもののやはりこの判決になってしまったことが残念でならない。ニュースは一斉に実名を出して死刑判決について取り上げた。死刑が確定したために少年事件でも実名報道に切り替えたのだ。

そのニュースでは福田君は大月孝行になっている。寺澤有さんのツイッターによると、支援者である大月純子さんと養子縁組をしたらしい。http://twitter.com/#!/Yu_TERASAWA/status/171482151987052544親族になったので大月さんは福田君に面会できるのだ。

福田君の裁判に関しては関連する本などをいくつか読み、ブログでも取り上げてきたので非常に複雑な思いがある。私は死刑には反対だし、福田君の死刑はあまりに重すぎると思っている。そして、何よりも言いたいのは、多くの人が福田君のことを誤解しているということだ。

例えば、福田君と友人との間で交わされた手紙を取り上げて「まったく反省していない」と言われるが、あの手紙のやりとりは検察が関与したヤラセといえるものだ。人を殺してしまったことは事実であっても、恐らく検察の誘導ともいえる取り調べで事実と異なる調書もとられただろう。

彼の成育歴も一般の人に伝わっているとは思えない。増田美智子さんのルポ「福田君を殺して何になる」を読めば、福田君の人物像が浮かび上がってくる。彼は決して凶暴な少年ではなく、虐待を受けて精神的な発達が遅れた普通の少年だ。彼に必要なのは暖かい愛情と更生だ。

安田好弘弁護士をはじめとする弁護団は福田君の死刑回避のために尽力はした。そのことは評価するが、一方で安田弁護士の強引さも露呈してしまった。嫌がる福田君を説得して意見が異なる今枝仁弁護士を解任した。こういうことを知ると、はっきり言ってげんなりする。

弁護団は「福田君を殺して何になる」を書いた増田美智子さんと版元の寺澤有さんを、虚偽の理由を持ち出して訴えた。この本には弁護団の批判も書かれている。どう考えても弁護団を守るために福田君を利用した恫喝訴訟だ。こうなるととても安田弁護士の行動は支持できない。

今になって思うと、ほんとうに福田君の死刑を回避するためには今枝弁護士の主張に耳を傾けるべきだったのではなかろうかと思う。今枝弁護士の意見は、裁判所が求める点に重点を置いて、福田君の反省と遺族への謝罪を通じ、更生可能性があることを訴える、というものだ。

安田弁護士は事実関係にこだわった。もちろんそれは非常に重要なことだ。しかしこの裁判では一審が無期懲役で、二審も無期懲役だった。それらを何とか維持させるような弁護方針をとれば死刑は回避されたかもしれない。今枝弁護士はそれを主張していた。

あのような状況のなかで被告人のためにほんとうに必要なことは死刑を回避させることだ。もちろん、何としてでも死刑にしたい検察と立ち向かうことは容易ではなく、今枝弁護士の主張に従って情状酌量に重点を置けば無期懲役を勝ち得たと断言はできないが。

しかし、増田さんと寺澤さんを訴えたことは、恐らく福田君や弁護団にとってさらにマイナスに働いただろう。「福田君を殺して何になる」を証拠として情状酌量に利用するほうがよほど賢明だったと思う。それも今回の死刑判決に関わっているのではないかと私は思う。

それにしてもマスコミの報道はどうだろう。死刑が確定したとたんに実名報道をはじめた。「福田君を殺して何になる」で実名を出したときには、寺澤さんや増田さんを少年法違反だと批判した(増田さんは福田君に実名報道の許可を得ていた)のに、なんともご都合主義だ。

家庭環境に恵まれず発達が遅れた少年が犯した罪に日本は死刑をつきつける。更生の余地が十分にある少年に更生の機会を与えようとしない。被害者遺族の立場ももちろん尊重しなければならないが、死刑で誰が報われるのか? 復讐や厳罰化は人の心を荒廃させるだけだろう。

【2月21日追記】
 このような記事を書くと必ずといっていいほど被害者の処罰感情を持ち出して「自分が被害者の立場になっても死刑に反対といえるのか」といった意見が寄せられる。これについては以下の記事で言及しているので参照していただきたい。

死刑について考える(その1) 
死刑について考える(その2) 
死刑について考える(その3) 

2011年12月 5日 (月)

福田君の尋問で見えてくる出版差し止め裁判の本質

 光市母子殺害事件のことは、すっかり忘れ去られてしまった感がある。しかし、「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ刊)の出版をめぐり、福田君の弁護士らが出版差し止め裁判を起こしたことを記憶している人は多いだろう。

 マスコミではほとんど取り上げられていないようだが、訴えられた寺澤さんらは弁護士による嫌がらせ裁判だとして、福田君の弁護団に損害賠償を求めて反訴した。このために広島地裁で二つの裁判が合併審理されている。そして、この10月には福田君の尋問が行われた。

 この尋問に関しては以下のtogetterのまとめをお読みいただければ流れが分かると思う。

人権派弁護士として評価の高い?光市母子殺害事件の安田好弘氏は、無能で嘘つきなのか?【インシデンツ出版差し止め裁判】

 この裁判に関しては私もブログで何回も取り上げてきたが、早い話し、福田君の意思は蚊帳の外に置かれ、弁護団の意思で起こされたとしか考えられないものだ。寺澤さんが主張しているように、弁護団による嫌がらせ裁判といっても過言ではないだろう。

 予想されたことだが、やはり弁護団は福田君の尋問にあたって答弁を覚えさせられたらしい。福田君は弁護士らの言うことを聞くしかない弱い立場だから、弁護団の言いなりになるしかない。弁護士の人質になっているに等しい状態だ。弁護団はそれを利用して弁護団のストーリーに沿った答弁を覚えさせたのだろう。そして覚えさせた答えを引き出すように誘導尋問したものと推測される。

 だから、福田君は弁護士から答えを用意されていなかった質問をされると、答えに窮してしまうのだ。弁護団の都合で裁判に引っ張り出され、こんなお芝居のような尋問を受ける福田君は本当に気の毒だ。弁護団も提訴した以上は引き返せないのでこういう手法を取るしかないのだろうが、後ろめたくないのだろうか。

 さらに呆れたことに、安田好弘弁護士は寺澤さんが起こした裁判の当事者なのに、尋問に応じないと逃げ回っているとのこと。

 http://twitter.com/#!/Yu_TERASAWA/status/143545240970739712 

 こういう姿勢を知ると、本当に幻滅だ。福田君を尋問しておきながら、自分が尋問されるのを避けるとは恥ずかしくないのだろうか。出版差し止めの裁判は、まさに弁護団の保身が目的だったとしか思えない。

 以下は先日、私がこのことに関してつぶやいた連続ツイートだ。

 http://twitter.com/#!/onigumoobasan/status/142133115228389376
「福田君を殺して何になる」の出版を巡り、光市母子殺害事件の弁護団と版元の寺澤有さん@Yu_TERASAWAと増田美智子さんが裁判で争っているが、この裁判については光市母子殺害事件の弁護団が嘘をついているという寺澤さんの主張を全面的に支持する。出版差し止めの経緯を見れば明らかだ。

http://twitter.com/#!/onigumoobasan/status/142133180714061825
(続き)私はかつては安田好弘弁護士らの活動を支持してきたが、今回の出版差し止めはとても賛同できない。たとえ被告人の利益になるとしても嘘をついてジャーナリストを提訴するなどということは人としてやってはならないことだと思う。ジャーナリストの人権も尊重してこそ人権派弁護士だ。

http://twitter.com/#!/onigumoobasan/status/142133258317086721
(続き)福田君の証人尋問では弁護団が福田君に回答を教え込んだと推測されるが、そんなことこそ福田君を精神的に追い詰めることになるのではなかろうか。福田君が気の毒だ。あの裁判はとても被告人の利益になるとは思えないし、弁護団の印象も悪くしてしまった。

http://twitter.com/#!/onigumoobasan/status/142133328974327809
(続き)安田弁護士らを支持している人たちは、事実を見ようとせずに安田弁護士を盲信していまいか? 過去の安田弁護士らの活動を全面否定はしないが、しかし、ジャーナリストを嘘つき呼ばわりして提訴した弁護団の方たちは、やましさは感じていないのだろうか? 真意を知りたい。

http://twitter.com/#!/onigumoobasan/status/142133398020952064
私は信頼している人、尊敬している人、世話になっている人だからという理由で、その人の意見に同調することはしない。誰の意見であろうと、支持するか否かは自分で決める。たとえ自分と同じ意見の人が誰もいなくても、他人に同調しようとは思わない

2010年9月16日 (木)

福田君の弁護士さん、いくらなんでも暴走ではありませんか?

 光市事件のルポ「福田君を殺して何になる」の出版をめぐる裁判については、版元のインシデンツのニュースでときどき報告されていますが、9月10日に掲載された「福田孝行被告が本サイトの記事の削除などを広島地裁へ申し立て」という記事と、9月14日に掲載された「『福田君を殺して何になる』関連訴訟、併合へ」という記事を見てたまげてしまいました。

 寺澤さんはインシデンツの7月13日のニュースで、福田君の代理人である安田好弘弁護士らが出した準備書面の福田君の健康問題に関わる記述を引用しました。福田君が胃潰瘍で血便や吐血などの症状があり、それが本の出版や裁判によるストレスに起因しているという部分です。また、7月14日のニュースでは、福田君が行った人権救済の申し立てに関する調査を、広島法務局が4月15日に中止の決定をしていたと報じました。

 ところが、これらのニュースが名誉毀損やプライバシー侵害にあたるとして記事の削除と損害賠償100万円の支払いを請求したというのです。原告(福田君)の承諾を得ないでプライバシーに関わる陳述書の内容を公開したことで精神的苦痛を受けたという主張です。

 さらに増田美智子さんが「SPA!」と「週刊女性」のインタビューに応えた記事も、名誉毀損やプライバシー侵害だとして、100万円の損害賠償を請求したとのこと。

 裁判というのは基本的に公開です。裁判でどのようなことが争われているのかを、当事者である寺澤さんや増田さん、あるいはジャーナリストなどがメディアを通じて知らせることは何の問題もないことです。むしろ、関心を寄せている人のためにも知らせていくべきことでしょう。もちろんプライバシーの侵害などがないように気をつけなければなりません。しかし、胃潰瘍で体調不良だから速やかに差し止めが認められるべきだという原告自身の主張まで、プライバシー侵害だというのはどんなものでしょうか。人権救済の申し立てに関する調査が中止されたという事実を報じたことの、どこが問題なのでしょう? 私には理解不能です。

 福田君側が、ここまで次々に削除要請やら損害賠償を求めてくるというのは、一般の人の目には異常というか暴走としか映りません。弁護団の印象を悪くするだけです。こうなると寺澤さんや増田さんに対する嫌がらせのようにしか感じられないのです。あまりにも大人げない行動ではないでしょうか。安田好弘弁護士については、私はかつてこのブログでも好意的に取り上げていたので、今回のことでは本当に落胆しました。「SPA!」や「週刊女性」の記事が名誉毀損やプライバシー侵害であると主張するなら、それらの版元にも損害賠償を求めたのでしょうか?

 現在、福田君は親族や弁護士など、ごく一部の人としか面会できません。情報がどこまで正確に伝わっているのかとても気になります。

 この福田君の裁判について、興味深い意見を書かれているジャーナリストの古川利明さんの記事を紹介しておきましょう。

三井環(元大阪高検公安部長)氏の「口封じ逮捕事件」に対する上告棄却決定を弾劾する(承前)

 なお、古川さんの記事で酒鬼薔薇少年のことが出てきますが、彼はほぼ間違いなく冤罪だと思われます。これについては、改めて書きたいと思います。

2010年8月19日 (木)

光市事件の出版差し止め裁判はどうなっているのか

 裁判の報道でいつも不思議に思うことがあります。それは、社会的に注目を浴びている裁判であっても、初公判や証人尋問、それに判決の時くらいしかマスコミが傍聴に来ないということです。そして判決について報道されても、裁判の中で具体的にどのような主張があったのかまではなかなか報道されません。マスコミ報道からは、たいてい判決という裁判所の判断しか分からないのです。

 熱心なジャーナリストは、自分が関心をもっている裁判などはこまめに傍聴したり関係者に取材をするのですが、そうしたジャーナリストがいなければ、裁判の様子などが報道されることはほとんどありません。また傍聴しただけでは、原告や被告が裁判所に提出した書面でどのような主張をしているのかを具体的に知ることもできないのです。

 つまり、裁判は原則として公開されているとはいっても、当事者の方たちが情報を提供しない限り、裁判で何が問われどういう主張が繰り広げられたのかなどは、一般の人たちが知ることはできません。

 光市事件のことを扱った「福田君を殺して何になる」の著者の増田美智子さんとインシデンツの寺澤有さんに対し、福田君が出版差し止めの仮処分の申し立てを行い、また提訴した時にはマスコミもこぞって報道しました。しかし、その裁判が現在どのようになっているのかは、当事者にしか分かりません。

 そこで、増田美智子さんに裁判についての感想を伺ったところ、以下のようなコメントを寄せていただきました。裁判でどのような主張がなされ、それをどう感じているのかを知っていただくために、紹介させていただきます。

 なお、光市事件についてはこのブログのカテゴリーの「光市事件」を参照してください。

                 **********

【著者の増田美智子さんからのコメント】

 今回福田君側が提出した準備書面および陳述書で、彼らは寺澤さんの責任を糾弾しています。その内容は、私がインシデンツから本を出版することは取材当初から決まっていたことであり、寺澤さんの指示のもとで福田君をだまし、取材目的であることを秘して、単行本を出版した、というものです。

 私は、光市母子殺害事件の取材を始めた当初から、取材に行き詰まると寺澤さんに相談してきました。私にとっては初めての事件取材であり、そのうえ福田君の弁護団から取材妨害を受けるなど、それまでの取材活動では体験したことのないことが多かったため、事件取材に慣れていて、信頼のおけるジャーナリストである寺澤さんに、個人的に相談していたのです。

 そもそも、寺澤さんが出版事業を始めたのは2009年2月のことであり、私が取材を始めた2008年4月当時、寺澤さんは出版事業を行っていませんでしたし、その予定もありませんでした。取材当初は、書くべきことがあれば週刊誌か月刊誌で、と考えていたくらいで、単行本にまとめることは考えてもいませんでした。そのことはこちら側の陳述書からも明らかです。

 にもかかわらず、彼らがこのような主張をしてくるのは、私と寺澤さんの信頼関係を断ち切ろうという狙いがあるのだろうと思っています。実際には、私が寺澤さんの指示のもとで取材していたと言うことなどないのですから、上記のような批判は寺澤さんにとっては至極迷惑な話です。こうした的外れな批判を投げることで、私と寺澤さんの関係を揺さぶっているのだと思います。

 寺澤さんは経験も豊富で、取材先からの嫌がらせの訴訟にも慣れていますが、私はそうではありません。私を孤立させれば、裁判を有利に進めることができると考えているのでしょう。

 この裁判では、福田君側から根拠のない難癖をつけられ、こちら側が証拠を提出しつつ反論する、ということの繰り返しです。私が福田君に報道関係者であるという身分を隠して近づいた、という批判には、私が福田君に対して、何度もフリーライターであると名乗っている手紙を証拠に提出しましたし、単行本の出版を隠していた、という批判に対しても、単行本の出版前の2009年8月に、福田君に出版の予定を知らせた手紙を証拠として提出しています。

 だから、福田君側の主張も少しずつ変わってきており、今では出版予定を隠していた、という主張はありません。最近は、死刑制度への疑問を書いていないのがけしからんだの、福田君の弁護人の名前を一覧で載せたのがけしからんだのといった、言いがかりとしかいいようのない批判ですら、臆面もなく書いています。ここに来て、彼らの批判の矛先が私から寺澤さんにシフトしたのは、そろそろ批判のネタが尽きてきた、ということでもあるのだと思います。

 私の最大の過ちは、福田君の弁護団を甘く見ていたことです。単行本の出版前に、広島で足立修一弁護士、新川登茂宣弁護士と、私、寺澤さんの4人で話し合いました。その時は、福田君の弁護団の面々は、福田君のために弁護活動をしていると信じて疑っていませんでした。だから、真摯に話せばきっとわかってくれると思い、日帰りでわざわざ広島まで話し合いに行ったんです。

 結局その話し合いは平行線に終わり、単行本の出版の直前に出版差し止めの仮処分を申し立てられたのですが、その仮処分申請すら、単行本が出版され、彼らがその内容を読めば取り下げられると思っていました。単行本の内容は福田君にとっては情状的に有利なものであり、弁護団が福田君の死刑回避を願うのであれば、当然取り下げるものだと思っていたのです。

 しかし、裁判を通じて彼らの主張を知るにつれ、自分の認識の甘さを実感しました。今は、弁護団は、福田君の死刑云々よりも自らのメンツが大事だとしか思えません。

2010年8月12日 (木)

ゲラチェックという検閲を認めた毎日新聞社

 先日の烏賀陽弘道さんの本の感想を書いた以下の記事の中で、あえて書かなかったことがあります。

「『朝日』ともあろうものが。」で見えた日本の堕落

 それは、検閲に関することなのです。烏賀陽さんは、検閲について以下のように書いています。

 「権力による検閲が、言論・出版の自由(フリー・プレス)の敵であることは言うまでもない。民主主義の敵である。日本の新聞や出版社は、戦前に検閲によって重苦しい経験をしている。今も、この世界のどこかには、権力の検閲に従わなかったために発禁処分を受けたり、投獄されたりする記者がたくさんいる。だから、検閲を許すような行為は、今でも『報道・出版を職業とする人間が絶対にやってはならないこと』だ。そのひとつが『出版前の原稿を外部に流出させること』である。それは、これまでに先達が血と涙を流しながら勝ち取った『言論の自由』に唾することである。まして、そんな冒涜行為を自分からするような人間に記者を名乗る資格はない」

 確かにもっともなことです。肝心なのは、こうした検閲行為を許さない相手は、何も権力者だけということではないということです。取材相手すべてです。その理由を烏賀陽さんは以下のように書いています。

 「『見せても相手の言うことに応じなければいい』などという人は甘い。不利な記事であれ有利な記事であれ、向こうは必死で向かってくる。内容が気に入らないと言い出す。表現を変えてくれと頼んでくる。あらゆるつてをたどり、必死に働きかける。訴訟やコネ、広告差し止めをちらつかせてくる。少しでも応じると、もっともっととキリがない。結局は検閲と同じになる。それは『取材先の合意を得た記事』であって、記者なり新聞社なりの主体的な判断に基づいた記事では、もうない。だから、そういう主体性のない記者、取材の正確さに自信がない記者ほど、簡単に屈服する。

 『言論の自由』の中には『書かれた相手の同意がなくても出版する権利』『同意されないような内容でも出版する権利』が含まれている。また、その自由を外部から侵害されない権利がある。これを『編集権の独立』という。だから、原稿を相手に見せて、向こうの要求に従って直したりすれば、それは『編集権の自己破壊』である。」

 これを読んでハッとしたのは、「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)で、福田君の弁護士がインシデンツに対してゲラのチェックを求めたことです。インシデンツの寺澤有さんは、このジャーナリストとしての原則を守り、弁護士によるゲラチェックを拒否しました。

 寺澤さんは、私のメールによるインタビューで次のように答えています。

― 「創」(2009年12月号)では、ジャーナリストの浅野健一さんと綿井健陽さんが、弁護団を支持する論調の記事を書いています。彼らの主張について、どのような感想や意見を持たれましたか。

 浅野さんと綿井さんは、進んで福田君にゲラをチェックしてもらい、彼の文章変更を受け入れています。福田君は自分のコメントだけでなく、地の文も変更しています。そこに誤字があっても、そのまま誌面に反映されています。こういう内実を読者が知れば、浅野さんや綿井さんの記事が客観的なものだと思うでしょうか。「自分たちは福田君にゲラをチェックしてもらっている。だから、おまえたちも見習え」と言われても、それは無理です。(引用ここまで)

 たとえ権力者相手ではなくても、ゲラを見せない、出版前の原稿を外部に流出させないというのは、ジャーナリストの鉄則ともいえることなのですね。相手が刑事被告人であっても、その弁護人であっても、それは当然守られねばなりません。もしゲラを見せて被告人や弁護人から都合の悪い部分の書きなおしを求められたなら、それは検閲行為なのです。弁護士という法を遵守すべき立場の者こそ、「ゲラを見せろ」と迫り、「仮処分をかける」と恫喝するなど、決してやってはいけないことではないでしょうか。

 私はジャーナリストではありませんので、権力者でなければ取材相手本人からチェックを求められればゲラを見せてもらえることもあり得るのではないかとなんとなく思っていたのですが、それは甘い考えであることが烏賀陽さんの説明で納得できました。浅野さんも綿井さんも、取材者の検閲を受け入れてしまったわけで、これはジャーナリストとして軽率な行為と思わざるを得ません。

 寺澤さんは「言論の自由」や「編集権の独立」を守るために、弁護団の脅しのようなゲラチェックや出版差し止めの仮処分に屈せず出版したということです。しかし、そのことが一般の方にはなかなか理解されていないように思えます。

 驚くのは、一般の人どころか毎日新聞という、原則を守るべきマスコミそのものがこのことを理解しておらず、「(仮処分の)決定を待つのがせめてもの出版倫理ではないか」などと社説に書いていることです。メディアが出版倫理を持ち出すのであれば、ゲラチェックを求めた弁護士こそ批判すべきであり、検閲に屈しなかった出版社を評価すべきでしょう。  ところが、毎日新聞社はそれと逆の社説を書いたのです。これについては以下の記事を参考にしてください。

毎日新聞社名誉毀損訴訟の判決への疑問

 そして、この裁判の中で、毎日新聞社は以下のように主張しています。

 「原告らは、本件書籍の原稿を福田に確認させないまま本件書籍を出版しようとした。同事実を前提として本件書籍の出版を不意打ちと評価したことは正当な論評である」(判決文より)

 毎日新聞社ともあろうものが、検閲の拒否を評価するどころか、逆に検閲させずに出版しことを「不意打ち」と批判して開き直っているのです。裁判に勝つためには、ジャーナリズムの原則とか言論の自由なんてどうでもいいのでしょうか。さらに「言論の自由」を守るべき裁判所も、毎日新聞社の主張に同調してしまっている・・・。烏賀陽さんがこの判決文を読んだら、仰天するのではないでしょうか。

 市民はジャーナリストではありませんので、ゲラチェックという検閲問題があまりピンとこないものです。だからこそ、マスコミこそその点を問題視しなければならないのに、そのマスコミもこんな状態なのです。烏賀陽さんのこの本で、ことの重大性を再認識しました。

 この問題については、世のジャーナリストや出版社などが、ゲラチェックそのものが言論の自由の侵害であることをもっと主張すべきだと思えてなりません。相手が人権派と言われている弁護士だと、気が引けて主張できないのでしょうか? 不思議なことです。

2010年7月 8日 (木)

毎日新聞名誉毀損訴訟の判決への疑問

 6月22日の北海道新聞に、「毎日新聞社説の名誉毀損認めず」との記事を見つけました。「福田君を殺して何になる」(インシデンツ)の出版をめぐる毎日新聞の社説で名誉を傷つけられたとして、著者の増田美智子さんと版元の寺澤有さんが提訴した裁判の判決があり、増田さんと寺澤さんの請求を棄却したという内容です。「事実に基づく意見や論評で違法性はなく、不法行為には当たらない」と判断したそうです。

 正直いって、「事実に基づく」という判断には椅子からころげおちるほど驚きました。裁判では往々にして信じがたい判決が出されることがありますが、まさにこの判決はそうです。

 私はこの問題で、増田さんや寺澤さんにメールでインタビューをしたこともあり、増田さんが福田君に本の出版について知らせていたことは間違いないと信じています。また寺澤さんが福田君の弁護士の、ゲラをチェックさせろという要求を断って「福田君を殺して何になる」を出版した経緯は理解していましたし、その理由はもっともだと思いましたので、ことさらにこの判決が理解できなかったのです。

 で、いったいどうしてそういう判断をしたのか知りたくて寺澤さんに問い合わせ、判決文を入手しました。増田さんと寺澤さんが名誉毀損だとしたのは以下の3つの記述です。

1.当事者に知らせることなく出版しようとした行為は、いかにも不意打ち的だ。

2.元少年側が先月5日に仮処分を申し立てた後、初版が売り切れると2万部増刷した行為も適切だろうか。決定を待つのがせめてもの出版倫理ではないか。

3.これまでの経緯をみると,利益優先との批判はやむを得ない側面もある。

 裁判所は、これらの名誉毀損性の有無について、いずれも「原告社会的評価を低下させるというべきである」と判断しています。ところが、結論は「事実に基づく意見や論評」であり、不法行為ではないというのです。

 とりわけ驚いたのは1についての裁判所の判断です。「当事者に知らせることなく出版しようとした行為」について、裁判所は「原告らが本件書籍の原稿を福田に確認させないまま本件書籍を出版しようとしたことを前提事実とするものであり、・・・」としているのですが、「出版を当事者に知らせる」ことと「原稿を確認させる」ことはまったく別のことです。前者は「取材内容を出版物に掲載することの可否の確認」であり、後者は「原稿内容の確認」です。毎日新聞の記述は、百歩譲っても前者としか読みとれません。それが一般の人の受け止め方でしょう。

 増田さんは福田君に出版を知らせたと明言しており、それは広島地裁の仮処分の決定でも認められています。「福田君に出版を知らせなかった」とする客観的証拠はありません。ならば、この記述は「事実に基づく」ということにはならず、名誉毀損が成立するのではないでしょうか。裁判官は、まったく意味の異なる「確認」を同一視して、不当な判断をしているとしか思えません。

 2の記述はどうでしょうか。初版が売り切れて2万部を増刷したことは事実であって争いはないのですが、「適切だろうか。決定を待つのがせめてもの出版倫理ではないか」という部分が問題になります。

 寺澤さんは、弁護士から「ゲラを見せなければ仮処分をかける」と脅しのようなことを言われたのです。増田さんは、福田君にゲラを見せるとの約束はしていないと主張しています。そもそも、ゲラを被取材者に見せなければならないなどという決まりはありません。嘘の理由で仮処分の申し立てが行われたのであれば、どうでしょうか? 出版社が決定を待たずに出版し、増刷するのは当然ではないでしょうか。

 また、「福田君を殺して何になる」には、弁護団に対する批判が書かれていました。虚偽に基づく仮処分の申し立てによってそれが隠ぺいされてしまったら、言論の自由の侵害にあたるでしょう。だからこそ、仮処分の申し立ての決定を待たずに出版したのです。そういう経緯を無視し、「出版倫理」などという抽象的で意味不明な理由を持ち出し、増刷が「不適切」であるかのように批判したなら、出版社の信用を低下させることになります。毎日新聞社の言う「出版倫理」の定義がわかりませんが、不当な仮処分に対抗し、言論の自由を守るために行動することこそ出版人のとるべき姿勢でしょう。

 3についても同じです。光市事件という世間の注目を浴びた事件の弁護団について事実を報じることは公益性がありますし、ジャーナリストの仕事としてまっとうなことです。この事件に関心を持つ人ならば、誰もが知りたいと思うことでしょう。初版が売り切れたのなら、読者の知る権利に基づいて増刷するのは当然のことです。増刷は言論の自由と公益性を優先したものであり、利益は付随的なものです。

 また、弁護団が仮処分の申し立てなどしなかったら、この本のことはこれほどまで話題にならなかったでしょう。この本が話題になって増刷を必要とするほど売れたのは、弁護団が出版差し止めの仮処分を求め、それがニュースになったという側面が大きいのです。その点にまったく触れず「利益優先」との批判を支持するのは、おかしいとしか言いようがありません。

 私には、2と3についても、事実と異なることを基に批判して増田さんや寺澤さんの評価や信用を低下させているとしか思えません。

 結局、毎日新聞の社説というのは、福田君の弁護士の主張を代弁するかのような偏った論調で書かれているとしか思えないのです。

 問題とされた論評は、毎日新聞というマスメディアに掲載されたものであり、しかも新聞社の顔ともいえる社説です。「意見や論評」であっても、意見の対立している問題を扱う場合には、事実確認はもちろんのこと、公平な視点での考察や論評が欠かせません。毎日新聞社は、広島地裁での仮処分の決定を持っているとのことですが、それをきちんと読んで理解し、公平な視点で書いたとは思えません。

 今回の判決が正当なものと言えるのかどうか、増田さんと寺澤さんへのインタビュー記事をもう一度読んで考えていただきたいと思います。

増田美智子さんへのインタビュー 

寺澤有さんへのインタビュー 

2010年3月 5日 (金)

寺澤有さんへのインタビューの感想

 このブログでは「福田君を殺して何になる」の著者である増田美智子さんと、版元のインシデンツの寺澤有さんへのインタビューを掲載してきましたが、今回は寺澤さんへのインタビューの感想を書きたいと思います。

寺澤有さんへのインタビュー(その1) 

寺澤有さんへのインタビュー(その2) 

 ジャーナリストでもなく、ただの市民である私が、面識もない増田美智子さんやジャーナリストとして活躍されている寺澤有さんにインタビューを申し入れ、それをニュースサイトでもない自分のブログに掲載することについては、正直いって戸惑いというか気遅れを感じました。しかし、増田さんも寺澤さんもそんなことはちっとも気にすることなく、裁判などでお忙しい中を気さくに応じてくださいました。まずは、お二人に感謝したいと思います。

 私がなぜインタビューを申し入れたのかといえば、あまりにも裁判の経緯やお二人の意見がマスコミなどで報じられず、多くの人が誤解をしていると思えたからです。マスコミが伝えないのなら、たとえ個人のブログであっても伝えていくことはできるのではないか、という思いがありました。また、これまで何回か光市事件に関する記事を書いてきた自分自身の責任や反省の意味もありました。

 さて、寺澤さんの単刀直入に書かれた回答を読み、改めて考えさせられたのが弁護団のことであり、とりわけ弁護団の中心的存在である安田好弘弁護士についてです。

 私が安田弁護士を意識するようになったのは、安田弁護士の人となりを紹介した雑誌の記事でした。そこから受けた安田弁護士のイメージは、誰もがやりたがらない刑事被告人の弁護を引き受け、被告人の言葉に耳を傾けて真実を追求し、壁のように立ちはだかる検察とまっこうから対峙する強い精神力をもった弁護士の姿でした。ご自身の冤罪事件でも、大変な精神力で無実を勝ち取られました。誰よりも検察の恐ろしさを熟知し、また権力の広報係のようになっているマスコミを嫌う、孤高の弁護士という印象を持っていました。

 しかし、安田弁護士に対する印象がやや変わったのが後に弁護団を解任された今枝仁弁護士の著書「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」(扶桑社)でした。この本では、光市事件の弁護団の弁護方針をめぐる安田弁護士らと今枝弁護士の激しい対立が解任につながったことなどが赤裸々に語られ、また安田弁護士が弁護団会議や法廷などで時として激高することにも触れられています。もっとも、本を読んだ当初は、弁護団の内部の論争まで書籍で公にするということに対し「そこまで書くのはどうなのだろうか?」という疑問を持ったのも事実です。組織の内部的な問題は公表しないのが普通だからです。しかし、どうやら安田弁護士らが嫌がる福田君を説得し、意見の合わない今枝弁護士を解任させたという経緯には、さすがに疑問を抱きました。

 その後、「福田君を殺して何になる」を読んで、また弁護団による出版差し止めの仮処分や提訴を目の当たりにし、私の鈍い頭も、今枝弁護士が自著であえて弁護団の内紛にまで言及した意味をはっきりと悟ることができました。出版差し止めの仮処分や提訴は、今枝弁護士が抱いた安田弁護士への疑念がまさに形となって現れたということでしょう。

 21人もの大弁護団ともなれば、弁護方針や意見で対立が生じるのは当然でしょう。問題は、いろいろな意見や対立がある中で紛争をどうやって解決していくべきなのか、ということです。弁護団をまとめるリーダーは、紛争解決の手腕が問われることにもなります。結局、安田弁護士らは、嫌がる福田君を説得して今枝弁護士の解任届けを出させて解決を図ったということのようですが、そういう強引なやり方に疑問を感じるのは私だけではないと思います。また、「福田君を殺して何になる」に掲載された今枝弁護士の解説によると、安田弁護士は控訴審判決後の記者会見で、今枝弁護士の解任について「彼(今枝)は被告人の信頼を失った」と説明したそうです。「嘘も方便」とはいいますが、その嘘が自己正当化を目的としているのであれば見苦しいものでしかありません。もっとも、この一件だけならば安田弁護士への不信感はそれほど大きなものではありませんでした。

 ところが、「福田君を殺して何になる」の出版をきっかけに、同じようなことが再び繰り返され、それが不信感を増幅させることになってしまいました。弁護士が寺澤さんに「少年法違反で仮処分をかける」と脅しのようなことを言ったという経緯から考えても、仮処分や提訴には福田君の意志というより弁護団の意志が強く働いたとしか思えません。これは嫌がる福田君に今枝弁護士を解任させたことと通じます。また、増田さんや寺澤さんの「ゲラを見せる約束はしていない」という主張が正しければ、安田弁護士らは嘘の主張に基づいて法的手段を行使したことになります。これは安田弁護士の記者会見での嘘に通じます。こうなってくると、さすがに安田弁護士らのやり方に対する疑問が大きくならざるを得ないのです。

 こうした強引ともいえるやり方の根底には、安田弁護士らによる弁護団の内紛への対応のまずさと、メディアへの対応のまずさがあったと思えてなりません。私も若い時から自然保護運動に関わってきましたので、組織内での意見の対立やみっともない争いなども目の当たりにしてきましたが、紛争解決で肝要なのは発言力の強い者が自分の意見を強引に通そうとしてはいけないということ、そして組織内外での信頼関係を保つためにも嘘をいってはならないことだと考えています。議論を尽くさずに対立する意見を締め出せば民主的な運営はできませんし、信頼関係が崩れたなら共に闘うことはできません。

 寺澤さんは、インタビューの中で「安田弁護士たちが目的のためにはウソの主張をすることも辞さない人間だというのは、出版差し止め騒動で身をもって体験しています。加えて、非常に傲慢な人間であることも。いわゆる安田支持派は、そういう安田弁護士の裏面を知らないで、『人権派だから』『死刑廃止派だから』と盲目的に支持しているとしか思えません」と、安田弁護士や支持者を非常にストレートに批判しています。増田さんや寺澤さんの主張が事実であるなら、そのような意見を持たれるのも理解できます。

 安田弁護士の支持者は、安田弁護士らのとった行動を客観的に捉えたうえで、自分自身で評価を下してほしいと思います。私は今回のことを理由に、安田弁護士らが福田君の裁判でこれまで行ってきた立証も信用できなくなったとは思っていませんし、安田弁護士が類まれな優れた弁護士であり、その主張に共感できる部分が多いことも否定しません。しかし、今枝弁護士や増田さん、寺澤さんへの対応の中に嘘や傲慢さがあったというのも事実であり、それが残念ながら支持者の信頼を裏切ることに繋がったのも事実だと思います。また、そのことが福田君にとってプラスに働いたとは到底思えません。

 この問題に関しては、是非、「福田君を殺して何になる」を読み、自分の頭で考えていただきたいと思います。

 出版差し止めについては裁判になっている以上、司法の判断を待つしかありませんが、公正な判断が下されること、そしてこの裁判が福田君に対して不利にならないことを願うしかありません。

 また、増田さんや寺澤さんへのインタビュー記事への感想やご意見を、コメントあるいはメールで寄せていただけると嬉しく思います。

 なお、以下の動画サイトでジャーナリストの山岡俊介さんと寺澤有さんがこの問題について語っています。ちょっと長いのですが、とても興味深いことも語られていますので、是非ご覧いただけたらと思います。

アクセスジャーナルTV 

フォト

twitter

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ