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2017年9月20日 (水)

正しいアドラー心理学って何だろう?

 野田氏による岸見氏批判についての意見は「野田俊作さんの岸見一郎さん批判に思う」にすでに書いたが、野田氏の書いた「アドラー心理学を語る」シリーズの4冊を読んで、私は野田氏の主張する「正しいアドラー心理学」「正統なアドラー心理学」あるいは「標準的なアドラー心理学」の定義に疑問を持ちはじめた。

 「アドラー心理学をめぐる論争とヒューマンギルドへの疑問」に書いたように、アドラー心理学と謳っていながら他者を操作することを教えているのであれば、それは確かに「正しいアドラー心理学」とは言えないと思う。しかし、「嫌われる勇気」に対する野田氏の批判はそういう視点ではない。

 私は岸見一郎・古賀史健著「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」のほかに、岸見氏の「アドラー心理学入門」「不幸の心理 幸福の哲学」「生きづらさからの脱却」「叱らない子育て」「アドラーに学ぶ よく生きるために働くということ」「アドラー 人生の意味の心理学(NHK100分de名著)」を読んだほか、小倉広著「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」、向後千春著「アドラー心理学のススメ」も読んだ。そして野田俊作氏の4冊シリーズも読んだ。

 それらを読んで感じたのは、著者の数に応じたアドラー心理学解釈があるということだ。

 野田氏は「性格は変えられる」の75ページでこう語っている。

―同じアドラー心理学でも、国によって違うんですか。
ずいぶん違いますよ。だいたいアドラー心理学っていうのはね、寛容というかルーズというか、「かくかくしかじかとアドラーは言った」って言いさえすれば、みんなアドラー心理学なんです(笑)。国によっても違うけれど、治療者個人ごとにもずいぶん違う。百人いれば百とおりのアドラー心理学がある。

 岸見さん、小倉さん、向後さん、そして野田さんの本を読んでみて、私も同様に思う。アドラーの言葉をどう解釈するかは人それぞれなのだから、アドラー心理学の解説書は必ず著者の解釈や意見が入ったものとなる。岸見さんは哲学の視点を取り入れた岸見流だし、精神科医として治療に取り入れている野田さんのアドラー心理学は野田流だ。

 これまで私が読んだ本は、著者の個性は感じられても、アドラー心理学の説明に関して大きな違いがあるとは感じられないし、まして間違いや重大な誤解があるとも思えない。岸見氏の「アドラー心理学入門」や「アドラー 人生の意味の心理学(NHK100分de名著)」も簡潔にまとめられているとはいえ、アドラー心理学の解説として偏っているとは全く思わない。「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」は個性的ではあるが、他のアドラー心理学の本の説明と比べても、間違いがあるとは思えない。

 「嫌われる勇気」で「課題の分離」が強調されているという面は否定しないし、本書でアドラー心理学をまんべんなく解説しているとも思わない。そもそもまんべんなく解説することを目的にしているというより、心理学などに縁がないような人にアドラー心理学の核心部分を明確に説明することを目的にしている本だと思う。率直に疑問を投げかける青年に哲人が明確に応えるという手法は、説得力を持たせることに成功している。

 「課題の分離」は共同体感覚を持つためには不可欠であるし、「空気を読む」習慣が身に染みついている日本人にとって「課題の分離」や「承認欲求」は意識すべき重要なポイントだ。ゆえに「課題の分離」や「承認欲求」に重きを置いていることに違和感はない。悩める青年(=多くの読者)に哲人が表意を突く回答をする展開になっているからこそ「嫌われる勇気」は読者を引き込むしベストセラーにまでなったのだと思う。

 だからといって「協力」や「共同体感覚」をないがしろにしているとも思わない。とりわけ続編の「幸せになる勇気」では貢献や信頼に力点が置かれている。また「課題の分離」が強調されているとしても、そのこと自体がアドラー心理学を誤解していることにはならないし、共同体感覚を理解していないということにもならない。

 野田氏はご自身のサイトで岸見氏批判を何度かしているが、野田氏の言う「正しいアドラー心理学」とか「標準的なアドラー心理学」というのは一体何なのだろう? 間違いとか標準から外れているというのも野田氏の意見でしかない。

 「嫌われる勇気」に関する批判は野田氏以外にもいろいろある。しかし、それらの批判の多くはむしろ読みが浅いゆえに誤解しているのではないかと感じることが多い。トラウマに関しては「トラウマを否定」「トラウマは存在しない」という言葉だけに反応している人もいるようだ。しかし本文をよく読めばトラウマやPTSDという症状の存在を否定しているわけではないことは十分理解できる。

 ちなみに、岸見さんはこちらの記事で「実はアドラー自身、第一次世界大戦中、軍医として、戦争による心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療にあたっていました。トラウマの存在を知っていたのにあえて否定したのは、過去にとらわれず、これからをどう生きるかが重要と考えたからです」と語っている。トラウマが未来を決定するわけではないという目的論に則り「トラウマを否定」「トラウマは存在しない」という表現を用いたのだろう。

 私は目的論が間違っていると思わないが、人の言動や症状がすべて目的論で説明できるとも思わない。また、アドラーの目的論と現在の精神医療の現場で行われているさまざまな技法を用いたトラウマ治療は対立するものだとは思わない。重視する視点が違うだけであり、どちらかが間違っているというわけではないだろう。

 それから、「嫌われる勇気」の哲人の説明があまりにもストレートすぎるという批判もある。これにはメリットとデメリットがあると思う。ストレートな説明はアドラー心理学のポイントや概要を知りたい人にとっては理解しやすいし、自己受容が一定程度できる人ならストレートで厳しい指摘であっても受け入れられるし自分のライフスタイルを変えることに繋がる。しかし自己受容ができない、すなわち自分が不完全であることを受け入れられない人にとっては自分が批判されていると受け止めて嫌悪感を抱き、人によってはアドラー心理学を否定することになるだろう。したがって逆効果になる人もいるのも否めない。

 ただし、岸見さんがカウンセリングでクライアントに対してここで書いているようなストレートな指摘やアドバイスをしているとは到底思えない。確か、クライアントとともに解決方法を考えていくというようなことをどこかに書いていた記憶がある。この直截的な表現は明確な説明を意図した本であるからこそのものだろう。そこも勘違いをしてはならない点だ。

 「嫌われる勇気」に抵抗感がある人は野田さんの「アドラー心理学を語る」の方が読みやすいかもしれない。ただし、自己受容ができなければ野田さんの本を読んだところでライフスタイルを変えるという決断はできないと思う。

 「嫌われる勇気」批判に関しては、向後千春さんの以下の記事がとても的を射ている。

 アドラー心理学、「部下をほめてはダメ」の功罪 

 「嫌われる勇気」は批判する人がいる一方で、多くの人が高く評価し共感を呼んでいる。「嫌われる勇気」を自分の解釈に合わないという視点から批判することがアドラー心理学の発展につながるとは私には思えない。むしろ向後さんが指摘しているように、読者が誤解をしている部分があるなら、その誤解を解くような説明をするほうがよほど建設的だと思う。

【関連記事】
アドラー心理学をめぐる論争とヒューマンギルドへの疑問 
アドラーのトラウマ否定論について思うこと 
野田俊作さんの岸見一郎さん批判に思う 
誤解される嫌われる勇気 
野田俊作著「アドラー心理学を語る」についての感想

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コメント

はじめまして。
アドラーからこちらのブログに至り、拝見しています。
たくさんのアドラー関連の本をお読みだな、と思いましたが、対象の中にヒューマン・ギルドの方々の著作が入っていないのは何か意図があるのでしょうか。
多数出版されているヒューマン・ギルド系の著作を読んだ後の考察を伺ってみたいと思ったので、コメントいたしました。

ひいらぎさん

コメントありがとうございます。
アドラー心理学に関する私の一連の記事(文末の関連記事参照)で一番初めの記事が「アドラー心理学をめぐる論争とヒューマンギルドへの疑問」です。こちらの記事をお読みいただけたらと思います。

松田さん
コメントありがとうございます。
アドラー関連の投稿を拝見しました。
私は嫌われる勇気の後、岩井さんの「働く人のためのアドラー心理学」を読みました。職場のいろいろなことで疲れていた私には効果があったように思います。
野田さんの本はまだ読んだことがないので、今度読んでみようと思います。

ひいらぎさん

関連記事までお読みくださりありがとうございます。

私が岩井さんを敬遠してしまうことの最大の理由は、アドラー心理学を実践する気がないと言われたという点です。自分では実践する気がないのに会社組織をつくってまで広めるということに矛盾を感じます。アドラーは自分の心理学がこのような形で利用されることを望んでいたとは思えません。

こんにちはアドラー関連の記事を探しては良く読んでいます。
岸見氏と野田氏は和解されたようですよ。
http://mind-adler.com/2017/10/16/%E7%AC%AC34%E5%9B%9E%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E7%B7%8F%E4%BC%9A02/

通りすがりさん

お知らせありがとうございました。良かったです。

疑問に思うことがあれば、まずは直接話し合いをすることが大事であると実感しました。向き合って穏やかに話しをすれば、たいていの人は理解し合うことが可能なのでしょう。

はじめまして、名前はネットで使っているものの中の一つなので、名前として成立するかは私も疑問に思うものですが、お許し下さい。通りすがりにブログを拝見させていただいた者とでも認識ください。
そして古い記事にコメントをさせて頂く事もお許しくだされば幸いです。
このブログを拝見させていただくまでにいくつかのブログを挟む形でここに辿り着きました。その中で自身で考え、感じ、出来うる範囲で集めた情報を元に間違えてると感じたことを間違えてると意見を言われている方がいて、それをしない私は否定も肯定もしないのは肯定してるのと同じになるのかもしれないと考えさせられた後のコメントになるので、感情的なものになったのなら本当に申し訳ないです。

アドラー心理学を私が知ったのは病院の心理療法内でした。精神病院ですのでアドラーの心理療法ではないですが、始めて聞いたのは認知行動療法と一般的に呼ばれるものを集団で受けたときです。
その時はそういう場に参加するのが10ぶりくらいな事もあり以前聞かなかったアドラー心理学ってなんだろと関連書籍ではなくネットで検索をしました。その後も関連書籍は一切読んでません。(それには一応理由はありますがここでは不要だと思うので割愛させてください)
ただ、その認知行動療法も含め、実際に心理療法のいくつかはそれを行う心理士さんによって受ける印象はかなり違うと感じる場面が多いこと、そしてこのブログで挙げられている著名な方と違い病院の心理士さんは専門的にその療法を学んできたかどうかに関わらず、それをしなくてはならない事も多いこと。そんな臨床の場の心理士さんですら元々心理学及び精神分析学は昔から派閥がある事は知っています。
ただ現場の心理士さんでも誠意ある方は専門に学んでなくその両方を集団の場でする時にすごく勉強をし直して自分なりの解釈と考え、更に自分の学んだ事を纏めてなされる事。
実際にアドラー心理学自体の心理療法を受けたわけではありませんが、臨床の場の誠意ある心理士さんはどんな心理療法をする時でも、一つの心理学に固執する様に私は感じません。カウンセリングを(1対1)で受ける時もどれという心理学の手法を使われてる感じは受けません。
大きな精神病院なので心理士さんも何名もいて、それ以外の資格を持つ方もたくさんおられます、もちろんドクターも。
そういう現場で感じる事は、真面目な方というか信頼できる病院関係の方は心理学とか療法の枠を守る事に固執するより、本人との関係性をもっとも重要視される方が多いです。
心理士さんは特に心理士さんが答えを出すことはないと思います。カウンセリングなどの親密な療法内で、治療者である私が答えを出す、その為に色んな方法で話をしてくださり、どれも否定はされません、少なくとも感覚にたいしてはほぼなく、考え方、認知に対しても全否定を取ることはなかったと思います。別の見方の提示、考え方の提示という形で、問題の見る角度を色々教えてくださる事はあっても、その問題の解決策はあくまで自分(私)が出す事を原則とされているようです。
そして私みたいなタイプには特にそれが必要だから、必ずそのスタイルになります。(自分で納得した結論でない限り合理的でも理論的でも理解しても行動にするには自分が納得し結論としてそれを出す事が私には必要なので)

個人的にネットの範囲内で、私見を入れずに説明されているであろう内容を優先的にアドラー心理学を調べた時期もありました。その程度の知識しかありませんが、その中でアドラー本人という人物のエピソードが一番アドラー心理学を把握する上で私にはわかりやすかったです。
ソース自体本当か確かめる術はありませんが、
「自分の名前やアドラー心理学という名前も後世に残る事はなくてもいい、それでもきっとこの分野で働く人はいずれこの事を実践する事になるはずだから」的な事を言っていました。
アドラー本人、その作り出した療法、もっと大きな個人心理学というものさえも、存在や名前を残し続ける事に意味はないと考えていたと感じました。
もし望まれていた事があるのなら自分の心理学の正当性ではなく、人が少しでも幸せに暮らす事だとすら感じます。
それだけでアドラー心理学は深く学んでないのですが、私には馴染むだろうと感じましたが、心理療法は経験上なされる方の解釈、その方との信頼関係が大きく影響をするので、実際に学ぶ場所や信じられる本がどれか選択が難しいからという言い訳で、私は深く踏み込めませんでした。
一連の記事のみの拝見しかさせていただいてませんが、本は書く人の意図により、同じ事を述べても伝わり方が違ったり、多くの人に理解される文章は噛み砕いてあり、本質と異なるところで論争になりやすいのは、記事の内容からご存知だと思います。
アドラー心理学を巡り学者さんが論争をなされるのは自由ですが、その論争は私たち患者には何の利益もないと感じています。だからこそ現場には持ち込んで欲しくない。
自分の理解しているアドラー心理学の正当性を主張するのは、確かに大事で大切なことでも、患者にとっては役には立ちません。今を苦しみ生きることを足掻きながらも諦めたくなく、日々呼吸すら辛い中でも生きようと足掻く私にはアドラー心理学の正しさよりも、側でどの心理療法でもいいとここどりをしてでも私を見て知って、私が諦めたことすら諦めず、答えを出す事に手を差し出し続けてくださった方の方が大事で大切なことでした。その方たちに感じる感謝、感動、そんな泣きそうな思いはきっと本を呼んでも味わうことはないだろうとは思います。
実際に学者の論争は必要で、大事な事も分かっていますが、はじめの記事にあたると思える、自分の利益の為に心理学の手法を利用するのは、どちらかというと詐欺のやり方の講座を思い起こさせました。
心理学やそれに隣接する学問は、悪用すればいくらでも人を操れるでしょう。少なくともアドラーという人物はそのために彼の心理学をまとめた訳ではないと信じたいので、そういう現状が日本にあるならとても心が痛いです。
ただ心理学とくにアドラー心理学において正しさの追求は何だか似付かわしうない言葉にも感じました。この記事の中の様に(読んだことはないですが)「嫌われる勇気」を非難する方には、言葉を重ねて非難に対する箇所が誤解から生まれているならばそれを解くことこそアドラー心理学なのかもしれません。
ただアドラー心理学自体合わない方もいるでしょう。記事中のお言葉をお借りするならば「縦の関係」しか知らない方には合わないと感じるのは必然だろうとも。
縦の中で生きている人が苦しんでも困ってもいないなら、それでいいと思います。ただ縦の社会で、横を重視する事に疑問を持たない人がその社会に馴染めずに苦しんでいる時、この心理学は救いになるかもしれません。
どの心理療法も苦しんでいる人を救うためにあると信じたいし、それ以外に使われて欲しくないというわがままかもしれません。
生きる事自体に苦しみ、それでも懸命に足掻いて苦しみ続ける人の救いになって欲しい、それが個人的な利益の(物理的なものだけではなく)為に使われては欲しくない。私はそう感じました。
学者さんの論争が苦しむ人の救いのためのものである事を願って止みません。決してその学者さんの自己肯定や立場のためのもので無い事を信じたいです。

初めてのコメントでの長文失礼しました。ほかの記事もこれから拝見させていただきたく思います。

suzumiさん

コメントありがとうございます。

私はアドラー心理学は基本的に間違っていないと考えていますが、だからといってユング派などの臨床心理士を否定もしません。実際に、ユング派の臨床心理士に出会って救われたという方も大勢いるでしょうし、効果に関してはアドラー派、ユング派などという区分より臨床心理士やカウンセラー個人の考え方や経験、力量も大きいのではないでしょうか。

ただし、クライアント自身が「自分の苦しさから脱するために自分を変えよう」という視点を持たず、「心理士が何とかしてくれる」と頼っている限り、効果はさほど期待できないと思います。心理士やカウンセラーはあくまでもクライアントが自分を変えなければならないと気づかせることが仕事でしょう。認知行動療法も自分の思考の偏りを変えるよう訓練するわけで、自分が変わることこそが解決に繋がるという考え方です。精神的な辛さというのは、最終的には自分で何とかするしかないのです。

多くの場合、精神的に苦しんでいるクライアントは、「自分が苦しいのは○○のせい」と、他人や環境のせいにします。もちろん他人や環境大きく関わっていることは事実ですが、だからといってクライアントに対し「あなたは悪くない」と慰めるだけなら、クライアントは原因論(他人が悪い、環境が悪いなどという考え)に固執し「自分は正しい」と自己の歪んだ認知を正当化してしまうかもしれません。そうなるとますます解決は遠のいてしまいます。

ですから、クライアントを原因論に固執させないことが臨床心理士やカウンセラーの大きな役割だと私は思っています。その点、目的論を主張するアドラー心理学は分かりやすいと感じます(もっとも原因論に固執している人には敬遠されるでしょう)。

野田さんと岸見さんの論争は、前コメントの「通りすがり」さんが教えて下さったように和解されたようなので安心しました。私はなぜ野田さんが「嫌われる勇気」の著者である岸見さんや古賀さんと速やかに話し合いをされずにご自身のウェブサイトで批判されたのか不思議でなりませんでした。

心理学はあくまでも人を幸せにするためにあるのだと思います。ですから、他人を操作することを目的にしたり、利益を得ることだけを目的に心理学を使うようなことだけはあってはならないと思います。もちろんアドラー心理学を教える有料の講座を否定はしませんが、その目的も「人を幸せにする」ということが前提だと思います。

お返事ありがとうございます。今読み返しても自分で頭を抱えたくなるような何を言いたいのか分からない長文にご丁寧な返信をいただいて感謝していいのやら、謝罪していいのやら・・・。でも謝罪よりも感謝を優先してありがとうごいざいますと言わせてください。(懺悔は自己反省として今後生かしていきます)

お礼に重ねて更にコメントで申し訳ないです。読んでくださったのならば、公開も返信も手間でしょうから、いらないと思ってます。
本当に個人的なお話ですが、松田様のようなブロガーさんをとても感激しているんです。間違えてると自分で感じたことを感情的な罵倒ではなく、きちんと間違えてると主張する。その姿勢が眩しいくらいで、もちろん意見や感じることが違ってもその姿勢だけは今後も応援させていただきたいと思ってます。
肯定をしないけれど否定を声に出さない事をもう一度自分の中で考える機会もいただきました。

ちなみにカウンセリングに対しての意見はそのとおりだと自身の体験も含めて同意します。自分が苦しい時に何が苦しいのかも分からなかった私に、その中身を探る手助けをしてくれ、その苦しみを和らげるためにどうすればと悩んだ私に考えるきっかけをくれたのがカウンセラーとして関わった心理士さんでした。
その方とお会いして三年間、責任転嫁と自己嫌悪、それの中から自分の本当の気持ちを私すら諦めてた感情を出すことを諦めずにいてくれたその方は恩人以外の何者でもないです。
仕事だから当たり前とか、そんな事思えないんです。仕事だからこそ手を抜くことも厭わない人が多い世の中で、その方がしてくださった救済は暗闇にいた私に光を届けてくれたと感じています。けれど信頼はしてますが、それを依存だとは思っていません。その距離をきちんと取り、3年間諦めずにいてくださったその方は私にとってどんな偉大な方よりも素敵な方に思えますが。
いつか治療の終わりか、その他の理由で別れの時が来てもそれを悲しむ気持ちは湧くでしょうが、その後も心の支えになってくれる方だと思ってます。(そういう方が過去にも何人かいましてもうお会い出来なくても未だに救われています)

だからこそ心理学が悪意の元利用されることに嫌悪を感じたのかもしれません。誰にも不幸になって欲しくない。苦しんでる人には少しでも楽になって欲しい。そう想い続ける気持ちは私は一生捨てることが出来ないと思います。それが苦しみの原因でも叶うことはなくても平等じゃなくても不幸な人なんていないほうがいいと。また長くなってすみません!

誠意あるコメントに感謝しいます。
こうしてコメントという形ですが小さな縁が私の宝物になったと思います。
ありがとうございました。今後も無理のないよう松田様が信じる道を歩んでください。

suzumiさん

私がコメントを承認制にしているのは「嫌がらせコメント対策」なので、コメント公開は手間でも何でもありません。返信コメントも無理はしませんので、どうぞ気をつかわれませんように。

精神的に苦しんで前に進めない方は数えきれないほどいることでしょう。私も時としてネットなどでそのような方にめぐり合うことがありますが、そのような方とやりとりする場合に何よりも大切なのは信頼関係ではないかと感じています。こちらが信頼して語りかけても、相手が信頼してくれないとまず良い関係にはなりません。

カウンセリングの場合も、カウンセラーとの相性ということもあるでしょうけれど、優れたカウンセラーに巡り合い、互いに信頼関係を持てることが第一歩なのかもしれません。

人は皆違うのですから、意見が異なるのは当たり前のことです。また私自身も嫌いな人がいますが、それと同じように私を嫌っている人もいます。しかし、意見が異なるから、あるいは嫌いだからといって他人を見下したり馬鹿にする態度をとったなら、その時点で「縦の関係」になってしまいます。それでは決して信頼関係は結べないと思っています。

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