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2018年8月27日 (月)

内田樹著「困難な結婚」を考える(1)

 内田樹氏の「困難な結婚」が面白いという話しは耳にしていた。人生も終盤に入った身にとって今さら結婚論もどうかと思って手にしていなかったのだが、今さらだからこそ読んでみるのもいいかもしれないとふと思い立ち買ってみた。

 中身はさらさらと読めるし、内田節が全開で面白い。部分的には「そうかなあ?」と感じるところもなくはないが、全体的には納得できることが多い。恐らく、何十年も結婚生活を続け「結婚とはこんなものだ」とそれなりに納得してまあまあ穏やかで幸せな生活を送っている人なら、かなり肯定的に受け入れられると思う。逆に、配偶者に不平不満ばかり抱いている人にとっては、目からウロコかもしれない。昨今は結婚をためらう若者が増えているようだが、そういう人たちにとっても目からウロコではないかと思う。

 内田氏の主張を引用しながら、私見を記しておきたい。

結婚とは安全保障である

 率直に申し上げて、ご自身が「健やか」で「富める」ときは別に結婚なんかしてなくてもいいんです。その方が可処分所得も多いし、自由気ままに過ごせるし、健康で豊かなら独身の方が楽なんです。
 結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」です。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための安全保障なんです。結婚は「病気ベース・貧乏ベース」で考えるものです。(24ページ)


 「自由が拘束される」という理由で結婚を躊躇する若者は多いと思う。たしかに一定以上の収入があれば、一人暮らしほど自由で気ままなものはない。親兄弟からとやかく言われることもないし、好きなものを買って好きなものを食べ、恋愛も適度に楽しむのであれば一人暮らしをするに越したことはない、と考えるのも分からなくはない。

 私もこれと同じようなことを言っていた既婚男性を知っている。彼は幾つになっても自由に恋愛ができる独身が一番だと言っていた。しかし、よくよく考えるなら、これは不倫をしたいし家族という人間関係が煩わしいといっているに等しい。「自分が一番楽で楽しい」ということを優先させるとそうなる。これってはっきり言って、自分のことしか考えていないということではなかろうか。

 また、「自分の世界を他人に乱されたくないから結婚をしたくない」という男性の話しを聞いたことがあるが、自分の世界を守ることを最優先にする人が、他者のことを想い大事にできるとは思えない。

 ヒトは、家族を最小単位としながら集団をつくって狩猟をし、食べ物を分けあい協力しあって生活することで生き延びてきた生物だ。今のような文明が発達する前なら、自分が気ままに楽しく生きることだけを優先している自己中な人がいたら、その人は周りの人たちと協力関係を築けないし、生きていけなかったに違いない。

 親族にも学校にも職場にも、気の合わない人というのはどこにでもいる。ヒトが一人で生きていけない生物である以上、そういう人たちとも折り合いをつけながら何とかやっていくのが成熟した大人というものだろう。「あの人が嫌だ」「これはやりたくない」というのは誰だってあるし、社会生活を営む以上はどこにいっても人間関係がついてまわる。わずらわしい人間関係を避けて快楽だけを求めるなら、自己中であり未熟という他ない。「他人に縛られるのが嫌だ」「折り合いをつけるのが嫌だ」という未熟な若者が増えてきたのだろうか。

 人が他者と支えあい、協力しあって生きていく生物だからといって、別に他人とベタベタするのがいいと言っているわけではない。自己を確立した上で(他者を支配したり他者に依存したりせず、自立性を身につけるということ)、他者と適切に関われるようになっていくというのが成長とか成熟というものだろう。

 内田氏も「愛したり、疎遠になったり、信頼したり、裏切られたり、育てたり、別れたり、病んだり、癒したり、介護したりされたり、看取ったり看取られたりして大人になってゆく」(74ページ)と書いているが、家族や親族との関わりの中で人は他者と共に生きることを学んでいくのだ。独身でも幸福な人生を送っている人はたくさんいるだろうし、結婚をしないという選択を否定するつもりはないけれど、人は結婚することで様々な経験をし内的に成長するのは間違いないと思う。

 内田氏は、結婚は病めるときと貧しきときのセーフティネットだと言う。ならば、社会保障が充実していて誰もが無料で医療を受けられ、働けなくなったりお金に困れば容易に生活保護が適用され、歳をとれば無料で介護が受けられる国なら独身で暮らすのが一番気ままで楽と考える人もいるだろう。しかし、高福祉・高医療の北欧は独身者が多いかといえばそんなことはない。

 「誰にも拘束されない自由で気ままな独身生活」というのが本当に幸せなのか?と私には思えてくる。昨年、「エピジェネティクスから見えてきた貢献感と健康」という記事を書いた。強い孤独感や快楽主義的あるいは自己満足的な幸福感は病気のリスクを高め、社会や他者に貢献することで得られる幸福感は病気のリスクを低下させるという研究の紹介だ。

 これが事実なら、独身で自由気ままな生活から得られる満足感は一時のものであるし、本当の幸福感とは言えないのではなかろうか。人の幸福とは、他者への貢献と大きく関わっている。結婚は「病めるときと貧しきときのセーフティネット」であると同時に、パートナーへの貢献を通じた心のセーフティネット(簡単に言うなら安心感や安定感)の役割を担っているのではなかろうか。とくに高齢になればなるほどパートナーの存在は大きいように思う。

 社会が健全であれば人は家庭を持ちたいと思うのが自然だし、それが幸福感や安心感をもたらすことにも繋がっている。逆に結婚しない人が多いというのは社会のありようが健全ではないということなのだろう。今の日本の社会を見れば、まさにその通りだ。内田氏も企業の収益を最大にするというグローバル資本主義が今の若者の雇用環境の劣化を招いているし、グローバル資本主義者たちは自分の個人資産を増やすことしか頭になく一世代先のことなど何も考えていないと指摘している。

 「結婚したくない」という若者を生みだしてしまったのは、結局のところ自分の利益しか考えない人が作りだしたグローバル資本主義という社会制度の影響が大きいのだろう。いやはやとんでもない世の中になったものだと思う。

結婚は誰としてもいい

 内田氏は「結婚は誰としてもいい」という。これはいささか単純すぎると思うが(事実、こういう人とは結婚しない方がいいという例も挙げているのだから)、以下の主張はとても納得できる。

 つまり人間の中にはいろんなタイプの「配偶者特性」が潜在的に眠っているということです。だから、どんな人と結婚しても、「自分がこんな人間だとは知らなかった」ような人格特性が登場してきます。いってみれば、配偶者が変われば、結婚しているあなたは別人になるんです。どの人と結婚しても、そのつど「その配偶者でなければそういう人間ではなかったような自分」になります。それはいわば配偶者からの「贈り物」みたいなものです。(36ページ)


 これはなかなかうまいことを言うと思った。たしかに、相手によって自分が変わるというのはすごく分かる気がする(離婚とか再婚を体験していないのであくまでも「気がする」だけれど)。完璧な人間なんていないわけで、結婚とは相手の短所を受け止めることでもあると思う。だから、配偶者の短所が嫌で「今よりもっといい人がいるはず」と思って相手を変えてみても、前の配偶者とは違う短所が必ず見えてしまう。結局、理想の人などいないということになる。でも、若いうちはなかなかそれに気づけないということなのだろう。

 ちなみに内田氏は配偶者として適切な人かどうかは海外旅行をしてみれば分かるという。要は、トラブルに巻き込まれたときの問題解決能力を見るというのだ。トラブルを他者のせいにせず速やかに適切な対処ができる人が成熟しており配偶者として相応しいというのはもちろんその通りだ。

 私はさらに、暴力をふるう人とかモラルハラスメント(要は相手を支配せねば気が住まない人)をする人、自己愛の極めて強い人、あるいはメサイアコンプレックスの人も配偶者としては不適切であることを加えたいと思う。このような人は適切な対人関係が持てないし、自分で自分の欠点に気づき改善する可能性はかなり低い。それを見極められないと結婚生活はかなり厳しいものになるか離婚を決断せざるを得なくなるだろう。

つづく

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