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2022年4月13日 (水)

支配欲のあるところに平和はない

【昨日のツイートより】

 ウクライナとロシアとの戦争を見ていると、自国のために兵士となって戦うことのどこに正当性があるのかと不思議でならない。人と人との殺し合いを「国」を理由に容認していいとはとても思えない。太平洋戦争のときも全く同じだった。多くの人が「お国のため」と洗脳されて兵士となり、命を落とした。

 国のために国民が犠牲になるというのは、全体主義そのもの。そういう考えには一切賛同できない。しかし今、日本は「自国のために」という理由を掲げて再び戦争ができる国に突き進もうとしているように見える。太平洋戦争の教訓はいったいどこに行ってしまったのだろう?

 だからといって、国境を取り払えば戦争がなくなるというわけでもないだろう。内紛はいくらでもある。要は、紛争を話し合いで解決しようとしないことが問題なのだ。協力とか分かち合いとか他者の尊重とか譲歩などという精神があれば、武器を持たなくても問題解決は可能だと思う。

 武器で戦えば、必ず憎しみの連鎖になる。そして、個人同士ではなんの諍いもない人達が殺し合いをしてしまう。なんとおぞましいことかと思う。憎しみの連鎖を断ち切るには、「戦う」という反応を止めるしかなかろう。話し合いで解決できないから戦争が絶えないのだという人がいるかもしれない。

 しかし、戦争には必ずといいていいほど相手を支配したいとか、屈服させたいという欲求がある。他者を対等な関係とみなすことができないから、紛争になり、時に戦争にまで発展してしまうのだろう。これは今起きている情報戦や認知戦でも同じだ。その裏には、相手を屈服させたいという強い欲求がある。

 では、世界経済フォーラムが目指しているように、国の枠組みを取り払って世界統一政府をつくり、ごく一部の富裕層が他の人達を監視、コントロールするような全体主義的な世界をつくれば戦争のない平和な社会になるのだろうか? もちろん、そのような支配従属の社会は平和であるわけがない。

 相手を屈服させるために殺し合ったり、認知戦で騙し合って支配従属関係をつくろうとすること自体が愚かなことであり、それは国家の有無とは関係ないだろう。私たちが目ざすべきは、支配従属関係のない協力的な社会だ。人々が協力しあうことで成り立つ社会はそもそも格差のない対等な社会なのだから。

 支配従属関係のない協力的な社会は、競争と格差、そして環境破壊をもたらした資本主義と決別し、限りない経済成長という欲望を止めることでしか実現しないと思う。人が支配欲と競争に執着している限り、決して対等で平和な社会はつくれないと思う。

 

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