雑記帳

2017年2月 9日 (木)

誤解される「嫌われる勇気」

 先日書いた「野田俊作さんの岸見一郎さん批判に思う」でもちょっと触れたが、テレビドラマ「嫌われる勇気」の主人公、庵堂蘭子の振る舞いはアドレリアン(アドラー心理学を実践している人)とは言い難いという意見があるらしい。私はテレビを見ていないし、ドラマ制作者の意図も分からないので、この点について言及するつもりはない。しかし書籍「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健著)のタイトルが、時に誤解されているのではないかと感じることがある。

 書籍の「嫌われる勇気」は、自己主張して他人に嫌われることを奨励しているわけではない。他人に嫌われることを怖れ、他人に合わせてしまうのは不自由な生き方であるから、自分の人生を生きるためには「嫌われることもいとわない勇気」も必要だと言っているのだ。これは本を読めば容易く理解できることだ。他人に合わせたり、他人の期待に応えるのではなく、自分の人生を生きるべきだというのが書籍「嫌われる勇気」のメインテーマでもあるのだろう。

 他人の人生ではなく自分の人生を生きるというのは、いわゆる「課題の分離」のことを指している。ここに軸足を置いているから、本の内容も「課題の分離」の比重が多くなっているのだろうと私は理解している。

 アドラーは「人生上のほとんどの悩みは対人関係である」と言っているそうだ。私自身の経験を振り返ってみても、人間関係のトラブルの大半は他者の課題に土足で踏み込んでしまうことからくると実感している。嫁と姑のトラブルも、家族間のいさかいも、基本的に他人の課題に土足で踏み込むから起きる。課題の分離ができていれば人間関係におけるトラブルやストレスは激減するだろう。

 「横の関係」つまり「人はみな対等」という意識を持ち、常に他人を尊重していたなら、他人に命令口調で接したり、意見が違うからといって見下したり誹謗中傷したりもしない。

 課題の分離とは、他人の課題に土足で踏み込まない(他者を尊重する)ということと、自分の課題に他人を踏みこませずにトラブルを回避するという二つの側面がある(協力をしない、あるいは協力を拒否するということではない)。そして、「課題の分離」ができるということは、「人はみな対等」という「横の関係」で人間関係を捉えていることを意味する。「課題の分離」と「横の関係」は切り離せない。

 これに対し、人間関係を「縦の関係」で捉えている人は、他者に対して支配的であったり、あるいは依存的であったり、また恨みや妬みが強く嫉妬深かったりする。

 他人から何を言われようと(嫌われても)も自分の課題には絶対に踏み込ませないという人は、一見「嫌われる勇気」があるように見える。しかし、自分の課題には絶対に踏みこませないが、他人の課題には土足で踏み込む(命令したり、見下したり、憎んだりする)ということであればその人は「縦の関係」で生きている。また、事実誤認や誤解について丁寧に説明しても一切聞く耳を持たず自分が絶対に正しいと信じて我が道を邁進する人は、自分の誤りを認めない、あるいは他人を信用しないという点で独善的であり、やはり「縦の関係」で生きているのだと思う。

 私は、書籍タイトルの「嫌われる勇気」の意味するところは、「横の関係」の生き方をするためには、時として「嫌われる(こともいとわない)勇気が必要」ということだと理解している。だから、「縦の関係」の生き方の人が独善的な言動をして嫌われたとしても、「嫌われる勇気」があるということにはならない。

 たとえばトランプ大統領はどうだろう。トランプ氏の差別発言や虚偽発言に対しては多くの人たちが批判している。大統領の就任式での反対デモを見ても分かるが、彼は明らかに多くの米国民に嫌われている。しかし、当人は開き直って平然としている。彼は自分の主張を貫いて嫌われているわけで、「嫌われる勇気」があるように見える。

 しかし、自分と異なる意見を言う人をこき下ろす態度は、完全に他者を見下している。しかも自分を批判した人に対してはすぐに反撃する。理論的に反論するなら分かるが、嘘を言ってでも攻撃する。非常に感情的で、すぐに怒りをぶちまける。実に支配的だ。彼は異なる主張に対して話し合いで解決する姿勢がほとんど見られず、どうみても「縦の関係」で生きている人だ。彼の勇ましさは、書籍「嫌われる勇気」で言うところの「嫌われる勇気」とはほど遠く、傲慢にしか見えない。

 本で言わんとしている「嫌われる勇気」の意味を理解せず、タイトルの「嫌われる勇気」という言葉だけを切り取って、単に傲慢なだけの人を「嫌われる勇気がある」と評してしまえば、誤解を生じかねない。

 書籍「嫌われる勇気」には承認欲求のことも出てくる。これも誤解している人がいるようだ。書籍「嫌われる勇気」では「承認欲求を否定する」と表現しているのだが、これは「承認欲求」という事実や「承認」を否定しているわけではない。「他者に認めてもらうことを目的に行動してはならない」という意味だ。これは、嫌われないために行動(努力)するというのとほぼ同義だろう。だから「承認欲求の否定」も「課題の分離」と密接に関わっている。

 アドラー自体は承認欲求という言葉は使っていないようだが、だからといって「承認欲求を否定する」という表現が、アドラー心理学ではないということにはならない。

 アドラー心理学の最終目的は共同体感覚にあるという。この共同体感覚を身につけるには「横の関係」を築かなければならない。横の関係を築くためには「課題の分離」をする必要がある。また共同体の中で人々が協力関係を築くことが共同体感覚につながるのだが、その前提としても「課題の分離」は不可欠だ。つまり、課題の分離があってこそ支配でも依存でもない協力関係が持てるし、共同体感覚を身につけることができる、と私は理解している。

 書籍「嫌われる勇気」は、共同体感覚を身につけるための基本である「課題の分離」に力点を置いた書籍だと私は思っている。そして、続編の「幸せになる勇気」が補完して核心へと誘導する形になっている。この2冊の本は青年と哲人の対話による物語に仕立てられているゆえに、アドラー心理学を全面的にカバーしているとは言えないかもしれない。しかし、だからといって「嫌われる勇気」が「正統なアドラー心理学ではない」という考え方には賛同できないし、学会で論争するようなことでもないと思う。

 つい最近、向後千春さんの「人生の迷いが消える アドラー心理学のススメ」(技術評論社)を読んだ。この本は他の心理学の考え方も紹介しながらアドラー心理学を分かりやすく解説していて、「嫌われる勇気」には抵抗感があるという方にも読みやすいと思うし、日常生活でのトラブルの解決にも役立つ本だと思う。

 アドラー心理学を身につけ実践するというのは確かに難しい。なぜなら、日本では家庭も学校も職場も「縦の関係」ばかりであり、このような環境の中で「縦の関係」のライフスタイルを選びとってきた人が大半だと思うからだ(私自身は若いときから人はみな対等という意識を持っていたので、アドラー心理学への抵抗感はない。もちろんだからといってきちんと実践できているわけではないが)。「縦の関係」が染みついている人たちが、ライフスタイルを変えるのは容易なことではない。ただ、向後さんの本はそのような人たちに対しても抵抗が少なく理解しやすい書き方になっているように感じる。

 岸見さんも向後さんも、野田俊作さんからアドラー心理学を学んだ方だが、同じアドラー心理学の解説をしていても人によって伝え方や語り口は違う。哲学者である岸見さんのアドラー心理学は哲学的視点も含んだ岸見流だろうし、向後さんは向後流といってもいいのだろう。おそらくアドラー心理学を学び実践している人々はそれぞれ独自の理解でアドラー心理学を捉えていると思うし、誤解がない限りどれが正しいとか正統だということはさほど意味がない気がする。学問というのは次世代に引き継がれるなかで修正されつつ発展していくものだ。

 ただし、「アドラー心理学をめぐる論争とヒューマン・ギルドへの疑問」にも書いたように、アドラー心理学を自ら実践しようとはせず「他人を操作するために使う」ということであれば、それはアドラーが望んだこととは正反対のことだろうし、似非アドラー心理学と言われても仕方ないと思う。

【2月13日追記】  野田俊作さんのこちらの記事によると、「課題の分離」「縦の関係・横の関係」などといった表現はアドラー自自身は使っておらず、アドラーの後継者による概念とのことだ。そうした言葉がアドラーの思想を分かりやすく端的に言い変えたもので、すでに一般化されている概念である以上、アドラー自身による表現であるかどうかに拘ることに意味はないと思う。

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野田俊作さんの岸見一郎さん批判に思う

2017年1月31日 (火)

野田俊作さんの岸見一郎さん批判に思う

 日本アドラー心理学会の初代の会長である野田俊作さんのウェブサイト「野田俊作の補正項」をときどき読んでいるのだが、最近、岸見一郎さんに対する苦言がしばしば出てくる。正確に言うならば、「嫌われる勇気」に対する批判といったほうがいいだろう。野田さんが批判的意見を言うのはもちろん自由なのだけれど、正直なところ私はそれをやや苦々しく思っている。その理由を書きとめておきたいと思う。

 野田さんによる「嫌われる勇気」批判は、このあたりから始まっているのではないかと思う。ここでは書名を書いてはいないが、「嫌われる勇気」を指していることは誰にでも分かる。

 この記事で、野田さんはこんなことを書いている。「彼の意見はさまざまの事項について「標準的な」アドラー心理学から偏っています。たとえば彼はある状況下では協力を拒否することが重要であると述べ、「他者からの承認を求めない」とか「他者の期待を満たす必要はない」とか「他者の問題に介入してはいけないし、自分の問題に他者を介入させてはいけない」というようなことを書いています。」

 またこちらの記事では「アドラー・ブームの火付け役である岸見一郎氏の『嫌われる勇気』は、「課題の分離」ばかり強調して「協力」に関連する考え方をあまり含んでいないので「名目アドラー心理学」だと思っていたが(これはいちおう許容範囲内)、同じ題名を冠したテレビドラマはアドラー心理学に反する考えややり方でいっぱいなので、間違いなく「似而非アドラー心理学」だ(これは完全に許容範囲外)。岸見氏ご自身はこれについてどうお考えなのだろうか。」と書いている。

 もう一つ、トラウマに関する記述についても批判的で、こちらの記事で「なんでも、最近流行の「ブーム型アドラー心理学」では、「トラウマは無い」ということになっているのだそうだ。」と指摘している。私なりに解釈するなら、「嫌われる勇気」の「トラウマを否定する」という書き方が誤解を招くといいたいのだろう。

 そして野田さんは、「嫌われる勇気」は許容範囲内だが、重要な要素を欠いているので「名目アドラー心理学」だと評している。

 一方、私は日本アドラー心理学会の顧問や認定カウンセラーでもある岸見さんがアドラー心理学を正しく理解していないとは思っていない。岸見さんの「アドラー心理学入門」や「不幸の心理 幸福の哲学」も読んでいるが、課題の分離ばかりにこだわっているとも思わないし、援助についても書かれている。トラウマやPTSDについても、それらの症状の存在を否定してはいない。「嫌われる勇気」においてもPTSD症状は存在しないとは書いていない。ただし、「トラウマを否定」という書き方は、読者の誤解を招きやすいのは確かだろう。

 ここで着目すべきは「嫌われる勇気」は岸見さんが一人で書いている本ではないということだ。私は今、野田さんの「アドラー心理学を語る」というシリーズ本の第一巻「性格は変えられる」を読んでいるが(これについては改めて感想などを書きたいと思っている)、野田さんによるアドラー心理学の解説は仔細に渡っていてとても勉強になるし、具体的事例もとりあげていて分かりやすい。しかし、失礼なことを承知で書くなら、いくら優れた解説書であっても、岸見さんや野田さんのアドラー心理学の本が「嫌われる勇気」のように爆発的に売れることはないだろうと思う。

 この違いは、「嫌われる勇気」が単にアドラー心理学の解説書を目指したのではなく、万人に理解できる本にすることで多くの人の手にとってもらうことを目指したことに関わっている。そしておそらくそうした著者らの意図が、野田さんの批判に関係しているのではないかと私は考えている。

 岸見さんにアドラー心理学についての本を出したいと持ちかけたのはライターの古賀史健さんだ。そして「嫌われる勇気」の文章を書いているのも古賀さんだ。この本を書きあげるにあたっては、古賀さんと岸見さん、編集者が議論を重ねているのは間違いないが、企画した古賀さんの方針が強く反映されているのは確かだろう。

 私は古賀さんの「20歳の自分に受けさせたい文章講義」という本を読んだ。古賀さんは多数のベストセラーを手掛けてきたライターで、この本にはご自身の経験を元にした文章術がまとめられている。彼は読者を惹きつけるテクニックを良く知っており、「嫌われる勇気」を書くにあたってももちろん「20歳の…」に書いている文章のテクニックを駆使している(と私は思っている)。

 たとえば、古賀さんは「ライターは翻訳者である」と語っている。これが彼の文章を書くにあたっての基本的姿勢でありポリシーだ。つまり、古賀さんがご自身のフィルターを通して岸見流アドラー心理学を翻訳することで、とっつきにくい心理学を誰にでも分かるように解説したのが「嫌われる勇気」や続編の「幸せになる勇気」なのだと私は理解している。

 他にも、たとえば文章にリズムや説得力を持たせるために断定した書き方を入れるとか、文章の構成が重要だとか、あるいは読者を説得するのではなく納得させる文が良いとか、編集(推敲)では「書き足す」よりも「ハサミを入れる」など、古賀さん流の文章テクニックが紹介されている。青年の大げさな発言などはときに吹き出してしまうが、もちろんこうした誇張も読者を惹きつけるためのテクニックだ。

 ただし、古賀さんの翻訳や、断定、取捨選択の編集テクニックによって、切り取られすぎてしまった部分もあるだろうし、誤解を招きかねない部分も生じてしまったのだろうと私は勝手ながら推測している。そして、そこが野田さんの批判の的になってしまった気がしてならない。

 では、「技術を駆使した分かりやすい文章」によって売れる本を目指すことは不適切なのだろうか? こうした本はまがい物なのだろうか? 私はそうは思わない。私自身、ある方のブログで「嫌われる勇気」を知ってアドラー心理学を知り、この本を出発点に他のアドラー心理学の本も何冊か読んだ。本がベストセラーとなって話題になれば、私のようにこれまで心理学と何ら接点のなかった人がアドラー心理学の存在や概要を知る機会が増えるし、それをきっかけに、アドラー心理学をより詳細に解説している本へ誘導することにも繋がる。

 現に、絶版になっていた野田さんの本が昨年末に改訂・再版されたのも、「嫌われる勇気」に端を発しているのだろう。「嫌われる勇気」も野田さんのシリーズ本も一般の人を対象にした本だが、「嫌われる勇気」はこれまで心理学とは縁のなかったような人も対象にした導入のための本であり、アドラー心理学を詳細に解説している野田さんの本とは立ち位置や役割がやや異なる。

 もし「嫌われる勇気」が間違ったアドラー心理学の本なら由々しきことだが、野田さんも「許容範囲」だとしていて誤りだとまでは言っていない。また私自身は、続編の「幸せになる勇気」の発行で、共同体感覚についてはかなり補足されたと感じている。ただし、古賀流の文章術によって、アドラー心理学を誤解してしまう読者がいるなら、それはそれで問題であることは否定できない。

 私が冒頭で「苦々しく思っている」と書いたのは、この問題をめぐって野田さんの意見しか聞こえてこないことだ。アドラー心理学に関わる人たちの中には、この状況に当惑している人もいるのではなかろうか。野田さんと岸見さん・古賀さんの路線の違いといえばそれまでだが、第三者から見たら本当にそこまで批判すべきことなのだろうか?この状況をいくらかでも改善できないのだろうか?とどうしても感じてしまう。

 そこで、余計なお世話かもしれないが、門外漢の私からひとつの提案をしておきたい。すでに売れてしまった本についてはどうにもならないが、増刷する際には増補改訂版にして、野田さんが不十分だとか誤解を招きやすいと考えている部分に注釈をつけるなり、最後にまとめて解説を加えるという方法があるのではなかろうか。そして、その増補部分は出版社のウェブサイトに掲載するなどして、誰にでも読めるようにするというのはどうだろう。すでに誤解してしまった読者に対しては不十分な対応だろうが、このまま何もしないよりずっといいのではないかと思う。

 もう一つ、野田さんはこちらの記事でアドラー心理学は本や講演では学べないと書いている。本ではアドラー心理学がどういう思想であるかを知ることはできるが、アドラー心理学を身につける、すなわちアドレリアンとして実践するには講習会やワークショップでの体験が必要だということだろう。

 私は「嫌われる勇気」を読んだ人は、以下の三つのタイプに分かれるのではないかと考えている。

1.アドラーの思想を理解できない(しようとしない)。あるいは間違っていると思う。
2.アドラーの思想は理解できるし間違っているとは思わないが、実践しようとは思わない。
3.アドラーの思想を理解し、より深く学んだり実践しようとする。

 このうち圧倒的に多いのが1ないしは2だと思う(単なる勘だけれど)。より深く学んだり講座などを受けて体験的に身につけようと行動に移す人は限られているだろうし、野田さんの本を読んでみても、「本を読めば身につく」というほど簡単なものではなさそうなことも分かる。

 ならば、「嫌われる勇気」や「幸せになる勇気」がベストセラーになって売れることは意味がないかというと、そうは思わない。これらの本によって、アドラー心理学がどんな思想であるかを知ることはできるし、自分の抱えていた問題に気づく人も多いだろう。上記の1や2の人でも、今後の人生で思い悩んだときに本を読み直し、ライフスタイルの再選択を決意する人もいるのではなかろうか。本が多くの人の手に渡り、アドラーの思想が頭の片隅にでも引っかかることは、それなりに意味があると私は思っている。私も、生きているうちにアドラー心理学に出会えて本当によかったと思っているし、野田さんの本も知ることができた。これも「嫌われる勇気」に出会えたからに他ならない。

 なお、「嫌われる勇気」のテレビドラマについては見ていないし興味もないが、主人公のふるまいがアドレリアンと程遠いのなら、それはドラマの脚本を書いた人の理解の問題が大きいのではないかと思う。

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2017年1月29日 (日)

石城謙吉さんの環境問題講演集「自然は誰のものか」

 昨年末、石城(いしがき)謙吉さんの講演をまとめた書籍「自然は誰のものか」(エコネットワーク発行)が出版された。石城さんは川魚をはじめとした動物の研究者であり、北大苫小牧研究林の林長として森林問題にも関わってこられた方だが、同時に自然保護にも取り組まれてこられた。植物学者の故河野昭一さんもそうだが、自分の研究に没頭するだけではなく自然保護に尽力される研究者に、心から敬意を表さずにはいられない。本書は石城さんの講演会から11話を選んで書籍にまとめたものだが、どの話しも幅広い知識と経験、深い洞察力に裏打ちされている。

 最近は講演会を聞きに行くことがめっきり減ったが、以前はときどき講演会や学習会に参加して、専門の方たちの豊富な知識のおすそ分けに預かった。ただ、悲しいかな、講演会や学習会で知り得た知識や情報のうち頭脳に鮮明に記憶されるのはごく一部であり、話しの多くはなかなか記憶として留まらない。しかし、本書のように講演者が自ら講演内容をまとめて文章として残してくださると、あとで何度も読み返すことで理解を深めることができる。しかも、石城さんの講演は実に中身が濃く、示唆に富んでいる。このような話しをまとめて書籍にした意義は大きい。

 本書のタイトルともなっている第1章の「自然は誰のものか」は1989年の講演記録だから、今から28年も前の時点での話しだ。本章では、日本の大規模開発計画が昭和35年に発足した池田内閣の「全国総合開発計画(一全総)」に端を発し、昭和44年の佐藤内閣による「第二次全国総合開発計画(二全総)」、昭和47年の田中内閣による「日本列島改造論」、昭和52年の「第三次全国総合開発計画(三全総)」、昭和62年の「第四次全国総合開発計画」やリゾート法(総合保養地域整備法)へと受け継がれてきたことが示されている。戦後の高度経済成長の中で進められていった政府の開発計画こそ、日本の自然が次々と失われていった元凶だ。

 乱開発が始まった当初から自然保護に関わってきた人々は、程度の差こそあれこうした背景を理解しているだろう。重要なのは、石城さんが明確に指摘しているように、日本の自然を滅茶苦茶にした開発計画の目的は、中央集権体制の強化と再編にあるということだ。大規模工業開発やリゾート開発の流れの根源にあったのは、国と大資本による地域収奪であり、国と大資本による経済成長のための戦略だ。だから、開発に伴って全国各地で生じた自然破壊、環境破壊に対する反対運動の大半は、まさに国や大資本との闘いだった。そして、今もその構図は続いている。リニア新幹線などはその典型だろう。

 先日、昔書いたエッセイを3編アップし、最後に青字で注釈を添えた。「シギと私」では、東京湾や有明海をはじめとした干潟が失われていったことに触れ、「」では、八ヶ岳山麓のリゾート開発について触れた。海にも山にも押し寄せた開発の嵐は、かろうじて残されていた日本の自然を切り刻み、地方を切り捨ててきた。今更ながら、そのことを痛切に感じる。

 本書では、水や川をめぐる講演も2つ取り上げられているが、実に奥深い。「人間と水」という章に出てくる信玄堤や分水の事例は、現在の治水の見直しにも役立つだろう。武田信玄は、御勅使川(みだいがわ)支流を分けて釜無川との合流点を増やすことで水の勢いを弱めたり、堤防に切れ込みを入れて水の勢いを分散させる信玄堤(霞堤)という治水工事を行った(この工事についてはこちらを参照いただきたい)。こうした手法は自然の摂理に沿った治水といえるだろう。

 また、利水と治水の両方の機能を兼ね備えていた諏訪市の角間川の分水についても取り上げているが、昔の人の知恵に驚かされる。諏訪は石城さんの故郷だが、私の生まれ故郷でもあり、角間川は子どもの頃からなじみがある川だ。石城さんによると、角間川は上流で分水され、諏訪市街の東側にある山の裏側を通って市街地側の斜面に流れ込み、さらに分水されて農業用水や生活用水として使われていたという。

 この話しを知ってすぐに頭に浮かんだのは、諏訪の茶臼山の叔母の家の近くを流れていた小さな川のことだった。子どもの頃、夏休みに叔母のところに遊びに行くと、冷たい水が勢いよく流れているその川に遊びにいったものだが、細い道にそって流れるその川は子どもながらに自然の川とはどこか違うと感じていた。そこで、インターネットで公開されている国土地理院の地図から角間川を辿ってみた。

 なるほど、角間川は上流の2カ所で分水されている。一つは蓼の海(たてのうみ)という人造湖(ため池)を経由して山の鞍部を越し、もう一つは角間新田の上流で分水され鞍部を越えている。それぞれの分水地点からは鞍部に向かって等高線に沿うように水路が掘られ、鞍部を越えて反対側の斜面へと流れているのだ。こんな上流で分水をしていたとは知らなかった。そして、叔母の家の近くに流れていた小川は、角間川の下流部で分水されたものだということも分かった。諏訪の街中にはあちこちに水路があったことは子どもながらに記憶していたが、あの水路の意味に納得した。

 人の手によって本来とは異なる水系に水を流す行為は自然の摂理に反するものだ。しかし、節度をわきまえてさえいれば大きな災害には結び付かないだろうし、むしろ洪水の抑制につながる。自然との共生を目指した先人の知恵だ。ところがダムや河川改修などの大規模な治水や利水事業によって、昔ながらの優れた利水・治水は今ではほとんど姿を消してしまった。諏訪の水路網も今は使われていないという。

 公共事業という名の元で進められたダム建設や河川改修は自然を破壊しただけではなく、ダムの放水による洪水や、河川の直線化による破堤、溢水など新たな災害を生むようにもなってきている。自然を制御しようという考えが根底から間違っていることを教えてくれる。

 本書で取り上げられている講演はいずれも充実した内容のものばかりだが、人間社会の福祉と戦争について取り上げた「動物学からみた人間」についての考察は、考えさせられることが多い。直立二足歩行によって両手を自由に使えるようになり脳が発達して文化を発展させてきた人間は、高齢者や障害者、病人などといった社会的弱者を見捨てないという他の生物には見られない独自の生き方を選んできた。このような生き方を否定するような弱者切り捨ての行く末には、人間の将来はないだろうと石城さんは言う。

 昨年は相模原の障害者施設で入所者や職員多数が殺傷されるという凄惨な事件が起きた。安倍政権は、弱者切り捨ての法案を次々と成立させているばかりか、平和憲法をかなぐり捨てて戦争ができる国へと突き進んでいる。ネットでは気に入らない者、社会的弱者を叩いて優越感に浸ろうとする人が溢れている。人間以外の生物ではありえない殺伐とした光景だ。こんなときだからこそ、福祉と戦争について取り上げたこの章は、意味深いものになっている。

2016年12月31日 (土)

年の暮れに

 今日で今年も終わり。子どもの頃は一年がものすごく長く感じたのに、歳とともに短くなり、昨今では飛び去るように過ぎてしまう。なんだか追い立てられているようだ。

 「別れ」が増えてくるのも歳をとった証だろう。今年は喪中葉書がいつになく多く15枚もあった。自分より年上の方の訃報が多いとはいえ、友人や知人の訃報を耳にするたびに寂しさがこみ上げてくる。かつて共に語らい心を通わせた人たちが、一人、また一人と亡くなっていくのは、なんともやるせない。

 今年は植物学者で京大名誉教授の河野昭一先生と、昆虫学者で帯広畜産大学名誉教授の西島浩先生の訃報が届いた。

 私が河野昭一先生を知ったのは、学生時代に大学の図書館で手にした「植物の進化生物学 種の分化と適応」だった。進化や種分化に興味を持ちはじめていた頃だったからこそ、この本と著者の名前は脳裏に深く刻まれた。そして、日本にもこんな優れた研究者がいるのだと知った。

 その後、河野先生は自然保護運動に積極的に関わっていることを知って、私は大いに認識を新たにした。日本では自然保護などの草の根の社会運動に積極的に関わる研究者はとても少ない。単に研究に忙しいということだけではなく、たぶんいろいろなしがらみの中で圧力のようなものがあるのだろう。しかし河野先生は、大規模林道問題全国ネットワークの代表を務め、全国各地で自然保護のための調査にも関わって大活躍されていた。国際自然保護連合の生態系管理委員会東アジア地区副委員長も務めるという希少な研究者だった。

 そんな河野先生と行動を共にすることになったのは、2005年の上ノ国町ブナ林伐採現場への視察だった。それ以来、十勝東部の国有林の伐採現場、上士幌町の幌加・タウシュベツの皆伐現場、上川町の石狩川源流部の違法伐採現場など、道内各地の伐採現場での視察や調査で行動を共にした。

 かつては雲の上の存在だった河野先生と、自然保護の現場でともに行動することになるとは夢にも思っていなかった。70歳を超えてもとてもお元気で全国を飛び歩き、誰とでも気さくに話しをされる河野先生に、私などはいつも元気づけられていた。今となっては、それも懐かしい思い出だ。

 河野先生亡きあと、先生に代わって自然保護のために行動する研究者が果たしてどれほどいるのだろうか?と思わざるをえない。それほど、自然保護、とりわけ森林保護に尽力された類い稀な研究者であられた。

 西島浩先生は深い付き合いがある訳ではなかったたが、大学時代の恩師(昆虫学)とは親友の中だったそうで、お二人で尋ねてこられたことがあった。根っからの昆虫好きで、虫好きが高じて研究者となり、一生を虫とともに暮らしたといっても過言ではないだろう。

 何年か前に千歳のご自宅に2回ほど伺ったことがある。ご高齢でありながら一人暮らしをされており、居間のテーブルには昆虫の本が積まれ、一日中、昆虫の本や資料に囲まれて過ごされているようだった。そして、私の顔を見ると「このあたりにもオニグモがたくさんいて夏になるとオニグモヤドリキモグリバエを見かけるのだが、最近はオニグモもあまり見られなくなった」と嘆いていらした。

 オニグモヤドリキモグリバエは産卵前のオニグモの腹部に卵を産みつける小さな黄色い寄生バエで、幼虫はオニグモの卵を食べて育つ。昆虫愛好家として、クモも寄生バエも興味深い対象として観察されていたのだろう。長生きされたのは、昆虫というかけがえのない趣味を生涯に渡って心から楽しんでいたからに違いない。いくつになっても好きなことに没頭できるというのは素晴らしいことだと思う。

 お二人のご冥福を心よりお祈りしたい。

 さて、私もあと何年生きられるのか分からないが、今年も大きな病にもかからず、事故にも遭わず、平穏に過ごせたことに感謝したい。この国が平和でいられるのも、あるいは自由に物を言えるのも、今のうちかもしれない。一度しかない人生なのだから、言いたいことも言わず、やりたいことを我慢するつもりはない。せめて残された人生を自分に正直に生きたいと思う。

2016年10月25日 (火)

アドラーのトラウマ否定論について思うこと

 アドラー心理学の「トラウマを否定する」という考え方について、納得できないという人は多いと思う。なぜなら、トラウマ(心的外傷)とかPTSD(心的外傷後ストレス障害)は実際に存在するし、それが当事者にとっては生活上の大きな支障になっていると認識されているからだろう。

 しかし、私はアドラーの主張は基本的に間違っていないと思う。岸見一郎さんはアドラーのトラウマ否定論について、「幸福の心理 幸福の哲学」(唯学書房)で以下のように説明している。

 主人の側について歩くことを訓練された犬がある日、車にはねられた。この犬は幸い一命をとりとめた。その後、主人との散歩を再開したが、事故にあった「この場所」が怖い、と、その場所に行くと足がすくみ、一歩も前に進めなくなった。そしてその場所には近づかないようになった(Adler, Der Sinn des Lebens, S29)。
 「事故にあったのは、場所のせいであって、自分の不注意、経験のなさではない」と結論付けた犬は、この考えに固執し危険はこの場所で「いつも」この犬を脅かした。
 アドラーが比喩で語るこのケースは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)のケースであると見ることができるだろう。神経症の人もこの犬と同じである、とアドラーはいう。面目を失いたくはないがために、ある出来事を自分が人生の課題に直面できないことの理由にするのである。
(27ページ)

 私はこの部分を読んで、自分が犬に咬まれたときのことを思い出した。あれは小学校高学年の時だったと思う。道端のフェンスに犬が繋がれていた。動物が嫌いではなかった私は犬に近づいて頭を撫でようとしたのだが、犬はいきなり私にとびかかって腕に咬みついた。私はびっくりしたと同時に「しまった!」と思ったが、後の祭りだった。腕には犬の歯形がしっかりとつき血がにじんだ。ただし、犬も本気で咬みついた訳ではなかったようで、大事に至るような怪我ではなかった。

 犬が嫌いではないがゆえに、咬みつかれるとは考えもせず不用意に近寄ったことが不幸を招いた。その後しばらくの間、私は大きな犬を見たり犬に吠えられるたびに恐怖に襲われた。アドラーの比喩にある交通事故にあった犬と同じであり、いわゆるPTSDといえるものだろう。これは、恐らく咬まれたときの恐怖が「犬=恐怖」という記憶となって脳にインプットされてしまったのだと思う。しかし、いくら犬が吠えたてたとしても、繋がれているなら近寄らなければ咬まれないし、人に咬みつく犬は多くはない。よく考えれば犬という動物はそれほど怖がる存在ではないのだ。それを自分で認識するようになるにつれ、犬への恐怖感は消えていった。

 「クモ恐怖症」も同じだ。クモ恐怖症の人はクモが大嫌いで、クモを見ただけで怖がりパニックになったりする。これもトラウマ、PTSDと言えるだろう。クモ恐怖症になってしまう人は、恐らくクモに咬まれて痛い思いをしたとか、テレビや映画などでタランチュラなどに襲われる場面を見たことが「クモ=恐怖」として脳にインプットされ、その思い込みから逃れられないのだろうと思う。

 しかし、私を含め、クモが大好きな人はたとえクモに咬まれて痛い思いをしてもクモ恐怖症になることはない。クモ愛好者の多くは素手でクモを採集するが、たまに咬まれてしまうことがある。そんなときは自分に問題があったと自覚しているから、クモが悪いとは考えない。また、クモの毒性についても知識があるから、たとえ咬まれても冷静に対処できる。大半のクモは怖い存在ではないと理解していれば、クモ恐怖症にはならない。

 ちなみにクモや昆虫を素手で触る私を見て育ったわが家の子どもたちは、クモも昆虫も怖がることはない。恐怖症になるか否かは、過去の経験や周囲の人の影響で「○○は怖い」という情報が脳に刻まれてしまい、それに強く支配されてしまうか否かというところにありそうだ。そして、恐怖に支配されるか否かは、当事者の意識が大きく関わっている。

 夫のモラハラ(モラルハラスメント)でPTSDになったという人のブログを読んだことがある。モラハラ夫は妻を自分の所有物のように支配しようとする。その女性は、モラハラ夫が単身赴任になり週末にのみ自宅に帰ってくる生活になってから、週末になると酷い体調不良で入院するようになった。そして、医師からPTSDだと告げられる。その後、彼女は離婚を決意して離婚のための行動にでるとPTSDがなくなったそうだ。この女性が夫のモラハラによってPTSDを発症したのは事実であっても、意識の転換によって発症を抑えることができたのだから、PTSD発症の鍵を握っているのはモラハラそのものというより女性の意識が大きい。ならば、モラハラがPTSD発症の直接の原因だと決めつけることにはならない。

 ところが、PTSDに苦しんでいる人はしばしば自分の不幸や辛さを、トラウマを生じさせたできごとのせい、あるいは加害者のせいだと考える。このような原因論に捉われてしまうと、意識の転換ができないのでずっとPTSDに支配されることになる。そして、自分の責任をトラウマに転嫁させてしまうことになりかねない。アドラーはこれを「見かけの因果律」と言った。

 モラハラ夫でPTSDになった女性の事例で言うなら、モラハラ男との結婚という選択をした責任は彼女にあるし、夫の支配になんら対策を講じずに結婚生活を続けた責任も彼女にある。その責任を自覚して自分の抱える「愛の課題」に向き合い離婚の決意をしたときにPTSDから解放されたといえるだろう。

 自分自身に何ら責任がない事件や事故、自然災害などによる恐怖もトラウマになる。しかし、そのトラウマは前述したように、脳が勝手に刻み込んだいわば「思い込みによる恐怖」といえるものだ。事件が起きた場所に行くとPTSDを発症するという場合があるが、そこに行ったらまた同じことが起こるというわけではない。脳に記憶された恐怖が場所と結びついているだけだ。

 事件や事故、自然災害に巻き込まれることは稀であるし、その教訓を今後に生かそうと自覚できれば、トラウマの恐怖に支配されることもなくなるだろう。PTSDになるかどうかは当事者の意識が大きく関わっているのに、過去の事件や事故のみに原因を求めて固執する人は、いつまでもPTSDから抜け出せなくなり、やがてトラウマやPTSDを、自分が人生の課題に取り組まないことの言い訳にするようになる。

 岸見さんの著書から再び引用したい。

 アドラーは、トラウマは必ずしもトラウマである必要はなく、いかなる経験もそれ自身では、成功の、あるいは、失敗の原因ではない、人は経験によって決定されるのではなく、経験に与えた意味によって自分を決めている、と考えている(What Life Could Mean to You, P42)。
 トラウマによる不安を訴える人がもともと困難を回避する傾向があるということはありうる。働きたくないと常々思っていた人であれば、職場に行かないでいることを正当化する理由ができたと思うかもしれない。最初は事故にあった場所や事件に巻き込まれた場所に行った時、不安になったり心臓の鼓動が速くなったり頭痛がするという症状が出ただけだったのに、やがてその場所の近くを通りかかるだけでも症状が出るようになり、そうなると外へ一歩も出られなくなるのはすぐのことである。
(30ページ)

 アドラーはトラウマやPTSDの存在そのものを否定しているわけではない。過去の辛い経験について、当事者がトラウマだと思えばトラウマになってしまうが、そう考えなければトラウマにはならないと指摘しているのだ。トラウマになるか否か、PTSDを引き起こすか否かは過去の経験そのものより、当事者の考え方(経験にどのような意味づけをするか)によって決まる。だからこそ、同じ辛い経験(たとえば大津波で家族を失うなど)をしても、PTSDになる人とならない人がいるのだ。

 岸見一郎・古賀史健著「幸せになる勇気」で、アドラー心理学を説く哲人は以下のように語っている。

 彼らのような生き方を選ぶのは子どもだけではありません。多くの大人たちもまた、自分の弱さや不安、傷、不遇なる環境、そしてトラウマを「武器」として、他者をコントロールしようと目論みます。心配させ、言動を拘束し、支配しようとするのです。  

非常に厳しい言い方であるし、PTSDに苦しんでいる人にとっては受け入れがたい考え方かもしれない。しかし、この指摘はやはり真実だと思う。過去の経験にどのような意味付けをするかでトラウマになるかならないかが決まるのなら、意味付け(考え方)を変えることでトラウマやPTSDから抜け出すことができる。それにも関わらず、「自分の不幸は不遇な環境やトラウマのせいであり、自分には一切責任がない」という思考にはまってしまうと「意味付けを変える」という思考ができず、いつまでもPTSDに捉われて前に進めない(人生の課題に取り組まない)ばかりか、無意識のうちに他者を支配することになりかねない。

 アドラーのトラウマ否定論については、以下も分かりやすい。

http://diamond.jp/articles/-/52954?page=4 
http://yuk2.net/man/110.html

 

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誤解される「嫌われる勇気」

2016年8月20日 (土)

競争の弊害

 私はスポーツにはとんと興味がないし、オリンピックも関心がない。オリンピックがすでに商業主義になっていることもあるが、メダルや勝敗にばかりこだわることにどこかうんざりとした気持ちがある。テレビも見ていないからどうでもいいといえばそうなのだけれど、新聞は毎日、トップでオリンピックでの選手の活躍ばかり伝えているので、興味がなくても目にはいってくる。

 そんな中で飛び込んできたのが、レスリングで銀メダルをとった吉田沙保里選手が「金メダルが取れなくて、ごめんなさい」と泣いて謝る痛々しい姿。彼女の謝罪には、日本の代表として競技に臨む選手の重圧がそのまま現れている。彼女の謝罪に違和感を覚えた人は多いと思うが、こうした無言の圧力こそ無用なものだし、私がスポーツに関心を持てない理由のひとつだ。

 吉田選手は謝る必要などまったくない。彼女は日本のためにレスリングをやっているわけではないし、彼女を応援している人のためにやっているわけでもない。最善を尽くしたのだからそれでいいではないか。今回は金メダルをとれなかったが、次もダメだとは限らないのだし、自分の期待がかなわなかったからといって他人がとやかくいうことではない。王者といわれる実力の人でも、永遠に王者でいることはできないし、いつかは後進に道を譲らねばならない。第三者が勝手に期待をかけてしまうこと自体が間違いだと言わざるをえない。

 日本では、中学や高校の部活動においても勝敗にこだわる教育がなされている。とにかく勝つことが目的になっている感がある。これは何もスポーツに限らない。文化系の部活でも、コンクール、コンテストなどで競うことは少なくない。もちろん、試合において勝利を目指すことを否定はしないのだけれど、なぜそこまで競い、勝敗は順位に拘るのかと、私は不思議でならない。

 たとえば写真甲子園という高校生の写真選手権大会がある。新聞に掲載された入選写真を見ていつも思うのは、結局「選ばれること」を意識した写真になってしまうということだ。はじめから入選を意識するので、「撮りたい写真」ではなく審査員の目を意識した「入選するための写真」を撮ることに必死になる。写真のような芸術は、本来、評価されるために撮るものではないし競うものではないと思うのだけれど、なぜそこまで競いたいのか私には理解しがたい。

 勝敗にこだわり、子ども達を追いたてれば無言の圧力になってしまうし、ときに本来の目的や楽しさから外れ、他者の期待を満たすことが目的になりかねない。競争も圧力もマイナス効果しか生まないと思う。

2016年3月19日 (土)

小学校の卒業式での袴姿に思う

 先日、新聞に小学校の卒業式の記事が掲載されていたのだが、女の子が振袖姿で卒業証書を受け取る写真を見て目が点になった。写真をよく見ると、ほかにも振袖を着ている子が何人もいる。いったいいつから小学生が和服で卒業式に出るようになったのかと驚いたのだが、インターネットで調べてみるとどうやら数年前から振袖に袴で卒業式に出る子どもが増えており、ブームになってきているらしい。

 これにはもちろん賛否両論がある。賛成派の人の意見は「振袖や袴は日本の伝統的な正装であり、卒業式という記念の場に相応しい」、「ほとんど着ることのないスーツなどを買うならレンタルの和服の方がいい」、「振袖は親などが持っているものを着せられるので、袴だけのレンタルなら安い」などなど。しかし、私には、子どもに華美な服装をさせたいという親の見栄や満足感が先にあり、自己正当化のために後づけでこのような言い訳をしているとしか思えない。

 そもそも卒業式というのはひとつの区切りの儀式であり、通過点に過ぎない。義務教育である小学校の卒業式で正装をしなければならない理由はないし、まして日本の伝統だからという理由で和服を着る必要もなければ、お金をかける必要もない。服装は卒業式の本来の目的とは関係がないし、とってつけたように伝統に拘るのは意味不明だ。私は普段着だってまったく構わないと思っている(ジャージなどの運動着やジーンズなどは避けるべきだとは思うが)し、むしろなぜ学校が「普段着で出席するように」と言わないのかが不思議だ。私が小学校の頃は、卒業式には中学校の制服を着ていった。それは着る機会がほとんどない服にお金をかけることがないようにという学校の配慮でもあったのだろう。しかし、そういった配慮はいったいどこへいってしまったのだろうか?

 もうだいぶ前のことになるが、自然保護の集会で旭川のあるホールに行ったときのこと、ピンクや水色などの華やかでヒラヒラとしたドレスを着た子ども達が大勢いて何があるのかと不思議に思ったのだが、どうやらピアノの発表会だったらしい。しかし、いつからピアノの発表会がドレスのファッションショーのようになってしまったのかと唖然とした。私も子どものころピアノを習っていたが、発表会はいわゆる「よそゆき」程度の服装だったし、中学生のときは制服だった。しかし、最近では、発表会は日頃の練習の成果のお披露目というより、きらびやかな衣装を着ることの方が楽しみになっているのではなかろうか? あのお姫様のような衣装を着たいがために楽器を習いたいという子もいるのではないかと思ってしまうほどだ。

 成人式でも大学の卒業式でもそうだが、昨今はかつてに比べてはるかに画一的になっている。私は成人式には出席しなかったが、私の頃は振袖のほかに洋服の人もそれなりにいたと思う。今はほぼ全員が振袖だし、和服の男性もいる。まるで振袖のファッションショーと化している。大学の卒業式も同じで、私が学生の頃は袴のほかに洋装の女性も結構いて、人それぞれだった。私は卒業式以外でも着る機会のあるワンピースにした。しかし、今は袴の女性が圧倒的ではなかろうか。

 成人式も卒業式も、あるいはお稽古ごとの発表会でも、本来の目的とかけ離れ、衣装の見せびらかしの場になってしまっているように思えてならない。親も親で、子どもを着飾らせることが愛情だと思ったり、皆と同じ衣装を用意してあげないと可哀そうという感覚なのかもしれない。しかし、そこには個性のかけらもない。そして、そんな見かけばかりに拘る風潮が小学生の卒業式にまで及んでしまったというのが昨今の袴ブームなのだろう。

 こうしたブームの陰には間違いなく貸衣装業者の営利主義がある。インターネットで「小学校 卒業式 袴」と入力するとおびただしい数の貸衣装業者のサイトが出てくる。貸衣装屋こそが親の見栄と同調意識を利用してこうしたブームをつくりあげている張本人ではなかろうか。だからこそ、成人式や卒業式、発表会がファッションショー化し、全国各地で小学生の袴が流行るまでに至ったのだろう。

 ハロウィンやバレンタインのチョコレートもそうだが、日本人とは何と安易に商業主義に利用されてしまう民族なのかと思う。

2016年3月 5日 (土)

何度でも再読したいアドラー心理学の書「幸せになる勇気」

 「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健著 ダイアモンド社)の続編である「幸せになる勇気」が発売されたのでさっそく購入した。前編の終わりで青年は哲人の説明に納得し、アドラー心理学を受け入れる。そしてアドラーの教えを実行しようと教師になるのだが、ほめもぜず叱りもしない手法を実践しても生徒は荒れるばかり。結局、青年はアドラー心理学など机上の空論にすぎないと息巻いて哲人を論破しようと再訪する。そこでの青年と哲人の対話がこの後編の物語だ。この展開からすでに読者は引き込まれる。

 前編と同様、哲人に真正面から突っ込んでいく青年の大げさな発言にちょっと吹き出しながらも、とても面白く読了した。対談形式でアドラー心理学を説明するというこの2冊の本は、古賀さんの「読ませる」文章が読者を引きつけずにいられない。彼の文才なのだろう。しかし、もちろんそれだけではない。本書を読み進めていくうちに、哲人の語るアドラー心理学は実に奥が深いことが見えてくる。タイトルにある「幸せになる勇気」の結論は実にシンプルで、決断さえすれば誰もが実行できる。ただし、その決断そのものが困難であることも思い知らされることになる。

 一般に続編が出される本では前編より後編の方が魅力に欠けるという印象が私にはあるのだが、本書に関してはどちらも優れたアドラー心理学の解説書だ。前編がアドラー心理学の基本的な部分を分かりやすく解説しているのに対し、後編はより深く具体的に掘り下げていく。そして後編にこそ幸せになるための生き方が明確に示されているといってもいいだろう。また、前編の「嫌われる勇気」というタイトルは、他者に嫌われることを極端に気にしている人、すなわち本来ならこの本を必要としている人が手にとることを躊躇させる響きがあるが、「幸せになる勇気」にはそういう抵抗がないのもいい。「嫌われる勇気」を手にとる勇気がなかった人も「幸せになる勇気」なら抵抗がなく手にとれるだろうし、本書を読み通すことができるなら前編を読みたくなるかもしれない。

 さて、本書のはじめのほうにカウンセリングでつかう三角柱のことが出てくる。三角柱の一面には「悪いのはあの人」と書かれ、もう一つの面には「かわいそうなわたし」と書かれているのだが、誰かと話しをしたり相談ごとを持ちかけるときにこの二つしか語らない人が多いという。

 そう言われてみればたしかにそういう人は多い。たとえばツイッターのタイムラインを見ていてもそうだ。他人の批判、批評、悪口ばかり言っている人は「悪いのはあの人」の話しをしているのであり、自分のことで愚痴をこぼしたり自分は被害者であると主張するひとは「かわいそうなわたし」の話しをしているのだ。

 では、三角柱の残る一面には何と書いてあるのか。そこに書かれているのは「これからどうするか」である。そして「悪いのはあの人」の話しや「かわいそうなわたし」の話しをしていても自分の抱えている問題は何も解決しないと哲人は言う。たしかにその通りだ。自分の抱えている問題を解決するためには「これからどうするか」を考えるしかない。ところが多くのカウンセリングにおいてクライアント(相談者)がカウンセラーに話そうとするのは「悪いのはあの人」と「かわいそうなわたし」なのだという。ここがアドラー心理学に基づくカウンセリングとそうではないカウンセリングの大きな違いだろう。

 もちろんカウンセリングだけではなく、これは私たちの日常生活における会話や考え方においてもきわめて重要なことだ。気に入らない人の悪口を言ったり、政治に対する不満をぶちまけていてもそれだけでは何も解決しない。他者の意見や政治などに関し自分の考えを述べることは必要だと思うが、それだけで問題が解決するわけではない。問題解決のためにはこれからどうしたらいいかを考え行動するしかない。

 教師になって、アドラーの教えを実践しようとした青年は、生徒をほめもせず叱りもしなかった。その結果、教室は荒れ、青年はアドラーの教えが間違いであると考えて叱ったりほめたりする方針に転換した。これに対し、哲人は「あなたは生徒たちと言葉でコミュニケーションすることを煩わしく感じ、手っ取り早く屈服させようとして、叱っている。怒りを武器に、罵倒という名の銃を構え、権威の刃を突きつけて。それは教育者として未熟な、また愚かな態度なのです」(114ページ)と喝破する。

 なぜ怒ったり叱ったりしてはいけないのか。哲人はこう説明する。

 叱責を含む「暴力」は、人間としての未熟さを露呈するコミュニケーションである。このことは、子どもたちも十分に理解しています。叱責を受けたとき、暴力的行為への恐怖とは別に、「この人は未熟な人間なのだ」という洞察が無意識のうちに働きます。
 これは大人たちが思っている以上に大きな問題です。あなたは未熟な人間を「尊敬」することができますか? あるいは暴力的に威嚇してくる相手から、「尊敬」されていることを実感できますか? 怒りや暴力を伴うコミュニケーションには、尊敬が存在しない。それどころか軽蔑を招く。叱責が本質的な改善につながらないことは、自明の理なのです。ここからアドラーは、「怒りとは、人と人を引き離す感情である」と語っています。(116ページ)

 誰もが叱られるという経験を持っていると思うが、叱責されたときの心理を実に的確に説明している。私も小学生のとき率直に疑問に思ったことを口にしたことが担任の教師の怒りを買ったようで、授業中に晒し物のように叱責されたことがあるのだが、それ以来この教師には嫌悪感しか抱かなかった。こういう記憶は決して忘れることができないのだが、あのときの頭ごなしの教師の叱責は私にとって侮辱であり屈辱以外の何物でもなかった。その教師は、勉強ができない児童への罰も平気で行った。別の教師だが、嫌いな給食であっても半分は食べないと教室から出さないという教師がいて、吐きそうな思いをして無理矢理食べされられた。これも罰であり強制である。叱責や罰が信頼関係を崩壊させるのは間違いない。

 哲人は暴力についてこんなことも言っている。「暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段なのです。これは道徳的に許されないという以前に、人間としてあまりに未熟な行為だと言わざるをえません」 ネットに溢れる罵詈雑言、誹謗中傷、侮辱、嘲笑、個人情報晒しなどという攻撃は、言葉によるコミュニケーションでは勝ち目がないと思った人が相手を屈服させるための暴力でしかない。しかし、このような幼稚な暴力をむき出しにする人が何と多いことか・・・。

 もう一つの褒賞について、哲人は次のように説明する。

 子どもたちを競争原理のなかに置き、他者と競うことに駆り立てたとき、なにが起こると思いますか? ・・・・・・競争相手とは、すなわち「敵」です。ほどなく子どもたちは、「他者はすべて敵なのだ」「人々はわたしを陥れようと機会を窺う、油断ならない存在なのだ」というライフスタイルを身につけていくでしょう。(137ページ)

 こちらの記事にも書いたが、娘の通っていた小学校のある教師はまさに賞罰教育を方針としていた。その教師は地方の小規模校での勤務を希望し教頭や校長への昇進も目指さなかった。一部の児童や親の間では「名物教師」として慕われていたらしい。私はこうした噂から当初は子どもたちの主体性を重んじる教師なのだろうとばかり思った。しかし、実際に目の当たりにした教育方針は私には理解しがたいものだった。

 その一つが子ども達の絵画、作文、詩、書道などの作品をことあるごとにコンクールに応募しては入賞を目指すというやり方だった。数打ちゃ当たる、とばかり手当たり次第に応募していたようだった。入賞すれば自信がついてやる気が起きるというのだ。やる気を起こすことが目的?! しかも子どもたちが自発的に応募するわけではない。なんと不純な目的だろう・・・私は直感でおかしいと思った。

 もう一つは、体育の競技でタイムを計って順位づけするという手法。授業中に競技大会で良い成績をとるための訓練をしていたのだ。しかも学内の競技会では上位の子にトロフィーを渡す。1位が最も大きなトロフィーで、順位が下がるに従って小さくなる。まさに褒賞と競争の教育が信念だった。さらに、無謀とも思える学校行事の企画があったのだが、そうした行事はどうみても児童の立場にたって考えたというのではなく教師の思いや野望による企画にしか見えなかった。 そうした行事の目的は「達成感を得ること」だと説明されたが、これもコンクールへの応募と同じ匂いを感じた。私は保護者会やPTAで何度となく意見を述べたが、教師からは反論もしくはスルーされたし、一部の親からは敵対視された。競争教育に抵抗がない親が多いことにも驚いた。

 小さな子どもにとって学校という閉鎖空間での支配的な教師の存在は絶大である。そのような教師にたてついたところで罰を与えられるだけだろう。かといって教師との関係をうまく築くことができなければ居場所を失うに等しく、不満を抱いても我慢して言いなりになるほかない。教師のやり方がおかしいと感じた子どもは葛藤を抱え、教師も学校も嫌いになるに違いない。もちろん信頼関係も結べない。思えば、私の子ども時代もそうだった。

 子どもがライフスタイルを決定すると言われる小学校の低学年の時期にこのような競争教育にさらされたなら、子どもたちは簡単に「他者は敵」というライフスタイルを身につけてしまうだろう。実際、何事につけても「勝った!」「負けた!」と競争で考える子どもたちが複数いた。哲人は、子ども達が最初に「交友」を学び、共同体感覚を掘り起こしていく場所は学校だと指摘するが、その学校で賞罰教育や競争教育が行われていたなら、共同体感覚が育つとは思えない。

 この学校に限らず、子ども達に賞罰を与え、競争に追い込んでいる学校は普通だと思う。そう思うとき、日本の子ども達の置かれた環境は実に苛酷だと思わざるを得ない。いじめがいつまでもなくならないのも、こうした環境と無関係ではないだろう。

 本書のクライマックスは、何といっても最後に語られる「愛」についてだ。そして、この本のテーマでもある「幸せになる勇気」もそこに集約される。ここで自立の話しが出てくるのだが、自立は自己中心性からの脱却だという主張はもっともだ。そして哲人は自己中心性からの脱却に必要なのが愛だと説く。さらに愛が共同体感覚にたどりつき、ひいては人類全体にまで影響を及ぼすというのがアドラーの考え方だ。クライマックスである愛についての具体的説明は本書に譲るが、一つだけ気になったことを書きとめておきたい。

 哲人はアドラーの語る愛について「彼が一貫して説き続けたのは能動的な愛の技術、すなわち『他者を愛する技術』だったのです」と言う(231ページ)。私はこの「愛の技術」という言葉にはどうしても違和感を覚えてしまう。

 私がこれまで知り合った人たちの中には、ごく少数ではあるがアドラー心理学を学んでもいないのにアドラーの思想を自然に実践しているように思える人もいる。マザー・テレサなども恐らくそうなのだろう。彼ら、彼女らはアドラーのように他者の心理を探り研究した末にそういう生き方を選択してきたとは思えないし、愛する技術を習得した結果他者を愛せるようになったということでもたぶんない。

 それについては私はこう思う。つまり、無意識にアドラー心理学を実践している人たちはおそらく自分の良心に誠実に行動しているのではないかと。自分がやられたら嫌だと思うことは他人にはやってはならないということは子どもでも理解できるし、ごく自然な心理だろう。こういう感覚が良心だと私は思う。ところがこれを頭では理解していても実践しようとせず、仕返しを企てる人がいる。良心よりも利己性が先に立ち、報復によって相手を征服しようとするのだ。子どもの頃のままの自己中で幼稚なライフスタイルから抜け出せないのだろう。しかし、このような人の中にも間違いなく良心はあると私は考える。

 だから、「相手を屈服させたい」と思ってしまう人は、いまいちど自分の良心に問いかけ良心に誠実に生きようと決断することでアドラーの教えを実践できるのではなかろうか。「愛は技術」と考えるより、良心を尊重できるか否かという心の問題だと捉えるほうが理解しやすいように思う。もちろん、長年つかいつづけた利己的なライフスタイルを捨てて良心に問いかけるという決断をすることが困難であることは言うまでもないが。

 私は日頃、いわゆるベストセラーになる本はあまり読まない。新聞に大きな広告が出ている本などは、それだけで買う気が失せることもしばしばだ。しかし、「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」は一人でも多くの人が手に取り、何度でも読み返して理解する努力をし、まわりの人に広めてほしいと思う本である。なぜなら、アドラー心理学は人間のもっとも根源的なことを問うていると共に、平和の実現にもつながると思うからだ。アドラーは、「いかにすれば戦争を食い止められるか」を考えた人なのだという。アドラー心理学を理解し広めることは民主的で平和な社会の構築へとつながるにちがいない。

【関連記事】
アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その1 
アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その2 
アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その3 
アドラー心理学をめぐる論争とヒューマン・ギルドへの疑問

2016年3月 3日 (木)

洗濯機のカビとりは酸素系漂白剤で

 全自動洗濯機のドラムの裏側にはどうしても黒カビがついてしまう。私は今まで市販の洗濯槽用のカビとり剤を使っていたのだけれど、どうもカビがちゃんと落ちていない気がしてならなかった。というのは、カビとり剤を使ったあとで洗濯をしてもカビの破片が洗濯物に付着するのだ。そこで前回は2袋、つまり2回分を投入してみたが、やはりその後も洗濯をするとカビの破片が出てくる。どう考えても、きちんと取れていない。

 切りぬいておかなかったのだが、以前、新聞に酸素系漂白剤で黒カビが取れると書いてあったことを思い出した。そこでインターネットで調べてみると、水10リットルあたりおよそ100グラムの酸素系漂白剤(粉末)を使うと良いらしいことが分かった。わが家の洗濯機だと500~600グラムもの酸素系漂白剤を入れることになる。これはかなりの量だ。市販のカビ取り剤の主成分も酸素系漂白剤なのに使用量がまったく違う。こんなに必要なら、市販のカビとり剤できれいに取れないのも納得がいく。

 そこで、さっそくカビとりを実施してみた。朝、風呂の残り湯を洗濯槽にある程度入れ、それにお湯を足して50度くらいのお湯を高水位まで張る。そこに酸素系漂白剤を600グラムほど投入して5分ほど洗濯槽を回して撹拌する。この段階で黒いカビがどっとでてきて、まず目を丸くした。

 出てきたカビを湯垢すくい(私は手製のものを使ったが、百均でも売っている)ですくいとり、再び撹拌。これを黒カビがほとんど出てこなくなるまで時間をおいて何回か繰り返す。その間にもお湯がどんどん黒っぽくなっていく。私の場合は夕方まで何回か繰り返した。その後、水を抜いてから再び水を溜めて撹拌する。

 このときにも大量のカビが出てきて、ほんとうに驚いてしまった。いったい今までの市販のカビ取り剤は何だったのかと唖然とした。再び湯垢すくいでカビをすくっては撹拌するという作業を何回か繰り返し、最後に洗濯コースを一回運転して終了。

 このカビとり作業で出てきたカビの量から考えるなら、洗濯槽の裏側にはたぶんびっしりとカビが貼りついていたのだろう。かなりぞっとした。

 そのあと洗濯をしたときには、黒カビの破片はほとんど出てこなかった。たぶんきれいに取れたのだと思う。

 ということで、洗濯槽のカビとりは「酸素系漂白剤を水10リットルあたり100グラム」の方が市販のカビ取り剤よりよほど効果的で安価であることが分かった。お試しあれ。

2016年2月29日 (月)

十二社と熊野神社の思い出

 子どもの頃住んでいた新宿の十二社(じゅうにそう)と熊野神社には2013年に訪れているのだが、先日東京に行ったときに再び足を延ばしてみた。十二社に住んでいたのは4歳くらいから小学校4年生の夏休み前までだから、7年ほどの間でしかない。でも、東京にくるとなぜか足が向いてしまう。昔のことを懐かしく思うのはおそらく歳をとり郷愁が湧いてくるといいうこともあるのだろうが、はるか昔のこととなった自分のおぼろげな記憶の中の風景と今の変容ぶりを確かめたいのかもしれない。

 あの頃の面影が残っているのは3年とちょっと通った淀橋第六小学校、小学校の近くの児童公園、住宅街の中の狭い通り、そして熊野神社くらいだろうか。当時からそのままの建物はほとんどなく、皆、あたらしい住宅やマンションに建て替えられ50余年の歳月は景色を一変させている。当たり前といえば当たり前なのだが、やはりどこかに昔の面影を探してしまう。

 今回は1年間通った幼稚園のあった場所にも足を延ばしてみた。幼稚園がなくなっていることは知っていたが、かつて幼稚園のあった敷地は集合住宅になり、記憶の世界とはまったく違った光景が何事もなかったかのように空間を占領している。

 考えてみれば、数歳の子どもの行動範囲はなんと狭かったのだろう。地図を片手に一人で出歩いた行動圏を目で追うと、東は十二社通りを渡ったところにある熊野神社までだった。南は甲州街道、西は山手通り、北は方南通りに囲まれた、住んでいたアパートから大人の足なら片道5分程度のところが当時の私の行動圏だったことを改めて思い知った。ちょうど、こちらのブログの地図の範囲が私の行動圏とほぼ重なっている。時期も私が住んでいたときと重なる。

 もちろんそれより外側に出かけたこともあるが、そういうときはたいてい友だちと一緒だった。そういえばよく母と一緒に買い物に出かけた商店街はどこだったのだろうか? 現在の地図を見てもどこだったのか見当もつかないが、たしか方南通りを渡った先の路地だったと思う。

 あの頃はよくアパートの庭で虫とりをして遊んだ。もちろんアゲハチョウやキタテハ、シオカラトンボなどどこにでもいる普通種ばかりだったが、ときどき見かけるアオスジアゲハは別格の存在だった。黒い翅の中央にエメラルド色のグラデーションの帯が走る素晴らしく魅惑的なこのチョウがこんな都会の片隅にいることだけでも心がわくわくしたし、動きがすばやくて子どもには捕まえるのが難しいチョウだった。ときどき舞いこんでくる金属光沢に輝くタマムシにも心をときめかせたし、カマキリなども恐る恐る捕まえては遊んだものだ。夏の夕方にはどこに棲んでいるのかアブラコウモリがひらひらと舞っていた。コンクリートの冷たい建物が増えた今、はたしてどれほどの生き物が生きのこっているのだろう。

 行動圏の東の端にある熊野神社は一番変わっていない場所かもしれない。それでもあの頃とはだいぶ変わってしまったとどことなしに感じる。おそらく建物が改修されたり整地されるなどして少しずつ変化してきたのだろう。観光客の姿が見られるのもあの頃とは違う光景だ。

 熊野神社といえばやはり夏祭りの縁日が思い出される。今はどうなのか分からないが、あの頃は十二社通りから境内一杯に屋台がびっしり並び、それはそれは賑わっていた。お面、綿あめ、べっこう飴、カルメ焼き、得体の知れないジュースなどを売る屋台、金魚すくい、ヨーヨーつり、輪投げ、射撃などが所せましと並んでいた。今、境内を見回すと、この狭い場所にどうしてあれほどの屋台があったのだろうと思うくらいの広さしかない。視線の低い子どものことだから広く感じたのかもしれないが、なんだか拍子抜けするほど狭い。

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 熊野神社では梅がほころび始めていた。社務所にパンフレットが置いてあるのに気付いて手にしてみると、この界隈の歴史のことが書かれている(http://12so-kumanojinja.jp/page-01.html)。十二社の池のことも書かれているが、私が住んでいたころにもまだこの池は健在だった。ただし、有刺鉄線に囲まれて道路から緑色にどんよりと濁った池が垣間見えただけで、近寄りがたい不気味な池という印象しかなかった。だからこの池がかつて景勝地で料亭や茶屋があり、ボートや花火大会で賑わったなどということが書かれていて驚いた。神社の近くには滝もあったという。

 この池は昭和43年に埋め立てられたそうだが、以下のサイトにはかつての十二社池の写真や絵が掲載されている。

 http://ameblo.jp/sasabari/entry-11528230700.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/shinjyukunoyamachan/2846.html 

 昔の絵や写真を見ていて思い出したのだが、私が子どもの頃は十二社のごく一部に自然のままの地形が僅かに残っていた記憶がある(もちろん現在はきれいさっぱりなくなっている)。十二社あたりの古地図(明治13年測量、24年修正)を掲載しているサイト(http://collegio.jp/?p=86)があるのだが、今の西新宿一帯は角筈(つのはず)村で、どうやら畑や竹林、雑木林などが広がっていたらしい。もちろん十二社の池も描かれている。明治時代に角筈村に住んでいた人たちが今の光景を目にしたら、腰が抜けるほど驚くに違いない。古地図を見ていると、住宅とビルで埋め尽くされた今の西新宿の変貌に呆然とするばかりだ。

 十二社や角筈という地名は私が子どもの頃も使われていたが、なぜ西新宿などというつまらない地名に変えてしまったのだろう。地形や景色は変わっても、せめて地名くらいは残しておけないものだろうか。そんなことを思いながら熊野神社を後にした。

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