政治・社会

2019年10月 9日 (水)

野党共闘では消費税は棚上げに

 れいわ新選組の山本太郎氏が、野党共闘の条件として消費税5%への減税を頑なに主張し続けている。他の野党が消費税5%を呑まなければ独自の闘いを進めるというようなことも言っているようだ。

 安倍政権の勢いは衰えず、今も支持率は50%近くある。しかも衆院選は小選挙区制なのでひとつの選挙区で当選できるのは1人だけだ。こうした状況の中で政権交代を目指すのなら野党が選挙協力をして候補者を1人に絞るしかない。もちろん、それでも政権交代は相当厳しいだろう。選挙協力しなければ政権交代など到底できないことは、山本太郎氏だって百も承知のはずだ。

 今の状況で、ほとんど独裁といえる安倍政権を退陣させるためには、野党(維新とN国を除く)が共闘して衆院選で過半数の議席を得、連立政権で政権運営をしていくしか道はない。

 では、選挙協力とか共闘というのはどういうことなのか? 連立政権を成功させるにはどうしたらいいのか?

 方針や政策が異なるから複数の政党が存在する。それらの政党が違いを乗り越えて協力関係を築かない限り選挙協力とかとか連立政権は成り立たない。共闘や連立政権のためには絶対に「協力」あるいは「折り合いをつける」という考え方が必要だ。話し合いの中で自党の主張をするのはいいが、そこで意見を戦わせるのではなく、お互いに他党の考えを聞いて理解する努力をした上で一致点や妥協点を探る、という思考ができなければ共闘などできない。仮に、政権交代を果たし連立政権で政権運営をすることになったとしても、こういう思考ができなければ内部で意見が対立し政権運営自体がうまくいかないだろう。

 先の参院選では立憲民主党、国民民主党、日本共産党、社会民主党、社会保障を立て直す国民会議の5野党・会派と「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が13項目の共通政策に合意をし、野党と市民が協力して選挙戦を闘った。政党だけではなく市民が協力して野党共闘を実現した。その合意事項はこちらを参照していただきたい。

 9月12日、共産党の志位委員長とれいわ新選組の山本代表の党首会談が行われ、野党連合政権をつくるために協力すること、並びに野党と市民連合による13項目の政策合意を土台にするという確認がなされた。つまり、山本氏は上記の13項目を土台にすることを認めた上で、野党連合政権への参加の意思を示したということになる。

 13項目の合意事項の中で、消費税に関しての合意は「2019年10月に予定されている消費税率引き上げを中止し、所得、資産、法人の各分野における総合的な税制の公平化を図ること。」である。

 しかし、参院選ではこの野党の意見は支持されず10月に10%への増税が実施された。次の選挙ではこれを踏まえ、再び話し合いによって合意内容の修正をしなければならない。ところが、これに関して、山本氏は話し合いをする前から「5%で合意できなければ共闘に参加しない」と主張しているのだ。先の共産党との合意を反故にしたといってもいいような発言だ。

 消費税に関しては各党で意見の違いが大きい。共産党とれ新は廃止を求めているが、立民は減税には慎重な姿勢をとっている。民主党政権では事業仕分けで不要な支出を抑えたものの税収が足りず消費税増税へと舵を切らなければならなくなったのだから、減税に慎重になるのは当然のことだ。第三者が見ても、消費税の税率で妥協点を見出すのは困難としか思えない。

 しかし、税制に関して言うならどの党も法人税や富裕層への累進的課税の必要性は認めているのだから、消費税率に関しては棚上げし、たとえば「法人性や富裕層への累進課税を進め、税のベストミックスによって社会保障の充実を図る」というような内容なら、反対する政党はないように思う(れ氏とていきなり消費税を廃止しろと言っているわけではなくまずは5%への減税だと言っているのだから、消費税を含めたベストミックスを否定することにはならないだろう)。その上で、消費税に関しては各党がそれぞれの考え方を主張していけばいいと思う。

 消費税に関し、自分の選挙区の野党候補者と意見が異なっていた場合は比例区で自分と一致する主張をしている政党や候補者に投票し、選挙区では野党統一候補に入れる、ということにすれば大きな混乱は生じない。野党が選挙協力し選挙区で統一候補を立てるということは、自分が支持しない野党候補者に入れざるを得ない場合もあり得るということだ。これに文句を言っていたら共闘などそもそもできない。

 こうした妥協ができないという人には野党共闘は無理であり、独自に闘うしかない。もちろん独自に闘い小選挙区に刺客を立てるということなら共闘とは正反対の行動をとるということであり、結果的に与党に与することになる。

 政策の異なる政党同士が選挙で共闘するということは、一致できる政策に焦点を絞り、一致できない政策は共闘に持ち込まないというのが基本だ。もちろんその後の政権運営についても同じで、例えば共産党が共産主義を目指す政党であるからといってそれを政権運営に持ち込んでしまったら連立政権がうまく機能しないのは目に見えている。そこは引っ込めなければならないし、実際に共産党も持ち込むことはしないだろう。

 5%にこだわり続けている山本太郎氏は、残念ながら「協力する」とか「折り合いをつける」「異なる考えを尊重する」といった思考をしない人のように思える。自分が主導権を握り他者を自分に従わせなければ気が済まない性格なら、たとえ政権交代をして野党の連立政権が誕生したとしても、他党と協力して政権運営をすることは難しいし、政党のリーダーとしても相応しくない。

 山本氏の主張をそのまま鵜呑みにし「消費税は悪税」「消費税が景気後退を招いている」と信じ込んでいる人たちは、山本氏の姿勢に何ら疑問を抱かない人が多いようだ。そのような人たちも、やはり「協力」とか「異なる考えを尊重する」という思考ができない人たちなのかもしれない。結局それは自己責任の新自由主義の考え方と重なるのだけれど。

 山本氏が野党統一候補に刺客を立てるという選択をしたなら誰もそれを止めることはできないが、結果的に与党に与する彼を支持者はどう見るのだろうか。

 

2019年9月23日 (月)

山本太郎氏への疑問

 山本太郎氏が4月にれいわ新選組(以下、れ新と略す)を立ち上げてから、私はずっと彼に対して釈然としない気持ち悪さを抱いてきた。そして彼はメサイアコンプレックスではないかという疑問が日に日に強まってきた。

 メサイアコンプレックス(以下メサコンと略す)については以前も記事にしたが、ここで書いた事例はあくまでもごく一般の人のことでありいわゆる広義のメサコンのことだ。このような一般の人に関しては、日常生活において距離をおくことでトラブルを回避することができる。

 これに対し、狭義のメサコンというのは、個人が救世主(メサイア)になることを運命づけられているという信念を抱く心理状態のことを指す。そのために他者を助ける行動をするのだが、それは優しさや思いやりからの行動ではなく、自分を満たすためという隠れた目的がある。人を助けることによって自分の価値を見出し、自分を満たそうとするのだ。メサコンの人助けは偽善といっていい。以下参照。

偽善者の心理「メサイアコンプレックス」って知ってる?

 れ新の代表である山本太郎氏はこの狭義のメサコンではないかと私は疑っている。私は精神科医ではないので彼がメサコンだと断定することはできない。しかし、彼の言動には、メサコンを感じさせるものが多数ある。山本太郎氏は自分のことを疑ってくれと言っているが、その言葉どおり私は彼について大いに疑っている。ここでは、私が山本太郎氏をメサコンだと疑う理由とその問題点について指摘しておきたい。

 今は消えてしまったようだが、れ新がホームページを立ち上げた当時、「あなたを幸せにしたいんだ!」とか「本物の好景気を見せてやる」といったキャッチコピーが大きく掲載されていた。前者はれ新の政策が実現できればあなたを幸せにできる、と謳っているのだろう。後者もれ新の財政政策を実現できれば本物の好景気が訪れみんなを幸福にできるという主張のように読み取れる。つまり、自分が政権をとれば困っている人を救済して幸せにできるのだと言っているに等しい。まさに救世主の思考そのものだ。

 そもそも「幸せ」というのは他人が与えるものではないし、まして政治家が国民に与えるものでもない。幸福感とは個人個人の生き方、物事の捉え方の問題であり、金銭的に恵まれていても幸福感を持てない人がいる一方で、貧しくても幸福な人もいる。それが分かっている人なら「あなたを幸せにしたいんだ」などというセリフは決して出てこないだろう。「あなたのために」というのはメサコンの特徴だ。

 れ新の政策の一つに奨学金チャラというのがあるが、彼は街頭演説で奨学金を借りている若者たちに「ごめんね」と謝っている。若者が多額の奨学金を借りて返済に苦労しているのは事実であっても、それは山本氏の責任ではないのだから彼が謝るのはおかしな話だ。しかし、こうやって謝り奨学金チャラを訴えることは、今は自分の力が足りないから苦しい思いをさせているけれど自分が政権をとったら奨学金をチャラにして助けてあげる、と言っているに等しい。これも救世主願望からくる発言に思える。

 れ新のホームページに掲載されている政策を見ると、経済的弱者救済のためのバラマキ政策が上位に掲げられている。ページの頭には「れいわ新選組は、ロスジェネを含む、全ての人々の暮らしを底上げします!」と書かれており、ここでも人々の救済を目玉にしている。

 そしてその政策を実現するのが「薔薇マークキャンペーン」と同じ発想のバラマキ政策だ。山本氏は薔薇マークキャンペーンの代表である松尾匡氏の「この経済政策が民主主義を救う」を読んで感銘し松尾氏に弟子入りを志願したそうだが、松尾氏の理論なら彼が望む「全ての人の暮らしを底上げ」する救済政策が可能だ。だからこそ、これに飛びついたように私には思えてならない。つまり、他の専門家の意見を聞くなどして松尾氏の経済政策を吟味することなく、救世主になるという目的を叶えられる理論に熱中し傾倒してしまったように見える。

 れ新は7月の参院選で重度の難病と障害者のお二人を特定枠を利用して当選させた。難病や障害者の方が国会議員になること自体は否定しない。しかし、彼の場合は自分が落選してもこのような方たちを優先的に国会に送ることで自分が称賛され評価されることまで計算していたのではないかと思えてならない。承認欲求の強いメサコンは、自分が称賛されることで欲求が満たされるので、評価されるための行動をとる。実際、こうしたやり方は注目を浴び、彼を持ち上げた人は多い。

 彼がメサコンではないかと思う理由は他にもある。彼は野党共闘の条件として「消費税5%」を掲げている。先日、日本共産党の志位氏とれ新の山本氏が野党連合政権について合意を交わした。そこでの合意事項は以下である(れ新のホームページより)。

一、野党連合政権をつくるために協力する。
野党と「市民連合」との13項目の政策合意を土台とする。
一、安倍政権が進めようとしている9条改憲に反対する。
一、消費税については以下の点で協力していく。
1、消費税10%増税の中止を最後まで求める。
2、消費税廃止を目標とする。
3、廃止にむかう道筋、財源などについて協議していく。
4、消費税問題での野党共闘の発展のために努力する。

 この合意事項を読む限り、「消費税については野党と市民連合の8%で凍結(10%阻止)を土台とした上で、野党連合政権のために協力する」、ということで合意したと理解できる。つまり10%になる前の段階ではそれを阻止するために協力するが、10%に増税された後のことは決まっていないので、野党共闘を目標に話し合いで一致点を見出す努力をするということだ。

 ところが、彼は野党で共闘の話し合いをする前に「野党が塊になり、消費税を5%に下げることで一緒に戦えるなら、れいわ新選組は捨て石にもなるつもりだ。ただ、これは他の野党の考えもあることで、かなうかはわからない。そうならない場合は単独でやるしかなく、仁義なき戦いが繰り広げられる。」と言い出して合意を反故にしたのだ。(「消費税5%で野党共闘なら捨て石にも」山本太郎氏

 公党同士の約束を簡単に破り、自分勝手な条件を掲げて、他の野党がそれに従わなければ対抗馬を立てると言っているのだ。地道な合意形成のための努力をしようとせず競争的・闘争的な性格であることがよく分かるが、こうした自己中心性もメサコンの特徴だ。共産党は、消費税減税・廃止のために利用されたといっても過言ではない。メサコンの人は自分の目的や利益のために他者を利用する。さらに、独自路線をとりたがる姿勢には、自分の支持者や所属議員を増やして単独政権をとりたいという野望が見え隠れする。一刻も早く権力を握って救世主になりたいという願望が強いことの表れではなかろうか。

 過干渉の親など、メサコンの人は多い。また、単なる一議員であるならそれほど問題は生じないかもしれない。しかし、狭義のメサコンの人が権力を握ったら私はかなり危機的なことになるのではないかと危惧している。

 なぜなら、メサコンは救世主妄想だからだ。妄想というのは訂正のきかない思い込みのことを言うが、自分が救世主になるなどということ自体が妄想そのものだ。ところが本人は正義だと思い込んでいるゆえに他人の助言など聞く耳を持たない。よく考えれば分かるはずだが、れ新の掲げる政策は政権をとったらすぐに実行できるようなものではなく、もし「すぐに実現できる」と思っているのならそれも妄想だろう。妄想で自分勝手な政治などされたらたまったものではない。彼は総理大臣を目指しているようだが、野党第一党でもない弱小政党の党首がそんなことを平然と言ってのけることも妄想状態にあるからではなかろうか。

 メサコンは自己中心的で他者を支配したがる傲慢な性格なので、もし政権をとるようなことになれば独裁政権になる可能性が高い。そして、「国民のため」「弱者のため」といって自分の主張や政策を押し付けようとする。他者を利用することばかり考えているのでトラブルを起こし、まわりの人を巻き込んでいく。競争的・闘争的なのでトラブルが生じても民主的な解決をしようとしない。リーダーとしての資質に欠けるというより、リーダーにしてはいけないタイプだと思う。

 私はれ新という政党自体がかなり独裁体制になるのではないかと思っている。現に、れ新はホームページに規約や綱領を掲げておらず、代表や役員の選出方法や任期など全く分からない。民主的な政党であれば、政党を立ち上げたら速やかに規約や綱領を作成し公表するのではないかと思う。しかし山本氏は規約を公表することもなく全国行脚に出かけてしまった。来る衆院選に向けて、支持者を増やし候補者を探したいという欲望が見え見えだ。

 ちなみに、以下によると、ヒトラーはメサコンであったという分析もあるそうだ。

第二次世界大戦中のヒトラーの精神分析に関する機密文書が発見された

 ヒトラーが被害妄想によってメサコンに陥り、ユダヤ人こそ悪だと考えて大虐殺を実行したというのは、あり得なくはないと思う。もちろん山本氏がヒトラーのようになるなどと言うつもりはないが、政権を握れば独裁的にはなるだろう。

 このように、彼がメサコンだと仮定すれば、今までの彼の言動はすべて納得がいく。山本氏をカリスマなどと持ち上げる人がいるが、私から見たらカリスマなどではなく、肥大した救世主妄想としか思えない。彼がメサコンであるのなら、彼を支持したり評価することは彼の優越感を満たすことになり、彼に利用されていることになる。彼にとっては思う壺ということだ。

 弱者を救うことを強調した演説に感動して支持し応援したものの、その人物が偽善者であれば騙されて大変な目にあうのは私たち国民である。とりわけ財政政策に失敗したなら財政破綻という最悪の事態にもなりかねない。まあ、彼の総理大臣願望は妄想だろうし実現することはないと思うが、野党がかき回され与党を利することになりかねないのは大きな懸念だ。

 私の疑いが当たっているかどうかは分からない。しかし、「世のため人のため」と言う人の中には救世主妄想を持っている人が存在すること、そしてそのような人物を権力者にしてはいけないことは頭に入れておくべきだと思う。

 

 

2019年8月18日 (日)

消費税減税・廃止論への疑問

 今年の4月に山本太郎氏が「れいわ新選組」(そもそこの名称自体を書いたり言葉にすること自体に抵抗があるので、以下「れ新」とする)を立ち上げて以降、ツイッターのタイムラインには彼の主張に賛同して消費税減税・廃止を主張する意見が溢れるようになった。れ新は公的住宅の拡充、奨学金チャラ、最低賃金1500円、公務員の増加、コンクリート型公共事業の推進などMMTを基にしたバラマキ政策を掲げているが、中でも目玉として譲れない政策は消費税減税・廃止ということのようだ。

 彼が消費税減税・廃止論を主張する理由を箇条書きにしてみよう。

1消費税が増税される一方で法人税や所得税が減税されてきた。つまり消費税は法人税・所得税減税の穴埋めに使われただけだから不要。

2消費税は社会保障のために使われるとのことだったが、増税分のうち社会保障に使われているのは20%弱で、それ以外は借金返済に充てられた。社会保障のために使うというのは嘘だった。

3消費税は逆進性のために低所得者の負担が大きい。税金は持てるものから取るべき。

4消費税を廃止することによって国民の消費が増大し景気がよくなる。

 以上のような理由により、所得税は悪税であり廃止するべきだというのが山本氏の主張だと私は理解している。しかし、これらの主張は本当に正しいのだろうか? そして消費税増税こそが今困っている低所得者への最も適切な対策なのだろうか? 以下が私の見解だ。

1について
 消費税が導入され増税される一方で法人税や所得税が減税されてきたという事実はある。しかし、それならまずやるべきことは法人税や所得税の増税だ。これについては共産党や立憲民主党も同様の主張をしているし、山本氏も法人税や所得税の累進制を主張している。ただし、例えば所得税の累進強化では消費税代替財源としては全く足りないという見解もある。以下参照。

所得税の累進課税強化では財源確保できない

 また、青山雅幸氏の試算でも、所得税の増税効果は2兆円、法人税は4兆円(30%→40%)で合計で6兆円の増税効果しかないとしている。法人税の税率をもっと上げることもできるだろうが、あまり上げると海外に資産を移してしまうだけではなく、価格に転嫁したり人件費の削減も招きかねない。単純に税額を上げればいいというわけではない。

「消費税は悪」の洗脳から離れ、未熟な民主政治を脱しよう。

 仮に消費税を全廃してしまうと今の消費税分17.5兆の税収がなくなることになる。所得税と法人税の累進制を強化したとしても、これだけで消費税廃止分を賄えるとはとても思えない。山本太郎事務所は独自に試算して賄えるとしているようだが、その計算根拠もはっきりしない。仮に賄えたとしても社会保障費は現状維持に留まりさらなる拡充は望めない。現状で困っている人が沢山いるのだから、現状維持では弱者救済にはならない。

2について
 消費税増税分のうち社会保障に充てられているのは20%弱という指摘は、それ自体が意味がない。一般会計の財布は一つでありお金に色がついていないのだから、消費税収の内訳を質すこと自体がそもそも無意味なのだ。同じように、法人税が何に使われたなどというのも無意味。2018年度の場合、消費税収は17.5兆円で社会保障費は33兆円なのだから、消費税分がすべて社会保障に使われたと言う見方もできる。

 また、座間宮ガレイ氏がツイッターの連ツイで以下のような指摘をしている。

https://twitter.com/zamamiyagarei/status/1158685522660753408

 消費税は社会保障制度の拡充と安定化のために使われると決められており、20%弱というのは拡充分、残りの8割は安定化に使われているという指摘だ。これまで借金で賄ってきた社会保障費を消費税で返済することで安定化に充てられているというわけだ。山本氏は社会保障に使われていないから詐欺だと主張しているが、そんなことはない。

 もちろん「社会保障制度の拡充と安定化」という国の説明自体が誤魔化しだという意見もあるし、そういう見方もできるかもしれない。しかしお金に色がついておらず消費税が何に使われたなどという議論自体が意味をなさないのだから、それとこれは分けて考える必要がある。もし消費税を全額社会保障に充てることを確約させたいのなら、社会保障費は特別会計にでもするしかないだろう。ただし、前述したように消費税収より社会保障費の方がはるかに多いのだから、消費税をさらに上げるか、別の財源ももってこなければならない。

3について
 消費税は低所得者ほど負担が大きくなるという指摘だ。この指摘は間違ってはいない。しかし、給付付き税額控除など逆進性の対策は可能だ。10月に予定されている8%から10%への増税では食品に軽減税率を適用するとのことだが、軽減税率も欠点が指摘されている。給付付き税額控除のような逆進性対策をとれば低所得者への負担を軽減した上で消費税収を社会保障のために利用することができる。しかし、なぜか山本氏はこうした逆進性対策については言及しないようだ。

消費増税の逆進性対策には給付付き税額控除を! 

4について
 消費税を増税すると消費が減ってしまうというのは確かにそうだろう。5%から8%に増税した際にも消費の冷え込みはあった。しかし、それは一時的なものでしかない。アベノミクスによって実質賃金が低下したのは円安で物価が上昇したにも関わらず賃金が上がらなかったことが大きい。そのことを何ら指摘せずに、増税による消費の冷え込みだけを主張するのは片手落ちだろう。

 資本主義は成熟期となりかつてのような高度経済成長などはとても見込めない。戦後の高度経済成長は安い化石燃料と人口増によってもたらされた。化石燃料の生産量は減っていくしかなく価格も高騰していくだろう。資源が限られている以上、生産性もそうそう高められないし今後は人口も減る。そんな社会でさらなる経済成長を望むのは無謀というほかない。

 今後は多少の経済成長はあり得ても、大きな経済成長などはじめから期待してはならないと思うし、そう遠くない将来にはほぼ定常状態になるかもしれない。消費税廃止によって消費が増えることは一時的にはあり得るが、ずっと続くなどということにはならないだろう。人は物質的にある程度満ち足りてしまえば、消費はおのずと減っていく。

 地球上の資源は有限であり、耕作面積も有限であり、住むことができる人の数も限界がある。地球温暖化による脅威も年々増すばかりだ。持続可能な社会と経済成長は共存できない。そして持続可能な社会を選ばない限り人類に未来はない。経済成長にこだわり続けることは、人が自ら首を絞めるようなものだ。

 れ新は人口問題についてほとんど触れていないがこれは大きな疑問だ。日本は先進国の中では一番先に著しい少子高齢化に向かっている。高齢者が増えて社会保障がかさむ一方で、労働人口は減っていくのだ。現実に社会保障費は増え続けている。社会保障費の推移のグラフを見ればこれから社会保障費が増え続けるのは一目瞭然だ。

社会保障について(財務省)

 年金も医療費も保険料収入だけでは足りなくて税金でカバーしているが、かといって国民年金や健康保険の納付額を上げてしまえば低所得者はさらに苦しくなるから安易にそれはできない。社会保障費が増え続ける中で消費税をなくしてしまったら、いったいどうやって社会保障を維持・拡充していくのだろう。

 こういうとMMTを基にした財政論を主張する人が出てくる。財源は国債で賄えばよいというわけだ。しかし、MMTではインフレになる懸念がありその場合は財政出動を止めることになる。れ新は新規国債発行を止めた場合は法人税や富裕層への課税強化で賄うと言うが、前述の通りそれらを消費税廃止の財源に充ててしまえば財源がなくなってしまう。バラマキ政策を一気に中止したなら、恩恵に預かった人たちとそうではない人たちが対立し大混乱になるのではなかろうか。他にもMMTには様々な疑問が投げかけられている。

 そして多くの人が語らないのだが、消費税には「横の配分」すなわち「分かち合い」とか「支え合い」という大事な役割がある。格差社会においては「持てる者」から「持たざる者」へという縦の再配分が大事であることは言うまでもない。しかし、再配分とはそのような縦の配分だけではない。例えば国民皆保険(国民健康保険)について考えてみよう。納付額は収入によって異なるものの皆が納付するシステムだ。所得に関わらず、健康でほとんど医療機関にかからない人は医療費よりも納付する額の方が多くなる。それに対し頻繁に医療機関にかかる人は逆のことが言える。このように私たちは所得に関わらず皆が納めて必要な人に配分することで助け合いをしているのだ。

 もともと人類は共同体をつくって支え合って生きてきた生物だ。私たちが平等な社会で平和に暮らしていくためにはこのような支え合いは欠かせない。現代の社会は共同体での支え合いが希薄になった分、社会保障や公共サービスの充実によって支え合っている。消費税は「皆でお金を出し合い必要な人に配分する」という横の支え合いに大きく貢献するし、このような「助け合い」は私たち人類の生き方に合致する。また、支え合いというのは共同体のメンバーに仲間意識と信頼があるからこそ成り立つ。もし縦の配分だけに頼れば、私たちは格差や競争を是認することになるだろうし、それでは人々が互いを仲間として信頼し協力し合うという発想が育たず、不満や不信感が蔓延するギスギスとした社会になるだろう。

 低負担高福祉などということはあり得ない。北欧のように高負担高福祉の社会を選ぶのか、それとも自己責任社会の米国のように低負担低福祉を選ぶのか。れ新にかぎったことではないが、野党各党はこの方向性をより明確にする必要があると思う。少なくとも前者のような国は幸福度が高いことが知られている。社会保障制度で支え合い信頼される社会は精神的にも肉体的にも負担が少なく生きやすい社会と言えそうだし、私もそのような社会を選択すべきだと思っている。

 山本氏は今困っている低所得者のために消費税減税・廃止こそ必要だと主張する。しかし彼の主張をひとつひとつ検討してみれば、逆進性に関しては給付付き税額控除などで対処できるし、減税・廃止によって社会保障がさらに低下する可能性はかなり高いと思わざるを得ない。しかも、彼は野党共闘の条件として消費税5%への減税を主張しており、減税にこだわることが野党共闘の足かせになっている。なぜここまでこだわるのか理解に苦しむ。

 私は、彼が新党を立ち上げるにあたり消費税減税・廃止を旗印にしてしまったこと自体が誤りだったのではないかと思っている。つまり「はじめに消費税減税・廃止ありき」で新党を立ち上げてしまったゆえに、消費税が悪税だと印象づける必要が生じてしまったのだろう。しかし、冷静に考えてみれば決して悪税だと決めつけることはできないし、増え続ける社会保障費を考えるなら消費税は大きな財源だ。どんな税でも利点と欠点があるのだから、欠点を改善しながらベストな組み合わせになるようにしていくしかない。消費税減税・廃止にこだわり消費税そのものを悪者にしてしまったことが、今後のこの党の行方を大きく左右することになるのではないかと懸念している。

 政権交代をするためには小選挙区制の衆院選で野党が共闘するしかない。れ新が消費税減税に執着して野党共闘に乗らず選挙区で独自候補を立てたなら、まず政権交代はあり得ないし、支持者の一部は離れていくだろう。

 私たちの税金が武器の爆買いや辺野古の埋め立てなどに使われていると思うともちろん腹が立つが、その一方で社会保障にも使われていることは間違いない。私は、消費税減税や廃止で社会保障が低下してしまうより、給付付き税額控除などの低所得者対策をした上で消費税を維持し社会保障を充実させたほうがずっといいと思っている。

 消費税減税・廃止論について、私たちは一人の政党代表の主張を鵜呑みにすることなく、冷静に検証して判断しなければならないと思う。

【関連記事】
消費税減税・廃止は新自由主義と親和的

 

 

2019年7月 6日 (土)

奨学金はどうあるべきか

 山本太郎氏の立ち上げた政治団体「れいわ新選組」は、奨学金徳政令による奨学金チャラを政策の一つとして掲げている。大学あるいは大学院卒業と同時に数百万円、多い人では一千万円近くもの多額の借金を抱えてしまうこと自体が異常と言えるし、様々な事情で返済ができない人も続出しているようだ。以下はこの問題についての私のツイート。

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「れいわ」の政策の一つに「奨学金チャラ」というのがあるが、あれは賛同できない。もちろん大学生が何百万もの借金を抱えたり、低所得の家庭の子供が大学を諦めなければならないという現実は改善しなければならないのだが、「奨学金チャラ」では日本の抱える高等教育の問題は何も解決しない。

大学進学を希望する若者の中には自分が関心を持っている分野をより深く学びたいとか研究職に就きたいという人もいるだろう。しかし、就職のために大卒の学歴を欲しいという人や、大学に行くことで就職を先送りしたいという人も少なくない。要は、学問が二の次になってしまっているのが現状だ。

学費や生活費のためにバイトに明け暮れる学生も少なくないし、就職しても学んだ知識を仕事に生かすことがない人も多い。就職のために高等教育を受けながら、その知識を仕事に役立てられないのでは本末転倒だろう。大学で学ぶことの目的や意義などもはやどこかに行ってしまっている場合が多い。

教育費が原則無料の北欧はどうかというと、大学進学率は50%ほどでそれほど高くはない。大学での勉強はハードで、強い目的意識や動機、結果を出す力が必要になるという。税金で教育費を賄うということはしっかりした人材教育をするということだ。https://www.adecco.co.jp/vistas/adeccos_eye/34/index03.html

日本でも教育費を無料にできればそれに越したことはないが、そのためには北欧のような考え方がどうしても必要だろう。「とりあえず大学」「就職の先送りで大学院」などという状態をそのままにして教育費を無料にしたり奨学金を無料にしたら、とんでもない費用が必要になるし人材育成にも繋がらない。

教育費を無料にするのなら、まずは大学のあり方を見直す必要がある。また中学や高校から就職や進学について学ぶ場を設け、自分に合った道を選択するような教育も必要だろう。社会に出てから必要に応じて学べるようにすることも大事だ。学びたいという意欲がなければ大学で学ぶ意味はほとんどない。

また、国立大学の独立行政法人化も誤りだったとしか思えない。これも元にもどす必要があるだろう。大卒を優遇する企業の求人も見直す必要がある。奨学金の返済で苦しんでいる若者に援助の手を差しのべることは否定しないが、一気に「奨学金チャラ」は拙速というほかない。

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このツイートに対して以下のような返信があった。

最後まで拝読いたしました。松田様の仰る高等教育の問題はその通りだと思います。

ですが、「奨学金チャラ」政策は、松田様がツリーで説明されている高等教育の問題を解決することよりも、今奨学金返済で苦しんでいる人を助けることを第一の狙いとしているのではないでしょうか。

これに対する私の返信は以下。

私も奨学金返済で苦しんでいる人を援助すること自体は否定しませんが、ますは奨学金制度の見直しをすべきではないでしょうか。以前のように無利子にする、返済困難な人には十分な猶予を与える、一定の条件で返済を免除する、貸与の際に返済についての十分な説明をする、高額な貸与を規制するなど。

私も奨学金を借りましたが、当時は無利子で額も決まっていて少額だったので返済も無理はありませんでした。一気にチャラとなると、これから奨学金を借りようと思っている人たちはどういう扱いをするつもりなのでしょう。まさか返済不要の奨学金を希望者全員に支給するということにもならないでしょう。

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 学費や奨学金の無償化は莫大な税金を使うことになる。したがって学歴とか就職の先送りのために「とりあえず大学に進学」というような人の学費や奨学金まで国が負担することにはならないと思う。とは言うものの、できれば高等教育も無償が望ましいので、意識と制度の両方を少しずつ変えていく必要があると思う。

2019年6月19日 (水)

消費税減税・廃止は新自由主義と親和的

 山本太郎氏が「れいわ新選組」を立ち上げ消費税減税・廃止とMMT(現代貨幣理論)を声高に主張するようになってから、ツイッターでは消費税減税の主張が大きくなっている。その理由の一つとして消費税は逆進的であり低所得者に負担を強いるから新自由主義と親和的だという主張があるが、私は逆だと思っている。要は高福祉国家にするなら所得税や法人税だけでは足りず、どうしても消費税が必要になるということだ。これについて6月12日の連続ツイートで説明したので、ここに紹介しておきたい。

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消費税が逆進的であり新自由主義と親和的だから減税もしくは廃止すべきだという意見がある。しかし、新自由主義のアメリカは累進的租税負担であり、高福祉国家のスエーデンは逆進的租税負担になっている。これについて、神野直彦著『「分かち合い」の経済学』による解説を以下に引用する。

〈消費税が比例的か逆進的かに結論を出さないにしても、消費税が経済力に応じた課税ではないことは明らかである。つまり、消費税は富める者に、重い負担を与えることはできないのである。〉

〈もっとも、「分かち合い」の「大きな政府」であるヨーロッパ諸国は、消費税の負担が重いことは事実である。逆に「分かち合い」の「小さな政府」であるアメリカは、消費税つまり消費型付加価値税を導入すらしていない。アメリカは所得税と法人税を中心とした租税制度が確立されている。〉

〈図5-4(略)で所得階層別の租税負担を見れば、所得税と法人税のウェイトが圧倒的なアメリカは、累進的租税負担となっている。ところが、スヴェーデンをみれば、逆進的租税負担構造となっている。消費型付加価値税の税率が二五%で、所得税も地方税として比例税率で課税されているからである。〉

〈アメリカとスヴェーデンと租税負担構造を比較して指摘しなければならない点は、すべての所得階層において、スヴェーデンのほうが租税負担が高いということである。つまり、「大きな政府」であれば逆進的で、「小さな政府」であれば累進的にならざるをえないのである。〉

〈「分かち合い」で生きていく社会であれば、貧しい国民も負担し合う。租税さえ支払えば、無償の公共サービスで生活を営むことができる。つまり、「分かち合い」で生きていくことができるからである。〉

〈政府が秩序維持機能しか担わず、自己責任で生きていく社会を目指すのであれば、秩序維持機能の負担は富める者が負担する。それだからこそアメリカは、所得税・法人税中心の租税制度となっているのである。ところが、日本はアメリカと同様に「分かち合い」の「小さな政府」を目指している。〉

〈しかし、自己責任で生きていく社会なので、秩序維持機能の費用は、アメリカのように貧しき物は負担しなくてもよいとは言わない。自己責任で生きていけという一方で、ヨーロッパを見習い、貧しき者も消費税を負担しろという。〉

〈しかし、ヨーロッパは「分かち合い」の社会である。日本は支出では「分かち合いをせずに、租税で消費税を増税しようとしても無理である。もしこれを強行すれば、社会統合が破綻することは目に見えている。〉引用終わり

日本の新自由主義者は政策では新自由主義を取り入れながら税制では富裕層に甘く低所得者からも消費税をとるという選択をした。このまま新自由主義路線をとり続けながらこの税制を続けるのなら、神野さんの指摘のように社会統合が破綻しうまくいかなくなるだろうし、現に不満の声が噴出している。

日本がこれからも政策として新自由主義路線をとり続けるのなら、これ以上の消費税増税は困難になるだろう。現に8%から10%への増税は2回も延期されているし、自民党内でも消費税減税の声が出てきている。消費税減税は「小さな政府」を目指す新自由主義と親和的なのだ。

今、消費税減税を支持している左派の人たちは、日本の新自由主義者が富裕層を優遇し消費税増税で低所得者に負担を押し付けている現実だけを見て、消費税は新自由主義と親和的だと考えているのだと思う。しかし、本来の新自由主義の考え方は神野さんの指摘の通りで、租税は累進的にならざるをえない。

消費税は逆進的だから悪税と一刀両断するのではなく、新自由主義と高福祉国家のどちらを望むかを決める必要があるし、それによってとるべき税制も違ってくる。もちろん新自由主義から高福祉国家へすぐに転換などできないのだから少しずつ変えていくしかないし、私も現時点での消費税増税は賛成しない。

 

 

2019年5月30日 (木)

川崎市での殺傷事件について思うこと

 5月28日の朝に川崎市でスクールバスを待つ子どもたちを狙った殺傷事件が起きた。以下はこの事件に関する私のツイート。

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先日の川崎の事件で、大阪の池田小学校での事件を思い浮かべた人も多いと思う。ともに裕福と思われる私立学校の子どもを狙った凶悪な犯行。そこには裕福で幸せそうな人たちに対する強い憎しみが感じられる。おそらく加害者は自分を受け入れてくれない社会に対して強い復讐心を抱いていたのではないか。

アドラー心理学では、人の問題行動の目的を1称賛の欲求、2注意喚起、3権力争い、4復讐、5無能の証明の5段階に分けている。段階が進むにつれて重症度が増す。復讐や無能の証明にまで進んでしまうと、専門家の介入がなければ解決は困難になる。https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/

池田小学校の事件も川崎の事件も、加害者はこの復讐や無能の証明にまで進んでしまっており、殺人事件を起こすことで社会に対する復讐をしようとしたように見えるし、そうした事件を起こすことで注目を浴びようとしたとも受け取れる。どこにも居場所を持てず他者と信頼関係が持てない加害者像が浮かぶ。

こういう凄惨な事件が起きるたびに強い加害者批判が繰り広げられる。もちろん何の罪もない人たちが犠牲になるようなことはあってはならないし、批判されるべき凶悪事件であることは間違いない。しかし、加害者を強い言葉で責め立てたところでこのような問題の再発防止にはつながらない。

実際に殺人や自殺にまで及んでいないにしても、社会から孤立して同じような心理状態になっている人は恐らく大勢いるだろう。そういう人たちに対して必要なのは加害者への強い怒りの言葉ではないし、希死念慮を抱いている人には「勝手に一人で死ね」という言葉は自殺を誘発することになりかねない。

私はこのような心理状態になってしまっている人であっても、他者が手を差しのべることが必要だと思っている。もちろん素人には無理なので、経験のあるカウンセラーなどの介入がどうしても必要になる。更生はとても難しいし時間がかかるとは思うけれど、不可能だと言い切ることはできない。

藤田孝典さんのこの記事に対し、ネットでは「自分が被害者遺族だったらこんなことが言えるのか」という批判の言葉が溢れている。しかし藤田さんは被害者のことがどうでもいいと言っているわけではない。第三者として同様の事件を増やさないためのお願いをしているだけだ。https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20190529-00127888/

被害者や被害者遺族に心を寄せ支援をするのはもちろん大事だけれど、私たちに求められるのはそれだけではない。こうした犯罪をなくしていくために私たちが注意を向けるべきことは加害者の心理であり、同様の事件や自殺者を生み出さないためにどうすべきか考え安易な発言を自重することではなかろうか。

 

2019年4月21日 (日)

消費税議論で考えてほしいこと

 山本太郎氏が消費税の減税や廃止を掲げて「れいわ新選組」を立ち上げた。それによって消費税減税に賛成する声が広がっているのだが、この主張に乗ってしまうのはとても危険だと思う。以下はこの問題に関する4月19日の私の連続ツイート。

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日本の多くの人は、消費税はすごく高いけれど教育や医療が無償とか福祉や社会保障が行き届いている北欧などの国は羨ましいし手本にすべきだと思っているのではなかろうか。社会保障が充実していれば貯蓄がなくても安心して暮らせるし、消費税が高くても納得できるというものだろう。

国民が手厚い社会保障を求めるなら、税金はどうしても高くならざるを得ない。とりわけ日本は少子高齢化で多額の社会保障費が必要なのだから、健全財政を維持し、かつ社会保障の質を落とさないためにはどうしても高額の税が必要になる。税金は払いたくないけど社会保障は充実しろというのは矛盾する。

ただ、今の政権で消費税増税に賛成できないというのももちろん当然だと思う。何しろ、生活保護や障害年金などは削減される一方だし、保育園や特別養護老人ホームの待機者問題も一向に改善されない。年金の納付額は増え続けてきたのに、支給年齢は引き上げて支給額を減らそうとしている。

高齢者の医療費の無償もなくなった。介護保険の認定も厳しくなる一方で、十分な支援が受けられない。賃金は上がらずブラック企業がはびこり過労死が後を絶たない。鬱になる人や自殺も多い。働いても働いても生活が苦しい人たちが大勢いる。消費税が上げられてきたのに、現状は悪くなる一方なのだから。

その一方でトランプ大統領の言いなりになって高額の武器を買い込み、沖縄県民の声を無視し自然を破壊して辺野古を埋め立て、無駄としか思えない大型公共事業も相変わらず。首相は頻繁に税金で外遊をし海外にお金をばらまく。不正も何のその。こんな政権に消費税を取られるのは誰もが納得しない。

しかもアベノミクスは大失敗。国債は増え続けてプライマリーバランスは大赤字。下手をすれば財政破綻になりかねない危機的状況にある。つまり消費税そのものが悪いのではなく、お金の分配に問題があるのだ。賃金が低すぎたり労働環境が悪すぎることも大問題だし、政権の腐敗や独裁体質が問題なのだ。

だから消費税は据え置きで争点にすべきではない。野党はアベノミクスの失敗こそ争点にし、それを元に今後財政をどのように立て直していくのか、どうやって格差を縮めるのかを示すべきだ。もちろん足りない財源を国債に頼るのは、アベノミクスの失敗から何も学ばないということに他ならない。

いずれにしても今の状況を一気に大きく変えることはできないと思うし、政府が信頼を取り戻す努力をした上で少しずつ改善していくしかないだろう。アベノミクス失敗のツケは必ず国民に降りかかってくる。国債に頼り続けたなら財政破綻という最悪の事態になりかねない。そのことは肝に銘じるべきだろう。

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 このツイートをしたら、いくつかの反論がきた。一つは法人税を上げればいいというもの。大企業や富裕層への課税強化はもちろん否定はしない。しかし、それだけで税収が安定するかといえばそんな単純な話ではない。

 所得税や法人税は海外に資産を移すなどして課税逃れができる。大企業や富裕層ほどそのような方法で課税を逃れるのは目に見えている。また、所得税や法人税は基本的に経済状況に応じて上下する。日本はすでに低成長時代に入っているのだから、税収の大きな増加は見込めない。さらに、企業が赤字になれば赤字分を繰り越し、その後黒字になったときに相殺するという繰越欠損金という仕組みがあり、これによって法人税を逃れることもできる。所得税や法人税の増税だけでは今の日本の税収を大きく改善することはできないだろう。この点に関しては、明石順平氏の「データが語る日本財政の未来」を読んでいただきたい。欧州の多くの国が高い消費税を採用しているのも、安定的な税収であるという理由がある。

 もう一つは、国債を発行して財源にすればいいという意見。安倍政権はアベノミクスのもとにこれをやってきたが大失敗をしたわけで、さらに続けるというのはアベノミクスの失敗から何も学ばないしリスクを増大させるだけだろう。このような主張をされる方は、以下をお読みいただきたい。

そして預金は切り捨てられた 戦後日本の債務調整の悲惨な現実

 ここから一部引用しておきたい。

これらの事実から明らかになるのは、国債が国として負った借金である以上、国内でその大部分を引き受けているケースにおいて、財政運営が行き詰まった場合の最後の調整の痛みは、間違いなく国民に及ぶ、という点である。一国が債務残高の規模を永遠に増やし続けることはできない。「国債の大部分を国内で消化できていれば大丈夫」では決してないのだ。

 国債をどんどん増やした挙句、財政運営に行き詰まってしまったら、富裕層だけではなく国民全体にそのツケが回る。アベノミクスの失敗で日本はまさに財政運営に行き詰まりつつあり、このまま国債に頼り続けたなら戦後の財政破綻のときより酷いことになりかねない。国債、国債と言う人たちはあまりにも安易であり無責任だと思う。

 

 

 

2019年4月19日 (金)

被ばくによる健康被害を「風評」にしてしまう人たちを信じてよいのか

 漫画「美味しんぼ」の作者である雁屋哲さんの4月15日のブログ記事が話題になっている。雁屋さんが、「美味しんぼ」で主人公が福島の取材から帰ってきた直後に鼻血を出すという描写をしたところ、風評だと言われて非難されたことを記憶している人は多いと思う。その後、雁屋さんの周辺で奇怪なことがいくつも起きているという。ツイッターなどをやっていない人は知らない人も多いと思うので、紹介しておきたい。

奇怪なこと(雁屋哲の今日もまた)

 福島の原発事故が起きてから鼻血が出たという話はあちこちで聞かれたし、被ばくとの関係が指摘されていた。被ばく問題に関心を持っている人なら、放射性微粒子が鼻血の原因になることは知っていると思う。

 取材のために福島に行った雁屋さん自身も、福島から帰った直後に突然鼻血を出すようになり、疲労感を覚えるようになった。しかも、福島取材に行った取材班の4人の中の3人が鼻血を出し、その中のお一人は体調が回復せずに歯茎からも出血するようになり、脳梗塞で亡くなられたという。井戸川前町長も「私も鼻血が出ます。今度の町長選の立候補を取りやめたのは、疲労感が耐え難いまでになったからです」、「私が知るだけでも同じ症状の人が大勢いますよ。ただ、言わないだけです」と発言している。これらの個々の症状は被ばくだと断言できないとしても、複数の人に同時に生じていることから、「被ばく」を抜きにして説明できないのではなかろうか。

 ところが、安倍首相はこうした事実を「風評」だといってマスコミを利用して非難した。一国の首相が事実を風評だと決めつけ、事実を語る人を非難することで、被ばくによる健康被害の否定に躍起になっている。狂っているとしか言いようがない。しかし、こうしたことは雁屋さんに限らない。被ばくによる健康被害について言及したり懸念する人たちの多くが、デマ呼ばわりされてきた。さらに汚染地域在住で安心情報にすがりたい人たちがそれに同調してバッシングを繰り広げている。

 福島の小児甲状腺がん多発に関しても、いまだに過剰診断説を唱える科学者や医師やジャーナリストがいる。そして、被災者に寄り添い情報を発信している「おしどりマコ」さんを「放射能デマ屋」だと言って攻撃している科学者もいる。「事実」を否定して嘘デタラメを拡散させ、被災者のために尽力している人を貶めている人はどっちなのだろう?

 残念なことに、こうしたことを知らずにマスコミの垂れ流す情報を信じてしまっている人たちも少なからずいる。若い人たちには安倍政権の支持者が多いというが、雁屋さんの記事を読んで何が正しいのか、こんな状態を黙認していていいのか、もう一度考えてほしい。以下に雁屋さんのブログから最後の部分を引用しておきたい。

 

一つの国が滅びるときには必ずおなじことが起こります。
支配階級の腐敗と傲慢。
政治道徳の退廃。
社会全体の無気力。
社会全体の支配階級の不正をただす勇気の喪失。
同時に、不正と知りながら支配階級に対する社会全体の隷従、媚び、へつらい。
経済の破綻による社会全体の自信喪失。

 

これは、今の日本にぴったりと当てはまります。
私は社会は良い方向に進んでいくものだと思っていました。
まさか、日本と言う国が駄目になっていくのを自分の目で見ることになるとは思いませんでした。
一番悲しいのは、腐敗した支配者を糾弾することはせず、逆に支配者にとっては不都合な真実を語る人間を、つまはじきする日本の社会の姿です。

 

【参考記事】
放射性PM2.5としての原発フォールアウト(セシウムボール)を考える(赤の女王とお茶を)

 

 

2019年4月 5日 (金)

政党は先を見通した政策を示してほしい

 統一地方選が近づいてきた。北海道知事選は与野党候補の一騎打ちになるが、まだ投票先を決めていない人が3割ほどいるという。選挙の前になるといつも支持政党をしっかり持っている人はどのくらいいるのだろう、無党派の人は何を基準に決めているのだろうかと思う。

 私自身も明確な支持政党があるというわけではない。基本的スタンスとして新自由主義はもちろんのこと、利潤追求を目的とした資本主義自体に疑問を持っているし日米同盟も賛同できないので、そのような視点からは日本共産党や社民党支持ということになる。しかし共産党の民主集中制や上意下達の体制はどうしても無理。組織自体があのような体制で真の民主主義社会が実現できるとはとても思えない。かといって社民党はあまりに弱小だ。

 立憲民主党は「市場経済を基本」とし「日米同盟を軸」とすると謡っている。すなわち、資本主義も米国追従も認めるという立場だ。これは私の考えとは根本的なところで合わない。格差是正は謳っているが、格差を生み出した新自由主義についての考え方も今一つ分からない。ただ、ボトムアップという考え方は大いに賛同するし、財政政策も「薔薇マーク」とは異なるようだ。

 自由党の小沢一郎氏は新自由主義のタカ派だし、小選挙区制を導入した人物だ。しかも野党をかきまわしては離散集合に加担している。前回の衆院選の時には前原氏とともに民進党の希望の党合流を企てて野党共闘をぶち壊し、自公政権の延命に加担した。彼らのような策士は信用に値しない。右派の国民民主党や新自由主義者の小沢氏が牛耳る自由党も支持できない。「薔薇マーク」という財政政策を主張する人たちも支持できない。

 結局、私自身も支持政党があるとは言えないが、その時の状況に応じて共産党、社民党、立憲民主党を支持するということになるので、悩ましいこともある。しかし、こんな感じで支持政党を持てないという人もそれなりにいるのではないかと思えてならない。それだけ日本が全体的に右傾化し左派が弱体化してしまったというのが今の状況なのだろう。ただし、支持政党がないからといって選挙に行かないというのは民主主義の放棄だし、最悪だと思う。支持できないところがあっても、自分の考えに一番近い候補者に入れるしかない。

 ところで、選挙で国民が何に期待するかというと、多くの人が景気回復とか経済成長を挙げるのではないだろうか。要は、いまだに「経済成長」にしか関心がない人が大半なのではないかと思う。

 経済学者の水野和夫氏は、利子率ゼロが長くつづき、経済成長が止まる日が近づいているという。資本主義とは少数の人が利益を独占するシステムだ。水野氏は、富を「周辺」から蒐集して「中心」に集めるシステムだと説明する。しかし1970年代半ばになると原油の高騰もあり「地理的・物的空間」からの利潤率が低下し始めた。そこでアメリカが資本主義を延命させるためにとった手段が「電子・金融機関」で利潤を得るということだった。ITと金融業が結びつくことで資本は国境を越え金融は一気にグローバル化した。

 「地理的・物的空間」で利潤を上げることができた1970年代半ばまでは資本の利益成長と雇用者の成長が同調していたのだが、「電子・金融空間」においては資本家と雇用者は切り離されて資本家だけに利益が集中し、中間層が没落したというのが水野氏の分析だ。

 要するに、新自由主義、資本のための資本主義が民主主義を破壊しているというのだ。一億総中流と言われた時代は終わり、賃金が上がらず格差が拡大して中間層が減ってきているという日本の現実を見れば、まさに水野氏の主張どおりのことが起こっていると言えるだろう。

 私は若い頃マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んで、資本主義というものに大いに疑問というか懐疑心を持った。利潤追求のシステムはどう考えても生物としての自然の摂理に反するものであり、こんなことを続けていたらいつか破綻するのではないかという直感がしたのだ。

 行き過ぎた資本主義、新自由主義がたどり着いたのは「世界の富裕層1%が富の99%を上回る」というとんでもない貧富の差であり、ごく一部の人への富の集中だ。狂っているとしか言いようがない。

 水野氏の主張するように、もはや資本主義は限界にきており、終焉を迎えつつあると考えるしかない。そして資本主義のあとにくるのはゼロ成長社会であり、すなわち定常経済だということになる。定常経済というのは投資は減価償却の範囲だけであり、「買い替え」だけで経済の循環をつくる社会だ。

 「経済成長しなければ豊になれない」「消費を促せばまだまだ経済成長する」などといった意見を今もしばしば目にするが、大量生産、大量消費の時代はグローバル資本主義によって終わってしまったのであり、今後は「経済成長はほとんどない」あるいは「きわめて緩やかになる」ととらえるべきだ。そして否が応でも「経済成長しなければ豊になれない」という発想は転換しなければならないと思う。日本の少子高齢化はしばらく続くので、消費の大幅な拡大もないだろう。この先、多少の経済成長はあっても、かつてのような経済成長はあり得ない。

 私たちは「経済成長しない社会」を受け入れていくしかないと思う。それと同時に財政の健全化も必須だ。アベノミクスによって日本の財政赤字は拡大し、危機的な状況になっている。企業や富裕層への課税強化はもちろんだが、少子高齢化が進む中で少しでも健全な財政を取り戻すには中間層への課税もやむを得ないと思うし、将来的には消費税の増税も必要になってくるだろう。高齢者が増えていく中で社会保障の費用は大幅に増えていくのであり、大企業や富裕層への課税強化だけでは税収が足りない。もちろん低所得者の賃金を上げたり労働環境を改善することも早急にやらねばならない。課題は山積だ。

 まだしばらく資本主義は続くことになるだろうけれど、私たち日本人はアベノミクスの失敗のツケを払わされることになる。それが最悪の事態にならないようにどうすべきかが、各党の主張からはほとんど見えてこない。莫大な借金を抱えた赤字財政をどう立て直すのか、増え続ける社会保障費はどうやって捻出するのか、低所得者の賃金を上げるにはどうするのか、エネルギー問題はどうするのか、終焉にさしかかっている資本主義をどうソフトランディングさせるのか・・・。政党は「成長」を求めつづける国民の期待に応えようとするのではなく、そこまでの見通しをもって政策を提言してほしい。

【関連記事】
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貧乏ではなく無駄のないシンプルな生活を

財政危機に直面する日本で私たちはどんな社会を求めるのか

 

 

2019年2月23日 (土)

財政危機に直面する日本で私たちはどんな社会を求めるのか

 昨年、水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」を読み、先日は明石順平著「データが語る日本財政の未来」を読んだ。水野さんは資本主義の歴史を元に、近年は利子率(利潤率)が低下して資本主義は限界に近付いており、将来的に定常経済に移行せざるを得ないとの主張を展開している。また、日本は早急に財政収支を均衡させないと財政破綻をすると警告する。

 一方で明石さんはさまざまなデータを分析し、もはや日本経済はすでに破綻寸前でありこのままでは財政崩壊は免れないと予測する。明石さんは資本主義・新自由主義に関しては一切言及していないのだが、「経済成長すれば何とかなる」という発想で対処しようとしてきたことがこの破綻寸前の危機的財政状況を招いたという考えだし、日本ではもはや経済成長は不可能だと言う。

 現在、日本の国債は1000兆円を超えている。つまり1000兆円以上の借金をしていることになるのだが、水野さんも明石さんもアベノミクスの嘘を指摘した上で、日本は財政破綻に向かっていると言っているのだ。この二冊を読めば、日本が危機的状態にあることは理解できるし、今後どのような道を選択すべきかを否が応でも考えさせられる。

 水野さんは財政破綻しないために日本はどうすればいいか、次のように提言している(193ページ)。
   

 その国債がゼロ金利であるということは、配当がないということです。配当はないけれども、日本のなかで豊かな生活とサービスを享受できる。その出資金が1000兆円なんだと発送を転換したほうがいい。
 そう考えたうえで、借り換えを続けて1000兆円で固定したままにしておくことが重要です。現在は歳出九〇兆円に対して、四〇~五〇兆円の税収しかありませんから、放っておけば、一〇〇〇兆円の借金が一一〇〇兆円、一二〇〇兆円とどんどん膨らんでいきます。そうなってしまったら、先ほど行ったように、日本だけでは国債を消化できず、外国人に買ってもらわなければならない。でも外国人にとって日本国債は会員権ではなく、金融資産にすぎませんから、ゼロ金利では承知してもらえず、金利は上がることになります。それでは財政破綻を免れることはできません。
 今は増え続けている預金も、先ほど述べたように、二〇一七年あたりを境に減少に転じることが予想されています。おそらく今後は、団塊世代が貯蓄を取り崩したり、相続した子供世代が貯蓄にお金を回さないことで、減少圧力は少しずつ強まっていきます。そう考えると、残された時間はあと三、四年しかありません。その間に、基礎的財政収支を均衡にさせることが日本の喫緊の課題なのです。


 水野さんがこの本を書いたのは2014年3月だから5年前のことだ。そして水野さんの言っていたように3、4年の間に国債を1000兆円に留め、基礎的財政収支を均衡にさせることができたかといえば、「ノ―」と言うしかない。安倍政権は財政収支の赤字を増やしてきた。水野さんの指摘が当たっているのなら、日本は財政破綻に向かっているということになる。

 一方で、明石さんは日銀による莫大な国債購入に関して、こう指摘する(159ページ)。

 国債市場においてこれほどのシェアを占めている日銀が国債を買うのを止めたらどうなるか、誰が見ても明らかだろう。こうやって無理やり国債を買い占めているから、金利が低く抑えつけられている。日銀がいなくなれば日本の国債価格が大暴落するのはほぼ確実だろう。そして金利は急上昇してしまう。日銀は今や物価目標すら取り下げてしまったが、相変わらず国債の爆買いは止めていない。もう止められないんだ。


 「止められない」が間違いないなら大変なことになる。日銀が債務超過になり円の信用が失われたら円安になり、円安になれば物価が上がってインフレが止められなくなる。極端なインフレになった場合、社会保障費が追いつかず医療も介護も年金支給も生活保護費も足りなくなる。つまり年金生活者や生活保護を受けているような社会的弱者は生死にかかわってくる。日本のように極端な少子高齢化が進んだ国での極端なインフレは人類にとって初めてのことだという。しかも極端なインフレになれば過去分の借金負担は軽くなるが、将来するであろう借金はどんどん膨らんでいくことになるという。これはどうしても避けたい。

 かといって経済成長は望めない。日本は少子高齢化で社会保障費は増大する一方だが、労働人口は減る一方。莫大な借金を背負った上に少ない現役世代が高齢者を支えるというものすごく大変な状況に突入する。経済成長などをあてにするのは間違いだ。

 とすると財政を立て直すには「増税と緊縮」しかない。増税は国民にとっては確かに大変だが、極端なインフレや預金封鎖、通過崩壊よりもまだましかもしれない。明石さんは国の財政が破たんしたなら「太平洋戦争よりも困難な事態になるのは明らかだ」と言う。

 明石さんはアベノミクスの失敗についても詳しく説明しているが、今年に入ってからアベノミクスの失敗を隠すための統計不正が明らかになってきた。アベノミクスの化けの皮が剥がれてきたのだが、アベノミクスの失敗によって日本は苦境に立たされている。

 健全な財政とは赤字を出さないということだ。しかし、歳出が税収を上回り、その差は大きくなっているのが現状だ。景気回復のために所得税や法人税の減税をしてきたことがその大きな要因だ。その減税の穴埋めのために消費税を導入したが、全然穴埋めにはならなかったのだ。これでは消費税分が社会保障に回るはずがない。少子高齢化で社会保障費が膨らんでいくことは分かっていたのだから、もっと早くから所得税や法人税を上げて借金を減らし財政収支を均衡させねばならなかったのだ。

 世の中は相変わらず成長神話に支配されている。今でも多くの人が「成長」「成長」と口にする。ツイッターで成長を否定するような発言をしようものなら、すぐに反論のリプがとんでくる。冷静に考えたなら、極端な少子高齢化が進む日本ではこれ以上成長が見込めないし、統計偽装でアベノミクス以降のGDPがかさ上げされた疑惑が濃厚になっており、もはや成長など期待できないことは分かると思う。それにも関わらず多くの人が今も成長神話にしがみついている。

 今や世界の1%の富裕層の資産が残りの99%人の資産より多いという異常な事態になっている。この恐るべき格差はまさしく行き過ぎた資本主義、新自由主義がもたらした現実だ。そして自民党政権がやってきたのも大企業や富裕層を優遇する規制緩和や税制であり、非正規雇用の拡大であり、それらによって日本も格差が一気に広がった。

 こんな状態はいつか破綻するだろう。水野氏が指摘するように、もはや資本主義は終焉を迎えているとしか思えない。永遠の経済成長などあり得ないのであり、経済成長至上主義から脱却しなければならない。そしてその後にくるのが定常状態ということになる。水野氏は、資本主義にできるだけブレーキをかけて暴走を抑えつつ、資本主義の後にくるシステムへとソフトランディングさせることが大事だと説くが、その通りだろう。

 さて、このような状況の日本で、私たちは一体どうするのがベストなのだろう。アベノミクスの失敗によって、日本が健全な財政を取り戻せる可能性はかなり低くなってしまった。このまま自公政権が続くなら、おそらくソフトランディングどころではなく一気に財政破綻に向かうのではなかろうか。

 仮に、政権交代が実現したとしてもアベノミクスの負の遺産はあまりにも大きく、新たな政権はその尻拭いのために極めて困難な道を歩むことになるだろう。財政破綻を阻止すべく最大限の努力ができる政党、政治家を選ぶしかない。新自由主義や経済成長至上主義が今の悲惨な現状を招いたのだから、新自由主義論者にはまったく期待できない。かといって国債によって増大する社会保障費を確保し財政出動で景気回復を図るという案もアベノミクスの二の舞になるとしか思えない。しかし野党の中にも経済成長至上主義の人がかなりいるし国債発行を続けても財政破綻はしないという考えの人がかなりいる。

 例えば自由党の山本太郎氏は消費税の5%への減税を提案し、今の安倍政権は緊縮財政だと批判している。

山本太郎「消費税は5%に減税へ。最終的には0%を目指したい」

 もちろん国民にとって消費税減税は有難いが、明石さんの本を読めば所得税や大企業への課税を強化したとしても消費税を減税する余裕など全くないことが分かる。減税というのはあまりに非現実的だ。安倍政権のやってきたことは借金を増やして財政を悪化させたのだから放漫財政であり、これからは緊縮財政にしなければ日本は持たない。それなのに山本氏は安倍政権を緊縮財政だといって金融緩和と財政出動が必要だと主張している。山本氏も成長神話に捉われている。

 この山本氏の主張は「薔薇マークキャンペーン」と重なる。薔薇マークキャンペーンは統一地方選と参院選に向けて「反緊縮の経済政策」を広める運動だ。以下が薔薇マークの提唱する政策(薔薇マーク認定基準)になる。

1.消費税の10%増税凍結(むしろ景気対策として5%に減税することが望ましい)
2.人々の生活健全化を第一に、社会保障・医療・介護・保育・教育・防災への大胆な財政出動を行い、それによって経済を底上げして、質の良い雇用を大量に創出する。(国政候補は「大量失業が続く不況時代には二度と戻さない」と掲げることが望ましい。)
3.最低賃金を引き上げ、労働基準を強化して長時間労働や賃金抑制を強制する企業を根絶し、人権侵害を引き起こしている外国人技能実習制度は廃止する。
4.大企業・富裕層の課税強化(所得税、法人税等)など、「力」の強弱に応じた「公正」な税制度を実現する。
5.(4.)の増税が実現するまでの間、(2.)の支出のために、国債を発行してなるべく低コストで資金調達することと矛盾する政策方針を掲げない。
6.公共インフラのいっそうの充実を図るとともに、公費による運営を堅持する。

 これを読んで賛同する人はそれなりにいると思う。私も社会保障や介護、教育などを充実させることや、賃金を引き上げて労働環境を改善すること、大企業や富裕層への増税強化は賛成だ。しかし、明石さんの本を読んでしまった今、5の国債発行による資金調達と6の公共インフラなどへの財政出動はどうしても賛同できない。結局、国債発行を続けることによって借金を膨らませ破綻に向かうことになるのではないか。成長など見込める状態ではないのに財政出動というのはあまりにも危険だ。水野さんも、日本はすでに経済が需要の飽和点に達しているので、財政出動しても経済成長は見込めないとの考えだ。

 個人的には賃金が上がらない状態での消費税増税はすべきではないと思うが、これから極端な少子高齢化で社会保障費が増大することが間違いないのだから、将来的には消費税増税をしなければとても財政は持たないと思う。

 私には不思議で仕方ないのだが、この国では未だに経済成長やら資本主義に拘り続けている人たちがとても多い。現実を直視するなら、もはや経済成長は限界に近付いているのであり、発想を転換して「成長神話」から抜け出さねばならないだろう。もちろん経済成長が限界に達したからといって、すぐに資本主義から別のシステムに移行できるわけではない。しかし、このまま経済成長を求めつづければ、日本はあまりに危険な道を進むことになるように思えてならない。

 ツイッターを見ていると、国債を発行しつづけても財政破綻はしないという楽観論を支持する人々と、このまま国債発行に頼りつづけたら財政破綻を招くという破綻論を支持する人々に大きく分かれているようだ。大雑把に言うならば、前者は国債発行と財政出動を提案し、後者は緊縮と増税を提案するといった感じだ。どちらを支持するかは、まずは明石さんの「データか語る日本財政の未来」を読んで考えてほしいと思う。

 明石さんは著書の最後にこんなことを書いている。

一つ確実の言えるのは、「先送り」をしてはいけないということだ。先送りではその場しのぎにしかならない。後で必ず痛い目に合う。今まで見てきたとおり、日本は高齢化が進んでお金が沢山必要な国になっている。そのお金は誰かが税金や社会保険料という形で負担しなければならない。いつまでも借金でごまかせるものではないんだ。そういう視点を持たなければ、また同じことを繰り返すことになる。


 野党各党が日本の財政の健全化のためにどのような政策を考えているのかが見えてこないが、国債という借金問題を先送りしてはならないと強く思う。ならば、これ以上金融緩和や財政出動で借金を増やし続けるような政策を唱える政治家を選ぶことが適切だとは思えない。この問題に関しては各自がじっくりと考えてほしい。単に「安倍政権を倒すのが第一」という発想では、財政破綻の歯止めにはならない。

 なお、金子勝氏も金融緩和には反対で増税と緊縮でプライマリーバランスの回復を目指すことで財政の持続可能性を高めるべきだという主張をしている。私もこれに賛同する。

戦後最長景気の先には日本経済破綻の「崖っぷち」が迫っている

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