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2018年12月30日 (日)

人の成熟について考えさせられた一年

 今年も残すところ僅かとなった。病気にもならず大きな事故にあうこともなく無事に一年を過ごせたことに感謝したい。

 さて、今年はとりわけ「人の成熟」について考えることが多い年だったと思う。「人の成熟」といってももちろん身体の成熟ということではなく、精神的な成熟のことだ。ネットも含め、身の回りの人たちを見ていると、いい年齢の大人や高齢者であっても精神的に未熟な人たちが一定程度いることに気づかされる。

 端的に言ってしまうなら、「未熟な人」とは何か不都合なことがあるとすぐに他人のせいにし、自分は被害者であるかのようにふるまうような人たちだ。問題解決能力がないとも言えるし、常に自分のことしか考えていない。支配的な人はもちろんのこと、支配的な人の言うなりになってしまうような人もまた未熟だろう。他者との境界線をしっかり持てず、「課題の分離」ができてないということでもある。

 赤ん坊は生きていくためにお腹が減れば泣き、おむつが汚れれば泣き、何か不満があれば泣いて親に訴える。赤ん坊にとって世界の中心は自分なのだ。しかし、やがて歩くようになり言葉を覚え、他者とのコミュニケーションをとれるようになるに従って、自己主張だけをしていたのでは他者とうまくやっていけないことを学ぶ。そうやって社会性を身につけていく。

 ところがどうしたわけか、大人になっても自分を中心に世界が回っていると勘違いしている人は一定程度いる。意見が合わないというだけで他者を罵ったり見下す発言をするが、自分が批判されようものなら烈火のごとく怒り相手を攻撃する。あるいは他者をコントロールするために褒めたり叱ったりを使い分ける。こういう人たちは他者が自分の望むように動くことを期待しているのかもしれないが、他者が自分の思い通りになるはずもなく、諍いを大きくするだけだ。自分とは異なる意見の人も尊重できなければ、やはり未熟だろう。

 自分の身を守るために強い者(自分より立場が上の人)になびき、弱い者に対しては支配的になる人たちもまた未熟と言えるだろう。嘘も隠蔽も不正も平気で自分の野心をむき出しにし、逆らう者には報復という手段で首相の座に居座り続ける安倍晋三氏ももちろんこのようなタイプだし、その安倍首相の報復を恐れて保身に走る人たちもまた未熟な人たちだと思う。今の自民党はまさに未熟な人だらけのようだ。どうしてここまで幼児化が進んでしまったのかと思うと嘆かわしい。

 安倍政権といえば、今年もまた国会や民意を軽視しやりたい放題だった。辺野古の埋め立て強行、高度プロフェッショナル制度、入管法改悪、水道民営化、カジノ法、種子法廃止、TPPと日米FAT、森加計問題の無視・・・。辺野古の件で玉城デニー知事は官邸に行って対話を求めたものの、官邸は埋め立てを強行。対話による解決をしようとしない安倍政権はまさに幼稚としかいいようがない。

 そしてこれまでの安倍政権の悪政のツケは庶民が払わされるのだ。アベノミクスの欺瞞然り、さまざまな悪法の強行採決や独断然り。そう思うと、心底ぞっとする。未熟な人間を首相にしてしまったことの弊害ははかり知れない。

 他者が自分の思い通りになどならないことは、生きていれば経験から学んでいくものだ。自分で決めるべきことに関して、他人からとやかく言われて嫌な気持ちになるのは誰もが経験しているだろう。そういう経験を経て、人は他者を尊重することを学び、他者と自分との間に境界線を引いて自己を確立していく。もちろん他者を尊重するというのは他者の言いなりになるということではない。自己の確立とは主体性を身につけるということであり、自分勝手とは違う。成熟した人というのは他人を支配したり支配されたりすることなく主体性を持ち、他者と協力し合うことができる。

 完全な人などいないのだが、それでも「人として成熟する」ということは「幸福」と同義なのだろうと思う。自己中から脱するほど、人は精神的に安定し穏やかな気持ちになれるに違いない。

 かく言う私も、ついつい他者のことに口を出してしまい、後になって余計なことを言ってしまったと苦笑することもある。自分では「アドバイス」のつもりでも相手にとっては「余計なお世話」ということもある。人は不完全で未熟で利己的な生物であるがゆえに、一生を通じて精神的成熟を目指す生き物なのかもしれない。もちろん自分の身勝手に気づけず未熟なまま一生を終えてしまう人も多いに違いない。そう考えると人間とは実に不思議な動物だと思う。

 人は何歳になっても変わることはできるし、精神的成熟に年齢制限などない。だから、「もう歳だから変われない」とか「今さら変わってもしょうがない」などと言い訳をすることだけはしないでおこうと思う。

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