政治・社会

2023年12月 8日 (金)

「ワクチン神話 捏造の歴史」で露わになったワクチンの嘘

 私はワクチンに関し、コロナ騒動が始まる前までは、インフルエンザワクチンは効果がない、HPV(子宮頸がん)ワクチンは重篤な副反応が多数報告されており危険、くらいの認識しかなかった。また、天然痘はワクチンで撲滅されたという説を信じていた。しかし、「ワクチン神話 捏造の歴史」(ロマン・ビストリアニク、スザンヌ・ハンフリーズ著 神瞳訳、坪内俊憲監修 ヒカルランド)を読んで、その認識が一変した。

 

 本書はワクチンの効果に疑問を抱いた著者が多数の文献に当たり、それまで隠蔽されていたワクチンの不都合な真実について資料やデータに基づいて論じた大作だ。

 

 ワクチンが1796年のエドワード・ジェンナーによる実験に端を発していることは広く知られている。ジェンナーは、牛痘に感染した女性にできた膿疱から採取した物質を8歳の少年に接種し、後にその少年を天然痘患者に接触させたが発症しなかったことで、牛痘を接種することで天然痘の予防になると確信した。たった一例の実験で、ワクチンが成功したと信じてしまったのだ。これを機に世界的にワクチンが広まった。しかし、ワクチンの歴史をたどっていくと、私たちがまったく教えられていない驚くべき事実が浮かびあがる。たとえば、天然痘ワクチンの接種率が高くなると天然痘の死者が増えるとか、ほとんどの感染症の死者はワクチン接種が始まる前から激減していたとか・・・。

 

 本書を読み進めると、天然痘ワクチンに限らずあらゆる感染症のワクチンで、その有効性が証明されていないことが分かる。むしろワクチンは感染症を広げ、薬害によって多くの死者を出してきた。ワクチンを推奨する医師は、打っても感染し予防効果がないと分かると、重症化を防ぐというように主張を変えてきた。

 

 これはインフルエンザワクチンでも言われてきたことだし、新型コロナワクチンでも同じ言い訳がなされた。ワクチン推進派はワクチンを打たせるためにこんなまやかしを100年以上前から続けてきたのだ。さらに恐ろしいのは、効きもしないワクチンを強制してきた負の歴史だ。コロナワクチンでも強制に近い強要が行われたが、これは今に始まったことではない。とんでもない人権侵害の歴史があったのだ。WHOの進めているパンデミック条約が現実のものとなれば、再び同じ過ちが繰り返されることになるだろう。

 

 結局、感染症を防ぐためには衛生環境の改善と十分な栄養を摂ることが何よりも有効であるというごく当たり前のことにたどり着く。21世紀の今もこれは全く変わらない。人の浅知恵など、進化で獲得してきた免疫システムにはとても太刀打ちできないということに他ならない。

 

 私たちはワクチンなるものが誕生して以来、ずっと「ワクチンは感染症予防に効果がある」と信じ込まされてきた。医療従事者もそのような間違った教育を受けそれを妄信してきたし、私たち一般の人達もそう信じてきた。なぜなら、ワクチンで利益を得る医薬業界がマスコミをも牛耳ってそのように仕向けてきたからだ。これがタイトルにもある「ワクチン神話」だ。

 

 コロナ騒動では多くの医師がmRNAワクチンの正体を見抜けずに推奨したが、彼らは恐らくこうした嘘のワクチン教育によってほとんど洗脳状態になっていたのではなかろうか。無条件に「ワクチンは効果がある」と信じていたのかもしれない。むしろ、非接種を選択した一般の人のほうが、洗脳されていなかったのではないかと思う。

 

 福島第一原発が過酷事故を起こしたとき、原発の安全神話が嘘であったことが白日の下に晒された。ワクチンに関しても全く同じで、コロナワクチンも効果がないどころか、接種が始まってからというもの死者も体調不良者も激増している。「集団免疫」などというのも嘘だった。コロナワクチンを機に、ワクチン神話は崩壊し始めている。もっとも日本人の多くは未だにワクチン神話が捏造されていたことに気づいていないようだが。

 

 本書は参考文献も含めると473ページもあり価格も4000円近い。しかし、ワクチンに関する真実を知り、できる限り医薬品に頼らずに健康な生活を送るために役立つなら、決して高いとは思わない。私は、最早すべてのワクチンに疑いを持っている。ワクチンは有効だと考えている人こそ、お勧めしたい。

 

 なお、本書に掲載されているグラフはネットでも公開されている。
https://dissolvingillusions.com/graphs-images/

 

2023年11月14日 (火)

競争と闘争

 私は競争、つまり他者と競うというのがどうしても好きになれない。他人と競ってばかりいたら心も体も疲弊してしまう。趣味であれ勉学であれ、自分のペースで楽しむのが一番だと思っている。ところが、世の中には競争が大好きな人がいる。何かというと他者と比較して優劣を競おうとするのだ。スポーツでも芸術でも日常生活の様々なことでも。つまり、始終闘っているのであり、競争とは闘争とほぼイコールではないかと思っている。

 

 たとえば、X(Twitter)を見ていると、他人の投稿を引用して批判ばかりしている人がいる。あるいは、自分と意見が異なる人に対してすぐに返信で反論をする人がいる。一回反論するだけならまだしも、延々と議論をふっかける人もいる。ただし、そういう人に限って、自分が間違っていても絶対に認めずに論点を逸らしていく。「ああ、この人は問題解決のための議論をしたいのではなく、相手に勝ちたい人なんだな」と思う。要は、競争心や闘争心が強いのであり、自分が優位に立ちたいだけだ。

 

 だから、攻撃的なリプライや引用ポストに対しては基本的には無視することにしているし、自分から反論・批判のリプライや引用ポストはしないことにしている。議論をふっかける行為は、権力闘争になってしまうからだ。そんなことをしても相手を不快にしたり闘争心を燃え上がらせるだけで、相手と良い関係を築くことはまずできない。

 

 ただ例外はあって、相手が「公人」であったり社会的影響力の強い「みなし公人」の場合は、私も名指しで批判することはある。

 

 日常生活でも、競争や闘争はいたるところにある。家庭内での夫婦喧嘩、親子喧嘩、嫁姑の諍い・・・いずれも権力闘争だ。自分のやり方や考えが正しくて相手は正しくない、そんな押し付け合いをしている。近年は夫婦の3組に1組が離婚すると言われているが、価値観が合わないというだけで破綻してしまう夫婦も少なくないのだろう。もちろん、穏便に済ませるために相手の言いなりになっていればいいというわけではない。価値観が違うのなら解決策を探ればいいのにそれをしようとしない。そんな人が多くなったのではなかろうか。結局、競争心や闘争心が強い人が増えてきたのではないかと私は疑っている。

 

 しかし、なぜこんなに競争心や闘争心が強い人が多いのだろうか。人が自然の中で狩猟採集生活をしていた頃は、人々は集団をつくって協力していかなければ生きていけなかったはずだ。協力して狩りをし、手に入れた食料は皆で平等に分け合う。外敵から身を守るためにも、人々は協力していただろう。得手不得手はあっただろうけれど、おそらく上手く役割分担をして協力的にやっていたのではなかろうか。協力しあわなければ生きてはいけない社会では、競争とか闘争などしている余地はない。

 

 ところが、現代社会は競争で溢れているし、それは幼少期から始まる。例えば習い事の世界なども競争になりかねない。子どものピアノの発表会できらびやかなドレスを着せるのが普通になってきているようだけれど、一人が始めれば皆が同じことをする。そんな風潮も競争だろう。成人式の晴れ着も同じで、ほぼ全員が振袖という光景にどうしても好感を持つことができない。受験ももちろん競争に他ならない。学校での部活も、試合に勝ったりコンクールで優秀な成績をおさめることに拘るのならまさに競争だ。スポーツでも趣味でも勝ち負けに拘らず楽しむことが一番大切だと思うのだが、現実はそうではない。私たちは、常に競争にさらされることで闘争心が強くなっているのではないかと思う。

 

 人は様々な発明をして物質的に豊かな生活を送るようになったのに、いつまで経っても戦争が絶えることがない。誰しも平和で暮らせるに越したことはないと思っているに違いない。しかし、武力による戦争を肯定する人は一定程度いる。そのような人はとりわけ闘争心が強いと言わざるを得ない。協力的な社会が遠のいて競争的・闘争的社会になってしまったことは、人類にとって極めて不幸なことだったと思う。

 

 そして、そうなってしまった最も大きな要因は競争を肯定する資本主義と限りない欲だと思う。資本主義によって生じた貧富の差は当然のことながら人々を分断し、憎しみを生み出す。今でも資本主義や競争を肯定する人が大多数のように見受けられるが、なぜそんなに競争を好むのか? 競争や闘争では平和は決してつくることはできないのに。

 

 競争や闘争を好む人たちが多ければ多いほど、この社会は混沌となり平和から遠のいていくように思う。そのためには、まずは貧富の差を解消していく必要があるだろう。そして一人ひとりが競争や権力闘争から降り、欲はほどほどにし、他者と対等な関係を築き、話し合いで紛争を解決するようにしていくしかない。折り合いがつかないことに関しては、価値観の相違を認めつつ役割分担を決めるとか、第三者が間に入って調整するなどして解決を図ることは可能だと思う。

 

 すでに多くの人々は競争に捉われ、欲に捉われてしまっている。この状態が続くのなら人類は破滅の道を辿ることになるのではないか。ここまで格差が拡大してしまった状態で、果たして、人類は競争や闘争から脱却して平和な世界を構築することができるのだろうか?

 

2023年9月15日 (金)

人口削減の理由

 前回の記事では、人口削減の目的は地球温暖化をはじめとする環境問題、食料危機、エネルギー危機対策だろうと書いた。これに対しても、ネット上ではさまざまな反論がある。たとえば、人口が増えても食料は確保できるとか、化石燃料はまだまだ採掘できるなど。しかし、私はそうは思っていない。

 

 地球温暖化の問題点については前回の記事で触れたが、エネルギーはどうだろう? 化石燃料は枯渇すると言われていたけれどまだまだ採掘されているから大丈夫だと言う人は多い。確かに新たな埋蔵地が見つかったり技術の向上によって、今まで採掘できなかった化石燃料が採掘できるようになったということはある。しかし、それにしても有限なことに変わりはない。次第に生産量が減って採掘にコストがかかるようになるだろう。そして、いつかは枯渇する。それに、地球温暖化のことを考えるなら、大量の二酸化炭素を排出する化石燃料にずっと頼っているわけにはいかない。自然エネルギーへと転換していかねばならないのは自明だ。しかし、自然エネルギーだけで賄えるのだろうか?

 

 たとえば、先進国の大規模農業は化石燃料なしではやっていけない。まず、化学肥料を製造するのに大量の石油が必要だ。現代の農業はさまざまな農業機械によって支えられているが、それらの機械の動力も石油だ。北海道の広大な畑(馬鈴薯、ビート、小麦、豆類など)も植え付けから農薬散布、収穫まで大型機械に頼っている。もちろん、昔のように農薬も化学肥料も使わずに農業をすることは不可能ではないが、機械頼みになっている農業から手作業の農場に転換していくのは並大抵のことではない。経験や知識もさることながら、人手も必要だし、国による支援がなければ無理だろう。不可能ではないけれど、大胆な国の政策転換と時間が必要だ。

 

 また、飛行機や自動車の燃料にも石油は欠かせない。現在の技術では蓄電池によって飛行機を飛ばすことはできないだろう。石油はこれらを動かすのに最も効率がよいのだ。電車や電気自動車とて、その電気が化石燃料を元につくられているのなら同じだ。そう考えると、人類が化石燃料の使用を止めるのは極めて困難と言わざるを得ない。

 

 食料はどうだろう。言うまでもないが、農地も有限だ。地球上で農耕地として適している土地は限られているし、森林を伐採したり湿地を埋め立てたりという自然破壊もこれ以上やるべきではない。私たち人間は自然の一員である以上、自然環境も保全していかなければ生きていくことはできない。飲料水も酸素も自然環境がもたらしている。農地が有限である以上、地球上に住める人の数も有限だ。人口だけが増えたら食糧危機になるのは目に見えている。さらに、化学肥料の大量使用や農薬の使用によって農地の土壌が劣化し、地力の低下が生じている。大型機械の使用で農地が硬くなり、作物の生育にも影響が出ている。地力の低下によって食料生産の低下が懸念されているのが現状だ。

 

 人の数を大幅に減らしてしまえば、温暖化をはじめとした環境問題、エネルギー危機、食料危機は一挙に大きく改善できる。人口削減という計画は、おそらくそうしたことを総合的に考えて立てられたのではないかと私は見ている。ただし、この計画を立てた人達が考えているのはそれだけではない。単に人口を減らすだけで社会のシステムをそのまま維持するなら、再び人口増に転じかねない。また、生き残った人々は人口削減を計画・実行した人達に対し報復をするかもしれない。そうさせないためには、徹底した人の支配と管理が必要だと考えているのではなかろうか。人口削減と人々の支配・管理はセットでやらねばならないということなのだろう。

 

 私はもちろん、医薬品で人々を病気にしたり不妊にして人口を減らすなどという計画は狂っていると思うし、人道的にも許されず絶対に反対だ。そもそも地球の人口がここまで増えてしまったのは、化石燃料に頼り経済成長を追い求めた資本主義にある。定常経済なら爆発的に人口が増えることはない。そして、人口削減などという狂った計画を立て実行している連中こそ、資本主義社会で大富豪へとのし上がり大量の二酸化炭素を放出してきた人達だ。資本主義が生み出したモンスターといっても過言ではない。彼らは自分達の富と権力だけは守り、他者の命を奪い、生き残った人を奴隷にしようとしているのだ。しかも彼らは自分達こそ選ばれた地球の救世主だと妄想し、「善」だと信じてやっている。これを狂気と言わずに何というのだろう。

 

 私はこれらの問題解決のためには資本主義をやめ定常経済の協力的な社会にしていくしかないという考えだ。人類は互いに助け合い分かち合う協力的な社会によって今日まで生き延びてきたからだ。それを壊したのが強欲な資本主義だと思っている。機械頼り(石油頼り)、農薬漬けの農業も転換を図っていかねばならないと思う。そして、自然エネルギーもできる限り地産地消や自給自足の小規模型にしていくのがベストではないかと考えている。また、食料自給率を上げていくことで、自ずと適正人口に収まっていくのではないかと考えている。日本の場合は、篠原信さんの試算を参考にすると3000万人くらいか。

 

 もちろん、その間にも地球温暖化は進んでいくだろうし、それによって人類がかなりの被害を受ける可能性もあるだろう。気候変動による災害などは、できるだけ人的被害を少なくする努力をするしかない。温暖化によって人口が減ることはあっても、絶滅することはないだろうと思っている。

 

 しかし、DNAに汚染されたmRNAワクチンは人の遺伝子を改変しかねない。完全に自然の摂理に逆らう技術であり、決してやってはいけないことを実行に移したと考えている。場合によっては人類を滅亡に導くことになるかもしれない。人口削減計画を立てた連中は、それが決して手を出してはいけないことだったと理解していなかったのかもしれない。このままmRNA製剤の開発や使用を続けていたら、この計画を立てて実行している人たちも無傷ではいられまい。自分達は災難を免れたとしても、子孫は分からない。そもそも人の遺伝子を改変してしまって人類に未来があると思っているなら、思い上がりも甚だしい。

 

 以上は私の妄想のような考えにすぎないが、それほど間違っているとは思っていない。

 

2023年9月14日 (木)

人間活動による地球温暖化の何が問題なのか

 何度も書いているが、私は世界経済フォーラムの提唱するグレートリセットによって人口削減が実行されていると考えている。なぜ彼らが人口を減らしたいのかといえば、このまま人口が増加し続けたら地球温暖化をはじめとする環境問題、食料危機、エネルギー危機に対処できないからだと考えている。

 

 しかし、X(Twitter)を見ていると、地球温暖化は詐欺だとか、二酸化炭素はまだまだ増えても大丈夫とか、温暖化しても問題ないなどという意見が絶えない。今起きている人間活動による地球温暖化の何が問題なのかを十分に理解していないために、このような意見になるのではないかと思うようになった。そこで、今起きている人間活動による地球温暖化がなぜ問題視されているのか説明しておきたい。

 

 地球は過去に少なくとも3回、全球凍結したとされている。

 

「カンブリア爆発」前夜の全球凍結、生物への影響を明らかに 東北大など

 

 私は、全球凍結のことは田近英一氏の「凍った地球」(新潮選書)を読んで知った。上記の記事にもあるように、このような大規模な地球環境の変動は火山活動による二酸化炭素濃度が原因だと考えられている。地球温暖化の主たる原因は二酸化炭素の増加であることは間違いないだろう。

 

 もちろん過去には今より温暖な時代があったのも間違いない。しかし、だからといって今の温暖化は問題ないということにはならない。今の温暖化の最大の問題は、二酸化炭素の放出速度の違いだ。以前にも書いたが、人類活動による二酸化炭素の放出速度は火山活動による放出速度の約300倍と言われている。その結果、急激な温暖化が生じているのだ。

 

 「凍った地球」の最後(191ページ)でそのことに触れられている。例えば気温の上昇によって土壌中に蓄積されている有機物の微生物による酸化分解が促進され、大量の二酸化炭素が大気中に放出されるかもしれない。永久凍土が解けることで大量のメタンハイドレートが分解するかもしれないし、海水温の上昇によって海底のメタンハイドレートの分解が生じるかもしれない。また、温暖化によって南極やグリーンランド氷床の大規模な崩壊が起きるかもしれない。地球史を振り返ると、大規模な氷床の崩壊とそれによる海面上昇は突然かつ急激に生じたことが知られているという。

 

 また、川崎健氏は「イワシと気候変動」(岩波新書)で、温暖化によって海洋の熱塩循環が閉鎖され、地球の気候が暴走する恐れがあると指摘している。いわゆる臨界点(ティッピング・ポイント)に達してしまうと、気候が暴走する懸念があるし、その結果何が起きるのか予測は困難だ。今起きている人為的温暖化で懸念されるのはそういうことだ。

 

 私は北海道の地方の町に住んでいるが、ここ40年ほどの間に明らかに温暖化している。かつてはマイナス25度以下になる日が一冬に何度もあったが、今ではほとんどなくなってしまった。冬の最低気温は明らかに上昇している。また、夏も蒸し暑い日が多くなり、ずいぶん変わってしまったと肌で感じる。エアコンなどつけている家はほとんどないので室外機からの暖気は関係ないし、ヒートアイランド現象も関係がない。ほんの数十年でこれだけ温暖化するというのはかなりの速度だと思う。

 

 昨今は毎年のように異常気象が話題になっているが、このような異常気象は農作物に大きな影響を及ぼすことがある。海水温の上昇も魚などの海洋生物に影響を及ぼし、人々の食料供給にも関わってくる。台風の大型化も集中豪雨も災害を引き起こす。臨界点を越えて気候が暴走すれば、さらに何が起きるのか分からない。

 

 今は氷期の中の間氷期だが、次の寒冷期がくるとしても何千年も先のことになる。したがって、何の手も打たずこのまま温暖化が続けば、人類への影響は計り知れないのではないかと懸念している。もちろん、予想している最悪の状況にはならないかもしれないが、何が起きるのかは誰にも分からない。地球温暖化を軽視するのはとても危険だと私は考えている。

 

2023年9月 8日 (金)

医療ジャーナリスト鳥集徹さんへの疑問

 鳥集(とりだまり)徹さんのことはコロナ騒動が起きる前までは知らなかった。鳥集さんの紙の著書(含共著)の一覧がこちらのサイトにある。2002年11月から2020年9月までの約18年間に書いた本は6冊に過ぎない。ところが2021年3月に発売された「コロナ自粛の大罪」以降、2年半で13冊の本を書いている。このことからも、彼がコロナ騒動をきっかけに多数の本を書き、一躍有名になったことが分かる。私も彼の「新型コロナワクチン誰も言えなかった『真実』」という本は読んでいる。私はX(Twitter)でもフォローしていたし、鳥集さんもフォローして下さり相互フォローだった。しかし、先日、ある投稿をしたらいきなりブロックされた。はじめに、そのいきさつを説明したい。

 

 9月4日に「新型コロナワクチン後遺症患者の会と民主的組織運営」という記事を書いた。この記事ではガーベラさんが患者の会について告発したことを取り上げている。ガーベラさんの発言に対し、患者の会側は代表者や会の公式Xではなく広報担当者が返事をした。ところがその返事が抽象的で多くの人が納得できないものであったために質問や批判が寄せられた。その後、広報担当者は彼に意見を言った人など(直接絡んでいない人も含む)複数の人をブロックしたあと、アカウントを削除した。

 

 これに関連して鳥集さんがこんなツイートをした。

 

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 この発言は9月2日の患者の会代表「奥様からご連絡いただきました。命に問題はないと言ってくれていますが、命には問題ないだけです。参っています。上記ご報告まで」という発言を受けたものだ。鳥集さんがここで「命を追い込まれた人」と言っているのは、広報担当者のことだ。私はこの鳥集さんのツイートを見て、疑問がわいた。

 

 鳥集さんの言う「犯罪の域」とは一体どういうことだろうか? 広報担当者の誹謗中傷をしていた人を私は知らないが、多数の名誉棄損の発言があったのだろうか? それとも別の犯罪のことを指しているのだろうか? ジャーナリストが、公の場で安易に「犯罪」などという言葉を使うとも思えないので根拠があるに違いない。もし、該当する犯罪がないのであれば、この発言は根拠のないことを理由に「患者の会を批判するな」と暗に脅して言論封じをしているかのように感じられる。そこで、鳥集さんに以下の4点について質問してみた。

 

https://twitter.com/onigumoobasan/status/1697945167435903476

 

1 「犯罪の域」とのことですが、該当する犯罪名を教えて下さい。

 

2 どのような発言や行為がその犯罪に当たるのか、具体的に説明してください。

 

3 ガーベラさんが具体的に挙げた3例の言論制限(オプチャの管理、ツイート削除要請、シンポでの発言内容の指示)について、患者の会は個々に見解を表明していません。こうした対応がさらなる批判を呼んだと考えています。これについて見解を明らかにしてください。

 

4 私はガーベラさんの発言は組織内での不適切な行為を広く知らせるための、つまり公益目的の告発だと捉えていますし、このような告発は評価されるべきものと考えています。鳥集さんはジャーナリストとして、公益目的の告発をどのように捉えているのでしょうか。見解をお伺いします。

 

以上、4点について誠実なご回答をお待ちしています。回答は公開、すなわち返信あるいは引用ツイートにてお願いいたします。

 

 なお、鳥集さんはコロナワクチン薬害被害者としてガーベラさんを取材しており、知らない間柄ではない。

 

 ところが、この投稿をした途端に彼は私をブロックした。私の質問には答えられないまたは答えたくないという意思表示だと理解した。言論人が自分の発言に責任を持とうとしないことに愕然とした。

 

 もし、「犯罪」というのが勘違いであれば、それを認めてツイートを削除すれば済む話だ。3および4についても意見くらい言えるだろう。ブロックという行為によって、彼はガーベラさんの告発を軽視し、患者の会ばかりを擁護していると強く感じた。

 

 鳥集さんは、患者の会には設立時から関わっていると聞いているし、記者会見のときも司会をしている。そんなこともあって患者の会を擁護する立場になっているのかもしれないが、中立であるべきジャーナリストが特定の団体に深く関わることに私は疑問を感じる。ジャーナリストであれば、取材に徹するべきではなかろうか。

 

 百歩譲って患者の会に深く関わり第三者としてアドバイスをしているのなら、あのような人権侵害になりかねないルールに何も言わなかったのだろうか? 会の目的にワクチン接種の中止を盛り込まなかったことについて何らアドバイスをしなかったのだろうか? 鳥集さんならmRNAコロナワクチンの危険性について十分な知識を持っているはずだし、これ以上被害者を出さないためにも被害者組織こそ接種中止を求める立場であることくらい分かりそうなものだ。

 

 医薬業界の闇を暴いていた彼なら、悪名高い米国の無過失補償制度のことだって知っていたと思うし、国や製薬会社がワクチンの薬害で無過失補償制度の導入を望んでいることくらいピンとくるだろう。被害者組織に工作員が送りこまれる危険性も察知できたのではなかろうか。それにも関わらず、私から見れば危機管理に問題のある被害者組織になってしまっている。彼はこれらについて何のアドバイスもしなかったのだろうか?

 

 もう一つ、鳥集さんに関しては不可解なことがある。今年4月にmRNAコロナワクチンへのDNA汚染問題が話題になった。その件については「コロナワクチンへのDNA混入疑惑問題」という記事で触れている。その後、複数の研究者がケビンさんの実験の追試をし、基準値を上回る大量のDNA混入が確認された。これについては荒川央さんが7月30日にブログ記事にしている。人の細胞のゲノムに入りこめば遺伝子組み換え人間ができてしまう。これはたとえ1人でもあってはならないことだ。

 

 ところで、8月26日にこの問題で荒川央さんと新田剛さんの対談がスペースを利用して行われた。荒川さんはケビンさんを支持し、DNA混入問題をスキャンダルと捉え、mRNAワクチンの中止を訴えている研究者だ。そして、新田さんは混入しているDNAの量は少なく、騒ぐようなことではないという意見だ。その対談の文字起こしが以下。

 

荒川央先生/新田剛先生 待望の直接対談(こーじさんのブログ)

 

 この対談の中で鳥集さんのことが出てくる。その部分は以下。

 

■荒川「僕は新田先生とその周辺の行動、特に鳥集さんの行動に、ものすごい腹が立ってるんですよ。」

 

■新田「え?どうしてですか?鳥集さんがなんで出てくるんですか?」

 

■荒川「この2人と周辺の人が、例えば有志医師の会、勤務医団、副反応検討会、他の団体に結局アクセスして、このDNA混入問題にみんな沈黙してしまったわけですよ。僕はこの先の問題として考えてるのは、共通したmRNA製剤薬害やと思ってる。これに反対するために、僕、政府とか厚労省を相手にしてないんですよ。草の根の声を上げていかなあかん。でも草の根運動してる人は、結局、遺伝子が分からんかった。DNA混入問題っていうのは、100年、1000年後の人にも影響与える問題なわけです。」

 

 私はこの部分を聞いて仰天した。新田さんがこの件で荒川さんや有志医師の会の医師などにコンタクトをとって意見を伝えているという話はXでも流れていた。しかし、荒川さんによると、鳥集さんも有志医師の会などの団体とコンタクトをとっていたという。鳥集さんの陰での行動は私たち一般の人には見えないが、有志医師の会にも関わっている荒川さんには情報が入っていたらしい。おそらくこれは4月頃の話だと思う。

 

 そして、鳥集さんの介入によってこれらの団体の人達がDNA混入問題について沈黙してしまったという。いったい彼はこれらの方たちに何を言ったのだろうか? 科学者でもないジャーナリストがなぜこの問題で複数の団体に介入するのだろう?

 

 DNA混入問題は、mRNA製剤の致命的な欠陥を浮き彫りにした。これはmRNAワクチンを中止させ、新たなmRNA製剤も中止させる切り札となる欠陥だ。製薬会社などはこの問題を過小評価したり否定したがるはずだ。製薬会社と対峙し薬害問題を追及するジャーナリストなら、この問題を重く受け止め慎重になると思っていた。しかし、彼はこの問題が発覚してすぐに過小評価する新田さんを擁護してしまった。

 

 そういえば、鳥集さんは「全国有志医師の会」および「北海道有志医師の会」の代表である藤沢明徳医師と共著で「子どもへのワクチン接種を考える:臨床現場でいま、何が起こっているのか」という本を出している。彼はコロナ問題で名をはせ、ワクチン反対の医師とも信頼関係を築いて親しくなっているようだ。他にも取材などで多くの医師に接触しているだろう。これでは、医師の方たちが鳥集さんの言動に疑問を持ったとしても真っ向から疑問を投げかけにくいだろう。

 

 患者の会への介入と擁護、DNA問題で医師などの団体への介入、私の質問の無視。これらのことを総合的に考えても彼の言動は不可解なことだらけだ。DNA混入を過小評価し、医師たちが沈黙することで一番喜ぶのは誰なのか? (彼が関わっている)患者の会が、ワクチン中止を訴えず、内部に推進派が入りこめるような状態で一番喜ぶのは誰なのか? もちろんmRNAワクチン推奨派や薬害の責任を問われる国や製薬会社だ。そして鳥集さんはこれらの人達が喜ぶようなことばかりしているように見える。

 

 鳥集さんは「分断するな」と主張するが、彼の不可解な行動こそmRNAワクチン反対派の中での対立を招いているのではなかろうか? 残念ながら、私は彼への信頼を失った。

 

 ただ、私は医薬業界の闇を追及してきた医療ジャーナリストに利権疑惑があるとは考えていない。彼の慎重さを欠く行動がさまざまな憶測や疑惑を呼び、結果的にmRNA推進派を利することになったのではないかと考えている。ならば、彼が私が指摘したことについて説明責任を果たすことで信頼回復はあり得ると思っているし、それを期待している。

 

 最後に鳥集さんに一言。私のこの記事に反論や意見があるのなら、ブロックを解除して発言してほしい。私はブロックされてもフォローはそのままにしている。間違いがあれば、もちろん訂正したい。

 

2023年9月 4日 (月)

新型コロナワクチン後遺症患者の会と民主的組織運営について

 「新型コロナワクチン後遺症患者の会」(以下、「患者の会」と言う)という組織がある。ワクチン薬害被害者による組織だが、関わっているのは患者だけではない。「地方患者の会」というのがあり、サポーターも募集している(ただし、このブログを書いた時点では募集を停止している)。

 

 2021年の末に設立されたようだが、2023年7月24日に記者会見を行っている。この記者会見の司会はジャーナリストの鳥集徹氏が務めている。また、鳥集氏はこの会に設立当初から関わっていると言われている。

 

 この会の目的は「・ワクチン後遺症の治療方法が確立されていない現状の改善を求めます。・ワクチン後遺症に伴う社会的補償、治療費等の救済を求めます。」とのことで、ワクチン接種の中止は謳っていない。

 

 さて、この患者の会を巡っては、会員の活動の制限が行われているのではないかという疑問が投げかけられた。はじめにこの件について取り上げたのは、医療統計情報通信研究所の藤川賢治さんだ。藤川さんは、この会のルールについて情報を得たためサポーター登録をしようとしたところ、ルールが表示されたという。ルールは以下。

 

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 藤川さんは8月3日この事実をX(Twitter)で取り上げたところ、多くの人から疑問の声が上がった。これに対し、患者の会は8月8日に公式Xで「当会サポーター及び会員において、発足当初より個人の思想・活動に制限はございません。『患者の会』を名乗る場合には、団体としての方針に沿っていただけるように規約を設けております。今回、その規約に誤解を招く表現があり『個人の活動は自由』な旨について表記しました」との見解を表明した。

 

 「お願い(ルール)」と「規約」の関係がよく分からないし、会員とサポーターでルールや規約が同じかどうかも分からない。「患者の会」の見解には個人的には疑問が残るものの、とりあえずルールに問題があったことを認めたと理解した。上記画像のようなルールがあるのなら憲法の「思想・良心の自由」に抵触しかねないわけで、あってはならないことだと思う。

 

 このルール問題はこれで収まったかのように見えた。ところが、コロナワクチンの薬害被害者で「患者の会」の役員経験者(のちに辞任)であるガーベラさんが、8月29日にXで患者の会についての告発に踏み切った。ガーベラさんは、患者の会の個人の活動は制限していないという発信は嘘だと指摘している。告発の要旨は以下だ。

 

・幹部として東海(地方患者会のことと思われる)のオプチャ(オープンチャット)の管理を任されたが、数日で管理を外され患者会の管理となった。これによって、発言の制限が厳しくなった。このように行動を制限されたので幹部を降りた。
・幹部を降りてからもツイートの削除を迫られ自由にツイートできなかった。
・名古屋でのシンポジウムの際に、発言内容を指示されて自由な発言ができなかった。

 

 この告発に関し、患者の会や代表は公式Xなどで見解を明らかにしていない(9月4日現在)。患者の会側は、広報担当者がXで対応したが、ガーベラさんの個々の指摘に対して会の見解を表明するものではなく、患者の会の運営陣の主張とガーベラさんの主張が真逆に近いという回答だった。こうした対応にも批判があり、のちに広報担当者はアカウントを削除した。

 

 その後、9月4日になって、新たな告発者が現れた。その方は、患者の会にアドバイス側として参加したとのこと。その方によると、代表に不審な動きがあり、同調できないことや疑念があった。許容内容があまりにおかしいために代表に伝えた。しかし無駄だと思い離れたとのこと。代表が独善的であったとの告白だ。(9月7日注:この発言をした方は有志看護師の会にも関わっており、ここで言う代表が患者の会の代表のことなのか、有志看護師の会の代表のことなのか、記憶が錯綜しているとのこと。ただし、どちらの組織も似たような体質であったと記している)

 

 私は、民主的な組織運営体制になっていないことが、このような告発につながったのではないかと推測している。そこで、以下に組織運営について私見を述べたい。

 

 先にも引用したとおり、患者の会では「『患者の会』を名乗る場合には、団体としての方針に沿っていただけるように規約を設けております」とのことだ。この規約が曖昧ないしは分かりにくいために役員と会員の間で理解に食い違いが生じているのかもしれない。

 

 例えば、会員が薬害に関する学習会などを企画した際に、役員会に諮らずに「患者の会主催」としてしまうのはもちろん不適切だ。しかし、個人の活動は自由なのだから、個人として学習会を企画するのなら何ら問題はないし、それを役員に報告する義務もないと思う。またその学習会で自分が患者の会の会員であるという話をしても何ら問題はないと思う。

 

 別の例として、薬害に関する集会やシンポジウムなどに発言者として参加する場合のことを考えてみたい。その場合、主催者から会の事務局に参加依頼の連絡があるだろう。参加するかどうかを役員会に諮り、代表や役員が「会を代表する者」という立場で集会に出席して発言するのは何ら問題ない。しかし、役員や会員が役員会に諮らずに勝手に会の代表という立場で集会やシンポジウムに参加し発言をするのは不適切だ。ただ、「会」への依頼であれば、そんなことが起きるというのは考えにくい。

 

 こんなことはルールとして規定しなくても分かりそうなものだけれど、「患者の会を名乗る」ということについて役員と会員の間で認識の相違が生じているのなら、ルールで具体的に明文化すれば解決する話だろう。

 

 お二人の告発者の指摘からは、それ以外のことにおいても独裁的な運営がなされている可能性があると感じた。とすると、これは組織運営そのものに何等かの問題があるのかもしれない。

 

 組織といってもいろいろだが、民主的運営をしている組織の大半は規約があり、会の目的、組織体制や役員の選出方法、任期、活動方針などについて定めている。そして組織の最高意思決定機関は会員全員を対象とした総会である(ただし組織が巨大な場合は総代会などがそれに代わることがある)。

 

 もちろん設立時は初めに集まった人達で規約や役員、活動方針などを決めることになるが、その後は総会に諮って役員や活動内容などを決めていくことになる。規約の改正なども総会に諮られる。そして、役員はそこで決められた活動内容に従って会の運営にあたることになる。役員が会員より上で、何でも自由に決められるわけではない。役員同士で意見の相違があるのなら、役員会で話し合って解決することになる。

 

 こうした体制をとっていれば、もし役員が不適切な行動をとれば責任を問われることになるし、交代を求められるかもしれない。民主的な組織体制をとっておらず、役員が独裁的であれば、会員から不満の声が寄せられ、それでも改善されなければ告発に発展することもありうる。こういうトラブルを防ぐためにも、民主的な組織体制をつくっておくことが何よりも大事だと思うし、それができていないのなら危機管理意識がないとしか言いようがない。

 

 患者の会の規約が分からないので(ホームページの規約のページは部外者は閲覧できない)組織体制や運営がどのように行われているのか分からないが、もし民主的な組織になっていないのであれば、早急に改善をする必要があると思う。

 

 最後に一言。今回のコロナ騒動で明らかになったが、ワクチンや医薬品などには巨大な利権が絡んでいる。そして製薬会社はこれから様々なmRNA製剤を開発、販売しようという流れになっているようだ。医薬品が収益につながる医療業界や、薬害の責任追及をされたくない国や製薬会社にとって、被害者組織は何とかして口を封じたい対象に違いない。被害者組織がサポーター制度を設け外部の者が入り込める体制をとっていると、mRNA推進側が容易に入り込むことができるし、すでに入り込んでしまっている可能性すらある。推進側の人が会の役員に取り入って懐柔することで、無過失補償制度の創設など自分達に有利になるように誘導する可能性もある。サポーター制度を設けたり外部の者を安易に協力者に起用するというのは、危機管理意識が欠落しているとしか思えない。また、明確にワクチン中止を謳わない組織は、国や推進側にとって極めて好都合だろう。推進派に利用されるような組織になってしまえば、他の薬害被害者組織からも敬遠されることになると思う。これは極めて重大なことなので、警鐘を鳴らしておきたい。

 

 患者の会の方たちは体調が悪い中で頑張っているのだから批判は控えろという意見もある。確かに体調不良のなかで活動をするのは大変なことは分かる。しかし、組織体制の問題は会の信用や存続にも関わってくる話であり、場合によっては無過失補償制度の設立などに利用されかねず、そうなれば患者の会だけの問題では済まなくなる。体調を理由に看過することにはならないと私は考えている。

 

 推進側に利用されることのないようしっかりとした組織づくりをしてほしいと思っている。

 

 なお、本記事で引用あるいは要旨として紹介した発言については、当事者に対する配慮からリンクはさせていない。ただし、スクリーンショットは保存している。事実と異なることなどがあれば、ご指摘いただきたい。

 

 

【9月8日追記】


 患者の会がガーベラさんの告発の件で公式見解を公表した。

 

SNS上で発信された当会に関する情報につきまして

 

 この見解を読んだガーベラさんは、Xで以下の投稿をした。

 

酷い…最低だ。
自分達がしたことは一切認めず、謝罪の言葉すらない。
全て私が悪いことになっている。
都合の悪いことに対しては説明すらない。
自分達がしたことは正しいこと。多くの人を暴言で傷つけておいて…
本当に悔しい。
これをほとんどの人が信じるのだと思うと、組織の恐ろしさが分かる

 

 ガーベラさんは、この見解に全く納得していないことが分かる。したがって、第三者である私は患者の会の見解をそのまま受け入れることはできない。この見解を読んでの感想を記しておきたい。

 

 冒頭に「Tさんのアカウントが誹謗中傷と共に晒され、集中的な非難が浴びせられることとなりました」とある。Tさんへの質問や批判的意見はあったが、私は誹謗中傷や集中的な非難があったとの認識はない。本当にそんなことがあったのだろうか? もちろん批判と誹謗中傷は違う。

 

 「相互の価値観の違いが認識の違いに繋がっていることをご理解頂き、元運営当人への非難は決して行わないでください。」とのことだ。そういう考えなら、なぜ代表や公式アカウントが直ぐにガーベラさんへの批判をしないよう注意喚起しなかったのだろう? 公式見解を待たなくてもできたはずだ。この告知があまりに遅いことで、ガーベラさんはすでに相当傷つけられてしまった。

 

 もう一点。価値観の違いや認識の違いがあったということなら、まずは役員が話し合うことで解決できたのではなかろうか? それがなかったためガーベラさんは告発に至ったのではないかと私は思っている。今回の見解の中にも、十分話し合いをしたという説明は一切ない。ここに問題があったのではないかと思えてならない。また、患者会のメンバーとスペースをすることが患者会の企画ととられることを懸念したのであれば、患者会の企画ではない旨発言してもらうことで済む話だと思う。

 

 また、「旧運営に関しましては、今後当会との関与をお断り申し上げます」とまで書いている。対話もせず一方的に「当会との関与をお断り申し上げます」という発言には驚愕する。

 

2023年8月26日 (土)

騙された者の責任

 コロナ騒動が始まってから3年半以上が、日本でワクチン接種が始まってから2年半以上が過ぎた。もはやこのワクチンなる名称の薬物が史上最悪の薬害を生じさせていることは疑いようがない。はっきり言っておきたい。mRNAコロナワクチンは人口を抑制するための生物兵器だ。だからこそ、打った国では超過死亡が増加し出生率が低下している。そして、打ってから体調不良を訴える人が続出している。なぜこんなことになっているのかと言えば、多くの人が騙されたからだ。加害者はワクチンに懐疑的な者を「反ワクチン」と揶揄し、「陰謀論はデマだから信じるな」と喧伝して騙したのだ。

 

 政府や行政が打つように勧めたから、かかりつけ医などの医師に勧められたから、マスコミが打ったほうがメリットが大きいと報道したから、職場で半ば強制されたから・・・そんな声が聞こえてきそうだ。しかし、ろくに治験もしておらず中長期的なリスクも分からない新薬を推奨すること自体が間違っている。しかも、日本ではコロナによる死者が非常に少なく恐ろしい感染症ではなかったし、イベルメクチンなどの既存薬が有効だった。つまり、打った人達は「騙された」のだ。

 

 無知ゆえに推奨して結果として薬害に加担した医師や著名人もいるだろうけれど、収入が増えるとばかりに接種した医師も多いだろう。医師会は、利権がらみで推奨したのではないかと思う。厚労省などは恐らくある程度の危険性は把握していただろう。製薬会社と国との契約に、製薬会社は健康被害に一切責任を持たないなどという事項があると言われているが、その時点でおかしいと警戒しなければならない。そして、製薬会社を巻き込んでこんな毒薬の接種を勧めてきた大元は世界経済フォーラムなどに集う人達だ。これは壮大な詐欺であり謀略だ。

 

 騙された者より騙した方が圧倒的に悪いというのはその通りだとしても、では騙された者には責任はないのだろうか? 私は決してそうは思わない。

 

 打たなかった人というのは様々で、高学歴の人もいればそうではない人もいる。決して知能や知識などの問題ではない。医療従事者でも打った人は多いから、医学的知識の差でもない。打たない選択をした人はどこかでおかしさを感じたから打たなかったのだ。最初の頃は恐ろしい伝染病が流行り始めたということで恐怖を感じるのは致し方ない。しかし、冷静に物事を見られる人なら、途中から尋常ならざる不可解さを感じたはずだ。

 

 多くの庶民にとっては聞いたこともないPCR検査が世界中で一斉に始まった。そして、症状がなくても検査で陽性になっただけで「感染」とされ、死亡時に陽性なら事故死であってもコロナ死とカウントされた。毎日陽性者数と死者数を報じるサイトが直ぐに立ち上がった。マスコミも毎日陽性者数と死者数を報じて不安を掻き立てた。そして、1年足らずでワクチンができ、国民に接種券が郵送されて打つように誘導された。接種券にはワクチンのロット番号まで記入されるようになっている。こんなことは今までなかった。さらに、「ワクチン・検査パッケージ」なる差別政策まで登場した。いわゆるワクチンパスポートは世界各国で適用された。そして死者がでようが薬害被害者が増えようが中止しようとしない。これらの一連の流れは、あたかも初めからすべて予定されていたかのように見える・・・。

 

 こうした動きに疑問を持った人達は、ネットで情報収集をした。そして一般の人でも情報収集し学ぶことで「おかしい」と悟ることができた。大半の人がネット環境にあるにも関わらず、それをせずにマスコミに煽られ打ってしまったのなら、打ってしまった人にも責任がある。

 

 しかも、日本ではワクチン接種は強制ではなかった。職場で打つように圧力をかけられた人もいただろうけれど、無理やり接種会場に連れていかれ、強引に同意書に署名させられたわけではない。最終的な判断は本人がしたはずだ。厳しいようだけれど、打った人の選択責任も確かにある。

 

 私たちは騙されたのだ。だから、まずそういう認識をしなければならない。そして、それと同時に騙された者の責任を果たさなければならないと思う。

 

 もちろん、騙された者の責任とは、こんな毒薬の接種を中止させ、これ以上の被害者を出さないように動くことだ。そして、二度と騙されないように主体性を持ち、恐怖に支配されないこと。まずは意思表示をし、まわりの人に危険性を伝える。医者なら打つのを止める。薬害被害者なら加害者を提訴することもできる。立場は違っても、一人ひとりできることがあるはずだ。

 

 海外ではすでに大多数の人がこのワクチンのおかしさに気づき、追加接種を拒否するようになっている。高齢者や医療従事者に6回も打たせ、さらに成人全員を対象に打たせようなどという国は日本しかない。ところが、多くの日本人はそんなことすら知らない。井の中の蛙だ。

 

 たとえ9月20日からの接種そのものを止めることができなくても、おかしさに気づいた人が声をあげることで、打つ人を減らすことはできる。

 

 そして、私は打たなかった人にも責任の一端はあると思っている。世界経済フォーラムに集うような人達、つまりお金と権力によって人々に毒薬を打たせたり、人々を管理・支配できるなどという思い上がった人間を作り出したのは、資本主義に他ならない。極端な富の偏在を作るシステムが資本主義であり、この壮大な詐欺を計画した大富豪を生み出したのは資本主義だ。その資本主義を支持あるいは容認してきた人達全員に責任があると思っている。つまり、接種・非接種に関係なく、経済成長と利便性を追い求めた私たち全員に責任がある。

 

2023年8月24日 (木)

二つの大罪

 政府はとうとう福島第一原発の汚染処理水を海に放出するようだ。海に汚染水を流すなどというのは決してやってはいけないことだが、漁業者や国民の反対を押し切って進めるらしい。

 

 先の記事lでも触れたが、福島第一原発の港湾内外では今でも高濃度汚染された魚が採れている。その情報源が思い出せないでいたのだが、おしどりマコさんのサイトに詳しく書かれていた。

 

「ALPS処理水」海洋投棄に関係なく、現在進行形の福島県沖の魚のセシウム汚染を東電も国も解決できず

 

 最後のまとめの部分を引用しておきたい。

 

港湾内の魚のセシウム汚染、港湾外の魚のセシウム汚染は、ここ数年になぜか増加している。
しかし、その原因は解明されておらず、対策も不十分である。
「ALPS処理水」海洋投棄の前に、ここ数年続いている魚のセシウム汚染を解明し、
対策を取るべきではないだろうか?
それも出来ずして、「ALPS処理水」をコントロールしながら海洋投棄することは、
国や東京電力の能力的に可能なのだろうか?
また何か問題があってもなかなか公表されなかったり、うっかり失敗してしまったり、
という「いつもの」東京電力の対応が予想されるばかりである。

 

 恐らく今も福島第一原発からは汚染水が海に垂れ流しになっているのだ。そのコントロールすらできない状態で、さらに汚染水を海に流すという。そして、東京電力は、具体的な放出計画が策定できていないと認めている。つまり、どれくらいの量をいつまで流し続けるのかも分からない。とんでもない話だ。

 

 原子力資料情報室も、抗議の生命を公表した。

 

政府の汚染水放出決定に断固として抗議する

 

 福島第一原発の事故では大量の放射性物質が大気中に放出された。福島第一原発は太平洋側にあるので、その放射性物質の大半は偏西風に運ばれ海側に流れたのだ。このために内陸の汚染はチェルノブイリほどにはならなかったが(とはいえ、内陸も汚染された)、海を大量の放射性物質で汚染してしまった。その後、溶けた核燃料を冷却するために汚染水問題が発生した。ALPSで処理した水をタンクに溜め込んでいると言うものの、原発から発生する汚染水の一部は恐らく今も港湾内外に流れ出ている。そしてさらに汚染水を放出するという。

 

 生命の源である海を放射性物質で汚染するというのは、取り返しのつかない愚行だし、それがどれだけ罪深いのか、政府も東電もまるで分っていないようだ。こんなことは絶対に容認できない。

 

 さて、タイトルに二つの大罪と書いたが、もう一つの愚行は9月20日から始まるというXBB対応型のコロナワクチンだ。これについて村上康文氏が動画で警告を発している。

 

村上康文(東京理科大名誉教授)XBB対応型ワクチンは打ってはいけない

 

 このワクチンは人での臨床試験が行われていない。そして、既接種者が打つと抗原原罪で武漢蛾型抗体が誘導され、XBB変異型に対する中和抗体は誤差範囲で全く効果は期待できない。さらに既存抗体が中和できないためにフルに毒性を発揮するスパイクタンパクが全身にばらまかれるという。何度も打っている人にとっては、コロナに罹るだけで命が危うくなりかねない。

 

 コロナワクチンですでに史上最悪の薬害が発生しているが、XBB型を打てばさらに薬害が増え死者も増えるだろう。決して打ってはいけない。こんなものを打たせようとしている政府は、製薬会社の言いなりになり国民を実験台にしている。

 

 汚染水の海洋放出も、コロナワクチンも国民のことなど何一つ考えていない。というより国民を犠牲にしようとしている。平気でこんなことをする政府には、怒りしかない。そしてワクチン問題は野党も消極的だ。この国はすっかりおかしくなってしまった。

 

2023年7月30日 (日)

日本の医療の闇

 「日本の医療はどうもおかしい」ということは前からうすうす感じていたが、はっきりそう気づいたのは十数年前のことだったと思う。

 

 何がおかしいのかと言うと、医療機関に行くとすぐに薬を出すこと。私はインフルエンザで医療機関に行ったことがないが、それは寝ていれば治るから。しかし、冬に医療機関に行くとインフルエンザの患者で溢れていて、解熱剤やら風邪薬やらを処方されている。熱は体が病原体と闘っているわけだから薬で下げてはいけないはずなのに、なぜ解熱剤を出すのだろう? 風邪の特効薬はなく症状を少し緩和するだけなのに、なぜすぐに薬を出すのだろう? 素人ながらずっとそれを不思議に思っていた。北欧などではインフルエンザで病院に行く人はいないというが、当然だと思う。日本のインフル治療はどう考えてもおかしい。

 

 医療機関で行っている検査も疑問だらけだ(もちろん必要な検査はあるが)。尿路結石になった時、医師から「年に一度は腎臓のCT検査を受けるように」と言われた。しかし、CTを受けたところで結石がなくなるわけでもないし、被曝するだけで何の意味もない。身内が脳梗塞になったときも、定期的にMRIを撮るようにと言われた。これも同じで、電磁波を浴びるだけで何の意味もない。医師がこれらの検査をするように勧めるのは、検査で稼ぐのが目的だろうとピンときた。高額な検査機器を購入した以上、どんどん使って元を取らねばならない。

 

 日本は「検診」がとても盛んだ。学校や企業では毎年健康診断があるが、あれはどれほど意味があるのだろうか?とずっと思っていた。そもそも健康管理など基本的に個人が行うものではないか? 主婦や高齢者にも、自治体からひっきりなしに「検診」のお知らせがくる。しかし、網野皓之医師の「なぜ、村は集団検診をやめたか」という本を読んで、集団検診が意味がないことを知った。近藤誠医師も検診は否定していた。意味がないのに検診を推奨するというのは、「検診」が儲かるからに違いない。

 

 そして、医療に対する不信感の極めつけは今回のコロナ騒動。医療に関して全くの素人である私でも、治験の終わっていないワクチン、しかも全く新しいタイプで動物実験で成功していないmRNAワクチンを医師が当たり前のように勧めることに驚愕した。風邪にはワクチンはできないとずっと言われていたのに、なぜ医師がそんなに安易に得体のしれないワクチンを勧めるのか? そして、感染防止にもならず(逆に感染を拡大させる)死者や薬害を増やし続けているということが分かってきた今も、大半の医師がそれを認めようとしない。

 

 医師会もコロナワクチンには諸手を上げて賛成だった。産婦人科学会は妊婦への接種を推奨していた。日本小児科学会も子どもへの接種を推奨していた。医学系の学会が軒並み推奨したことで、「医者の言うことだから間違いないだろう」と接種を決めた人も多かったと思う。あまりの無責任さに、開いた口が塞がらなかった。

 

 結局、医師はどこを向いているかといえば、学会や製薬会社であり、お金儲けだ。ワクチン接種のバイトはかなり高額だったようで、コロナワクチンで大儲けした医師や看護師、医療機関はかなりいるだろう。日本の医療は、患者の利益のためにあるというより、医師や製薬会社の利益のためにあると言っても過言ではないと思った。もちろん、そうではない誠実な医師もいるけれど、そのような人達は圧倒的に少数者だ。

 

 コロナ騒動を体験して、日本の医療というのは科学ではなく、政治も絡んだ医者や製薬会社の利権の世界であり、患者の方を見ていない医師が大多数だと思い知った。

 

 考えてみれば、医療機関というのは患者がいるからこそ成り立っている。だから、医療機関が潤うことに飛びつくのは当たり前なのかもしれない。場合によっては意図的に患者をつくりだすことだってやりかねない。

 

 ただ、医療機関だけが悪いわけではなく、日本の医療制度の問題もある。宇沢弘文氏は「社会的共通資本」で指摘しているが、日本の保険点数制度では技術料に関する点数が極端に低くなっており、検査や投薬などで不足分を補うことになる。そのために、必要のない投薬や検査まで行われるのだろう。やはり医療は市場原理にゆだねるのではなく、社会的共通資本として管理・維持すべきだと思う。

 

 結局、医師の多くは医薬品や検査の害には目をつむり、学会の主張を鵜呑みにし、お金になることに飛びついてしまうということなのだろう。医療制度の改善も必要だけれど、私たち一人ひとりが詐欺的医療に騙されないよう賢くならなければならない。

 

 では、私たちは健康を保つためにどうしたらいいのか? できる限り、薬や医療機関を遠ざける方がいいし、そのためにはやはり日々健康な生活(良質な食事や睡眠や運動)を心掛けることだと思う。そして、何よりも大事なのは、ストレスをためないでポジティブに生きること。過去のことに拘らず、分かりもしない未来のことで不安になるのでもなく、今を楽しく生きることだと思う。それでも病気になってしまったら、医師まかせにするのではなく、自分でどうすべきかを考え決断することも必要だ。自分の命なのだから。

 

 最後に、ワクチンに関して言えば、さまざまな体調不良や発達障害の原因になっているのではないかという疑念が持たれている。近年、子どもたちに打つワクチンの種類は急増している。しかし、ワクチンにはアジュバンドが入っていて免疫に影響を与える可能性があるという。打って何十年も経ってから、こんなことが分かってくるというのも恐ろしい。こうなると、ワクチンは本当に必要なのか?と考えざるを得ない。以下参照。

 

ASIA (mbiさんのブログ)

 

 人は長い進化の歴史の中で免疫を獲得してきた。自分の免疫に勝るものはないのかもしれない。ところが、コロナワクチンはその大事な免疫を破壊してしまうことが分かっている。人の生み出した科学技術などは自然に獲得した免疫に及ばないどころか、害を及ぼしかねない。人は自然の摂理に対してもっと謙虚にならなければならないだろう。

 

2023年7月 8日 (土)

陰謀説支持・不支持での対立を憂える

【今日のツイートから】

 

 新聞に「子供のワクチン接種を見直す」意見広告を出した「株式会社ゆうネット」が、監修者である井上正康さんに対する見解を公表した。要は、井上さんの「陰謀論」と受け取れる言説が根拠のないものであり、「ゆうネット」および代表の堤さんは一切与しないという見解だ。https://jcovid.net/20230706report/

 

 井上さんのことに関しては全国有志医師の会でも議論になったようだが、どんな議論が交わされたのかは公表されていない。井上さんの主張への賛否は措いておくとして、まず、このような見解をきちんと公表したことは評価したい。噂で批判や誹謗中傷などが飛び交うのは望ましくないからだ。

 

 私は堤さんとは意見が異なり、コロナ騒動はワクチンを打たせるために意図的につくられたものであり、背景には地球上の人口を減らす目的があるという説を支持している。私は以前はいわゆる陰謀論は懐疑的で距離を置いていたが、コロナ騒動以降は考えを変えた。これは井上さんも同じだと思う。

 

 それにしても、「陰謀論」の根拠を示せというのはあまりにも無理筋な主張だと思う。私は、今回のコロナ騒動には洗脳手法が使われていると考えている。カルト宗教でも洗脳が用いられるが、外部の人はそれを見抜くことができる。カルト宗教に勧誘され洗脳されてしまうのは、一部の人たちだからだ。

 

 しかし、今回のコロナ騒動での洗脳は、マスコミを利用して世界中の人に対してなされた。だから「外部」から見るということが難しい。いわば、世界中の人がカルト宗教に勧誘され洗脳された状態だと言ってもいいだろう。ナチスに洗脳された人達が簡単には覚めなかったように、自覚ができないのだ。

 

 世界中の人を洗脳する巧みな計画を、一般の人がどうやって立証しろというのだろう? 状況証拠から総合的に判断するしかないのではなかろうか。私が計画的だと考えるのは、今回の騒動を俯瞰的に見たら、何らかの大きな力が働いていると考えなければ説明できないことが多々起きているからだ。

 

 例えば、子宮頸がんワクチンは重篤な副反応が多発したために国が推奨を取りやめた。これまでなら、何人も死者が出たような医薬品は中止に追い込まれた。しかし史上最悪の薬害をもたらしているmRNAワクチンは中止にならない。この異常事態は、国を越えた大きな力が働いていると考えるしかない。

 

 1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された地球サミットで「アジェンダ21」が採択されている。表向きには、「持続可能な開発のための目標と行動計画」だが、この計画には「人口削減をもくろむガイドラインも含まれている」という。
https://tocana.jp/2017/03/post_12616_entry.html

 

 その目標は「2030年までに人口の95%の削減」と言われている。そして緊急使用許可だけで世界中で打たれたワクチンは史上最悪の薬害をもたらし、各国で超過死亡が増加している。さらに自己増殖型mRNAワクチンの開発が始まっている。非接種者まで接種者と同様にさせることが目的だとしか思えない。

 

 日本を除く多くの国では、もうコロナワクチンなどほとんど打ってはいない。今の接種率では2030年までに人口の95%を削減という目標達成は難しいだろう。だからこそ、自己増殖型ワクチンを開発しているのではなかろうか? ワクチンの目的が人口削減ならば、辻褄が合う。

 

 世界経済フォーラムの提唱するグレートリセットは「アジェンダ21」に基づいていると言えるだろう。これを「妄想だ」と言うなら、根拠は何なんだろう? 今回の世界で一斉に起きている薬害や不可解な動きは、堤さんの言うように、資本主義の利益追求や利権構造だけで説明できるものでは決してない。

 

 陰謀とはいっても、この計画を進めている人達は決して自分が悪いことをしているとは思っていない。彼らは、地球を守るという目的のもとに「正義」として人口削減計画を進めている。そして、それだけではなく、残った人達の徹底的な管理や支配を目論んでいるのだろう。それがグレートリセットだ。

 

 人口削減説を「陰謀論」だと一刀両断する人が大多数なことは分かっている。しかし、私は陰謀を支持するかしないかで人々が対立することをとても懸念している。陰謀を否定するのは自由だけれど、陰謀説も一つの考え方として尊重すべきではないか? 人は洗脳から目覚め考えを変えることがあるのだから。

 

 人口削減説が事実であった場合、陰謀説を否定した人達は後に自分の誤りを認めざるを得ないだろう。そういう可能性を考えれば、陰謀説を唱える人を否定してはいけない。ナチスに洗脳された人達は、自分が洗脳されていることに気づいていなかった。洗脳されている人には陰謀かどうかの判断ができない。

 

 全国有志医師の会のメンバーにも、陰謀説を支持する人としない人がいるだろう。しかし、陰謀説を支持する人を頭から否定したり、信用できないなどと決めつけたり、自分たちの運動の脚を引っ張ると考える人がいるのなら、とても残念だ。

 

 人は簡単に洗脳されるが、他方で洗脳から目覚めたり考えを変えることもできるのだから、陰謀説を支持するか否かで対立すべきではない。「陰謀論」だと一蹴する人は、是非、苫米地英人さんの「超国家権力の正体」を読んで欲しい。この本で考えが変わる人もいるに違いない。

 

 

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