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2015年4月

2015年4月25日 (土)

人証に持ち込まれたフェロニッケルスラグ裁判

 昨日4月24日は、(株)日向製錬所と(有)サンアイが黒木睦子さんを訴えた裁判の第4回口頭弁論が開かれた。この口頭弁論の様子は大谷憲史氏とイワシ氏のお二人が報告されている。

第4回口頭弁論レポート (市民メディアみやざきCMMブロマガ)
第4回口頭弁論レポート追記「地権者のことが書かれていない!」 (市民メディアみやざきCMMブロマガ)

 4月24日(ワ)86号・89号第4回心理(宮崎地方裁判所延岡支部) (鰯の独白)

 これらの報告から、今回出された被告の書面に原告として反論があれば次回6月12日までに提出し、次々回7月15日には人証を行うという裁判所の方針が明らかになった。

 民事訴訟では原告、被告それぞれの書面と証拠による主張のあと必要に応じて人証、結審、判決となる。つまり、今回の黒木さんの書面で被告の主張と証拠はほぼ出されたと判断したのだろう。そして、あとは証言、とりわけ黒木さんの本人尋問を重視して判断したいという考えのように思われる。

 イワシさんの報告によると、この人証について原告側の弁護士はやや戸惑ったようだ。日向製錬所の新井弁護士は「えーと、何と答えればよいか」、「あとで検討します」という返事をし、サンアイの富永弁護士は「妨害関係で陳述を出します」と答えたそうだ。どうやら証人について準備をしていなかったようだ。裁判長が尋問の判断をするとは思っていなかったのかもしれない。

 そして、黒木さんは地権者を証人として申請したいと回答した。

 黒木さんのブログによると、3人の地権者のうち2人は、サンアイがダストを埋めさせてくれと言ったので埋めさせてやったのでありお金は払っていないと言っており、1人はグリーンサンドを買ってサンアイに施工を頼んだと言っている(それぞれの地権者の言い分)。本来なら地権者が工事費用を支払うのは当然のことだが、支払っていないのなら逆有償取引の疑惑がもたれる。地権者の証言は埋めたフェロニッケルスラグが産廃であるか否かを判断するための重要なポイントになるだろう。

 ただし、民事訴訟では証人を求められても断ることはできる。証人は証言の前に嘘を言わないと宣誓しなければならないし、嘘の証言をしたら偽証罪に問われかねない。だから地権者が証人として出廷するかどうかは分からない。

 地権者が事実をきちんと証言したいと思うのであれば証人を了解するだろうし、そういう勇気がなければ断る可能性が高いのではなかろうか。ここは地権者の良心が大きく関わってくるだろう。  さて、市民メディアみやざきの大谷憲史氏は、相変わらずこの裁判は名誉毀損、営業妨害であり環境問題、産廃問題ではないと第4回口頭弁論レポート追記で主張している。

 この裁判が名誉毀損・営業妨害として提訴されたことは間違いない。しかし、日向製錬所が名誉毀損だと指摘しているのは、グリーンサンド(埋めたフェロニッケルスラグが有害、ゴミ(=産廃)という記述であり、有害であり産廃であることが事実ならまさしく環境問題、産廃問題だ。つまり実質的には有害か否か、産廃か否かが問われているのだ。

 また、営業妨害についても、黒木さんは有害で産廃だと考えているからこそ工事を行ったサンアイに対して利害関係者として抗議をしたのであり、環境問題、産廃問題が抗議行動の根底にある。

 そうしたことを無視して、環境問題でも産廃問題でもないと断定することに、恣意的なものを感じざるを得ない。

 大規模な工事を行う以上、利害関係者に十分な説明をして合意を得ることは企業としての社会的責任である。日向市長からの「土地開発行為届出書の受理について(通知)」という書面においても「地元(西川内地区)への説明会の機会を設けるなど、開発に対する地元の理解を得るよう努めること。また、申請者と周辺土地所有者の施工中・施工後のトラブルについては、当事者間で解決すること」とされている。営業妨害に関しては、サンアイが黒木さんの合意を取りつけずに工事を強行したことも考慮したうえで判断すべきだろう。

 民事裁判のクライマックスは人証だ。裁判長は黒木さんの本人尋問を実施することで書面だけでははっきりとは分からない真実を探ろうとしているように思える。

2015年4月22日 (水)

講演報告「国立公園における地熱開発の規制緩和の経緯と問題点」(辻村千尋氏)

 4月18日に新得町でシンポジウム「大雪山国立公園トムラウシの地熱発電計画を問う」が開催され、在田一則氏(北海道自然保護協会会長)、寺島一男氏(大雪と石狩の自然を守る会代表)、辻村千尋氏(日本自然保護協会)による講演が行われた。また翌19日に帯広市で辻村千尋氏による講演会が開催された。ここでは、辻村千尋氏の講演「国立公園における地熱開発の規制緩和の経緯と問題点」の概要を紹介したい。
 なお、シンポジウムの講演要旨は以下を参照いただきたい。

シンポジウム「大雪山国立公園トムラウシの地熱発電計画を問う」報告(十勝自然保護協会活動速報)

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国立公園における地熱開発の規制緩和の経緯と問題点 辻村千尋

 日本自然保護協会の国立公園での地熱開発についての基本スタンスは、原子力発電をなくすこと、省エネを第一に進め、地域の自然にあったエネルギーシステムに転換することが前提である。自然再生可能エネルギーとしての地熱発電や風力発電等の導入を否定するものではない。

 しかし、自然環境や生物多様性に与える影響、温泉への影響など、問題点の議論が不十分であり、デメリットも含めたコンセンサスづくりが必要である。

 2010年6月18日に再生可能エネルギーの導入促進に向け、環境省に対して国立公園での規制緩和を検討するよう閣議決定がなされた。これを受け、環境省は2011年6月から2012年2月にかけて5回にわたって「地熱発電事案に関わる自然環境影響検討会」を開催し、科学的な議論を実施した。日本自然保護協会はこの会議において専門家として以下の点について科学的な指摘をした。

①国立・国定公園と地熱発電との関係
 国立・国定公園は特別保護地区、特別地域(第1種~第三種)、普通地域に区分されている(地種区分)。しかし、実際には自然度と地種区分が合致しておらず、バッファーのない特別保護地区や特別地域があったり、規制の弱い、あるいは保護されていない重要な自然環境がある。地熱発電所が計画されているトムラウシ地区(第三種特別地域)はすぐ隣りに原生自然環境保全地域があり、バッファーがない。地種区分の拡充や再編が必要である。

②持続可能性についての疑問
 地熱発電を行うための生産井は寿命があり、次々と新しい井戸を掘り続けなければならない。また、生産井からの蒸気や熱水は還元井によって地下に戻すシステムだが、水蒸気として大気に出ていくものもあるので、すべて地下に還元できるわけではない。

③不確実性と予防原則について
 蒸気が取り出せるかどうかは、実際に掘ってみないと分からないという不確実性があり、蒸気が出なければ堀り直すことになる。また地下2000~3000メートルのところに空気を嫌う微生物がいることが分かっており、このような微生物にどのような影響を及ぼすのか分からない。したがって予防原則の立場をとるべきである。

④地表部の自然保護上の問題点について
 森林であったところにパイプラインだらけの工場が出現することになり、景観を破壊する。

⑤環境影響評価の手続きについて
 資源探査は環境アセスメントの対象にならない。しかし、道路の開削や坑井などの開発行為が伴う。また試験井を掘って蒸気がでればそれを使うことになり、事業に移行する。

⑥自然保護上の解決を要する技術的課題
 パイプラインの景観、ヒ素を含む還元水の地下への影響、火山景観への影響、大量の還元水の地盤変動への影響、噴気蒸気の不安定さと掘削井の持続性への疑問、人の健康に与える影響など、自然保護上解決しなければならない課題がある。

 これらのことから、日本自然保護協会としては、地熱発電所は国立・国定公園内では行うべきではなく、規制緩和には反対であるとの意見を表明した。そして、検討会では普通地域での開発は個別判断で認める、第二種および第三種特別地域への地下へのななめ掘りは地表面に影響がなければ認める、これ以外については合意できず両論併記、の三点が合意された。

 しかし、環境省としての結論は、①普通地域は認める、②地表でも、第二種および第三種特別地域での開発を優良事例に限り認める、③特別保護地区、第一種特別地域も調査は認める、ということになり、検討会での科学的議論が軽視されてしまった。これは政治的な判断がなされたことを意味する。

 人口が減少していく中で、どれだけ電力が必要なのか、省エネがどこまで可能なのかという議論がない。国立・国定公園での地熱開発は公園指定を解除するに等しく、自然公園の風景と調和しない工作物は許可してはならない。生物多様性の保全上も、国立・国定公園での地熱開発許可は難しい。

 地球温暖化への対処と生物多様性の保全は両立させなければならず、温暖化対策のために生物多様性を壊すのは矛盾する。

 日本の山岳地帯は3000m級の山としては世界一の強風にさらされている。これは、ヒマラヤ山脈で分流したジェット気流が日本で合流するためである。また、日本は氷期に氷河で全体が覆われなかったため、植物の絶滅が免れた。地質も複雑である。このような要因が重なり、日本は生物のホットスポットとなっており、国立公園で守っていかなければならない。

 2010年に名古屋で開催されたCOP10(生物多様性条約第10回締結国会議)で、「陸域及び内陸水域の17%の保全」が採択されたが、この17%は保安林も含めてようやくクリアされた。

 歴史学者の色川大吉氏は著作で「風景が無くなるということは、その歴史がなくなるということ」と記しているが、この言葉をしっかりと受け止めていかなければならない。

2015年4月20日 (月)

日本文学館から自費出版した二人組のトラブル顚末記③

これまでの記事
日本文学館から自費出版した二人組のトラブル顚末記① 
日本文学館から自費出版した二人組のトラブル顚末記②(追記あり 

 この顚末記は2回で終了させるつもりだったが、zih*s*uppan*氏は自分が嘘をついていたことについてまたまたとんでもない屁理屈を言い始めた。そこで、再度、zih*s*uppan*氏の虚言問題についてここで取り上げておきたい。

 以下がzih*s*uppan*氏のたまげた屁理屈である。
http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67952660.html

虚偽の説明をすることで私は何のメリットもありません。私を批判する人は、私が虚偽の説明をしたことの合理的な理由を説明すべきですが、その説明をしていません。それでは説得力を持ちません。説得力のあるない批判に意味はありません。

 これに関してクンちゃんは以下のように批判している。
http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/0c5571ec112191ca235f1872a0689ce9

刑事裁判において公判を維持して有罪に持ち込むには、警察・検察段階で慈悲が言うような要素について厳密な捜査(立件)が必要である。推理小説の世界もまた同様である。
 しかし、いま慈悲が批判にさらされているのは刑事立件を目指したものでもなんでもない、一般社会での常人同士のやりとりである。虚偽だと指摘する場合には、当該指摘が誤っていないというだけの証明で十分である。飛躍や勘違い、妄想はいいかげんにしてもらいたい。

 クンちゃんの言っていることはもっともだ。何よりも、ブログという公開の場で複数の嘘をついていたのだから、これだけでzih*s*uppan*氏の信用は地に落ちた。狼少年の言うことを人々が信用しなくなるのと同じで、嘘をつくというのは人が生きていく上で大事な信頼関係を自ら壊していることに他ならない。

 しかし、私はここであえてzih*s*uppan*氏のご要望にお応えしたい。すなわち、嘘を言い続けてきた理由についての推論を展開してみたい。

 まず、はじめに「なりすまし」問題である。クンちゃんの上記記事によって、zih*s*uppan*氏は日本文学館に原稿を持ち込んだ時点からすでになりすましをしていたことが明らかになった。そして書籍が売れて話題になった時には真の著者であるkum*suk*2*14氏の替え玉としてzih*s*uppan*氏が登場するとか、著作内容に問題があり法的手続きが行われるような場合にもzih*s*uppan*氏が著者の替え玉として法廷に立つという驚くべき約束が交わされていたことも明らかになってしまった。

 私はこれを読んで佐村河内守氏の事件を思い出した。聴覚障害である佐村河内氏に代わって新垣隆氏が作曲をしてきたことが世間に知れ渡ってしまった、あの「なりすまし」事件である。他人が作曲したものを自分が作曲したと嘘を言い続けて世間の人々を騙し続けてきたのだから、批判の嵐にさらされるのはごく当たり前のことだし、これで佐村河内氏の信用は地に落ちた。しかも佐村河内氏は本当は耳が聞こえており、虚言癖があったという。これは犯罪にはならないとしても不正であることに間違いはない。

 さて、zih*s*uppan*氏とkum*suk*2*14氏もこれとほぼ同じようなことを約束していたのだ。こんな不正が世間に知れ渡ったら佐村河内事件同様、信用は地に落ちる。だからこそ、zih*s*uppan*氏は原稿応募時から契約締結はもちろん、ブログでの説明まで一貫して「なりすまし」を続ける必要があったのだろう。

 もう一点、zih*s*uppan*氏はブログで買取り部数や買い取り価格についても虚偽の記述をしていた。これについて私は以下のように推測している。

 zih*s*uppan*氏は、2014年5月24日に私のブログに出版社名を明らかにした上で増刷契約と同じ数値を出してコメントをした。そして、それから1カ月後の6月25日に私に以下のメールを送信してきた。

はじめまして。
私は、現在、日本文学館と契約の解釈を巡って争っています。
日本文学館の解釈はおかしいということだけでなく、その営業姿勢も極めて問題があると、私は思います。
ですので私は、日本文学館と本格的に裁判で争うことになってもいいと考えています。
とりあえず私は、日本文学館との契約を巡るトラブルの経緯から今後の経過を記録するためにブログを立ち上げました。(2014.6.20)。
詳しいことは改めて報告させてもらいます。

 もちろん、この時点で私はブログにコメントした匿名希望氏であると察知した。そこで、「ブログにコメントを入れてくださった方ですね。できれば裁判は避けられるほうがよいと思いますが、ご健闘をお祈りいたします」と返信をしたのである。

 ところが、翌26日に以下の返信があったのである。

メールの返信を頂いた時、疑問に思ったのですが、
どうして、私が松田様のブログにコメントを入れたということがわかったのでしょうか。松田様のブログにいつ、どういうコメントをしたか、まったく記憶にありません。松田様のブログを改めて見て見ましたが、私のコメントはどこにも見つかりませんでした。どういうコメントだったのかを教えて頂けないでしょうか。

 しかし、この返信は嘘である。なぜならzih*s*uppan*氏はコメント投稿時に自分のメールアドレスを記載していたのだ。しかも、そのメルアドはzih*s*uppan*氏がしばしばブログで公開しているbey2014@・・・というアドレスである(このことについて私は後日気がついた)。

 なぜこんな嘘をついたのかを推理しよう。zih*s*uppan*氏はブログを開設した時には出版社名を明らかにしていない。これは恐らく出版社名の公開を出版社に対する圧力として利用したいと考えていたからである。そして、裁判をする段になれば出版社名を公開し日本文学館の営業姿勢や過去の不祥事を明らかにして糾弾しようと意図したのだろう。ところが実際には私のブログのコメントで出版社名とトラブルの概要を明らかにしてしまった。そこで、コメントした者と自分は別人であることにしたかったのではなかろうか。そのために750部だとか75%という数値まで変えようと考えたのではないか・・・。

 数値の操作については、近似値を用いたなどと釈明しているが、本の定価は1000円であり買取り価格の割合がいくらであっても計算は容易である。また、仮に分かりやすいように端数を省いて近似値を用いるとしても、それについて断り書きをするのが常識である。したがって、近似値などというのは自己正当化のための言い訳でしかない。

 こう考えるとzih*s*uppan*氏が一貫してなりすましをし、虚偽の数値を書くことには合理的な理由があると言えるのだ。

 これまで私は前述した虚偽メールのことまで明らかにしていなかった。しかし、「合理的で説得力のある説明」を求められた以上、このことも明らかにしておくべきだろう。まさにzih*s*uppan*氏は虚言癖があり佐村河内氏とよく似ている。だれが、このような者を信用するというのだろうか。

2015年4月16日 (木)

明日に向けて

 「明日に向けて」というのは守田敏也さんのブログのタイトルでもあるのだが、私も好きな言葉のひとつだ。守田さんはブログのサブタイトルで「福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう」と書いている。困難な状況に置かれていても、過去ではなくこれからのことを考えていこうというのは、いつの時代、どんな状況においても大事なことだと思う。

 世の中には理不尽なことが山のようにある。まじめに働いても貧困から抜け出せない人たちがいるし、事故や事件で大切な人を失ってしまうこともある。親から暴力(言葉の暴力も含む)をふるわれ辛い思いをしている子どももいるだろう。あるいは、詐欺にあって財産を失ってしまう人もいる。

 そんなとき、不幸なできごとをなんでも他人のせい、過去のせいにし、不平不満ばかり言っていたならどうだろう? 結局は人を憎んで被害者と加害者の構図をつくりあげ、復讐をして恨みを晴らすという発想になってしまう。しかし、そこには憎悪の連鎖しかない。もちろん被害者が泣き寝入りをするのがいいとは思わないし、被害者が補償を求めることも必要だろう。しかし、過去にこだわり、不幸の原因のすべてを他人のせいにすることの先にあるのは憎しみであり争いであり、平和ではない。

 他人をいじめたり嫌がらせをするという行為も同じで、気に入らない人物を自分のストレスや不平不満のはけ口にしているのだ。第三者が見れば、恥ずかしくみっともない行為でしかない。

 自分の不幸をすべて他人や環境のせいにして他者を恨み続ける人がいる。その一方で、どんな劣悪な環境に置かれても希望を失わないでいられる人もいる。その違いは、自分の責任をきちんと理解し、過去ではなくこれからのことを考えられるか否かではなかろうか。自分の責任を自覚している人は、他人を責め、攻撃することはしない。常にまわりの人々に感謝する気持ちを失わず、批判的精神を持ちながらも自分ができることを考え、よりよい未来を築くために努力を惜しまない。守田さんのブログを読んでいると、いつも彼のそんな人柄を感じる。

 自分で決めたことから生じた結果は自分が責任をとらねばならない。自分の責任を棚に上げてすべて相手が悪いと攻撃していたなら、円満な解決などあり得ない。互いに相手の責任を追及するだけではなく、自分の責任も認めるところに平和的解決がある。

 だからといって政治や不正に対して怒りを持つなとか批判をするなというつもりもない。権力者に騙されないように批判的な精神を持つことは大事だ。私が言いたいのは、悪政や不正を怒ったり恨んだりしているだけでは何も解決しないということだ。社会に対して抱く怒りにはそれ相応の解決方法がある。たとえば原発問題であれば、論理的に危険性を指摘して反対の声を上げたり、市民運動に参加したり、裁判に訴えたり、脱原発の候補者に投票したりすることで解決すべきだ。東電の責任者や社員を吊るしあげたところで責任のなすり合いになり、憎悪の連鎖を招くだけだろう。個人個人によって程度の違いはあるものの、原発を容認してきた私たち一人ひとりの責任も忘れてはならない。

 民事的な紛争が生じた場合も同じで、まずは話し合いによる解決を模索すべきだろう。憎悪をむき出しにして相手を攻撃し、自分の責任については言い訳、屁理屈による自己正当化をしたところで見苦しいだけだし、人間関係を悪化させるだけでますます平和的解決が遠のいてしまう。紛争の当事者は自分の責任もきちんと自覚することが大切だ。当事者だけで解決が困難な状況になってしまったら第三者を交えての話し合いで解決すべきだろう。

 以前にも書いたが、私には他者を敵とか味方に分けるような意識はない。日本を戦争に巻き込もうとしている安倍首相は大嫌いだけれど、だからといって敵だとは思わない。金の亡者となり原発を推し進めようと画策している人たちも嫌いな人たちだが、彼らとて価値観が異なる人でしかない。若い人たちの今後のことを考えるとどうしても彼らの言動を批判はするけれど、決して敵だという意識はない。

 敵と味方、加害者と被害者という対立軸でしか物事を捉えられなくなると、そこにはどうしても争いが生じてしまうし、平和的解決は望めない。

 他人への恨みつらみに拘ることに果たしてどれほどの意味があるのだろうか? 他人を恨みつづける先に平和な社会も精神的な平穏もあり得ない。過去を変えることができない以上、私たちの前には未来しかないのだ。報復という思考から脱却し、明日に向けて行動することを抜きにして平和な社会の構築はあり得ないと私は思う。

2015年4月12日 (日)

日本文学館から自費出版した二人組のトラブル顚末記②(追記あり)

前回の記事 日本文学館から自費出版した二人組のトラブル顚末記①

zih*s*uppan*氏の真の目的
 zih*s*uppan*氏は日本文学館に対して何度も質問書を送付するなどして持論を主張したあと、調停を起こした。その調停についてzih*s*uppan*氏はこんな本音を漏らしている。これは私に言わせれば爆弾発言である。
【誤り7】

万が一、出版社が私の要求を受け入れて調停が成立した場合、私は出版社の悪行の数々をブログで公開できなくなります。そうすると、松田さんから「あなたは出版社の悪徳ぶりを告白すると言っていたのではないか」と言われかねません。そういうこともあって、私は、調停は不成立に終わることを企図していました。出版社は弁護士を同席させましたが、そうする必要などまったくありませんでした。お笑いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67911466.html

 zih*s*uppan*氏は、はじめから不成立にさせることを目論んで調停を起こしたというのだ。この文章から出版社の悪行の数々をブログで公開するのが目的であると分かるし、日本文学館が弁護士費用を無駄づかいしたと嘲っているのである。もちろんこうした行為は司法の濫用に他ならない。

 zih*s*uppan*氏は日本文学館の悪質商法について知っていながら契約をした。この時点で何かミスがあれば悪質商法やら業務停止という事実を利用して圧力をかけられると考えていたのではなかろうか? これが前述した企みである。そして思った通り日本文学館は請求金額のミスなどをしでかした。そこでここぞとばかりに買取り費用を半額くらいに値切ることを目論んだのではなかろうか。かといってブログでゴネても日本文学館はそう簡単に値切りには応じない。こんな値切りに応じてしまったら示しがつかないから当然だ。それで次第に出版社への復讐(嫌がらせ)に発展していったのではないかと私は見ている。

 クンちゃんも書いているが、たかだか数十万円の不払いで日本文学館が裁判を起こしたなら弁護士費用だけで赤字になってしまう。zih*s*uppan*氏もそのことを見越して、日本文学館からは提訴しないだろうとの見通しの上にゴネつづけ、時間稼ぎに調停を起こした。ただし調停を蹴った以上、いつまでも支払わないでいたなら債務不履行であり詐欺になりかねないことは理解しているようだ。

 そこで、自分から提訴すると宣言した。提訴すれば日本文学館に弁護士費用を浪費させることができるし、同時にブログで出版社名を出して悪質商法を暴露できる。つまり勝つことが目的ではない。「逆スラップ」であり、嫌がらせ訴訟だ。そう考えるとこれまでのzih*s*uppan*氏の不可解な言動は辻褄が合うのだ。

 私は1月15日の「zih*s*uppan*さんへのお返事(随時追記)」という記事の追記でzih*s*uppan*氏がゴネつづける目的について書いた。その後、kum*suk*2*14氏がzih*s*uppan*氏のブログにコメントをして本当の著者であると名乗り出てしまった。さらに覚え書きに書かれた数値の嘘も暴露した。嘘をついて読者を騙していたのであり、ペテン師であることが露呈した。 【誤り8】 

 zih*s*uppan*氏は、私とkum*suk*2*14氏による事実の暴露と批判にさらされると、今度は執拗に私やkum*suk*2*14氏の批判記事を書くようになった。まさに報復の構図である。出版トラブルとは無関係の犯罪や死刑のことをしばしばブログで取り上げているが、報復に燃えるタイプのように思える。

 さらにクンちゃんが今回の連載記事を書いた。日本文学館の悪質商法を糾弾するために私とクンちゃんを利用しようと思っていたzih*s*uppan*氏の思惑は、これで完全に吹っ飛んだのではなかろうか。

今後の展開
 zih*s*uppan*氏にとっては訴状を書くことなど朝飯前のはずだ。ところが、提訴すると何度も言っておきながら、現時点で提訴したとか答弁書が送付されたなどという記事は掲載されてない。
前回の記事の追記で私は提訴の進捗状況について質問したのだがそれも無視している。私の推測なのだが、zih*s*uppan*氏の訴状は裁判の要件を満たしていないという理由で裁判所は受理しない却下ないしは棄却する可能性もある。

 出版社はzih*s*uppan*氏の解釈による買取り金額を認めており「覆すに足る根拠」の(法的な)開示義務などはない。買取り条件が不合理で無効だという主張もしているが、zih*s*uppan*氏は自分から増刷を強く求めて契約書に同意しているわけで、「錯誤による無効」「詐欺による取り消し」あるいは「公序良俗違反による無効」に該当するとも思えない。つまり、zih*s*uppan*氏は法的根拠もない独りよがりの不平不満を持ち出して支払い拒否を続けているのではないかと思えてならないのだ。

 私の推測が当たらず訴状が受理裁判が開始されればこの論争は裁判に移されることになるが、こういう状態になってくると業を煮やした出版社から反訴される可能性もある。つまり、日本文学館による報復である。

 zih*s*uppan*氏は、自分はブログで出版社名も本のタイトルもkum*suk*2*14氏のペンネームも公開していないと開き直っている。しかし、実際のところ少なくとも出版社名に関してはあちこちでボロを出している。

 たとえば私のブログにコメントして出版社名を明らかにしているし、出版社名をタイトルに掲げた別ブログで自分の事例について取り上げているのである。だからこそ、クンちゃんも堂々と出版社名を明らかにしているのだ。そして、zih*s*uppan*氏は出版社名が明記されたクンちゃんブログを引用したりリンクさせている。つまり自ら出版社名を公表したも同然である。

 また、出版社名から私はだいぶ前に書籍タイトルやペンネームまで突き止めていた。zih*s*uppan*氏は一人で多数のブログを書いており、別ブログから「某自費出版会社とのトラブル顛末記」に自分でトラックバックを送ったり、自分の別ブログをリンクさせた自作自演コメントを書き込んでいる。それを辿っていくことで見当がついたのである。

 日本文学館(=文芸社)はこれまで、多額の費用をかけてまでzih*s*uppan*氏を訴えるつもりはなかったのだろう。しかし、ここまで事態をこじらせ調停で弁護士費用を浪費させて出版社を愚弄したのである。当初の出版社の主張通りの買取り費用のほかに、倉庫代や管理費、調停の弁護士費用、さらには名誉毀損やら侮辱による損害賠償の訴訟を提起されかねないのではないかと私はなんとなく懸念するのである。

 なぜなら、日本文学館の親会社である文芸社は、たった数十部の冊子を作成して文芸社商法を批判した故渡辺勝利氏に対し1億円もの損害賠償を求めて提訴したことがある(渡辺氏が敗訴して300万円の賠償金支払いが確定)。また元社員の小川秀朗氏の労働審判に対しても異議申し立ての報復的な裁判を起こし、小川氏は職場を去った。文芸社商法を批判した私も興信所をつかって個人情報を調べられた。怒らせると何をするか分からない。

 もし訴状が受理されなければ却下ないしは棄却されれば、法的根拠もなく買取り拒否を続ける行為は債務不履行だし、場合によっては詐欺とみなされかねない。ここまで騒いでしまったのだから、怒った日本文学館が報復的な行動に出ることもあり得る。今のうちにさっさと支払いに応じてブログを削除するのが賢明な対応だと思うが、果たしてどうするつもりなのだろう?

 さらにzih*s*uppan*氏がブログで茶番劇を繰り広げたことで、本当の著者であるkum*suk*2*14氏は法的対処も辞さない構えのようだ。

 本文中に赤字で示したように、いくつもの誤りを重ねて騒ぎを大きくしたことの責任の大半は契約者であるzih*s*uppan*氏が負わねばならないだろう。このまま支払い拒否を続けたなら、つまらぬことで悪質出版社に圧力をかけようと目論んだが故の自業自得の結果が待ちうけているように私には思える。

 最後に今回のトラブルから導き出せる教訓を記しておきたい。
1 知名度のない素人の本はほとんど売れないと思うべし。
2 本を著わす者は著作権や出版権について学んでおくべし。
3 悪質出版社ないしは悪質商法を行っている出版社とは契約するべからず。
4 悪質出版社を愚弄し嫌がらせをするのは愚行と肝に銘じるべし。
5 自分の目的のために他人を利用するべからず。
6 嘘はいつかバレると思うべし。

(終わり)

注:訴状の受理に関する記述を訂正した(4月17日)。

【4月18日追記】
 zih*s*uppan*氏は著者でもないのに著者を騙っていたことについて、実害がないから問題がないと開き直っている。虚言は大事な人間関係、信頼関係を崩壊させることをご存知ないようだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67938359.html 

 出版社はzih*s*uppan*氏の解釈での買取りを認めているのだから「覆すに足る根拠」を開示しなくても、zih*s*uppan*氏にとって金銭的な実害は何もない。販売部数と収益が比例していないので出版社の買取り条件が不合理だと主張するが、そのことはzih*s*uppan*氏にとって実害は何もない。実害のないことでよくもそこまで文句が言えるものだと思う。

 私がzih*s*uppan*氏について厳しい評価をせざるを得ない理由は、トラブルのでっちあげに始まり、実害のないことでのクレーム、複数の虚言、身勝手な主張と言い訳、出来レースの調停、他人(私やクンちゃんなど)を利用しての出版社への圧力、引き延ばしや嫌がらせとしか思えない訴訟、事実を告白した者に対する執拗な嫌がらせなど、彼の常軌を逸した対応にある。

つづく

2015年4月11日 (土)

日本文学館から自費出版した二人組のトラブル顚末記①

 「某自費出版会社との契約を巡るトラブル顛末記のブログ主が巻き起こしたトラブルについてはこれまでも何回か取り上げてきたのだが、この度、元文芸社社員のクンちゃんがこのトラブルに関する検証記事を掲載した。

約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)① 
約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)② 
約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)③ 
約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)④ 
約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)⑤ 

 クンちゃんの記事で新たに分かったこともあり、私も改めてこの問題について経緯や問題点について総括しておきたい。二人にしか分からない部分に関しては推測の部分も多々あるが、大筋で間違いはないと思っている。もし当事者として異議がある場合は、コメントに書き込んでいただけたらと思う。

 まず二人というのは、本の著者であるkum*suk*2*14氏(クンちゃんブログでは雲助)と、kum*suk*2*14氏の代理人として日本文学館と契約をしたzih*s*uppan*氏(クンちゃんブログでは慈悲)のことである。はじめはzih*s*uppan*氏が私のブログにコメントしたり私やクンちゃんにメールで相談をしていたのだが、その後、ブログで騒ぎ始めたことでこの問題が露呈した。

二人の不可解な関係
 著者のkum*suk*2*14氏は自分の書いた原稿を書籍として出版することで作家デビューを目論んでいたようだ。しかし職業上の事情で自分自身が出版契約をすることはできないと判断し、知人であるzih*s*uppan*氏に仮の著者として契約をしてほしいと持ちかけ、zih*s*uppan*はそれを了解した。
【誤り1】

 私はkum*suk*2*14氏から内緒コメントでこのことを知らされたのだが、にわかには信じがたいというのが正直な気持ちだった。なぜなら職務上アルバイトなどを禁じられていても「原発ホワイトアウト」の若杉洌氏のように、ペンネームでの出版は普通に行われているからだ。しかし、クンちゃんが入手した契約書からもzih*s*uppan*氏が日本文学館と契約したことは間違いない。また、クンちゃんの記事によると、kum*suk*2*14氏は自分の本がもし売れてヒットでもすることになった場合のことまで考えていたらしい。すなわちメディアに露出するようなことがあれば、著者の身代りとしてzih*s*uppan*氏が登場することまで頭に入れてのことだったらしい。

 これが二人のはじめの誤りであるが、この「なりすまし」の件についてはクンちゃんが詳しく書いているのでここでは省略する。簡単に説明するなら、契約書には本の著者であるkum*suk*2*14氏の名前もペンネームも一切書かれておらず、zih*s*uppan*氏が著作権者として契約をしたということである。そして費用はzih*s*uppan*氏が立て替え払いをし、後にkum*suk*2*14氏から受け取った。また印税はzih*s*uppan*氏の口座に振り込まれることになっているそうだ。

 ただし、不可解なことに本の奥付にある著作権者の表示はkum*suk*2*14氏のペンネームになっている。だから私はkum*suk*2*14氏が著作権者だとばかり思っていた。しかし、契約書では間違いなくzih*s*uppan*氏が著作権者になっているそうだ。増刷においてもzih*s*uppan*氏が著作権者として自分の意思で契約をしている。ということは契約書の方が正しいといえそうだ。クンちゃんは出版社側の単純ミスではないかと推測しているが、私は「なりすまし」がバレないように恣意的に真の著者のkum*suk*2*14氏のペンネームにしたのではないかと疑っている。

 「なりすまし」という不可解な約束ごとに留まらず、二人とも著作権や出版権に関して知識がないまま悪質な自費出版社と出版契約を結んでしまったこともこの問題をやや複雑にさせている。 【誤り2】

 さらなる誤りは、二人の選んだ出版社である。kum*suk*2*14氏によると、どうやら二人は契約をする前から日本文学館の悪質商法や架空コンテスト問題などについてネットで調べて知っていたそうだ。そういう出版社との契約は避けるのが普通だと思うのだが、不思議なことにそうはしなかった。

 私は文芸社から契約を迫られて迷っている人から相談を受けたら、まず提携書店の棚買い方式のことや本の所有権について説明している。この説明で大半の人は真っ青になり、あわてて契約を断るようだ。クンちゃんに相談しても似たような説明をするのではなかろうか。二人はクンちゃんや私の記事で日本文学館の悪質商法を知ったのだろうが、なぜか二人ともクンちゃんや私に相談をすることはしなかった。 【誤り3】

 kum*suk*2*14氏はいくつかの自費出版社の見積もりをとった上で費用の安かった日本文学館での出版を決めたそうだ。一方、これは私の推測でしかないが、zih*s*uppan*氏はこの時点である企みが頭に浮かんでいたが故に日本文学館での出版に反対をしなかったのではないかと思えてならない。この企みについては後述する。

 そして、初版の230部(300部のうち著者贈呈が50部、出版社取分が20部)は数カ月で売り切れた。ただし、クンちゃんが書いているように出版社が報告する販売部数は実売部数とは限らない。なぜなら提携書店に配本された本(ふつう大半が売れ残る)は出版社が買い戻すために、形式的には売れたことになっているのだ。出版社が買い戻した本は、たいていは断栽処分されてしまうのだろう。

 文芸社から出版して「540部売れた」とか、「480部売れた」などと言って相談してくる人がときどきいる。しかし、第三者の私から見たら無名の素人が書いた本がとてもそんなに売れたとは思えない。つまり、提携書店から買い戻した本は「売れた本」としてカウントされているだろうことは容易に察しがつく。もちろん、こうした買取り費用も著者に請求する出版費用に入っているのだろう。まったく著者を馬鹿にした商法である。

増刷を巡る茶番劇
 さて、二人は日本文学館から初版完売の知らせを受けたが、kum*suk*2*14氏は買い取り条件を知って増刷を断念したという(といってもzih*s*uppan*氏に著作権を譲渡してしまったkum*suk*2*14氏にはそもそも増刷契約をする権利はない)。しかし、著作権者であり本の販売にも尽力してきたzih*s*uppan*氏は、買い取り条件に合意して増刷契約に踏み切ったのだ。この判断には、それなりに売れて買取りをしなくても済むだろうとの思惑が働いたのではないかと思われる。
 【誤り4】 ところが、増刷分は思ったようには売れず、出版社の報告によれば約200冊しか売れなかったという。もっともこの200冊というのも実売部数であるかどうかはかなり怪しい。

 契約期限が終了するとzih*s*uppan*氏のところには買い取りの請求がきた。ところがその請求金額は日本文学館のミスで誤ったものだった。誤りに気付いたzih*s*uppan*氏は、このときに恐らく前述した企みを実行する決意をしたのでないかと思える。つまり、こうしたミスをきっかけに日本文学館の悪質商法を利用して圧力をかけ、買い取り費用の大幅な値切りをしようと企んだのではないかと私は疑っている。そこで持ち出したのが、覚え書き(増刷契約)の解釈である。zih*s*uppan*氏が問題としている覚え書きの文言は以下である(ただし、zih*s*uppan*氏はブログで750部を700部と、75%を80%と虚偽の数値を記載していた)。

 (残部の買取り)甲は、本件書籍の増刷部数1000部のうち750部について、契約終了時点(平成26年2月28日)で残部があった場合、甲は残部すべてを定価の75%で買い取ることとする。 

 私はこの覚え書きを読んで、「750部を上限として売れ残りをすべて買い取る」という意味だとすぐに理解した。たいていの人がそう解釈するのではなかろうか。しかし、zih*s*uppan*氏はブログで「700部から販売部数を差し引いた部数を買い取る」と解釈して契約したのであり、自分の解釈こそが正しいのだと主張して買い取りの拒否をし始めたのだ。まあ、そういう解釈もできないことはないが、それはかなり無理がある解釈だと思う。その後(今年に入ってからだが)kum*suk*2*14氏は私に、実はzih*s*uppan*氏は出版社の買取り条件(出版社の解釈)を理解していたのに、いざ買取りをする段階になって違う解釈を持ち出してゴネはじめたのだと私に告白した。なるほど、それが事実ならその後の不可解な対応も納得できる。

 こうしてzih*s*uppan*氏は増刷契約についてブログで書き始めたのであるが、私はトラブルになっていることをブログに書くというやり方は基本的に賛同できない。文芸社(=日本文学館)の場合、裁判になっても勝てるように契約書に工夫を凝らしているのであり、出版社を訴えても著作権者が勝訴するのは困難だ。従って、トラブルになった場合は和解に持ち込む方が得策である。そして和解で有利な条件を勝ち取りたいならそのやりとりは公開するべきではない。ただし、zih*s*uppan*氏には思惑があったからこそブログで公開することにしたのだと私は考えている。 【誤り5】

 ゴネはじめたzih*s*uppan*氏に対し、日本文学館は会社の生産性を理由にzih*s*uppan*氏の解釈による買取り部数を認めてこの問題の決着を図った。当然の対処だろうし、普通の人ならここで和解する。ところがそれでは思惑が達成できないzih*s*uppan*氏は、「(zih*s*uppan*氏の)主張を覆るに足る根拠がある」という日本文学館の言葉尻を捉え、その根拠の開示を求めて買取り拒否を続けるという愚策に出た。 【誤り6】 

②につづく

2015年4月 9日 (木)

大雪山国立公園トムラウシの地熱発電計画を問う講演会

 電源開発株式会社は大雪山国立公園のトムラウシに地熱発電所の建設を計画しています。そこで、自然保護団体などがシンポジウムおよび講演会を企画しました。

**********

 トムラウシはわが国最大の国立公園、大雪山国立公園の中央部分に位置し、全国から登山者や秘境に魅力を感じる観光客が毎年多数訪れる全国でも有数な生物多様性・希少性に恵まれたところです。
 当会は昨年10月、地元の自然団体である新得おもしろ調査隊・十勝川源流部を考える会、さらには日本自然保護協会、北海道自然保護協会、北海道自然保護連合、大雪と石狩の自然を守る会とともに、関係官庁に「地熱発電計画中止の要望書」を提出しました。
 トムラウシの地熱発電の問題点を広く知ってもらうため、シンポジウム(新得町)と講演会(帯広市)を開催いたします。多くの方の参加をお待ちしております。

2015年4月18日(土) 13:00~16:30 申込不要・参加費無料
 シンポジウム「 大雪山国立公園トムラウシの地熱発電計画を問う」


 場所 新得町公民館 中ホール (新得町4条南4丁目)    
 主催 新得おもしろ調査隊・十勝川源流部を考える会・十勝自然保護協会

 第一部 講演
   地質学から見た地熱発電
     在田一則 氏(一般財団法人 北海道自然保護協会 会長)
   地熱発電の仕組みと白水沢の現状
     寺島一男 氏(大雪と石狩の自然を守る会 代表)
   国立公園における地熱開発の規制緩和の経緯と問題点
     辻村千尋 氏(公益財団法人 日本自然保護協会 保護部主任)  

 第二部 全体ディスカッション
    講演者・会場の皆さんによる討論

 

2015年4月19日(日) 13:30~15:00  *申込不要・参加費無料
 講演会 国立公園における地熱開発の規制緩和の経緯と問題点
 講師 辻村千尋 氏(日本自然保護協会 保護部主任)
 場所 とかちプラザ 視聴覚教室 (帯広市西4条南13丁目1番地)
 主催 十勝自然保護協会

2015年4月 5日 (日)

サホロ岳のナキウサギ生息地をめぐる疑惑

 サホロ岳のナキウサギ裁判が始まってから1年半ほどが経過したが、3月10日に行われた第7回口頭弁論でナキウサギ生息地に関して大きな疑惑が浮上した。

 北海道知事はかつてサホロスキー場の拡幅にあたって、加森観光にナキウサギ生息地を保全するように付帯意見を出していた。このために加森観光はサホロ岳北斜面のコース造成にあたり、ナキウサギの生息可能なガレ場を保全すると北海道に説明をしていた。そこで自然保護団体は加森観光に対し工事内容を説明するように求めたのだが、加森観光は申入れを無視してスキーコースの造成に着手してしまったのだ。

 原告は昨年の10月14日の第5回口頭弁論で加森観光に対し、スキーコースやリフト、岩塊堆積地(ナキウサギの生息可能地)の位置を記入した地図の提出を求めた。ところが提出された地図は縮尺が1/3000で、既存のゴンドラ駅も記入されていない不可解なものだった。

 そこで、第6回口頭弁論で岩塊堆積地のGPSデータと詳細な地図の提出を求めたところ、3月3日に加森観光からGPSデータと地図が提出された。しかし、この地図も国土地理院の地形図とは異なる地図で、原告らのデータを重ね合わせることができないものだった。

 このために、原告らが調査した岩塊堆積地のGPSデータと、加森観光のGPSデータを国土地理院の地形図に重ね合わせるという作業を行った。その結果、原告らが調査した岩塊堆積地と加森観光の提示した岩塊堆積地が大きくずれていたことが判明した。つまり、加森観光の示した岩塊堆積地はスキーコースからギリギリで外れているのだが、原告らが確認した岩塊堆積地はスキーコースと重なっているのだ。

 3月10日の第7回口頭弁論で、加森観光は裁判長から原告が主張する岩塊堆積地を調べたのかと質問されたのだが、加森観光の弁護士はそれに答えようとせず雪がとけてから調査すると言い出した。このために原告の弁護士は、調査報告書等で分かることだからすぐに出せるはずだと主張し、1カ月ほどで回答するということになった。

 岩塊堆積地はゴンドラ駅からほど近いところにあり、加森観光がそれを見落としているとは考えられない。ここから導きだされるのは、加森観光が岩塊堆積地の位置をスキーコースから外れるよう恣意的にずらしてしまったのではないかという疑惑である。

 スキーコースはすでに伐採が行われてしまっている。もし、岩塊地をスキーコースにしていたのであれば、ナキウサギの生息地を保全するように求めた北海道知事の付帯意見を無視し、北海道にも虚偽の説明をしたことになる。

 次回の口頭弁論の期日は5月19日である。

2015年4月 1日 (水)

見習うべきことが多いスウェーデンの育児政策

 3月30日の北海道新聞に、「人口減少社会を生きる」というテーマのもとにスウェーデンのことが取り上げられていた。出生率増加という点だけではなく、育児や家事と仕事のあり方という面から非常に意味のある内容だったので簡単に紹介しておきたい。

 私が子どもの頃は、既婚女性の大半が専業主婦だったが、スウェーデンでもかつては女性の大半が専業主婦で夫は外で働くという形態が一般的だったそうだ。しかし、1960年代に高度成長期を迎え、働き手として女性の労働力が注目されることになった。そのために、女性が働きやすい育児制度がつくられてきたという。

 具体的にどのような政策がとられてきたかを、記事から箇条書きにすると以下のようになる。

・両親合計で平日480日まで休む権利があり、休業中は給与の80%を国が支給。復帰後は育休前と同等の給与や地位に戻すことが義務づけられている。
・480日のうち父母は各60日休まないと権利が消失する「パパ・ママ・クオータ」制により、男性の育休取得率は8割に上る。
・企業が従業員の仕事と家庭を両立させるワークライフバランスを重視し、フレックスタイム制を採用したり残業をさせないなど、子育て支援が充実。
・保育所(プレスクール)は待機児童がゼロ。
・保育料は親の収入の3%が上限。
・児童手当(子ども1人月額約1万5千円)が16歳まで支給され、2人目以降は金額が増える。
・小学校から大学まで学費は基本的に無料で、高校までは給食費や教材費も無料。
・出産費用は国の負担でほぼ無料。

 スウェーデンでは、国として男女平等と育児に力を入れる政策をとっているが、それだけではなく企業自体も家庭や子育てを重視しているのだ。こうした企業の姿勢は日本は正反対といってもいいだろう。

 日本の現状については私がここで説明するまでもないだろうが、共働きであっても家事や育児の大半を女性が受け持つ。男性は残業が当たり前だし、残業代の未払いや過労死が後をたたない。男女平等などといっても、家事や育児に積極的に関わる男性はまだまだ少なく、女性がやるのが当たり前だという意識の男性が多いし、結婚や出産で仕事を辞めざるを得ない女性も多い。大学の学費はべらぼうに高く、親の収入で子どもの進路が左右される。

 つまり、日本とは基本的なところで考え方や方針が180度といっていいくらい違うのだ。育児政策ももちろんだが、従業員を酷使することしか考えていないブラック企業が増殖しても放置し、派遣という不安定な働き方を廃止する気配もない。それどころか、相変わらず大企業優遇だ。こんな状態で女性の活躍といっても、虚しいだけだ。

 もちろん、これはスウェーデンに限ったことではなく、北欧では一般的なことだ。育児に限らず、老後の社会保障も手厚い。だから、貯金がなくても安心して暮らせるのだ。国民が高い税金に文句を言わないのは、税金を国民にきっちりと還元する政策にある。また、以前「かなりおかしい日本の労働」という記事で書いたように、ドイツなども北欧に近いのだろう。

 男女平等、福祉政策をとっても日本は北欧などに比べて半世紀は遅れているといっても過言ではないと思う。北欧に見習うべきことは多いのだが、米国の新自由主義の後追いをしている限り、北欧と同じような社会を目指すことにはならないだろう。

 国民一人ひとりを大事にせず格差を拡大させ戦争へと突き進む国が、税金を国民に還元する福祉国家になり得ないのは明らかだ。

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