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2016年2月

2016年2月29日 (月)

十二社と熊野神社の思い出

 子どもの頃住んでいた新宿の十二社(じゅうにそう)と熊野神社には2013年に訪れているのだが、先日東京に行ったときに再び足を延ばしてみた。十二社に住んでいたのは4歳くらいから小学校4年生の夏休み前までだから、7年ほどの間でしかない。でも、東京にくるとなぜか足が向いてしまう。昔のことを懐かしく思うのはおそらく歳をとり郷愁が湧いてくるといいうこともあるのだろうが、はるか昔のこととなった自分のおぼろげな記憶の中の風景と今の変容ぶりを確かめたいのかもしれない。

 あの頃の面影が残っているのは3年とちょっと通った淀橋第六小学校、小学校の近くの児童公園、住宅街の中の狭い通り、そして熊野神社くらいだろうか。当時からそのままの建物はほとんどなく、皆、あたらしい住宅やマンションに建て替えられ50余年の歳月は景色を一変させている。当たり前といえば当たり前なのだが、やはりどこかに昔の面影を探してしまう。

 今回は1年間通った幼稚園のあった場所にも足を延ばしてみた。幼稚園がなくなっていることは知っていたが、かつて幼稚園のあった敷地は集合住宅になり、記憶の世界とはまったく違った光景が何事もなかったかのように空間を占領している。

 考えてみれば、数歳の子どもの行動範囲はなんと狭かったのだろう。地図を片手に一人で出歩いた行動圏を目で追うと、東は十二社通りを渡ったところにある熊野神社までだった。南は甲州街道、西は山手通り、北は方南通りに囲まれた、住んでいたアパートから大人の足なら片道5分程度のところが当時の私の行動圏だったことを改めて思い知った。ちょうど、こちらのブログの地図の範囲が私の行動圏とほぼ重なっている。時期も私が住んでいたときと重なる。

 もちろんそれより外側に出かけたこともあるが、そういうときはたいてい友だちと一緒だった。そういえばよく母と一緒に買い物に出かけた商店街はどこだったのだろうか? 現在の地図を見てもどこだったのか見当もつかないが、たしか方南通りを渡った先の路地だったと思う。

 あの頃はよくアパートの庭で虫とりをして遊んだ。もちろんアゲハチョウやキタテハ、シオカラトンボなどどこにでもいる普通種ばかりだったが、ときどき見かけるアオスジアゲハは別格の存在だった。黒い翅の中央にエメラルド色のグラデーションの帯が走る素晴らしく魅惑的なこのチョウがこんな都会の片隅にいることだけでも心がわくわくしたし、動きがすばやくて子どもには捕まえるのが難しいチョウだった。ときどき舞いこんでくる金属光沢に輝くタマムシにも心をときめかせたし、カマキリなども恐る恐る捕まえては遊んだものだ。夏の夕方にはどこに棲んでいるのかアブラコウモリがひらひらと舞っていた。コンクリートの冷たい建物が増えた今、はたしてどれほどの生き物が生きのこっているのだろう。

 行動圏の東の端にある熊野神社は一番変わっていない場所かもしれない。それでもあの頃とはだいぶ変わってしまったとどことなしに感じる。おそらく建物が改修されたり整地されるなどして少しずつ変化してきたのだろう。観光客の姿が見られるのもあの頃とは違う光景だ。

 熊野神社といえばやはり夏祭りの縁日が思い出される。今はどうなのか分からないが、あの頃は十二社通りから境内一杯に屋台がびっしり並び、それはそれは賑わっていた。お面、綿あめ、べっこう飴、カルメ焼き、得体の知れないジュースなどを売る屋台、金魚すくい、ヨーヨーつり、輪投げ、射撃などが所せましと並んでいた。今、境内を見回すと、この狭い場所にどうしてあれほどの屋台があったのだろうと思うくらいの広さしかない。視線の低い子どものことだから広く感じたのかもしれないが、なんだか拍子抜けするほど狭い。

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 熊野神社では梅がほころび始めていた。社務所にパンフレットが置いてあるのに気付いて手にしてみると、この界隈の歴史のことが書かれている(http://12so-kumanojinja.jp/page-01.html)。十二社の池のことも書かれているが、私が住んでいたころにもまだこの池は健在だった。ただし、有刺鉄線に囲まれて道路から緑色にどんよりと濁った池が垣間見えただけで、近寄りがたい不気味な池という印象しかなかった。だからこの池がかつて景勝地で料亭や茶屋があり、ボートや花火大会で賑わったなどということが書かれていて驚いた。神社の近くには滝もあったという。

 この池は昭和43年に埋め立てられたそうだが、以下のサイトにはかつての十二社池の写真や絵が掲載されている。

 http://ameblo.jp/sasabari/entry-11528230700.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/shinjyukunoyamachan/2846.html 

 昔の絵や写真を見ていて思い出したのだが、私が子どもの頃は十二社のごく一部に自然のままの地形が僅かに残っていた記憶がある(もちろん現在はきれいさっぱりなくなっている)。十二社あたりの古地図(明治13年測量、24年修正)を掲載しているサイト(http://collegio.jp/?p=86)があるのだが、今の西新宿一帯は角筈(つのはず)村で、どうやら畑や竹林、雑木林などが広がっていたらしい。もちろん十二社の池も描かれている。明治時代に角筈村に住んでいた人たちが今の光景を目にしたら、腰が抜けるほど驚くに違いない。古地図を見ていると、住宅とビルで埋め尽くされた今の西新宿の変貌に呆然とするばかりだ。

 十二社や角筈という地名は私が子どもの頃も使われていたが、なぜ西新宿などというつまらない地名に変えてしまったのだろう。地形や景色は変わっても、せめて地名くらいは残しておけないものだろうか。そんなことを思いながら熊野神社を後にした。

2016年2月23日 (火)

自動化する社会

 先日、半年ぶりに飛行機に乗った。近年は航空券の予約と購入はネットで済ませているが、今回は手続きをしていたら「eチケット」なるものが利用できるとのことだったのでそれをプリントした。「eチケット」の場合は、搭乗手続きをせず保安検査場に直行できるという。帯広空港でカウンター前のX栓検査場に直行して手荷物をひとつ預けてから搭乗口に向かった。飛行機の手続きもどんどん変わっていく。

 羽田からの帰りの便も同じeチケットを利用できるので、手荷物を預けるために搭乗手続きのカウンター向かった。ところが例の手荷物検査場(X線検査の機械)が見当たらない。どこかに案内が出ているだろうと見渡すと、手荷物を預ける人は○番カウンターに行くようにとの案内が出ている。

 で、そこに行ってみてもX線検査の機械が見当たらない。首をかしげながらも、とりあえず列に並んで前の人がやっていることをよくよく見れば、なんと手荷物検査が自動化されていて搭乗者が各自でパネルを操作しているではないか。あたりに説明をしてくれそうな空港の職員の姿は見当たらない。内心「えっ! どうやってやるんだろう?」とちょっと焦ったが、とりあえず前の人を観察することにした。

 荷物をカウンターの所定の場所に置きパネルを操作すると、扉が閉まって検査が行われるらしい。そのあと機械から荷物に付ける番号が書かれたタグが出てくるので、自分でタグを荷物に取り付けてまたパネル操作をすると扉がしまり、ベルトコンベアで荷物が奥に運ばれて行く。番号が書かれた控えの紙をとれば手続き完了らしい。ただし、私の前の男性はスムースにいかずにちょっと手こずっていた。これなら、今までのように手なれた職員がやったほうが速そうな気もする。

 ちなみに、この機械は「ANA Baggage Dropサービス」というそうだ。以下のサイトを参照していただきたい。

 http://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/20150630_709511.html 

 実際にやってみたら難しいことはなかったが、しかし、何でもこうやって機械化してしまうというのは高齢者や弱者への配慮が足りないと思うし、何とも味気ない。高齢者は通常、新しい機械というだけで拒絶反応を示すものだから、ここまで機械化されてしまうと多くの人が戸惑うに違いない。

 考えてみたら、ここ数十年のあいだに機械でできることはどんどん自動化されていっている。省力化といえばそれまでだが、なんでも機械に任せてしまうことが本当に進歩なのかと考えさせられる。

 今の若者には分からないだろうが、私が子どもの頃はバスには車掌さんがいて切符を売っていた。しかしワンマンカーが徐々に普及し、いつの間にか車掌さんはいなくなってしまった。忙しくていらいらしていそうな運転手さんには、停留所を尋ねることも気が引ける。あの頃は電車の切符ももちろん窓口で販売していたし、自動改札機などもなかった。今や、動物園や植物園などの入場券なども人が売っていることの方が少ないのではなかろうか。地方ではまだ人がチケットを販売していることも多いが、機械化されるのも時間の問題なのかもしれない。

 街角に自動販売機なるものが並び始めたのはいつからだったろうか・・・。2008年に北欧旅行に行ったとき、自動販売機がほとんどなくて飲料は店で購入するしかなかったが、それが当たり前だと思えば不便は感じない。それに比べ、日本は自動販売機大国だ。証明写真を撮影する機械などは大学生の頃にはあったが、あれはいつから出てきたのだろう・・・。たぶんこうした自動化はほぼ同時期に進んでいったのではなかろうか。

 銀行でのお金の出し入れや送金もATMでほとんどできる。今や、大きな病院では会計も機械化されている。それはそれで便利かもしれないけれど、日常生活から人との対話がどんどん消えていき、人が機械に慣らされてしまうことになにか引っかかりを感じてしまう。

 スーパーマーケットなどなく街の商店街で買い物をしていた頃は、「○○を何グラムください」などと言葉を交わさなければ買い物もできなかった。スーパーマーケットでの買い物が当たり前になった今、店の人と客が顔を合わせ、言葉を交わして買い物をするという行為すらなくなりつつある。なんと非人間的な日常だろうとふと思う。

 つまり、誰とも会話しなくても日常生活が送れてしまう。とりわけ一人暮らしの高齢者などは人と人との距離が遠ざかり、信頼関係も薄くなり、社会から孤立してしまうのではないか。そういえば、父が亡くなり母の一人暮らしがはじまってから「一日中誰とも話さない日がよくある」と言っていた。そんなこともあってか、母は高齢になっても週一回の動物園でのボランティアガイドを楽しみにしていた。自分で意識して求めない限り、他者と対話をする場がないのだ。

 利便性の裏には必ず負の側面がある。機械化、自動化も紛れもなくそうだ。自動化の陰に会話のない孤独な日常が繋がっている。

2016年2月 1日 (月)

戦争は人間の本性か?

 人間の最も愚かな側面は、戦争と環境破壊だと思う。同じヒトという種でありながら、憎み合って殺し合い、しかも大量殺戮を続けている生物種は地球上にはヒト1種しかいないだろう。環境破壊は、生物の生存基盤そのものを壊したり汚染することで自ら首を絞める行為だ。戦争は同種の殺戮と同時に環境破壊ももたらす。ともに理性のある者がとる行動ではなかろう。

 放射能汚染も同じで、お金に目がくらんだ人たちが危険きわまりない原子力の利用を促進してきたことが、人類はもとより地球上の生物の生存を脅かしている。21世紀における人類の選択は、地球上の生物の存続を左右することになるだろう。

 しかし、これだけ科学技術が発達した社会でありながら、ヒトはどうして戦争が止められないのだろうか。「戦争はヒトの本性」とか「戦争があるから人口増加が抑えられる」などといったことを口にする人がいるが、本当にそうなのだろうか? やや古い記事だが、以下からもやはり戦いは人間の本性ではないと考えざるを得ない。

「戦いは人間の本質ではなかった」:研究結果 

 アイヌの人たちはチャランケという弁論よってもめごとの解決を図ったという。アイヌ民族がまったく闘いをしなかったということではないにしても、話し合いで争いごとを解決するというのが彼らの基本的なやり方だったのだろう。

 狩猟採取生活をしている少数民族は、自然の中でひっそりと暮らしていて集団で殺し合いをするという話しはまずきかない。以前、NHKのテレビ番組で、狩猟採取生活をしているある民族にはストレスがないと報じていた。彼らは協力して獲物を捉え、食糧を集団の中で平等に分け与える生活をしているが、こうした集団内の協力や平等意識が武力闘争のない平和な生活を維持しているのだろう。狩りに非協力的な自己中な人は、集団内で生きていけないことになる。

 だいたい、同種同士で殺し合いをする動物はほとんどいない。チンパンジーなどには子殺しもあるが、これとて憎しみによる集団での殺し合いではない。ところが、人類はあるときから殺し合いをするようになってしまった。人間がいつまでたっても戦争という殺戮を止められないのは、欲を制御できないからとしか思えない。富を溜めこむようになった社会には富の分配の偏りという不平等が生じ、より多くの富を得ようとする競争があり、こうした社会では不平等と闘争心によって自ずとストレスが蓄積する。

 富の配分が公平で、支配や競争がない社会であればストレスは生じにくいだろうし、ストレスや競争がなく人と人が協力しあう社会であれば、人が憎み合うことも少ないだろう。ならば、人々が平和な暮らしを続けるために必要なのは、富をできる限り均等に配分して格差をなくし、人々が協力しあう社会を構築することだ。

 そして、地球上の資源は限りがあることを自覚し、自然改変をできる限り慎む努力をしつつ再生可能エネルギーを利用していくしかないのではなかろうか。もちろん、だからといって昔のような生活に戻れというつもりはない。自分たちの生存基盤である自然環境の保全を前提にしなければ、どこかで綻びが生じ持続可能な社会は続かない。戦いが人間の本性ではないのなら、意識と努力次第で平和な社会は築けるはずだ。

 しかし、日本は正反対の方向に向かっている。格差は拡大するばかりだし、福祉は切り捨て。今や働けど働けど搾取される非正規の労働者と、年金だけで生活できない高齢者が溢れている。あれだけ大きな事故を起こし放射能をばら撒きながら、原発をやめる気配がない。これでは人々の間に不満やストレスがたまり、攻撃的になるのも当たり前だろう。安倍首相は人々を攻撃的にしておいて、戦争に駆り出そうというつもりなのだろうか。

 これに気づき、理性を働かせていかないと、ストレスをため感情的、攻撃的になった人間は簡単に騙され誘導されてしまう。はたしてヒトは理性をとりもどし、戦争のない社会を構築することができるのだろうか?

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