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2015年8月30日 (日)

逢坂峠を見下ろす比叡山

 今年は日本蜘蛛学会の大会が京都で開催され、大会への参加も兼ねて10日ほど京都と東京に行ってきた。そして京都滞在中に比叡山に足を伸ばした。比叡山に行ってみたいと思った理由は、関西へ向かう飛行機の中で「日本史の謎は『地形』で解ける」(竹村公太郎著 PHP文庫)という本を読んだことも関係している。

 京都市内から比叡山に行くにはいくつかのルートがあるのだが、せっかく行くのであれば京都から琵琶湖側へと抜けるコースをたどってみようと思い「比叡山横断チケット」を購入した。比叡山は、山の麓から交通機関1本で簡単に行けると思っていたのだが、調べてみるとケーブルカー、ロープウェイ、バスなどをいくつも乗り継がなければならないらしい。

 まず京阪電車の出町柳駅から叡山電車に乗って八瀬比叡登山口へ。そこから叡山ケーブルと叡山ロープウェイを乗り継ぐと比叡山頂駅に着く。この叡山ケーブルは標高差(561メートル)では日本一とのこと。京都市内の名所はどこも観光客でごった返していたし、世界文化遺産にもなっている比叡山もさぞかし混雑しているかと思ったのだが、どうやらケーブルカーやロープウェイを乗りついで比叡山に行く人はそれほど多くないようだ。ケーブルカーもロープウェイも思っていたより老朽化している上に、どことなしか裏さびれている。

 比叡山山頂駅に降りるとすぐに「ガーデンミュージアム比叡」という庭園の入口があるが、ここはパスして比叡山内シャトルバスのバス停に向かう。山頂は下界に比べるとぐっと涼しく、気持ちのいい植林地の道を5分ほど歩くと山頂バス停に着く。バス停に来て、京都駅や三条京阪と比叡山山頂を結ぶ比叡山ドライブバスが出ていることを知った。なるほど、バス一本で山頂に来られるのであれば、ケーブルカーやロープウェイがすたれるのは納得できる。しかし、バス一本で来てしまうのは何とも味気ない。山頂バス停からは琵琶湖はもちろんのこと、下界の光景がよく見渡せる。

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 さて、比叡山に来たからには延暦寺を見て回らねばならない。延暦寺は山頂から琵琶湖側にやや下ったところにある。ただし延暦寺という建物はない。いくつもの建造物が東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)という三つの区域に分かれて建てられており、それらを総称したものが延暦寺だ。根本中堂、戒壇院、大講堂などは東塔地区に、釈迦堂、にない堂、浄土院などは西塔地区に、そして横川中堂、四季講堂などは横川地区にある。それぞれの地区はやや離れているために比叡山内シャトルバスが循環している。ただし、シャトルバスは1時間に2本ほどしか運行していないので、あちこち回りたい場合は余裕をもったスケジュールを立てたほうがよさそうだ。

 比叡山の中心的な建造物は何と言っても東堂にある根本中堂だろう。ただし2016年度から大改修を行うとのことで、すでに準備が始まっていた。

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 こちらは同じく東塔の法華総持院東塔と阿弥陀堂。東塔からは下界が見渡せる。

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 そしてこちらは西塔にある釈迦堂。

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 比叡山は標高が848メートルだが、根本中堂は標高が670メートルくらいのところにある。比叡山の山肌の大半は杉などが植林された人工林だが、延暦寺の周辺には見事な杉の大木が点々とある。それにしても、今のように大型機械もない時代に、こんな山奥によくぞこれだけの立派な建造物を建てたものだと感心せずにはいられない。

 さて、杉林に囲まれた延暦寺で、私は「日本史の謎は『地形』で解ける」という本に書かれていた織田信長による延暦寺の焼き討ちのことを頭に思い浮かべた。

 延暦寺は延暦7年(788年)に最澄によって創建された。そして創建から800年ちかく経た1571年、織田信長は寺院を焼き払い、僧侶などを徹底的に殺害したとされている。今の延暦寺はその後再建されたものだ。竹村氏の著書「日本史の謎は『地形』で解ける」には、竹村氏の独自の推測による延暦寺焼き討ちの理由が綴られている。竹村氏は、これまで人文社会の観点から唱えられてきた諸説を脇に追いやり、地形から焼き討ちの謎を読み解いている。その概要は以下のようなものだ。

 日本列島の交流の中心である琵琶湖一帯と京都を行き来するには、逢坂山を通らねばならない。今も東海道線や東海道新幹線、北陸線、京阪転轍、国道1号線などが逢坂山に集中している。もちろん昔の峠道はせいぜい馬が1頭ないしは2頭が並ぶ程度の幅しかない。その狭い道を軍の隊列が通るとき、隊列は必然的に細長くなる。そこを横から攻撃されて前後の隊を切り離してしまえば、大軍を崩落させることは容易だ。なぜなら信長自身が桶狭間の戦いで、今川軍の隊列が伸びきったところを襲撃し、今川義元を打ち取った経験があるのだ。

 比叡山は逢坂山を見下ろす位置関係にある。比叡山の僧兵たちは逢坂山を行き来する侵入者を見張り待ち構えていた。僧兵たちが見張る中、足利義昭を盾にしてなんとか逢坂山を無事に通過して上洛した信長にとって、逢坂山を自由に行き来するために比叡山の焼き打ちがどうしても必要だった。これが竹村氏による延暦寺焼き討ちの理由である。

 もちろんこれは竹村氏が地形から導き出した一つの物語であり仮説にすぎない。しかし、今のような交通手段もない中で、「地形」が歴史に及ぼした影響は無視できないし、竹村氏の見方は非常に興味深いものがある。

 そして実際に比叡山山頂からの眺めは素晴らしい。延暦寺の最も東に位置する東塔からも琵琶湖側はよく見渡せるのだ。比叡山は、武装した僧兵が山の上から下界を見張り、山猿のごとく山を駆け下って侵入者を襲撃するのに格好の位置関係にある。信長が延暦寺の僧兵を心から恐れていたのは間違いなさそうだと思えてくる。

 今はすっかり観光地になった延暦寺ではあるが、森に囲まれた静寂な山奥の寺院にも血にまみれた歴史がある。権力、宗教のもとに多くの命が抹殺された歴史がある。権力とは何か、宗教とは何か・・・。焼き討ちからおよそ450年が過ぎた今、私たちは果たして血まみれた歴史から何かを学んでいるのだろうか・・・。

 東塔と西塔を巡り、東塔に戻って7分ほど歩いて琵琶湖側に下る坂本ケーブルの駅に向かった。坂本ケーブルは長さ(2,025メートル)が日本一とのこと。ケーブル坂本駅に降り立つと、一気にむし暑い空気がまとわりついてきた。ここから連絡バスに乗って京阪坂本駅に。そして京阪電車に揺られて京都市内へと戻り半日あまりの小旅行を終えた。

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