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2016年3月11日 (金)

原発事故から5年経ち思うこと

原発事故から5年経ち思うこと  東日本大震災と原発事故から5年が経った。東北の太平洋側を襲った巨大津波の記憶はまだなまなましく残っているが、地震や津波という自然災害を前に人間はなんと無力なのだろうかと思い知った災害だった。もちろん日頃から防災を心がけていることで救えた命はたくさんあったし、それを思うと無念でならない。そもそも東北地方は昔から大津波に襲われていたという記録がある。しかし、そうした記録は次第に忘れ去られ、人々は津波の危険性のある海岸の低地に街をつくってしまったうえ、避難体制も不十分だった。津波による被害は、防災意識を忘れ去った、あるいは軽視したことによる人災の側面があることも否めない。

 これは東北地方に限らず言えることだ。4つものプレートが重なり合っている日本は大地震や大津波に襲われる宿命にある。そんな日本に生きる以上、防災意識は忘れてはならないとつくづく思う。

 一方、福島の原発事故は巨大地震と巨大津波が引き金になったが、巨大地震や巨大津波が襲うことは予測されており、明らかに人災である。人災である以上、事故には責任がつきまとう。反対の声も無視して原発をつくり地震や津波対策をとってこなかった東電はもちろんのこと、原発を推進してきた政府、原発の不都合な真実の隠蔽に関わった人たち、原発訴訟で電力会社を勝たせてしまった裁判官も責任があるだろうし、原発を容認してきた国民にも責任の一端はある。

 5年が経過した今、マスコミ報道では原発事故よりも津波などの震災の被害の方がより強調されているように感じてならないが、地震・津波による被害と原発事故による被害はきっちりと分けて考える必要がある。震災に関しては悲しみを乗り越え地道に復興に取り組んでいくしかないが、事故を起こした福島第一原発は今も放射性物質を大量に放出していて収束の目途もたっていないし、被ばくによる健康被害がより顕在化するのもこれからだろう。避難の支援や健康被害の軽減、補償などに取り組まねばならないはずなのに、被ばく問題や健康被害に関してはタブーであるのかマスコミはほとんど報道しない。

 東北や関東地方では濃淡はあるものの深刻な汚染が生じた。東京ですら放射線管理区域を超える汚染地があったのだ。福島の60の小中学校の土壌汚染調査では今もなお8割が放射線管理区域を超える汚染が確認されているという。その中にはチェルノブイリの原発事故で「移住の義務」を命じられた区域に匹敵する場所もあるという。

 「女性自身」が驚愕の原発汚染調査報告! 福島の小中学60校の8割で「放射線管理区域」を上回るセシウム(LITERA)

 こんな状況であるにも関わらず、政府は避難の必要性を年20ミリシーベルトで線引きし、汚染地に住民を帰還させるという驚くべき方針をとっている。チェルノブイリの事故で「移住の義務」や「移住の権利」の基準が決められたのは事故から5年後の1991年。ところが、日本は5年経った今も20ミリシーベルトという基準を見直す気配がない。チェルノブイリの教訓を生かすどころか完全に無視し、被ばくと健康被害の隠蔽に必死だ。“驚愕”するのは汚染よりこちらの方だ。

 福島とチェルノブイリ5年後の避難基準の比較(「スナメリチャンネル」~みんなが笑って暮らせる世界へ~)

 チェルノブイリと福島で大きく異なるのは汚染地の人口だ。福島の事故では汚染は人口密集地である首都圏にまで及んでいる。

 【重要】マスコミが報道をしない全国の放射能汚染地図!東京は猛烈な汚染!静岡も東部や太平洋側で高い数値! (真実を探すブログ)

 政府は密かに福島の事故による健康被害を想定しており、ベラルーシのような避難基準にしたら大変なことになると分かりきっているのだろうと思う。移住の義務や移住の権利をチェルノブイリ並みにしたなら補償費用はとんでもない数字になるだろう。それだけではない。東京の土地が暴落したり経済活動に大きな影響がでるのは間違いない。原発への反発も強まるだろう。だから汚染の過小評価をし、隠蔽を重ね、健康被害は無視し、人々を被ばくから守らないという方針をとったのだ。この国の政府は、人災でありながら被害者の救済などそっちのけで、自己保身をはかることしか頭にないようだ。

 甲状腺がんの多発に関しては、今はスクリーニングを持ち出して言い訳をしているが、いずれ被ばくとの因果関係を認めざるを得なくなるだろう。チェルノブイリの事故ではICRPも甲状腺がんだけは被ばくとの因果関係を認めたのだから、福島でも最終的には認めざるを得ないという心づもりだと思う。しかし、チェルノブイリと同様、それ以外の健康被害については被ばくとの因果関係は認めないという方針をとるのだろう。だからこそ、甲状腺がんだけは検査をしているとしか思えない。しかし、それ以外の健康被害については恐らく必死で隠蔽しようとするに違いない。私たちが騙されてはいけないのはこの点だ。

 私は福島第一原発が爆発をしたとき以来、この事故に関して大きな関心を抱いてきた。そして案の定、東電も政府も事故の原因究明をあやふやにし、過小評価に必死になり、汚染や被ばく隠しに必死になった。だからこそ、事故からしばらくの間はブログでもこの問題を何度も取り上げてきた。政府が放射能汚染や被ばくに関して情報を速やかに出さず、避難の権利も認めず補償もろくにしない以上、一人ひとりが情報収集をしてどう対処するか判断し、被ばくを回避するための努力をするしかない。だからこそ、その判断に供するためにも自分が信頼できると思う情報を書いてきたつもりだ。

 最近は原発事故についてほとんど話題にしなくなったが、それは決して関心が薄れたからではない。事実を知る努力をし、避難すべきと判断した人の大半は事故後2、3年のうちに避難したと思う。一方で、避難しないと決断し今も住み続けている人は自分や自分の身の回りに異変が起きない限り、誰が何と言おうとそう簡単にその決断を変えることはないと思う。未だに、日本では健康被害はほとんど生じないなどと明確な根拠もなく主張し安全論を振りまいている科学者がいるが、それを信じて汚染地に住み続ける人を他者が変えることはできない。とはいうものの、安全論を振りまく科学者や医師の責任は大きいと言わざるをえない。

 ネットで放射能の危険性を叫んでいる人の中には東京は滅びるだろうという人もいるし、被ばくで○万人が亡くなるだろうと数値をあげる人もいる。いずれ病人が多発してキエフと同じになるだろうという人もいるようだ。さまざまな情報から、すでに首都圏でも健康被害が広がっているとしか思えないが、私には現時点でそれがどの程度のものになるのかまでは何とも言えない。放出された放射性物質の量や核種も被ばくの状況も、チェルノブイリと同じではない。しかし「東京は壊滅する」とか「避難を主張しない人は皆エートス」など、根拠なしに危険性を声高に主張したり、避難の主張をしないという点だけを取り上げて原子力に反対の立場の人すらエートス呼ばわりする人にも、安全を主張する人と同じ危うさを感じざるを得ない。

 先月、10日ほど東京に行った。東京は風が強い日が多い。東京はまだらではあるがそれなりに土壌汚染されたし、今でも放射性微粒子があるだろうと思い、私は風の強い日はマスクをして出歩いていた。しかし、もはや東京でそういうことを気にしてマスクをしている人はほとんどいないようだ。子どもたちは何事もなかったかのように校庭や公園などで遊んでいる。東京に住み続けることを選択した人たちにとって、もはや汚染や被ばくはほとんど頭にないのかもしれない。

 居住の可否に関し、年20ミリシーベルトという信じがたいほどの高線量で線引きをしている日本では、避難をするかどうかの判断も、避難の費用やその後の生活もすべて個人の責任で行わなくてはならない。

 誰も避難の補償をしてくれないのなら、高齢者の多くは住み慣れた場所から移住などする気になれないだろうし、働き盛りの人たちはそう簡単に仕事を変える決心はつかないと思う。自宅を持っていたり住宅ローンを抱えている人ならなおさらだ。東京に住み続けるには、被ばくのことなどいちいち気にしていられないという心境なのだろう。あれだけ沢山の人が住んでいるのだから、正常性バイアスに捉えられて何とも感じなくなってしまうのは当然といえば当然なのかもしれない。

 原発を推進してきた政府と東京電力に重大な責任がある事故でありながら、被ばくから身を守る責任は被災者個人に負わされているのだ。なんという無責任国家なのだろう。  しかし、だからこそツイッターなどで流れてくる情報に耳を傾け、神経をとがらせないと自分や家族の健康は守れない。そんな国になってしまった。

 もちろん、被ばくは汚染地に住む人だけの問題ではない。100ベクレルという高い基準値のために、汚染された食品が全国に流通している。汚染が日本中に薄く、広く広がっている。どこにいても食品の産地に注意を払い、できるだけ汚染地のものは避ける努力をする必要があると思うし、外食や加工食品なども避けるに越したことはない。そういう努力をしている人でも、日本人はみな原発事故前よりだいぶ多くの放射性物質を体内に取り込んでしまったし、これからも取り続けることになるだろう。

 5年前の原発事故を教訓に、今後どうしていくのかが私たち日本人に課せられた課題だ。過酷事故を起こしたなら取り返しのつかない被害をもたらす原発をどうするのか? 放射能汚染や被ばく問題をどう捉えるのか? 被ばくや健康被害にどう立ち向かい対処するのか? あるいは国の情報隠蔽や被害の過小評価、補償の放棄に対してどう行動するのか?

 自分のことだけではなく、未来の人たちのために考え行動せねばならないと思う。

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