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2016年3月19日 (土)

小学校の卒業式での袴姿に思う

 先日、新聞に小学校の卒業式の記事が掲載されていたのだが、女の子が振袖姿で卒業証書を受け取る写真を見て目が点になった。写真をよく見ると、ほかにも振袖を着ている子が何人もいる。いったいいつから小学生が和服で卒業式に出るようになったのかと驚いたのだが、インターネットで調べてみるとどうやら数年前から振袖に袴で卒業式に出る子どもが増えており、ブームになってきているらしい。

 これにはもちろん賛否両論がある。賛成派の人の意見は「振袖や袴は日本の伝統的な正装であり、卒業式という記念の場に相応しい」、「ほとんど着ることのないスーツなどを買うならレンタルの和服の方がいい」、「振袖は親などが持っているものを着せられるので、袴だけのレンタルなら安い」などなど。しかし、私には、子どもに華美な服装をさせたいという親の見栄や満足感が先にあり、自己正当化のために後づけでこのような言い訳をしているとしか思えない。

 そもそも卒業式というのはひとつの区切りの儀式であり、通過点に過ぎない。義務教育である小学校の卒業式で正装をしなければならない理由はないし、まして日本の伝統だからという理由で和服を着る必要もなければ、お金をかける必要もない。服装は卒業式の本来の目的とは関係がないし、とってつけたように伝統に拘るのは意味不明だ。私は普段着だってまったく構わないと思っている(ジャージなどの運動着やジーンズなどは避けるべきだとは思うが)し、むしろなぜ学校が「普段着で出席するように」と言わないのかが不思議だ。私が小学校の頃は、卒業式には中学校の制服を着ていった。それは着る機会がほとんどない服にお金をかけることがないようにという学校の配慮でもあったのだろう。しかし、そういった配慮はいったいどこへいってしまったのだろうか?

 もうだいぶ前のことになるが、自然保護の集会で旭川のあるホールに行ったときのこと、ピンクや水色などの華やかでヒラヒラとしたドレスを着た子ども達が大勢いて何があるのかと不思議に思ったのだが、どうやらピアノの発表会だったらしい。しかし、いつからピアノの発表会がドレスのファッションショーのようになってしまったのかと唖然とした。私も子どものころピアノを習っていたが、発表会はいわゆる「よそゆき」程度の服装だったし、中学生のときは制服だった。しかし、最近では、発表会は日頃の練習の成果のお披露目というより、きらびやかな衣装を着ることの方が楽しみになっているのではなかろうか? あのお姫様のような衣装を着たいがために楽器を習いたいという子もいるのではないかと思ってしまうほどだ。

 成人式でも大学の卒業式でもそうだが、昨今はかつてに比べてはるかに画一的になっている。私は成人式には出席しなかったが、私の頃は振袖のほかに洋服の人もそれなりにいたと思う。今はほぼ全員が振袖だし、和服の男性もいる。まるで振袖のファッションショーと化している。大学の卒業式も同じで、私が学生の頃は袴のほかに洋装の女性も結構いて、人それぞれだった。私は卒業式以外でも着る機会のあるワンピースにした。しかし、今は袴の女性が圧倒的ではなかろうか。

 成人式も卒業式も、あるいはお稽古ごとの発表会でも、本来の目的とかけ離れ、衣装の見せびらかしの場になってしまっているように思えてならない。親も親で、子どもを着飾らせることが愛情だと思ったり、皆と同じ衣装を用意してあげないと可哀そうという感覚なのかもしれない。しかし、そこには個性のかけらもない。そして、そんな見かけばかりに拘る風潮が小学生の卒業式にまで及んでしまったというのが昨今の袴ブームなのだろう。

 こうしたブームの陰には間違いなく貸衣装業者の営利主義がある。インターネットで「小学校 卒業式 袴」と入力するとおびただしい数の貸衣装業者のサイトが出てくる。貸衣装屋こそが親の見栄と同調意識を利用してこうしたブームをつくりあげている張本人ではなかろうか。だからこそ、成人式や卒業式、発表会がファッションショー化し、全国各地で小学生の袴が流行るまでに至ったのだろう。

 ハロウィンやバレンタインのチョコレートもそうだが、日本人とは何と安易に商業主義に利用されてしまう民族なのかと思う。

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コメント

母子家庭の我が家は、入学式卒業式は仕事で行けなかった。ただ一度息子の小学校の卒業式を覗いた時、檀上に並んでいる息子と目が合った時思わず涙で目が潤んだ。着物だろうが洋服だろうが、子供の巣立ちには変わりはない。最近、何にでも文句を言う人が増えたが人はそれぞれで言いと思う

私も子供の頃はそういった衣装に憧れていました。
見せびらかしたい気分になります。
大人になった今は子供にそういった服や態度をとってほしくないと思います。

ですが、自身の小学校の卒業式の服は親が勝手に決めたもので本当に嫌でした。
子供が今どきの服を着たいと言ったらきっと悩みます。まだ私に子供はいませんが。

おそらく多くの女の子は洋服であろうと和服であろうと華やかな服への憧れはあると思いますし、親が着せたいという気持ちも分からなくはありません。

わが家では義母が娘の三歳の七五三の着物を縫ってくれ、また七歳のときは振袖を買ってくれました。大き目の着物を買って肩や丈をつめてくれたので、かなり大きくなるまで着ることができました。そんなわけでひな祭りのときにも着物を着せましたが、子どもは長い間着物を着ていることもできません。結局、一時のものでしかありません。

ただ、「着てみたい」「着せたい」ということであれば、衣装を備えている写真館などに行って記念撮影をすればいいのではないかと思います。卒業式の場で着たい、着せたいというのは明らかに衣装を見せびらかせたいという虚栄心が根底にあります。義務教育である小学校の卒業式を、個人の虚栄心を見たす場として利用するということに私は賛同できません。

この袴問題は親のエゴだと考えておられる方がほとんどだと思います
が!4年前まで小学生だった者からすると、「子どものマウンティング」を甘く見過ぎなように思います
小学生は精神的に未熟な分残酷で、貧困がいじめの原因になったりします

自慢したくて着る
浮くのが嫌で着る

この様な理由で子供が着たがっているのではないでしょうか

16さん

コメントありがとうございます。ご指摘のような理由で子どもが着たがるという側面も確かにあるでしょうね。

16さんは「小学生は精神的に未熟」と考えられているようですね。でも、私は決してそんなことはないと思います。

で、「自慢したくて着る」「浮くのが嫌で着る」というのは、他人の目を気にして服装を決めるということです。そこには「自分をよく見せたい」、「皆と同じにしていれば安心」という競争や同調の意識が働いています。私は、そういう「他者の目を気にして自分の態度を決める」という主体性のない考え方をとても疑問に思っています。

それから、子どもにねだられ「かわいそうだから」という理由で子どもの要求を飲んでしまう親も主体性がなく過保護だと思います。

主体性がないというのは「確固たる自分がない」ということですが、そういう生き方は他者に振り回されてしまうだけではなく、無責任体質を生むことにもなるのではないでしょうか。

今、子どもの6人に1人が貧困だと言われていますが、そうした人たちへの配慮も考えてほしいと思います。

競争などの問題点については、このブログの以下の記事を参考にしていただけたらと思います。
http://onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/2-e7e7.html
http://onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/3-7d91.html

袴は高額ではありません。我が子は袴で出席します。着物100円袴2000円
お下がりや無料で貸してくれる人だっています!!
家計的に一回しかスーツ買う方が高額です。貧困問題とか綺麗ごとを並べるなら毎日の通学に私服な方が問題です。「ダサい!」「同じ服きてる!」という理由でイジメが実際にあります。
卒業式だけ配慮というなら普段の学校生活の方に配慮していただきたいです。
服装でグダグタ言うなら一層みんな持ってる体操服で卒業式でも良いのでは?とすら思います。

そもそも人様が着ているものにケチをつけるなんてマナー違反!また着ている服で「差がついて可哀想」とか「負い目」とか余計なお世話です。可哀想!とか言う人の考え方が心が貧しく可哀想!と思います。
私は子ども時代貧困でした。それでも親はきちんとした場に着る服は、お下がりなり、手作りなり、髪の毛だけ綺麗に結びリボンしてくれたりかはしてくれました。 必ず母が言う言葉は「良い服買ってあげられなくてごめんね。でも特別な日だからこれくらいは、、、。」と言ってくれました。私は親が苦労しているのをわかってましたから、その気持ちだけで嬉しく愛情を感じました。
確かに綺麗で高価な洋服の子達がいましたが、何の負い目など感じませんでしたね。むしろ堂々とできました。だって母が精一杯してくれた愛情があるから!
だから貧困で「可哀想」とか「負い目を感じさせないよう」とか言われると腹が立ちます!余計なお世話です。そもそも可哀想とか言う人の家計は貧困じゃなかったりしますから!
貧困でもちょっと工夫すれば気持ちが伝わります。子どもにちょっとした手間や工夫するのが面倒だから苦情言っているのでしょう?としか思えません。
人は人!自分は自分!
人様の服装にケチをつけるその人の心が貧困なのだ!と言わせてもらいます。
心は豊かでありたい。

人様の服装に さん

どうもあなたはこの記事の意図をきちんと読みとっていないように感じます。

>そもそも人様が着ているものにケチをつけるなんてマナー違反!

私は、華美な服装が義務教育である小学校の卒業式にまで及んでブームになっていることに疑問を抱いてこの記事を書きました。安易にブームに乗せられてしまうことへの疑問を書いたものです。私の意見に賛同できない人ももちろんいるでしょう。しかし、自分と異なる意見に対し「ケチをつける」「マナー違反」という指摘は驚きです。

>また着ている服で「差がついて可哀想」とか「負い目」とか余計なお世話です。
>だから貧困で「可哀想」とか「負い目を感じさせないよう」とか言われると腹が立ちます!

いったいどこにそんな主旨のことが書いてあるのでしょう?
「親も親で、子どもを着飾らせることが愛情だと思ったり、皆と同じ衣装を用意してあげないと可哀そうという感覚なのかもしれない。」と、着飾らせる親の心境について仮定形で書きましたが、「貧困で差がついて可哀想」とか「負い目」などといったことは書いていません。
またコメントで「今、子どもの6人に1人が貧困だと言われていますが、そうした人たちへの配慮も考えてほしいと思います。」と書きました。しかし、これは親の経済的負担について学校側が配慮すべきではないかという意味です。私自身は、経済的に困窮されている方に対し「貧困で差がついて可哀想」とか「負い目」といった感覚は持ち合わせていません。たとえ経済的に苦しくても、負い目など感じずに前向きに生きている方は沢山いるでしょう。

2017年東京新聞に小学校の卒業式で娘に袴をねだられた父親を題材にした、元小学校教師の一文がありました。3万円ほどの費用をリーズナブルと評していたのでびっくりしました。
中学の制服を着用して臨むのが常識だった昔人間の私はびっくりした勢いで地域の教育委員会に現状を問い合わせ、新宿区でも同様の現象が流行っていることを知りました。
少子化で子供に金をかけたい人が多いことも見聞きしていますし、親の親として深い考えが育ちにくい世相も見聞きしています。なので学校側に対する疑問を質問しました。
なんと、小学校には服装の規定そのものが存在しないそうです。式に出席する服装を指導する根拠が無いといういうことのようです。そこで私としては、せめて事前に子供に対して教育的見地から、化粧は自分で働くようになってから自分の金で購入してからするように。肌に化学成分を塗ることは健康的ではないことを小学生のうちに教えていただきたいとお願いしました。
卒業式に着飾ることからスタートして中学生になって化粧(実は小学生でも化粧に興味を持つ子もいます。)をするようになってから親が注意しても、もう、親の言うことなど聞かなくなります。親も子供化している傾向が強いので、化粧すら反対しない親もいるかもしれません。もう、唇寒しです。
話がそれてすみません。アドラー関連から、偶然にたどり着いた書き込みでした。ユングで自分の心を整理した私にとっては偶然ではないようです。
貴重なご指摘、ありがとうございました。

ねむのきさん

コメントありがとうございました。
小学校では制服の規定が存在しないのはそうでしょうけれど、「根拠がない」という理由で指導できないというのはおかしな話だと思います。服装の強制はできないにしても、「平服(あるいは中学校の制服)で出席してください」とか「華美な服装はご遠慮ください」などとお願いすることは何ら問題ないはずです。学校は面倒なこと(親とトラブルになりそうなこと)には関わりたくないという印象を受けました。

もっとも、最近では袴を禁止する学校も出てきているようですね。大学生であればアルバイトをして卒業式の衣装代を自分で出すということもできますから自由の範疇でしょうけれど、小学生の場合はどうしても親の意識が大きく関わってきます。園田寿さんという方がこの問題で意見を書かれていまうすが、私もほぼ同意見です。

『小学校の卒業式、「袴(はかま)禁止」に賛否』
https://news.yahoo.co.jp/byline/sonodahisashi/20170326-00069139/

化粧もそうですが、「見かけ」にこだわることがどんどん低年齢化しているようです。化粧やヘアカラーなども、ご指摘のようにデメリットもきちんと理解したうえで、収入を得られるようになってから自分の責任のもとにすべきことではないかと思います。デメリットをきちんと教えるということにおいては、周りの大人の問題ともいえるでしょうね。

昨今は、親の方が「見かけ」にこだわり子どもを着飾らせたい人が多いように感じますので、親の教育こそ必要ではないかという気もします。

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