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2015年2月20日 (金)

「表現の自由」や「批判」「反論」の名を借りた叩き行為

 今日の北海道新聞「各自核論」に北原みのりさんの「叩く『表現の自由』横行」という意見が掲載されていた。タイトル通りの内容で、ネットでは昨今、正義や倫理をふりかざして他者を叩く行為が蔓延しており、表現の自由が脅かされているという主旨の記事だ。

 これは私も常々感じている。ネットで発言する人には二通りのタイプがある。ひとつはごく当たり前というかネットメディアの本来のあり方だと思うが、ホームページやブログで社会のことや趣味のことなどについて自分の考えや意見などを表明するという人だ。意見には批判的言論も含まれるが、誹謗中傷や著作権侵害をしないなど基本的マナーを守っていれば、意見表明は表現の自由の範疇だ。

 ところが昨今は、自分の意見を表明するというより、意見を表明している人を叩くことを目的にしてネットを利用している人が急増している。これがもう一つのタイプだ。うっぷん晴らしに炎上を狙って楽しむ愉快犯のような人もいるだろうが、気に食わない人物のネガキャンをすることで相手の信用をなくすことを目的にしていることもある。芸能人や著名人がターゲットにされることも多いが、一般の市民ももちろんターゲットにされる。

 他者を叩くという目的のためにネットを利用するということ自体がネットの悪用である。ところが、こういうことをやる人たちはそれを「表現の自由」の名のもとに、「批判」あるいは「反論」だと開き直る。「批判」「反論」と「叩き」「誹謗中傷」の区別がまったくできていない、というか「批判」を装ったいじめ行為でしかない。

 いわゆる子どものいじめでは、ターゲットにした人物の個性である容姿とか服装、しぐさや思想までいちいちあげつらって言いがかりをつけ、いじめの理由にする。いじめることが目的なので、何にでも難癖をつける。ネットによる叩きもそれと変わらない。

 ネット叩きをする人のやり方にはパターンがある。ひとつは、叩く相手に絡み、ひとたび相手が応じると論点をどんどん逸らして執拗に言いがかりをつけ、揚げ足取りをして悪口や人格否定へと導くタイプだ。ツイッターやブログのコメントが利用される。相手にするのをやめたりブロックすると、「逃げた」「答えられない」といって罵倒するのもお決まりのパターンだ。

 もう一つのパターンは、直接絡んではこないものの、匿名掲示板、ツイッター、ブログを利用して特定の人への言いがかりや中傷を展開するタイプだ。ターゲットの発言を監視して、重箱の隅をつつくような揚げ足取りをすることもある。

 どちらのパターンでも共通なのは、ははじめからターゲットが設定されており、特定のターゲットを貶める行為を繰り返すことだ。そして多くの場合、集団をつくってそれをやる。

 ツイッターであれば仲間同士でフォローし合って一緒にターゲットを叩くのである。本人は「表現の自由」だとか「公共の利益」などといって開き直っているのかもしれないが、とんでもない。彼らの目的は特定の個人を貶めることであり、本来の「表現の自由」とは程遠い。集団で叩くところも子どものいじめと何ら変わらないし、集団によるストーカー行為ともいえるだろう。

 彼らの頭の中には「いかに貶めるか」、「いかに信用をなくすか」という思考しかない。だから例えばネット検索でターゲットの情報を探し出し、その内容の信ぴょう性も確認せずに邪推だけでネガティブ情報を拡散させる。

 彼らに対してどんなに丁寧に自分の意見を説明しても絶対に理解しようとなどしないし、逆に罵倒されたり人格攻撃されるのがおちだ。目的そのものに悪意があり、とても「表現の自由」とか「批判」「反論」などといえる代物ではない。

 厄介なことに、そういう人たちに限って、正義やら倫理を振りかざし、自分の主張を押しつける。彼らにとっては自分たちの言っていることこそ正義であり、悪いのはターゲットの方だと責任をなすりつける。倫理観の欠如した人が正義や倫理を振りかざすのだから始末に悪い。

 集団での嫌がらせではないが、私の意見に対して「反論」の名のもとにブログで執拗に論点を逸らした屁理屈を繰り返している者がいる。私の書いたブログ記事に対し何回にも分けて反論をしているのだが、その主張を読むと単なる言いがかりでしかない。自分の意見こそ正しく他者の意見は間違いという主張に他ならない。複数の記事で何度も同じ主張を繰り返すところなどストーカー行為に等しい。この人物は「はじめに反論ありき」で、私に限らず批判的意見に対してことごとく屁理屈をこねている。異論を尊重する気などさらさらないから、論点逸らしの屁理屈しか言えないのだ。反論の体を成していない。

 「ニセ科学批判」の人たちも同じような傾向がある。彼らの主張がすべて間違いだとは言わないが、原発事故にはじまった放射能問題で、彼らの「自分たちの主張こそ正しい」という傲慢な姿勢が露呈した。つまり、原発事故による被ばくの影響についてはさまざまなデータや主張があるのに、自分たちの主張こそ正しいとの姿勢を決して崩そうとせず、批判的な意見に対しては論点を逸らしてはぐらかすことしかしない。実に情けない。

 ニセ科学批判運動の真の目的(早川由紀夫の火山ブログ)

 物事を冷静かつ客観的に見られる人は、「はじめにネガキャンありき」「はじめに反論ありき」という目的を見抜けるが、中には見抜けずに同調してしまう人たちも少なくない。騙すのが上手いと言えるのかもしれないが、これがネットの怖さでもあるだろう。

 異なる意見を尊重できない人に「言論の自由」などと言う資格はない。「批判」「公共の利益」の名目で、名指しで罵倒や誹謗中傷、人格否定をするような人も「言論の自由」などと言う資格はない。これは「言論の自由」以前のマナーの問題だ。

 言論のマナーが守れない人たちによるネットの悪用が横行する以上、司法の悪用であるスラップ訴訟とともに何らかの法的規制が必要なのかもしれない。

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