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2015年3月

2015年3月28日 (土)

ツイッターでの議論とフェロニッケルスラグ問題での私のスタンス

 最近、ツイッターで意見が違う人との議論などしない方がいいとつくづく感じる。たった140字ではとても十分な議論などできないからだ。

 意見を短くまとめようとすればするほど、はしょった書き方をすることになり、曲解や誤解を招きかねない。だからといって何回にも分けてツイートすると論旨が細切れになってしまい、それによって曲解や誤解を招くこともある。それだけでは論旨の分からない細切れのツイートや、曲解・誤解されたツイートがリツイートによって独り歩きしてしまうことすらある。

 私は、「あちら側」の人たちのツイートはブロックしているためにほとんど見ていない。しかし「、あちら側」の人との会話に私のアカウントを入れる人がいるために、ときどき「通知」欄に流れてくるツイートで、こうした曲解や誤解を知ることがある。

 たとえば、埋められたスラグについて、「松田は産廃という証拠を持っている」ということを言っている人がいる。しかし、私はそんなことは一言も言っていない。

 私は3月22日に以下のツイートをした。

①黒木睦子さんは弁護士もつけず誰の協力も求めずに一人で裁判を闘うという意思表示を何度もしている。彼女が求めている支援は裁判への直接的な協力ではなく、ツイッターやブログで日向のフェロニッケルスラグ問題を広めてもらうことだ。

②ただでさえ勝訴が難しい名誉毀損裁判において、黒木さんのような闘い方をすることはあまりにリスクが大きく、私だったら到底考えられない。しかし、訴えられたのは黒木さんであり、裁判でどう闘うかは彼女が決めるべきことで他人がとやかくいうことではないだろう。

③弁護士二人の企業に対し、法律の知識があるとは思えない主婦が一人で闘うという恐ろしく均衡を欠く状態での裁判において、判決などはどれほどの意味を持つのだろうかとも思う。もちろん被告の具体的反論はこれからだから、書面での主張如何ではかなりいい線までいける可能性はある。

④完全勝訴は困難としても、書面でスラグが有害であり産廃であるという論理的主張をすることは十分に可能だろう。なぜなら何人もの人がこのスラグ問題に関心を持ってブログなどで根拠を示しながら、スラグは産廃であり有害であると判断できることを論じているからだ。

⑤黒木さんがこのような情報を最大限に活かして真実であることを立証できるかどうかは、彼女が今後出す書面と証拠にかかっている。彼女の力量が試されているといっても過言ではないと思う。これについては今後の裁判の中でいずれ明らかになるだろう。

⑥問題は、仮に黒木さんが裁判で負けたとしても、決してその判決が正しいとは言えないということだ。不当判決など世の中には山のようにあるし、主婦の本人訴訟と弁護士二人で争った裁判の判決をそのまま真実であると認めること自体がナンセンスというものだろう。

⑦もし今回の裁判において黒木さんが十分な立証ができず敗訴したなら、恐らく「あちら側の人」たちは判決こそ事実だと吹聴するのではなかろうか。しかし、これだけははっきり言っておきたい。たとえ真実であっても、立証ができなければ真実と認められないだけであると。

⑧裁判ばかりが注目されているように感じるが、注目すべきことは裁判よりスラグのリサイクル偽装だ。ボーンズ88さんが指摘するように、この問題を知った大半の人は、おそらくあのスラグに疑問を持たざるを得ないだろう。http://ferronickelslag.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html 真実はそこにあると思う。

 ここで私が言っているのは、これまでブログなどで公開されている情報などから、「書面でスラグが有害であり産廃であるという論理的主張をすることは十分に可能だろう」ということにすぎない。これ以降のツイートでもそのスタンスは変わっていない。「論理的主張をすることは可能」ということと「産廃である証拠を持っている」ということは意味が大きく異なる。私が「産廃である証拠を持っている」という発言は、私のツイートを曲解しているのであり事実と異なる。

 また、私がある発言を名誉毀損であると言っただけで、その発言をした人に対する「脅し」だという人もいる。これは曲解というより誤った認識だ。提訴や告訴をするつもりもないのに提訴するとか告訴するといえば明らかに脅しだが、侮辱発言や名誉毀損発言を指摘すること自体は決して脅しではない。

 ツイッターで情報を操作しようとしている人たちは、相対する意見の人に難癖をつけるために恣意的に曲解発言や誤解発言をしているように感じる。だから、「あちら側」の人たちと安易に会話するのは危険だ。さらに、ツイッターのリツイート機能は、曲解や誤解による情報を広めることにつながりかねない。

 たった140字のツイッターでまともな議論ができるとは思えないし、安易な会話によって曲解や誤解を広めることすらあり得る。だからツイッターは議論に向かないし、議論するツールではないと思っている。有意義だと思う情報を共有したり、自分の意見を伝えるという使い方に限ったほうがよさそうだ。

 さて、黒木睦子さんが日向製錬所とサンアイから訴えられている裁判について、現在の私のスタンスはこの一連のツイートに書いた通りだ。現状を見る限り、法的知識や裁判の知識、経験などにおいて原告と被告の差があまりにも大きく不均衡な状態だ。仮に裁判の基本的なところで誤解などがあれば、重要な主張ができないまま結審になってしまう可能性すらある。ならば、裁判の体すらなしていないということになる。

 もちろん、私は現時点で黒木睦子さんがブログに嘘を書いたとは思っていない。ただし、そのことが裁判で証明できなかったとしても、「真実ではないことが証明されたわけではない」とはっきりと言っておきたい。これは黒木さんの裁判に限らず、証拠が少なく立証が困難な裁判では常に言えることだ。

 そして黒木さんがブログに書いてきたことは、金属スラグ、とりわけ鉄鋼スラグのリサイクルが社会問題化する中で、大きな疑問を投げかけたことは確かだ。

 つまり、裁判のことと、フェロニッケルスラグによる造成(リサイクル)問題は別々に考えるべきことだと思う。

2015年3月25日 (水)

フェロニッケルスラグは有害なのか無害なのか?

 日向製錬所とサンアイが黒木睦子さんを訴えた裁判の大きな争点のひとつは、造成に用いられたフェロニッケルスラグ(原告はグリーンサンドという製品であると主張しているが成分的には同じものと考えられる)が産廃か否か、有害か否かということだ。

 これに関わって、被告の黒木さんは2012年7月30日に第一工区の沈殿池の水を採取して宮崎県環境科学協会に分析を依頼した。また、これまでの情報から黒木さんは県工業技術センターに依頼してグリーンサンド(製品の規格を満たしたグリーンサンドか、そうではないフェロニッケルスラグなのかは不明)の検査も独自に行っている。以下参照。

 【ケイ・ファイル】第2回口頭弁論で被告から出された「経過説明書」とその後について(市民メディアみやざきCMM)

 黒木さんの水質検査では有害と出た。そして、グリーンサンドの検査では有害物質は検出されていないと報じられている。  一方、日向市は2012年10月10日に同じ第一工区の沈殿池の水と土壌の検査を行っており、この検査では基準値を超える有害物質は検出されていない。

 日向市 土壌調査結果報告書(IWJ)

 これらの結果から、原告らは、「被告が提出した「計量証明書」の結果には、鉛、総水銀、カドミウム、砒素など、グリーンサンドに全く含まれていない成分が検出され、フッ素やホウ素などごく微量にしか含まれない成分が大量に検出されている。全く別の場所で採取されたものを宮崎県環境科学協会に持ち込んだ可能性が高い」と主張していると報じられている。以下参照。

 訴状閲覧3月3日 (市民メディアみやざきCMM)

 私は、黒木さんが第一工区の沈殿池とはまったく別の場所で水を採取したとはとても思えない。あれほどの有害物質が含まれた水を、一市民がいったいどこでどうやって手にいれるかも不思議だし、そんなことをする動機や理由が分からないからだ。

 黒木さんの行った水質検査からのみ有害物質が検出されたのはなぜなのか?

 私は、はじめはスラグを浸透した雨水が有害物質を溶出させ、それが沈殿池に流れ込んだためなのだろうと思った。そして、日向市が検査を行う前に誰かが沈殿池の水を入れ替えた可能性があるとも考えた。しかし、その後、よしおかさんから福岡県民新聞の記述について教えてもらい、その考えが間違いであったと気づいた。

 今回、その理由をよしおかさんがブログで詳しく説明している。

 とある裁判で原告と被告の分析結果が異なる理由について考えてみた(がんばらない、でもあきらめない)

 よしおかさんが書いているように、実際の計量証明書などを確認していないこともあり、これはあくまでも仮説である。しかし、十分に説得力のある仮説であると私は理解している。よしおかさんの仮説のポイントは以下になる。

1 黒木さんの水質検査では「排水」の検査方法が用いられた。このために泥(スラグ微粉末も含む)が混じった水を振り混ぜて均一にしたものを検査している。したがって、スラグの微粉末の影響で有害物質が検出された。この検査方法の場合は、一律排水基準が適用される(ただし、黒木さんがもらった検査結果には一律排水基準が記載されておらず、宮崎県環境科学協会はなぜか黒木さんに口頭で土壌環境基準を教えたので黒木さんはその数値をブログに記載した)。

2 日向市の検査は土壌環境調査であり、この場合は土壌環境基準が用いられる。この検査方法ではろ過した水を検査することになる。また土壌含有量調査溶出試験では、試料にほぼ中性(pH7)の水を加えて撹拌したあと泥と水に分け、水に溶けだした有害物質の量を分析する。このため残った泥は検査されない。黒木さんが独自に行ったグリーンサンドの検査も、恐らく土壌環境調査であろう。また、日向製錬所産廃問題ネットワークの行った検査も同じ方法ではないかと推測される。

 つまり、黒木さんの水質検査とそれ以外の検査では検査方法自体が違うのだ。そして、黒木さんの検査ではスラグの微粉末の入った水をろ過することなく検査したため、微粉末が影響して有害という結果になったと思われる。

 これが事実であるなら、スラグの微粉末は有害だと導き出せる。工事の期間中はスラグの微粉末が飛散したために咳の原因となったのだろう。

 また、フェロニッケルスラグの場合、pH7前後の中性の水で定められた検査方法を行う限りにおいては、有害物質は溶出されないものと判断される。

 ただし、土壌の溶出試験自体にも問題があると指摘されており、環境基準値を超える有害物質が検出されなかったからといって、問題がないとは言い切れない。つまり、酸性雨などでは有害物質が溶出する可能性はあるだろう。従って、将来的には酸性雨によって有害物質が溶けだして地下水が汚染される可能性は否定できない。これについてはよしおかさんも紹介している以下のサイトに詳しい。

 土壌汚染対策法のデタラメな分析方法(独立系メディアE-wave Tokyo)

 黒木さんは、日向市が水質検査をする前に沈殿池に行ったところ、水が透明になっていて底の土が見え、臭いもなくなっていたと、こちらの記事に書いている。このために水を入れ替えたと思ったそうだ。しかし、よしおかさんは沈殿池の水は入れ替えられていないだろうとの考えのようだ。これに関しては、私は何とも言えない。入れ替えたという可能性は完全には否定できないと思うが、立証は無理だろう。大雨によって沈殿池に大量の水が流入し、水に混じっていたスラグ粉じんが水流で撹拌されて排水口から出てしまい沈殿池の水がきれいになった、という可能性もあると思う。あるいは、単にスラグが池の底に沈殿して水が透明になっただけかもしれない。いずれにしても真相は分からない。

 よしおかさんの仮説はこれまでの検査結果についてとても明快に説明できるし、誰も捏造などしていないことになる。また、覆土されてスラグの微粉末が沈殿池に流入することがなくなってから水を採取して検査しても有害物質は検出されないことが理解できる。もっとも大量のスラグを酸性雨が透過して有害物質を溶出させ、それが沈殿池に流れ込むようなことがあれば、沈殿池の水から有害という検査結果が得られるかもしれない。しかしコンクリートで固めた沈殿池であればスラグを浸透した水が流れ込む可能性は低いように思う。

 この問題を追っている市民メディアみやざきCMMは黒木さんの提出した水質検査結果を閲覧しているようだから、是非、検査方法について確認してこの仮説について検証してほしいと思う。そういう検証こそ、市民メディアの役割だと私は思う。

 なお、以前書いた「黒木睦子さんの主張を裏付ける情報が出てきた」という記事は引用元の記事が削除されたことと、今回の記事と矛盾することから非公開とした。

2015年3月22日 (日)

報復感情が溢れる社会に平和はない

 凶悪犯罪のニュースが流れるたびに、加害者の名前や顔写真がネットに流れ、死刑になって当然という怒りの声が湧きおこる。相変わらず日本では大多数の人が厳罰化賛成、死刑賛成だという。私はその度に大きな違和感と同時にぞっとする思いを抱かざるを得ない。なぜならそこにあるのは報復感情・処罰感情でしかないからだ。今の日本には報復感情が溢れている。それはおそらくあんな犯罪を起こせるのは鬼畜であり、更生などあり得ないという意識があるからではなかろうか。

 私はアドラー心理学を知ってから、どんな行動にも目的があることを悟った。アドラー心理学ではすべての行動には(本人にも無自覚な)目的がある」と考える。ならば犯罪にも目的があるはずだ。そして、その目的を知ることで犯罪に向かわないためにはどうするかが見えてくるだろう。

 たとえば「怒る」という感情にも目的がある。それは、怒ることで相手を威圧して自分に従わせようという目的だ。だからアドラー心理学ではついカッとなって怒ったのではなく、相手を支配するために怒りという感情をつくりだしていると考える。犯罪も同じでカッとなって殺したのではなく、何らかの目的をもっていたということになる。

 加害者はしばしば、被害者と口論になったとか馬鹿にされたのでカッとなって殺したなどと供述する。しかし、口論になってカッとなることなど日常的にいくらでもあるが、ほとんどの場合は自制心が働き傷害や殺人事件にまでは発展しない。ならば、相手を傷つけたり殺したりしてしまった理由は、カッなったからでは説明がつかない。ほかに目的があるはずだ。

 アドラー心理学では行動の目的の一つに「注目を引く」ことを挙げている。たとえば子どもは大人の注目を引くために、わざと大人がイライラするようなことをしたりする。子どもの目的は注目を引くことだから、これに対して大人が叱ったり罰したりしたなら、関係が悪化するだけで行動が改善されることはない。誰もが経験していると思うが、「叱られる」「罰せられる」という行為は怒りや憎しみを誘発させ、反発心を煽る。そんな経験ばかりしていたら、家庭にも社会にも居場所がないと思い、周りの人たちは自分の仲間ではなく敵であると考えてしまうようになる。

 犯罪者も同じではなかろうか? 昔から、犯罪者の多くが家庭環境などに問題があると言われてきた。非行に走る子どもの場合、親が不仲であったり母親が父親に虐待されていたり、あるいは子ども自身が親から虐待されているといったことはよく耳にする。あるいは親が自分の希望を押しつけて子どもを追いたてる場合もある。また、昨今では学校でのいじめも大きな社会問題になっている。こうした環境では子どもは居場所を失い、周りの人たちに反発して攻撃的になるのも分かる。

 家庭環境の悪さや親の強制などから非行に走るというのは、親に対する報復ともいえる。非行によって親を大いに困らせることができるからだ。このようになってしまった場合、叱ったり罰することはおそらく何の効果もないばかりか、復讐心を強めるだけだろう。

 こう考えると、傷害や殺人などの凶悪犯罪を起こす目的も見えてくる。復讐のために殺すという犯罪もあるが、無差別殺人のような犯罪の目的は被害者への復讐ではない。反社会的行為をすることで親や社会への復讐をするのが目的であろうし、居場所がない者が自己をアピールすることも目的なのだろう。

 ならば犯罪者に対してするべきことは、周りの人たちは自分の敵ではないことを理解してもらうような環境を用意して人との信頼感を深め、居場所をつくることだ。刑務所で厳しい処罰をしたなら敵対心や復讐心をそのまま持ち続けることになるし、刑期を終えて社会に出たらまた同じ犯罪を起こしてしまう可能性が高いと言わざるをえない。

 市民が被害者や被害者遺族の視点から報復感情で厳罰化や死刑を声高に叫ぶのは、復讐の応報でしかない。復讐心を燃やしつづけるところに平和的な問題解決や平和な社会の構築があるとは思えない。

 中には親が悪いから親まで罰すべきだなどという人もいる。もちろん親の対応が大きな影響を与えたことは間違いないとは思う。しかし、子どもを虐待したりあるいは親の方針の押しつけをしたとしても、親を反面教師として非行に走らない子どもがいるのも事実だ。

 アドラー心理学では行動は信念(ライフスタイル=性格)から出てくると考える。そして、ライフスタイルは生まれつき備わっているものではなく、子どもの頃(アドラーは4、5歳と考えたが、現代のアドラー心理学では10歳前後と考えられている)に形成されるとしている。

 家族や社会の影響を受けながらも、子ども時代に無意識のうちに自分自身でライフスタイルを決定しているのだ。つまり反社会的な行動によって復讐したり注目を浴びようというライフスタイルを持つか否かも自分で決めているのだ。だから、犯罪者に対してやるべきことは、健全なライフスタイルをとるような意識づけだろう。そして、もちろんそれは命令したり罰したりすることではなく、対等な人間関係の中で共同体感覚を身につけることでしかない。

 これは、以前紹介したノルウェーの犯罪学者ニルス・クリスティの考え方とほぼ同じだといえる。

ニルス・クリスティの言葉 

 ニルス・クリスティのことは以下の記事でも紹介されている。

 ~囚人にやさしい国からの報告~犯罪学者ニルス・クリスティ(にゃひみき日記)

 ただ、今の日本社会でノルウェーの方式をそのまま取り入れられるのかというと、それも難しいと言わざるを得ない。今の格差社会ではそもそも共同体感覚を持つこと自体が困難だからだ。このような社会では刑期を終えた犯罪者がふたたび罪を犯しかねない。犯罪をなくすためには、誰もが対等で安心して生活できる社会を作り上げていくことも同時に必要だし、被害者や被害者遺族の救済も必要だろう。

 ところで、アドラー心理学ではトラウマを否定する。これはトラウマそのものを否定するということではなく、人はトラウマによって支配されるのではないという意味だ。ところが、辛い現実からいつまでも立ち直れない理由にトラウマやPTSDを持ち出す人がいる。

 犯罪被害者や遺族が大変辛く苦しい思いをしているのはもちろん理解はできるし、犯人を殺したいという気持ちになることも事実だろう。ただ、アドラー心理学でいえば、なかなか立ち直れないことをトラウマのせいにしてしまってはならないということになる。犯罪だけではなく、事故や天災など理不尽なことで不幸にも亡くなられる方は大勢いるが、その苦しみから比較的早く立ち直れる人と、いつまでも立ち直ることができず自死されてしまう方もいる。この違いは、トラウマに支配されてしまうか否かであり、ライフスタイルの違いということになるのだろう。

 つまり、被害者もライフスタイルを変えることができれば、PTSDで苦しんだり自死を選択することなく新たな人生を歩むことができるのだと思う。被害者の方たちが適切なカウンセリングを受けることができれば、苦しみも早く薄れていくのではなかろうか。

 では、どうしたら犯罪のない平和な社会が構築できるのだろう? アドラーは育児や教育によって社会を変えることを提唱した。子どもを叱らない、罰しない、あるいは褒めないで勇気づけをするというアドラー心理学に基づいた子育てや教育が普及すれば、おそらく犯罪は激減するだろう。子どもたちが健全なライフスタイルを形成することができれば、競争に血道を上げたり、報復感情を抱くこともほとんどなくなるに違いない。

 もっとも今の自民党政権がもっとも嫌うのは、子どもが主体性を持つような教育だ。なにしろ自民党政権はこれまで従順ですぐに洗脳されてしまう国民を育てることを目指してきたのだから。ならば、親が自主的にアドラー心理学による子育てを実践していくしかないだろう。

 いずれにしても、私は報復感情をもとに厳罰化や死刑を望むという意識の底に、加害者の報復感情と同質なものを見てしまうのだ。今の日本には報復感情が満ち溢れている。困っている人にやさしい言葉をかけられる人でも、ひとたび凶悪犯罪の報道がなされると口々に死刑を唱える。そういう現実が何よりも私の背筋を冷たくさせる。報復感情が満ち溢れている限り、この国に平和が訪れることはないのではなかろうか。

2015年3月16日 (月)

編み物と母の思い出

 昨年、母が亡くなり実家の片づけをしたとき、押し入れから編みかけのセーターと毛糸の入っている袋が出てきた。編み込み模様が入ったセーターの身頃を広げてみると、どうみても子ども用サイズだ。はて、いったい母はいつ誰のためにこのセーターを編んでいたのだろう?

 ほどなくして、歳をとった母が子ども用のセーターを編むとしたなら、それはほぼ間違いなく孫のためだろうと思い当たった。とすれば、私の娘のために編んでいたのに違いない。しかし、何らかの事情で途中で止めてしまったのだろう。時間をかけて編んでいるうちに、孫の体が大きくなってしまって諦めたのだろうか?

 袋には「かせ」になった新しい毛糸も一緒に入っている。今どき毛糸はみんな玉になって売っている。その糸端についた札を見るなら、かなり古い毛糸だと分かる。これはきっと私がまだ子どもの頃に買った毛糸に違いない。

 母は手先が器用で、若い頃にはよくセーターを編んでいた。上諏訪に住んでいた頃は、家族のために手編みのセーターなども随分と編んだのだろう。私が小さい頃のセーターはたいてい母の手編みだった。新宿に越してきてしばらくしてからは、編み機を買ってセーターを編んでいた。編み込み模様の入ったセーターや透かし模様の半そでセーターを編んでくれたこともよく覚えているが、あれは手編みだったのだろうか・・・。

 玩具などろくにない子ども時代、私は母の隣に座り、編み機を操る母を飽きることなく見ていたものだ。本当は私もやってみたかったが、ついぞ口には出せなかった。そして大きくなったら自分もあんな風にセーターを編もうと密かに思った。しかし、私が小学校に上がり母が働きに出るようになると編み物をすることもなくなり、編み機のことは忘れ去られた。

 思いがけなく見つけた編みかけのセーターを手に、そんなはるか昔の思い出が蘇ってきて迷わず持ち帰ることにした。

 毛糸の重さを量ると600グラムはある。これなら大人のセーターが十分編める。そう思っていた折に、偶然にも娘がセーターを編んで欲しいと言ってきた。母が孫のために編みかけたセーターが、大人になった孫のために生まれ変わるのなら、天国の母も喜んでくれるに違いない。そう思って、編みかけのセーターを解いた。

 さて、どんなセーターを編もうかと悩んだ挙句、二本どりにしてアラン模様のセーターを編むことに決めた。昔のセーターの本を持ち出してアラン模様の編み図を書き、ゲージに合う製図を探しだした。

 セーターを編むのは何十年ぶりになるのだろう? 昨冬は靴下を何足か編んだが、大物のセーターを編んだのはもう遥か昔のことだ。一目ひとめ編んでいく手編みのセーターは時間がかかり根気のいる作業だが、私はそんな非効率的な編み物が嫌いではない。交差編みを多用するアランニットは手間がかかるが、じきに編み図を見なくても編めるようになった。そして、先日ようやく編み上がった。

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 アランニットは、アイルランドのゴールウェー湾の入口にあるイニシュモア島、イニシュマン島、イニシア島からなるアラン諸島で生まれた伝統的なニットで、フィッシャーマンニットとも言われている。家ごとに独特な模様が母から娘へと代々伝わってきたそうだ。かつてセーターとは、時間をかけて一目ひとめ編み込んでいく心のこもった衣類だった。

 今の時代、セーターを編むというのは贅沢な趣味なのかもしれない。毛糸代はそれなりにかかるし、もちろん手間暇もかかる。既製品を買ったほうが安い。

 量販店で安い衣類がいくらでも買える昨今、多くの人はまだまだ十分着られる服を惜しげもなく捨てて新しいものを購入する。しかし、それは物を大事にせず資源を無駄にする生活でもある。さらに、その影で安い賃金で働かされている人たちがいる。手作りをすると、そのことを否応なしに実感する。何よりも時間をかけてつくった手作りの服は粗末に扱うことができないものだ。

 大量生産、大量消費時代だからこそ、手間を惜しまず自分でつくってみるという経験をするのは大事なのだろうと思う。

2015年3月11日 (水)

東日本大震災、原発事故から4年に思う

 今日で東日本大震災から4年になる。地震と大津波、そして原発事故で多くの方が亡くなられた。亡くなられた方たちのご冥福をお祈りしたい。

 4年の歳月がたった今も不便な避難生活をつづけている方、あるいは原発事故による被ばくで苦しんでいる方たちが大勢いる。地震と津波による被災も、原発事故による被災も現在進行形だ。

 海水が山のようにせり上がって押し寄せ、砂防林も家屋も田畑もまたたくまに飲み込んでいった大津波の映像は今も生々しく脳裏に焼き付いている。その巨大な力には人間のつくった防波堤など玩具に等しく、人々はただただ逃げるしかなす術がなかった。今までの人生で、自然の脅威をこれほどまで感じたことはなかった。私たち日本人は、常に地震や津波と隣り合わせで生きているのだ。いつ誰がこうした災害に巻き込まれてもおかしくない。

 東日本大震災の被災地は比較的人口密度の低い東北地方だったが、大都市が大地震や大津波に襲われたなら、被害はとてつもなく甚大なものになるだろう。考えただけでも恐ろしいが、そういう時がいつか必ず来ると心していなければならない。

 日本は過去にもあんな大津波に何度も襲われてきたのだが、世代を重ねるたびにそんな記憶はどんどん風化してしまう。そしてほとんど忘れ去ったころにまた災難に襲われるのだ。それがあの東日本大震災だった。

 しかし、それに追い打ちをかけるように恐るべき原発事故のニュースが飛び込んできた。悪夢に悪夢が重なり、その惨事に数日間は呆然とした日々を過ごした。

 自然災害は天災であり、どんなに大きな被害が生じても、そう遠からぬ将来必ず復興が遂げられる。関東大震災の焼け野原も、阪神淡路大震災も復興したように。しかし、東日本大震災の教訓として決して忘れてはならないのが、今も放射性物質ダダ漏れの原発事故だ。あの恐るべきチェルノブイリの原発事故では石棺によって放射性物質の大量放出を止めることができた。しかし、福島の原発事故は今なお収束の目途すらついておらず、放射性物質が拡散されつづけているのだ。

 あの事故以来、多くの子ども達が甲状腺がんを発症して苦しんでいる。もちろん因果関係が証明できないだけで、被ばくがもとで亡くなった人は相当数になるのだろう。そして、今後、健康被害がさらに広がっていくことは想像に難くない。原発事故は紛れもない人災だし、加害者や責任者がいる。それにも関わらず4年たった今でも誰も責任をとっていない。何という国なのだろう。

 農作物が汚染され、海産物も汚染されたが、そんな汚染された食べ物が日本中に流通している。除染によって出た汚染廃棄物も山積みのまま放置され、物によってはリサイクル処理されて全国に拡散されようとしている。放射性物質に限らず、環境を汚染させる物質は封じ込めるのが鉄則であるにも関わらず、まったく逆のことが平然と行われているのだ。

 あのおそるべき災害から4年、マスコミは大地震・大津波の被害やそれからの復興ばかり報じている。もちろん復興や防災を報じることに異論はない。しかし、人災である原発事故も同じくらい目を向けるべきではないか。御用マスコミの報道は恣意的に人災である原発事故から目を逸らすように誘導しているかのようだ。

 日本は必ず大地震・大津波に襲われる。この事実と福島の惨事に目を向ければ、日本では決して原発を建設してはならなかったことは自明である。それなのに、この国の首相は原発再稼働にまっしぐらだ。そして、そんな政権を支持する人が一定程度いる。目の前にぶら下がった利権、自己保身がそうさせているのだろう。

 しかし、思い返してもらいたい。たった4年前、多くの日本人は原発などこりごりだと思ったのではなかったのか? 溜まる一方で処理もできない核廃棄物のことだって知れ渡ったはずだ。あんな大事故を起こし、国民総被ばくという状況に置かれていても、なお経済成長やエネルギーの大量消費を望むことが私には理解しがたい。福島の事故をきっかけにドイツでは脱原発を決めたが、当事国の日本はそんな決断すらできないでいる。この国の劣化は著しい。

 被災者はモルモットか? 東北で復興に便乗した社会実験、人体実験が始まっている(LITERA)

2015年3月 8日 (日)

自費出版トラブル問題で暴かれた欺瞞(追記あり)

 「某自費出版会社との契約を巡るトラブル顛末記」というブログに関しては、「zih*s*uppanさんへの反論」と「zih*s*uppan*さんへのお返事(随時追記)」で取り上げた。結論を言うと、私がこれまでに得た信頼できる情報から、ブログ主であるzih*s*uppan*氏は著者でもないのに著者を騙り、増刷契約の内容についても出版社側の買い取り条件を理解していたにも関わらず、恣意的に別の解釈を持ち出して難癖をつけて支払いを拒否し、ブログにも虚偽を書き続けていたことが判明した。したがって、私はもはやzih*s*uppan*氏を全く信用していないし、ブログを利用して不法行為を行っていると判断している。

 つまり、このトラブルというのは出版社側にはほとんど問題はなく、zih*s*uppan*氏が虚偽を言いふらして自ら勝手にトラブルを引き起こしているのだ。

 だから、私はもうこのブログのことについては何も書かないつもりでいた。馬鹿馬鹿しくてzih*s*uppan*氏の猿芝居などに付き合っていられないからだ。しかし、zih*s*uppan*氏は私が情報源を公表していないことをいいことに、「説得力がない」と私を批判していた。私が情報源を秘匿しているのは個人のプライバシーを公開することはできないからであり、裁判にでもならない限り明らかにすることはできない。しかし、証拠はしっかりと持っている。

 ところが、何と、「某自費出版会社との契約を巡るトラブル顛末記」に、私への情報提供者である本当の著者kum*suk*2*14氏が真実を暴露するコメントを書き込んだ。もちろん、kum*suk*2*14氏のコメントは、これまで私が本当の著者から説明を受けていたことと寸分も違わない。つまり真実だ事実と判断できる。以下がそのコメントが書き込まれた記事である。

 http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67837344.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67843128.html 

 kum*suk*2*14氏の一連のコメントの主張を箇条書きにすると以下のようになる。

・zih*s*uppan*氏は本当の著者ではなく、kum*suk*2*14氏が本当の著者である。
・初版費用はkum*suk*2*14氏が全額支払っている。
・増刷はzih*s*uppan*氏が自分の責任で契約し、契約当初は異議を唱えていなかった。
・契約書では著者の買い取り金額は75%であるが、zih*s*uppan*氏はブログで80%という虚偽の主張をして持論を展開していた。
・zih*s*uppan*氏は出版社の過去の悪徳商法をネタに読者を煽って支援を得、出版社に圧力を加えてきた。
・zih*s*uppan*氏は、増刷費用についての不満を公表しないという約束を反故にした。
・zih*s*uppan*氏が支払いを拒否している本当の理由は、出版社の無礼である。
・kum*suk*2*14氏は本の出版に対して出版社に恩義を感じておりzih*s*uppan*氏が出版社を提訴した場合は、出版社側の証言に立つ。
・kum*suk*2*14氏は、zih*s*uppan*氏を詐欺、偽計業務妨害、名誉毀損等の容疑で警察に刑事告発した。

 さらに驚いたのは、しばらくブログの更新を休んでいた「クンちゃん」も、ことの成り行きを把握し、kum*suk*2*14氏の主張は真実事実であると見抜いたコメントをしたのだ。久々のクンちゃんのコメントに、私は腰が抜けるくらいびっくりした。以下がそのコメントが書き込まれた記事。

 http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67841455.html 

 以下が「クンちゃん」のコメントの要旨。

・雲助(kum*suk*2*14)氏のコメントは当事者のみが知る要素が十二分にあり、事実であると判断できる。
・慈悲(zih*s*uppan*氏)が本当の著者でなく、雲助氏の言っていることが事実なら、ブログ読者との信頼関係は崩壊する。
・この件に関して近日中にブログに記事をアップする。

 さすが元文芸社社員のクンちゃんだけあって、すっかりお見通しだ。

 言うまでもなく、zih*s*uppan*氏は嘘を言ってブログ読者を騙し、事実を明らかにした私のことをさんざん批判してきたのだ。この行為は私に対する名誉毀損に他ならない。

 ということで、私はzih*s*uppan*氏を真正の詐欺師であると断言する。なぜ断言できるかといえば、証拠を持っているからだ。私は本当の著者であるkum*suk*2*14氏から著書も贈呈されているし、刑事告発した警察署や担当刑事さんの名前と連絡先も聞いている。だから証拠は公開できないが、kum*suk*2*14氏のコメントが真実であることは紛れもない事実であるは事実であると判断できる。

 私は、これまでいろいろな方から自費出版のトラブルについて相談を受けたが、zih*auppan*氏のようなとんでもない事例ははじめてだ。出版社が悪質商法で処分を受けていたことを利用して出版社に圧力をかけ、言いがかりをつけて支払いを拒否しているのだから、呆れ果てて言葉もない。調停を起こされた裁判所もとんだ迷惑だし、これで裁判を起こしたなら司法権の濫用だろう。個人が嘘を言って企業を訴えるという、世にも珍しい「逆スラップ訴訟」になるだろう。

 もしかしたらzih*s*uppan*氏は、ここまで事実が暴かれてしまったにも関わらずkum*suk*2*14氏の言っていることが事実かどうか確認できないから「説得力がない」といって否定し、開き直るつもりなのだろうか?

 zih*s*uppan*氏のブログ読者の方たちは相変わらずこんなデタラメの詐欺師のブログを訪問して「ナイス」を押している。ろくに記事本文やコメントを読んでいないか、完全に騙されているかのどちらかだろう。この期に及んで騙されていることに気づかないとは、お気の毒なことだ。

 アクセス数を増やすために相互訪問して「ナイス」を押しあうという、不純な動機による訪問ごっこをしているから、見抜けないのである。

 なお、zih*s*uppan*氏は私のこのブログもチェックしているだろうから、最後に一言いっておきたい。私に対する批判記事は名誉毀損であるから削除をしていただきたい。また、zih*s*uppan*氏は他にも複数のブログを書いているが、そちらにも名誉毀損ならびに著作権侵害の記事があるので、削除をしていただきたい。

【3月9日追記】
 この記事に対してzih*s*uppan*氏は思った通りの反応をしてきた。この期に及んでシラをきるつもりらしい。

http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67847143.html 

 zih*s*uppan*氏のトラブルはそれ自体が虚構なのだ。トラブルをデッチあげておいて、その挙句の自己正当化のために私を批判しているのだから名誉毀損が該当するだろう。また私への批判が名誉毀損になるというのは弁護士の見解であることも付け加えておきたい。

 それからzih*s*uppan*氏は、自分こそ詐欺師呼ばわりされて名誉を棄損されていると主張している。名誉毀損とは理由なく悪口を言いふらされたり公然と事実を摘示されて社会的な評価が低下した場合に適用される不法行為や犯罪である。匿名であるzih*s*uppan*氏の社会的評価など低下のしようがないだろう。名誉棄損だと主張するなら、堂々と実名を出していただきたい。

 また、事実の公共性、目的の公益性および真実性・真実相当性の要件を満たせば名誉毀損は免責される。公開のブログで虚偽を書き続けそれを信じた人たちに迷惑をかけていることについての事実の摘示なのだから、公共性や公益性は満たしている。真実性・真実相当性については、そう判断できる証拠を持っている。ついでに言っておくが、本の奥付で、著作権者はkum*suk*2*14であることを確認している。

 詐欺師なら裁判に訴えることをしないとも主張しているが、私はだからこそ「逆スラップ訴訟」だと指摘した。スラップ訴訟というのは力やお金のある者が個人などの弱い立場の者に対し嘘をついて裁判を起こす恫喝訴訟のことだ。ただし、zih*s*uppan*氏の事例では立場が逆だから逆スラップだ。嘘をついて裁判を起こすなどというのはまさに詐欺師の発想だろう。

【3月17日追記】
 この記事で用いている「詐欺」の意味は、以下の2の「他人を欺く行為」のことである。

さぎ【詐欺】
1 他人をだまして、金品を奪ったり損害を与えたりすること。「―にあう」「寸借―」「振り込め―」
2 他人を欺く行為。民法96条では「相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる」とする。→詐欺罪
(出典 goo国語辞書http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/86624/m0u/ )

【3月31日追記】
 zih*s*uppan*氏が私の批判に対して弁明をしている。毎度のことだが、一回の記事で主張できることを何回にも分けて記事にしている。こういう執拗な反論・批判は嫌がらせとしか思えない。

http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67893446.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67889781.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67900650.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67901238.html 

 どんな言い訳をしても事実と異なることをブログに書き続けていたことに違いはない。以下が事実と違う点。

1.著者ではないのに、さも自分が書いた本であるかのように一貫して著者を騙っていた。著者ではなく契約者であるなら契約者と書かなければならないし、契約者であると書くことは何の問題もない。むしろ、著者と書く必然性など何もない。

2.増刷契約では「増刷部数1000部のうち750部について、契約終了時点で残部があった場合、残部すべてを定価の75%にて買い取ることとする」となっていた。しかし、zih*s*uppan*氏はブログで「増刷部数1,000部のうち700部について、契約終了時点で残部があった場合、甲は残部すべてを定価1,000円の80%にて買い取ることとする」としていた。zih*auppan*氏は私のブログにもコメントをし、採算ラインは750部であり、買い取り価格は定価の75%と書いているのである。
http://onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-77fd.html 

 ところが、その後開設した自分のブログでは、買い取り部数および買い取り価格を700部、80%と偽り、その偽りの数値を基に増刷契約は無効であると主張していた。数値が契約書通りでなければ計算結果が違ってくるのであり、計算をしやすくするために数字を簡略化したなどと言う言い訳は通用しない。しかも、「750部」を「700部」と偽っていたことに関しては、現時点で何の弁明もない。

 以上の2点について嘘を書いたという事実は明らかだし、弁明からも嘘を書いたことについての正当な理由は見出せない。こうした虚偽を書き続けてきたことは、読者を騙し裏切る行為以外の何物でもない。

 

【4月2日追記】
 本文中の一部の語句を修正した。

 なお、出版社の主張通りに「750部を上限に売れ残った部数を定価の75%で買い取る」という条件で計算するなら、以下の「売れない方が儲かる仕組み」という主張は崩壊する。すなわち、出版社の収入は全く売れなかった場合が最も少なく、250部以上売れた場合は販売部数に関わらず同じになる。
http://blog.livedoor.jp/zihisyuppann-nihonbungakukan/archives/1010899823.html 

 つまり、数字を偽り「買い取り条件は不合理」という虚偽の主張をしていたことになる。

 

【4月3日追記】
 zih*auppan*氏は私が販売による収益と買い取りによる収益を75%で計算したことが誤りであり、契約ではそうなっていないと主張している。
http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67910516.html 

 ならば、販売収入が70%と書かれた契約書を掲載していただきたい(もちろん個人情報の部分は黒塗りで構わない)。契約書が示されれば、昨日の追記に関しては訂正する。

 ただし、契約書で販売収入が70%となっていたとしても契約時に収益の計算ができたのであり、異議があるなら契約時に修正を求めるべきことである。契約書に合意しておきながら、清算するときになってそれに気づき不合理だと申し立てるのは筋違いである。また「損失を補填するために著者が買い取るという買い取りの趣旨と整合性がとれない」という主張に関しても同様の理由で支持できない。

 zih*s*uppan*氏は出版社を相手どって裁判をするとのことなので、これらの点については裁判で争うべきことであり、これ以上言及するつもりはない。裁判での判断を報告していただきたい。

 なお、私が問題としているのは著者ではないのに著者を騙り、750部を700部、75%を70%と虚偽の数値を示して読者を欺き続けてきたことである。750部を700部としなければならない理由は何もない。本の定価は1000円であり計算は容易であるから、計算を簡略化するために近似値を用いたという言い訳は成り立たないし、たとえ計算が煩雑になったとしても事実と異なる数値を使うのは読者を欺くことに他ならない。

 虚偽が明らかになったにも関わらず言い訳に終始して謝罪・訂正しないのであるから、zih*auppan*氏のブログは信用に値しない。

【4月4日追記】
 4月3日13時14分にzih*s*uppan*氏からコメントがあり、私は16時9分に返信をした。以下。

松田さん。さっそくの追記ありがとうございます。とりあえず、下記の点のみ回答します。
>契約書で販売収入が70%となっていたとしても契約時に収益の計算ができたのであり、異議があるなら契約時に修正を求めるべきことである。
契約書では出版社の収益率は何も記載していません。契約締結時においてもその説明はありませんでした。ですので、松田さんの指摘は不適切です。
出版社の取り分(収益率)がいくらであるかということは、覚書の解釈を巡って争いになってから私が説明を求めて初めてわかりました。 契約書で出版社の取り分(収益率)について記載しているケースはないと思うのですが、どうでしょうか。
投稿: zih*s*uppan* | 2015年4月 3日 (金) 13時14分
 

zih*s*uppan*さん
>松田さんの指摘は不適切です。

 あなたはブログで「契約ではそうなっていません」(=契約では70%となっていたと理解できる)と書いていました。出版社の販売収益率が契約書に書かれておらず契約時に説明もなかったならば、私の指摘が不適切ではなくあなたの「契約ではそうなっていません」という書き方が誤りです。間違いの責任を私に転嫁しないでください。
 なお、販売収益は販売方法(たとえば委託販売をするか注文販売のみか、アマゾンなどのネット販売か)によって違ってくると思います。いずれにしても、販売収益と買い取り収益の差については契約時に確認し、納得できなければ契約時に75%という買い取り割合を訂正させるべきことであり、あとから文句をいうことではないと思います。
 この件については追記に書いたように裁判の結果を待つべきことだと考えますので、ブログで意見を言い合っても意味がありません。判決が出てから報告してください。
 それにしても、700部、70%という数値が契約書と異なることが明らかにされたにも関わらず謝罪もせず、未だに計算式やグラフの数値を直さずに掲載するあなたの神経を疑います。
投稿: 松田まゆみ | 2015年4月 3日 (金) 16時09分
 

 ところがzih*s*uppan*氏は私の返信を無視して同日20時に批判記事を新たに書いた。
http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67911466.html 

 さらにこの記事の中で、以下のように書いている。

万が一、出版社が私の要求を受け入れて調停が成立した場合、私は出版社の悪行の数々をブログで公開できなくなります。そうすると、松田さんから「あなたは出版社の悪徳ぶりを告白すると言っていたのではないか」と言われかねません。そういうこともあって、私は、調停は不成立に終わることを企図していました。出版社は弁護士を同席させましたが、そうする必要などまったくありませんでした。お笑いです。 

 和解を目的としている調停を自分で起こしておきながら、はじめから不成立を意図していたというのである。このような不遜な態度は司法の濫用に他ならない。

 しかも、その理由を私の批判(しかも勝手な想像)に帰しているのである。なお、zih*s*uppan*氏の今回のトラブルと当該出版社の悪質商法はまったく別の問題であり、自分のトラブルにかこつけて出版社の悪行を公開すること自体が筋近いである。むしろこの発言は、kum*suk*2*14氏の「zih*s*uppan*氏は出版社の過去の悪徳商法をネタに読者を煽って支援を得、出版社に圧力を加えてきた」という指摘を裏付けるものとなった。 事実、zih*s*uppan*氏は別ブログで当該出版社の悪質商法を批判している。
http://blog.livedoor.jp/zihisyuppann-nihonbungakukan/

 自分で調停を蹴ったのだからその後始末は自分でしなければならないし、ブログでいくら自分の主張を繰り返したり私を批判しても何の解決にもならない。契約に異議があるなら、裁判で解決すべきである。和解を蹴り裁判も起こさず何回も私を批判する記事を掲載すること自体、ストーカー的嫌がらせ行為である。

 提訴について進捗状況がどうなっているのか、説明していただきたい。

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