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2016年8月13日 (土)

受刑者の人権

 今日の北海道新聞の「各自核論」に、芹沢一也さんによる興味深い論考が掲載されていた。ノルウェーの受刑者の人権に関する裁判所の判決のことだ。以下に内容を要約して紹介したい。

 2011年にノルウェーで、オスロの政府庁舎を爆破して8人を死亡させた後、ウトヤ島で銃を乱射して69人を殺害するという連続テロ事件があった。犯人のアンネシュ・ブレイビク受刑者は最高刑の禁固21年の判決が言い渡され、厳重な警備下にある刑務所で他の受刑者とは隔離されて収監されていた。
 ブレイビクは生活用、学習用、トレーニング用の三つの部屋、テレビやテレビゲーム機(インターネットに繋がっていない)、料理や洗濯のできる設備を用意され、オスロ大学への通信制による入学も許可されていた。
 しかし、ブレイビクは隔離収監は人権侵害であるとして処遇の改善を求めて裁判を起こし、裁判所は「欧州人権条約第3条(拷問または非人道的な待遇・刑罰の禁止)に違反する「非人間的で屈辱的な処遇、処罰」であるとして、ブレイビクの訴えを一部認める判決を出した。
 ノルウェーでは、犯罪は特別の個人の問題ではなく社会の問題であり、刑務所は社会復帰のためのリハビリの場であるとの思想がある。たとえテロリストや殺人犯であっても、それは変わらない。
 「テロは許さない」というノルウェーの人たちは、暴力に対して怒りや憎しみをぶつけるのではなく、愛と思いやりで対峙する戦い方を選んだのである。したがってノルウェーの裁判所が示した見解は、ヨーロッパ・リベラルの甘さなどではなく、「テロには決して屈しない」という強靭な意思こそを示したものである。

 ノルウェーは犯罪者に非常に優しいということは以前に「ニルス・クリスティの言葉」ででも取り上げたが、ノルウェーと日本では刑罰の重さだけではなく、受刑者の待遇も天と地ほどの差がある。それは犯罪者であっても人間として尊重し、社会復帰を目指すという考え方が基本になっているからに他ならない。人は社会との関わりなしには生きていけないし、犯罪もまた犯罪者個人だけの問題では決してない。犯罪者とて私たちと同じ人間であり、非人間的に扱ったなら社会復帰の妨げにしかならないということなのだろう。犯罪者の社会復帰に必要なのは、彼らを罰によって苦しめることではなく、愛と優しさで人間らしさを取り戻すことなのだ。この考えに、私は深く共感する。

 芹沢さんの論考の中にウトヤ島の生存者の「暴力は暴力を、憎悪が憎悪を生みます。これは良い解決策につながりません。わたしたちは、わたしたちの価値観のための戦いを続けます」という言葉が出てくる。

 「暴力が暴力を生み、憎悪が憎悪を生む」ということは、私たちの日常生活の中にいくらでもある。自分が誰かから暴力を振るわれたことに対し、相手への報復に執念を燃やしたら、たちまち闘争が始まり収拾がつかなくなる。暴力に対して憎しみで対峙したなら必ず暴力の連鎖、憎しみの連鎖がはじまる。紛争はあくまでも話し合いや裁判などで解決して憎しみの連鎖を絶たねばならない。犯罪者に対しても人間らしい生活を提供し、愛と思いやりによって人間としての尊厳を取り戻すことこそ更生と社会復帰につながるし、憎しみの連鎖を絶つことにもつながるだろう。

 ところが、日本では凶悪な殺人事件が起きるたびに、犯人を極刑にしろとの大合唱が始まる。日本人の多くは、犯罪は犯罪者個人の責任でしかないと考え、暴力に対して徹底的に憎しみをぶつけ、犯罪者を厳しく処罰しなければならないと信じているようだ。そこには「自分は決して犯罪者にはならない」「犯罪者はすべて悪人」という驕りがあるのだろうし、どんな人でも「人は人として対等であるべき」という人権意識が欠落しているとしか思えない。

 暴力に対して憎しみだけをぶつける社会は、必然的に暴力的な社会になる。社会全体が殺伐とし、誰もが対等の人間であることが忘れ去られる。そこに平和や幸福はない。平和憲法を守りたいという人は多いのに、なぜこれほどにまで憎しみが蔓延してしまうのだろう。

 暴力のない平和な社会を望むのであれば、ノルウェーの人たちの理念こそ見習うべきではなかろうか。

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コメント

よくぞ戻ってくれました。
この記事知り合いに知らせたりして、いろんな名無しの場の題にしています。
ニルスの言葉は、DVDに落として別海九条の会でみんなに見せたのですが、賛否はそれでも大きく別れました。量刑が懲罰であり報復であることは、戦争と同じ思想であるというのですが、死刑容認が多かったので無力感が残りました。

獣医さん

日本人は本当に死刑賛成の人が多いですね。平和問題に関心が高い人でも、刑罰と平和は別問題と考えている人が多いように思います。しかし、私は人権を尊重するということと平和を求めるということは基本的に同じだと思っています。人権尊重なしに平和はないし、平和と報復は相入れず矛盾すると考えています。
罪を犯した人の多くは居場所がない人ではないでしょうか。彼らは人を信頼できず孤立しているのでしょう。そのような状況は個人だけの問題ではなく、間違いなく社会の問題です。ならば、彼らに与えるべきは優しさと居場所です。ただ、刑務所の待遇を改善すれば済むという話しではなく、それと同時に教育や社会保障などを充実させないと社会復帰もままならないでしょうね。この国にノルウェーのような考え方が根付く日がくるのだろうかと暗澹たる気持ちになります。

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