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2016年1月

2016年1月23日 (土)

温暖化の脅威

 昨年(2015年)の世界の平均気温は過去最高を更新したそうだ。

2015年の世界平均気温 過去最高を大幅更新 (BBC)

世界の年平均気温の編差の経年変化(0891~2015:速報値) (気象庁)

 世界の平均気温は2000年ころから10年ほど横ばいだったため、温暖化は嘘だとか寒冷化が始まっていると主張する人もいたが、どう見ても温暖化は止まるどころか加速しているとしか思えない。

 昔と比べて暖かくなった、というのは私自身も実感している。

 私の生まれ故郷は長野県の上諏訪だが、上諏訪はとても寒いところだった。冬の朝、玄関前に配達された牛乳が凍って紙のふたを押し上げて盛り上がるほど冷えるのが日常だった。とはいっても私が住んでいたのは幼児期なので、寒さの記憶自体はほとんどない。暖房といえば炬燵があったことしか覚えていないが、今になって考えるとよくあの寒いところでストーブも使わず過ごしていたものだと思う。今はたぶんそこまで冷えないのだろう。

 母が子どもの頃、諏訪湖は毎年全面結氷してスケートをしたそうだが、近年では全面結氷の頻度が減り、氷の厚さも薄くなっているという。

 私が北海道に来た35年ほど前も、今と比べると冬はずいぶん寒かった。当時住んでいた住宅は、ストーブを焚いている昼間でも長時間水道を使わないと凍結してしまうこともあったくらいだ。半日ほど外出しただけで、家の中はたちまち氷点下になる。帰宅してもしばらく防寒着が脱げない。夜はストーブを消すが、寒いときは寝室がマイナス8度くらいまで下がったこともあった。

 寝る前はストーブの上で沸騰していた薬缶の湯が、朝には凍っている。水道はもちろん水抜きをするが、冷えた日は蛇口が凍って回らなくなってしまう。目覚めたらまずストーブのスイッチを入れて、部屋が暖まるまでまた布団に潜り込む。部屋が多少暖まってから起き出して着替え、薬缶の湯を蛇口にかけて回るようにしてから止水栓を開く。だから、ストーブには必ず水を入れた薬缶や湯沸かしを乗せておかねばならない。これが冬の日課だった。

 数日間家を開けて帰ってきたときには、何もかもが凍ってしまって大変だった。北海道の場合、冷蔵庫は、冬に食べ物を凍らせないという役目もあるのだが(冗談のようだけれどホントの話し)、もちろん冷蔵庫の中のものまで凍っている。花瓶の水が凍って花瓶が割れていたり、調味料まで凍ってビンが割れていたり・・・。

 真冬はマイナス20度以下になるのは当たり前で、25度以下になることもしばしばあった。最低気温がマイナス15度くらいだと「今日は暖かいね」という感じだった。狭い家なのに、厳冬期はストーブだけで一日10リットルほどの灯油を燃やした。

 今こそ断熱性・機密性のいい住宅なのでこんなことはあり得ないのだけれど、それにしても3、40年の間にずいぶん暖かくなった。最近ではマイナス25度以下になる日は滅多になく、20度以下になってようやく「今日は冷えたね」となる。冬暖かいのは暖房費の節約になるが、もちろん喜んでなどいられない。

 地球温暖化の危機が叫ばれるようになってから久しいが、これを止めるのは本当に厳しい状況になってきている。地球上の生物は戦争、放射能や化学物質による環境汚染、そして地球温暖化(含異常気象)と、いくつもの脅威にさらされているのに、この国を見渡してもなぜか危機感が感じられない。

 人間は「ゆでガエル」のように、自分の身に危機が降りかからないと気づかないのだろうか? その時はすでに遅しなのだけれど。

2016年1月 9日 (土)

小野昌弘氏の放射能恐怖に関する連載記事についての感想

 英国在住の免疫学者である小野昌弘氏の「放射能恐怖という民主主義の毒」という連載記事に関し、ツイッターで賛否両論が交わされている。私は小野氏の放射能に関する認識は間違っており、間違った認識によってお門違いの批判を展開していると捉えている。

 この小野氏の主張は、ニセ科学批判クラスタの人たちによる、根拠薄弱な放射能安全論と深く結びついていると私は考えている。そして、放射能による影響が明確になってきている今だからこそ、このようないい加減な安全論の流布に対してはっきりと批判しておくべきだと思う。

 小野氏の連載最終回の記事を読んでの私の連続ツイートを以下に貼り付けておきたい。

①小野昌弘氏はこちらの記事http://bylines.news.yahoo.co.jp/onomasahiro/20160102-00053053/で、原発事故後に「『御用学者』というレッテルを貼る動きが科学者・専門家全体に拡大し、本来的検証の動きを阻害した」と言うけれど、御用学者など原発事故前から大勢いた。

②ただ、原発事故前はそれほど目立たなかったにすぎない。否、日本の大学等の研究機関において、公の場で堂々と政府批判をする研究者は少数派で、多くの研究者は立場上、自由に批判もできず沈黙しているか、あるいは魂を売って御用学者になってしまっているといっても過言ではなかろう。

③大学教授などの科学者が政治とまったく無関係でいられるということにはならない。とくに多額の研究費が必要な自然科学系の研究者が研究費を得ようとしたなら、政府の望む研究を手がけるというのが当たり前の状況だ。大学教員の多くは自分の探究心より研究費や地位を優先せざるを得ない。

④つまり研究費を得、昇進するためには、政府の望む分野での研究を手がけるのがもっとも手っ取り早い。そうやって、科学者は政府に利用され御用学者になっていく。国立大の教授を定年退職したある知人から聞いた話しだが、在職中はなかなか自由に物を言えないというのが現状らしい。

⑤そんな中で御用学者にならないよう自分の意志を貫くのは強い意志が必要だし、場合によっては昇進もあきらめねばならない。小出裕章氏が助教のまま退職したのも、原発に反対しつづけてきたからだろう。しかし、小出氏のように地位や高給を望まず自分の意志を貫ける人はほとんどいない。

⑥study2007氏は「科学」への投稿も匿名だったし、「見捨てられた初期被曝」も匿名で出版した。彼が匿名でしか被ばく問題を書けなかったのも、研究者として名を明かせない事情があったのだろう。この国では研究者が良心に忠実で誠実な態度を貫くことはとても困難だ。

⑦日本の研究者の置かれた状況を考えるなら、権力者の意向に流されず自分の主張を貫く研究者は冷遇される。だから多くの研究者は御用学者になってしまうか、あるいは政治的発言を控えて沈黙を貫く。しかし、魂を売った御用学者の嘘が暴かれ批判されるのは当然の成り行きだろう。

⑧一方で、小野氏の言う「御用学者パージ」とは何なのだろうか? 私が思うに、小野氏は「原発業界御用学者wiki」の批判がしたかったのではないかと思う。専門家に対し、こういう吊るしあげや晒しをするなと。もちろん、御用学者wikiが間違いだらけならそういう批判も有りだろう。

⑨しかし小野氏はここで完全な勘違いをしていると思う。原発問題、被ばく問題に関しては、原子力や放射線の御用学者が明らかに存在した。しかしそれ以外にもニセ科学批判クラスタ等による浅薄で根拠薄弱な放射能安全論が流布された。彼らの大半はエア御用と称された。

⑩つまり、利害関係の絡む御用学者と、リテラシーの欠如と思い込みで「健康被害は生じない」と流布した科学者の問題は分けて考える必要がある。前者は自分の利益のために意図して嘘を撒き散らすが、後者は善意と思い込みで嘘を撒き散らしているのであり、ともに有害だが質がまったく違う。

⑪そして小野氏はニセ科学批判の人たちの言説を真に受け、彼らの放射能安全論を具体的に検証もせず、彼らを批判する反原発の人たちを「放射能おばけ」と揶揄して批判した。つまり、小野氏の被ばくに対する認識は、ニセ科学批判クラスタの人たちと何ら変わらないということだ。

⑫確かに反原発の人たちの中には、これから首都圏では被ばくで○万人が死亡するとか、東京は滅亡するといった根拠のほとんどない発言をする人たちもいるし、妄想としか思えない陰謀論を振りまいている人たちもいて、私はそういう人たちは警戒して距離を置くようにしている。

⑬しかし放射能安全論を振りまく科学者に何の疑問を持たずに専門家として持ちあげ、根拠なく危険を吹聴する一般人のみを「放射能おばけ」と批判する姿勢にはとても賛同できない。小野氏はリテラシーのなさから的外れの批判を展開してしまったとしか私には思えない。


 それから、以下はニセ科学批判の人たちに対する私のツイート。

ニセ科学批判の人たちを見ていて感じるのは、彼らは常日頃から批判できる対象探しに目を光らせていて、これぞと思う事例を見つけては批判をして悦に入るという習性が身についてしまったのではないかということ。批判することが目的になると、批判のネタが目についたらすぐに飛びつく。

福島の原発事故のあとも、彼らは放射能絡みのニセ科学批判に飛びついた。批判が的を射ていればいいのだが、誤認や思い込みで批判を展開してしまったがゆえ反原発の人たちから批判される結果となった。早い時点で過ちに気付いて訂正すればよかったのだが、なぜかそういう判断はしなかった。

彼らの危うさは、「はじめに批判ありき」という意識が強くなりすぎ、批判すること自体が目的になってしまって否定の根拠を探すことに躍起になり、自分たちへの批判を真摯に受け止めないこと。そして誤ちを訂正する方向に向わず、集団の同調性によって暴走してしまうことだと思う。

*ツイートをあとから読み返すと日本語としておかしな言い回しもあるが、ツイートは訂正できないのでここではそのまま掲載した。

2016年1月 3日 (日)

リテラシーが求められる時代

 新しい年を迎えたが、もうここ何年も新年にあたっての感慨はないし、とても楽しい気分にはなれない。ただ、昨年一年を無事に過ごせたことを感謝するとともに、来る年に自分は何ができるのだろうかと考えてしまう。

 とりわけ福島の原発事故以来ずっと重たい気持ちを引きずっているし、心の奥底にいいようのない不安が貼りついている。何の不安かといえば、戦争への道にすでに片足を踏み出していること、被ばくによる健康被害の顕在化と被ばく隠しが始まるであろうこと、再び大地震や大津波あるいは火山噴火などの自然災害に襲われる懸念(再度の原発事故の可能性も含む)、ますます格差が拡大するであろうこと、いつまで自由な言論ができるかわからないこと・・・などなど。

 以下の獣医さんの記事が、今の危険な状況を端的に指摘している。

 今年ほど右に傾いた年はない(そりゃおかしいぜ第三章)

 獣医さんも記しているが、政府は武器製造や開発、輸出を目指し、国立大学が軍事研究にまで手を出す始末だ。つまり科学者に軍事研究をさせて軍事に動員するということだ。戦争への学者の利用であり、こうしたやり方から間違いなく戦争へと誘導する御用学者が生まれるだろう。きわめて恐ろしい事態だ。

 国は科学者まで利用して軍需産業に力を入れ、強引に戦争法を通して戦争へと邁進している。平和憲法はすでに形骸化してしまったうえに、この夏の参院選で改憲を目論んでいる。再び巨大地震が迫っているという予測をしている人たちがいる中で、国民の声を無視して地震大国、火山大国で原発を再稼働させる様は、もはや狂気としかいいようがない。TPPも公約違反。マイナンバーで国民を管理。もう支離滅裂の状況だ。

 それにも関わらず、多くの人が政治に無関心だ。若者たちの多くはスマホから離れられない生活を送っているが、大半はゲームやSNSにうつつを抜かしているという。この情報化時代に、真実を知るための情報収集をするならわかるが、どうやら政治には関わりたくない若者が大半らしい。

 国が集団的自衛権を行使できるようにしたところで、自分には関係がないとでも思っているのだろうか。あれだけ自民党が公約違反をしておきながら、未だに「長年政権を握ってきた自民党がいちばん安心」などと思っている人も多いように見受けられる。これほど危険な状況なのに危機感が希薄で、保身ばかり考えている人があまりに多いと思わざるをえない。

 今年は原発事故から5年目になるが、チェルノブイリの原発事故の経験からも、子どもの甲状腺がんの多発をはじめとした被ばくによる健康被害がいよいよ明確になってくるだろう。政府が事故の過小評価に必死になり汚染地に住民を戻す政策を展開し、未だに誰も原発事故の責任をとらないという状況からも、これから被ばく隠しが行われるのは目に見えている。

 おそらく被ばく隠しに御用学者が跋扈するだろう。首都圏も汚染されてしまった以上、被ばくによる健康被害は関東圏でも明確に現れるに違いない(実際にはすでに現れているとは思うが)。そんな中で首都圏に住む人たちは正常性バイアスに捉われ、御用学者の振りまく安全説に頼ってしまう可能性がある。否、問題は御用学者だけではない。放射能安全説を振りまいたニセ科学批判の人たちや、それに準ずる発言をしている科学者の言説は汚染地に住む人たちに安心感を与える。こうして汚染地の住民がエートスに取り込まれ、原子力ロビーに牛耳られてしまうことこそ警戒せねばならない。エートスについては以下を参照していただきたい。

 <エトス・プロジェクト>を通して国際原子力ロビーは何を目指しているのか?/その1 
<エートス・プロジェクト>を通して国際原子力ロビーは何を目指しているのか? その2 
<エトス・プロジェクト>を通して国際原子力ロビーは何を目指しているのか? その3 
<エトス・プロジェクト>を通して国際原子力ロビーは何を目指しているのか? その4 

 今の日本の状況は、すでに浸水がはじまっている沈みかかった船だと思う。ともあれ、悲観していたところでどうにもならないのも事実だ。ならば、自分でしっかりと情報の取捨選択をし、できる限り真実に近い信頼できる情報を広め、間違った言説を指摘することが多少なりとも多くの人の幸福に結びつくのではなかろうか。もちろん一人の人間ができるのは微々たることでしかない。しかし、ただ悲観して何もしないのは状況の悪化に加担するだけだと思う。

 ネット上にはいい加減な情報やデタラメな情報、あるいは荒唐無稽な陰謀論や誹謗中傷が溢れているが、地道に真実を追求しようとしている言論もある。一方で、政府に都合の悪い情報の信用を落とそうと操作する人もいる。そんな混沌とした状況の中で、何が虚偽であり何が事実なのか、また何が真実に近いのかを見極めるリテラシーがこれほど求められる時代もないだろう。

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