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2015年2月

2015年2月28日 (土)

日向製錬所、サンアイが黒木睦子さんを訴えた裁判に関する見解

 日向製錬所とサンアイが黒木睦子さんを名誉毀損と業務妨害で訴えた裁判とそれをめぐる動きに関して、ツイッターで呟いた私の見解を転載しておきたい。

 https://twitter.com/onigumoobasan/status/571500972138110978
①黒木睦子さんの裁判の件で、現地に来ない、裁判に来ないと批判する人がいる。しかし現地は造成工事が終わっていて中には入れない。裁判の口頭弁論では書面が読み上げられるわけではなく打合せの場でしかない。近くに住んでいるならともかく、遠くから行っても得られることは少ない。

 https://twitter.com/onigumoobasan/status/571501071085912064
②マスコミが民事訴訟の傍聴をする場合も、通常、第一回の口頭弁論とか証人尋問、判決などのときだけだ。そういう時には弁護士などが記者会見を開くこともある。第三者が「現地に来るべき」とか「傍聴に来るべき」などというのは、単に熱心な支援者ではないと批判したいだけとしか思えない。

 https://twitter.com/onigumoobasan/status/571501251055104000
③支援者は感情で応援しているだけで無責任という意見もあるようだ。しかし、ツイッターやブログなどで産廃問題について取り上げ、疑問や問題点を具体的に説明している人は何人もいる。そのような情報提供も具体的支援のひとつだ。もっともそれを黒木さんが活用するかどうかは別だが。

 https://twitter.com/onigumoobasan/status/571501313827074050
④私は黒木さんのブログを一通り読んだが、彼女の主張は筋が通っている。また、彼女が嘘を書く理由も思い当たらない。それに対して、日向製錬所やサンアイ、地権者や行政・警察などの対応は不可解きわまりない。さらに提訴した途端、黒木さんや支援者を中傷するアカウントが湧いてきた。

 https://twitter.com/onigumoobasan/status/571501428524515328
⑤そうしたアカウントの発言を見ると、実にいい加減なことばかり呟き、黒木さんや支援者の揚げ足取りをしたり、罵ったり人格否定をしている。情報を操作し、ネガティブ情報を流すことで信用を落としたり、支援を妨害したり疲弊させたりするのが目的としか思えない。

 https://twitter.com/onigumoobasan/status/571501556052332544
⑥鉄鋼スラグのことでは八ッ場ダムに関して毎日新聞も取り上げたように、有害物質が溶出したり逆有償取引が行われていることが明らかになっている。その背景には、いかに産業廃棄物を安く処理するかという排出者の思惑があり、その裏に政官財の癒着や利権構造があるとしか思えない。

 https://twitter.com/onigumoobasan/status/571501666656100352
⑦日向市のスラグ問題ももちろんこうした視点から考えざるを得ないし、黒木さんのブログを読むと、そうした癒着まで透けてみえてくる。私がこの問題に関心を持つのは、「原子力ムラ」「ダム・河川ムラ」と同じように、「産廃ムラ」による環境破壊や環境汚染を危惧するからだ。

 https://twitter.com/onigumoobasan/status/571501769777266688
⑧なお、黒木さんや支援者を批判する人たちが三浦万尚氏や日向製錬所産廃問題ネットワークのことでネガキャンを繰り広げている。カンパ詐欺疑惑に関しては会計報告をしており、批判者から詐欺という明確な証拠が示されているわけではない。また健康調査についての批判も憶測だけで根拠薄弱である。

 https://twitter.com/onigumoobasan/status/571501887876284416
⑨したがって、あたかも詐欺組織のように主張するのは名誉毀損になりかねないと考えている。ただし、個人的にはネットワークの調査に疑問を感じるところもある。これらのことから、私は現時点ではネットワークに関しての評価は保留状態であり、支援するという立場ではない。

 https://twitter.com/onigumoobasan/status/571502059771445249
⑩三浦氏に関しては雲隠れしたとか、被ばくして体調不良であるとか、入退院をくり返しているなどの情報があり、情報が錯綜していると認識している。詐欺疑惑や健康調査疑惑に関して明確な証拠が示されたり、明らかに雲隠れしたと判断できれば、批判にまわりたいと考えている。

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 日向製錬所産廃問題ネットワークに関する疑惑問題と裁判、すなわち産廃投棄疑惑に関することは別々に論じるべきだろう。

 それから八ッ場ダムの関連工事で鉄鋼スラグが使われたことに関しては、撤去が行われるようだ。当然のことだと思う。日向市の西川内地区に埋められたスラグが有害であるなら、同じように撤去すべきだ。

群馬)有害スラグ検出で8工事の土壌撤去へ 八ッ場ダム(朝日新聞)

 また鉄鋼スラグ問題に関しては、以下のような記事がある。

 鉄鋼スラグ問題とは何か(日本湿地ネットワーク)

 「鉄鋼スラグがから飛散したアルカリ性の微細粉塵が、近隣住民に様ざまな症状を生じさせ、スラグと健康被害との因果関係が明らかとなった」との記述があるほか、浸出水から有害物質が検出されている。鉄鋼スラグと非鉄金属スラグの違いがあるだけで、黒木さんが訴えている事例とよく似ている。

2015年2月25日 (水)

中西悟堂氏の思い出

 魚住昭氏による中西悟堂氏の回想記を目にし、とても懐かしく読んだ。

わき道をゆく 第67回 もう忘れたのかと鳥は啼く(魚の目)

 中西悟堂氏は、日本野鳥の会の創設者だ。「野鳥」という言葉を生みだしたのも中西悟堂氏だ。私は高校生のときに日本野鳥の会に入会したのだが、その頃も野鳥の会の会長は中西氏で、毎月会誌をほそぼそと発行しているだけのような会だった。その頃の日本野鳥の会の会誌「野鳥」は読み物が主体の文学性の高い雑誌で、ページ数が減りカラー写真ばかりになった今の野鳥誌とはまったく趣が異なっていた。

 私が野鳥に興味を持ったのは小学校の高学年の頃だ。庭にえさ台をつくってみたり、「探鳥会」なる催しに参加したのが野鳥に興味をもつきっかけだった。それまでは昆虫は大好きだったが、とくに野鳥への関心はなかった。しかし、ひとたび野鳥に興味を持つと、今まで気がつかなかった身の回りの野鳥がなんとも新鮮に目に飛び込んできた。興味を持つというのは、こんなにも日常の世界が広がるものなのかとときめいた。

 そして、高校生のときに学校の図書室に並んでいた中西氏の「定本野鳥記」をすべて読んだのだが、今となっては内容はほとんど覚えていない。しかしはっきりと覚えているのは、中西氏の雷恐怖症。

 実は私は子どもの頃から雷が大嫌いだった。特に一人で家にいるときに雷雨になると、稲妻が見えないようにカーテンを閉め、ふとんに潜り込んだりしていた。なにがきっかけだったのか分からないが、とにかく雷が怖かった。それで、中西氏の雷恐怖症に、同じような人がいるのだと親近感がわいた。

 そんな中西氏が雷恐怖症を克服したのは、たしかフクロウの撮影のために木に登っていて雷雨に遭遇した経験だったと記憶している。あまりの恐怖で木から下りることもできずに木にしがみついていたが、そんな恐ろしい経験をしてから雷が平気になったそうだ。私は今でも雷がゴロゴロと鳴りだすと、中西氏のこのエピソードをしばしば思い出す。ただし、私は今も雷が嫌いだ。子どものときほどの恐怖感はなくなったが、やはりあの稲妻と耳をつんざく轟音は心臓に悪い。

 中西氏は僧侶でもあるのだが、山の中での修行中に小鳥たちが寄ってきて彼の体に止まるという経験をしたという話しもよく覚えている。野生の小鳥が平気で人に止まるというのは、小鳥がこの人は安全であることを悟っているからだろう。中西氏には霊感があるのだろうか・・・。何と不思議な人だろうと思った。

 私は若い頃、一年だけだが日本野鳥の会の事務所で働いていたことがある。中西悟堂氏も会議のために事務所に来ることがあった。ある日、私がトイレから事務所にもどった時、会議を終えて帰る中西氏と事務所の入口付近で鉢合わせになった。

 私は慌てて会釈をし、脇に寄って通り道を開けたのだが、何を思ったのか中西氏は立ち止り、私を頭のてっぺんからつま先までじいっと穴のあくほど見つめたのだった。そして何も言わずに見送りの人たちとドアを出ていった。当事者の私はもちろんのこと、それを見ていた事務所の人たちも、かなり不可解に思ったようだ。いったいあの時何を感じたのだろう。

 そして、まったく別の人から同じように頭のてっぺんからつま先まで、まるで品定めでもされるかのように見つめられたことがある。その人物とは男女平等や差別の撤廃を求めて活動した故市川房枝氏だ。仕事で議員会館に行って市川房枝氏に会ったのだが、職場の上司が私を市川氏に紹介したときのことだ。上司も市川氏のその様子に、かなり驚いたようだった。こんな経験は生まれてこのかた2回だけだ。

 魚住氏のエッセイを読んでいて、すっかり忘れていた若い日のことを思い出した。人の直感というのはけっこう鋭いと私は思っている。だから、たぶんお二人は直感で何か感じるものがあったのだろう。そうでなければ、初めて会った者をあれほどまじまじと見つめるといういわば失礼な態度をとるのは不可解だ。いったいお二人は言葉も交わさない私に何を感じたのだろうか?

 私は若い頃から、年齢とか肩書、経歴などに関わらず、誰でも人はみな対等だという意識が強かった。だから、著名人に会ったからといって媚びへつらうという気持ちは全くないし、そういう意識はたぶん態度にも表れていたに違いない。

 私が日本野鳥の会の事務局で働いていたときは、野鳥の会は会員も増え、野鳥の調査に関わる委託事業なども受けていて10人以上の職員を抱える組織になっていた。そして、中西悟堂氏がたまに会議に出席するときには、職員などからたいそう気を遣われ、「先生」「先生」と持ちあげられていた。もしかしたらそんな職員とは違った雰囲気を私に感じ取ったのかもしれない。

 中西氏は機械文明、消費文明の行き過ぎに警鐘を鳴らし、質素で無欲の生活を貫いていたと聞く。そんな謙虚と思える人物が、自分の創設した会の会合で「先生」「先生」と持ちあげられることをどう感じているのだろうかと、私はなんとなく気になっていた。

 国会議員だった市川房枝氏は、日頃から「先生」「先生」と持ちあげられ、周りの人たちはすごく気を遣っていた。傍からみるとその光景はちょっと異様で気持ち悪いくらいだった。市川房枝氏は、政治家として名を成してからは、常に周りの人から気を遣われ持ちあげられているのが当たり前だったに違いない。

 だから市川房枝氏にまじまじと見つめられたとき、私は、私の態度から醸し出された誰にも媚びない雰囲気を市川氏が感じ取ったのではないかと思った。人というのは、著名になり持ちあげられるのが当たり前になると、そうではない人のことがすぐにピンときて違和感を覚えるのではなかろうか。自分の周りにいる人たちとは違う私の意識が(とは言っても私はごく普通にしていただけなのだが)、あの品定めするかのような視線につながったのかもしれない。

 もうひとつ思い当たるのは化粧だ。私は若い頃から化粧をしないことを貫いてきた。そして、市川房枝氏も化粧をしないことで知られていた。だから、化粧をしていない私を見て、なにか感じたのかもしれない。もちろん、これは私の勝手な想像でしかないから、本当はまったく違う理由があったのかもしれない。

 世の中には二つのタイプの人がいる。「先生」と持ちあげられることで天狗になってしまいだんだん謙虚さを失っていく人と、決してそのようなお世辞やおだてに乗らず常に謙虚で人を差別しない人だ。悲しいかな、前者のような人は多い。はたしてお二人はどちらだったのだろうか。

 私もだんだん残された時間が少なくなってきた。残された人生、せめて謙虚さだけは失わないでいたいと思う。

2015年2月20日 (金)

「表現の自由」や「批判」「反論」の名を借りた叩き行為

 今日の北海道新聞「各自核論」に北原みのりさんの「叩く『表現の自由』横行」という意見が掲載されていた。タイトル通りの内容で、ネットでは昨今、正義や倫理をふりかざして他者を叩く行為が蔓延しており、表現の自由が脅かされているという主旨の記事だ。

 これは私も常々感じている。ネットで発言する人には二通りのタイプがある。ひとつはごく当たり前というかネットメディアの本来のあり方だと思うが、ホームページやブログで社会のことや趣味のことなどについて自分の考えや意見などを表明するという人だ。意見には批判的言論も含まれるが、誹謗中傷や著作権侵害をしないなど基本的マナーを守っていれば、意見表明は表現の自由の範疇だ。

 ところが昨今は、自分の意見を表明するというより、意見を表明している人を叩くことを目的にしてネットを利用している人が急増している。これがもう一つのタイプだ。うっぷん晴らしに炎上を狙って楽しむ愉快犯のような人もいるだろうが、気に食わない人物のネガキャンをすることで相手の信用をなくすことを目的にしていることもある。芸能人や著名人がターゲットにされることも多いが、一般の市民ももちろんターゲットにされる。

 他者を叩くという目的のためにネットを利用するということ自体がネットの悪用である。ところが、こういうことをやる人たちはそれを「表現の自由」の名のもとに、「批判」あるいは「反論」だと開き直る。「批判」「反論」と「叩き」「誹謗中傷」の区別がまったくできていない、というか「批判」を装ったいじめ行為でしかない。

 いわゆる子どものいじめでは、ターゲットにした人物の個性である容姿とか服装、しぐさや思想までいちいちあげつらって言いがかりをつけ、いじめの理由にする。いじめることが目的なので、何にでも難癖をつける。ネットによる叩きもそれと変わらない。

 ネット叩きをする人のやり方にはパターンがある。ひとつは、叩く相手に絡み、ひとたび相手が応じると論点をどんどん逸らして執拗に言いがかりをつけ、揚げ足取りをして悪口や人格否定へと導くタイプだ。ツイッターやブログのコメントが利用される。相手にするのをやめたりブロックすると、「逃げた」「答えられない」といって罵倒するのもお決まりのパターンだ。

 もう一つのパターンは、直接絡んではこないものの、匿名掲示板、ツイッター、ブログを利用して特定の人への言いがかりや中傷を展開するタイプだ。ターゲットの発言を監視して、重箱の隅をつつくような揚げ足取りをすることもある。

 どちらのパターンでも共通なのは、ははじめからターゲットが設定されており、特定のターゲットを貶める行為を繰り返すことだ。そして多くの場合、集団をつくってそれをやる。

 ツイッターであれば仲間同士でフォローし合って一緒にターゲットを叩くのである。本人は「表現の自由」だとか「公共の利益」などといって開き直っているのかもしれないが、とんでもない。彼らの目的は特定の個人を貶めることであり、本来の「表現の自由」とは程遠い。集団で叩くところも子どものいじめと何ら変わらないし、集団によるストーカー行為ともいえるだろう。

 彼らの頭の中には「いかに貶めるか」、「いかに信用をなくすか」という思考しかない。だから例えばネット検索でターゲットの情報を探し出し、その内容の信ぴょう性も確認せずに邪推だけでネガティブ情報を拡散させる。

 彼らに対してどんなに丁寧に自分の意見を説明しても絶対に理解しようとなどしないし、逆に罵倒されたり人格攻撃されるのがおちだ。目的そのものに悪意があり、とても「表現の自由」とか「批判」「反論」などといえる代物ではない。

 厄介なことに、そういう人たちに限って、正義やら倫理を振りかざし、自分の主張を押しつける。彼らにとっては自分たちの言っていることこそ正義であり、悪いのはターゲットの方だと責任をなすりつける。倫理観の欠如した人が正義や倫理を振りかざすのだから始末に悪い。

 集団での嫌がらせではないが、私の意見に対して「反論」の名のもとにブログで執拗に論点を逸らした屁理屈を繰り返している者がいる。私の書いたブログ記事に対し何回にも分けて反論をしているのだが、その主張を読むと単なる言いがかりでしかない。自分の意見こそ正しく他者の意見は間違いという主張に他ならない。複数の記事で何度も同じ主張を繰り返すところなどストーカー行為に等しい。この人物は「はじめに反論ありき」で、私に限らず批判的意見に対してことごとく屁理屈をこねている。異論を尊重する気などさらさらないから、論点逸らしの屁理屈しか言えないのだ。反論の体を成していない。

 「ニセ科学批判」の人たちも同じような傾向がある。彼らの主張がすべて間違いだとは言わないが、原発事故にはじまった放射能問題で、彼らの「自分たちの主張こそ正しい」という傲慢な姿勢が露呈した。つまり、原発事故による被ばくの影響についてはさまざまなデータや主張があるのに、自分たちの主張こそ正しいとの姿勢を決して崩そうとせず、批判的な意見に対しては論点を逸らしてはぐらかすことしかしない。実に情けない。

 ニセ科学批判運動の真の目的(早川由紀夫の火山ブログ)

 物事を冷静かつ客観的に見られる人は、「はじめにネガキャンありき」「はじめに反論ありき」という目的を見抜けるが、中には見抜けずに同調してしまう人たちも少なくない。騙すのが上手いと言えるのかもしれないが、これがネットの怖さでもあるだろう。

 異なる意見を尊重できない人に「言論の自由」などと言う資格はない。「批判」「公共の利益」の名目で、名指しで罵倒や誹謗中傷、人格否定をするような人も「言論の自由」などと言う資格はない。これは「言論の自由」以前のマナーの問題だ。

 言論のマナーが守れない人たちによるネットの悪用が横行する以上、司法の悪用であるスラップ訴訟とともに何らかの法的規制が必要なのかもしれない。

2015年2月18日 (水)

見直したい洗濯

 日本人はほんとうに清潔好きだ。多くの人が毎日お風呂に入って毎日肌着を着替え、頻繁に洗濯をする。家族が多くて毎日大量の洗濯をするという家庭もある。現代人は水も洗剤も大量に消費している。

 私の父は薬剤師の資格を持っていて、一時、住宅街で薬屋をしていたことがあるのだが、毎日大量の洗濯をするからと頻繁に洗剤を買いにくる主婦がいたそうだ。その話しを聞いて呆れたが、そういう人は多分シーツやバスタオルなどの大物も頻繁に洗うのだと思う。毎日シーツを洗わないと気が済まない人がいるという話しを聞いたこともある。

 こんな生活をするようになったのも、自宅にお風呂があるのが当たり前になり、洗濯機もどんどん便利になってきたことと関係している。銭湯の時代なら毎日のようには行けないし、着替えも少なかっただろう。今は洗濯もボタンを押すだけで全部自動でやってくれる。便利で楽になった分、過度の潔癖症になり、水や洗剤の大量消費を招いているように思える。

 私の住んでいるところは下水道が完備されていない田舎ということもあり、洗剤はなるべく使わないようにしている。食器洗いはほとんどお湯だけで済ますし、洗濯もまとめ洗いをし、お風呂の残り湯を使って粉せっけんで洗濯をしている。しかし、洗濯にはどうやら洗剤はあまり必要ではないらしい。

 洗剤の量を変えて、汚れの落ち方が違うか実験をした人がいるのだ。

洗濯洗剤は必要ないって、ホント?! 

 醤油、ラー油、ごま油、マヨネーズ、ケチャップ、アクリル絵の具で汚れをつけたふきんを、「洗剤標準量」、「標準の半量」、「洗剤なし」、「クエン酸と水入りペットボトル」の4種の方法で洗濯した結果、汚れの落ち方に大きな違いが見られなかったという。

 水だけでもかなりの汚れが落ちるというわけだ。この実験では調味料などで意図的にしみをつけている。しかし、調味料などで目立つしみをつけてしまった場合は、たいてい直ぐにつまみ洗いをするから、日常の洗濯物にそんなしみがついていることはあまりない。

 つまり、洗濯物の汚れの多くは皮膚から出る汗や脂であったり、空気中に舞っているほこりや汚染物質などではなかろうか。ならば目立つ汚れはあらかじめ固形石けんをつけて部分洗いし、洗濯機では洗剤は少しだけ使うくらいで十分そうだ。

 洗剤が少なければ、すすぎも短くて済む。水も洗剤も節約できる。これをどの家庭でも実行したら、かなりの節水になるだろう。これまで、我々は洗剤メーカーに半ば騙されていたのかもしれない。

 合成洗剤にはたいてい蛍光増白材が入っているが、あれなどもまさに白くみせかける騙しだし、環境にもよくない。水だけでも汚れがかなり落ちるのなら、洗剤はなるべく減らしたいものだ。

2015年2月 8日 (日)

誰もが名誉毀損で訴えられかねないネット時代

 かつては名誉毀損で訴えられるというのは、もっぱら雑誌や書籍などで事実無根の記事を書かれるなどというような場合だった。つまり、裁判の当事者はジャーナリストや出版社、著作者、著名人などであり、市井の人々が名誉毀損で訴えられるなどということは、ほとんど考えられなかった。

 ところがインターネットが普及し、ブログやツイッターなどで誰もが自由に発言できるようになった今、誰もが名誉毀損で訴えられてもおかしくない。

 例えば、ブログに書いたことが名誉毀損だとして、高額訴訟をふっかけられているご夫妻がいる。以下の天野ベラさんコグさんご夫妻で、本人訴訟で闘っている。賠償金目的の嫌がらせではないかと思うような裁判だ。

天野ベラのブログ 
天野コグのブログ 

 天野さんご夫妻の場合、驚くのが総額6000万円という損害賠償金の額だ。一般の市民のブログ記事に対してこれほどの高額の賠償金を求めるというのは尋常ではない。しかし、こんなとんでもない裁判が実際に起きているのは事実だ。

 また、反社会的行為としてきわめて問題なのがいわゆるスラップ訴訟。これはネットが普及する前からあり、例えばサラ金の武富士が武富士を批判した本を書いた著者らを訴えた事例がある。裁判所は、武富士の提訴自体が裁判制度の趣旨目的に照らして違法というべきものである、と武富士を断罪した。

著作者保護制度で思い出した名誉毀損裁判 

 また同じく武富士から名誉毀損で訴えられたジャーナリストの三宅勝久さんも、武富士に対して損害賠償を求める反訴を提起して最高裁まで闘い勝訴した。もっとも、賠償金は裁判に費やした費用では足りなかったそうだ。

 武富士事件にみる「名誉毀損ビジネス」言論弾圧に手を貸す弁護士(JANJAN NEWS)

 武富士の代理人弁護士は、辣腕として名の知れる弘中惇一郎弁護士であり、前述の天野ベラさんを提訴した原告の代理人でもある。この事例は、スラップに加担する弁護士ビジネスの存在を物語っている。

 この事件のように裁判所が明確にスラップを起こした原告を手厳しく断罪する判決はむしろ珍しい。ただし、この二例はネットでの記述に対するスラップ訴訟ではない。

 昨今では、日向製錬所の裁判のように、一般の人のブログ記事もスラップの対象にされるようになった。市民がブログという表現手段を獲得し誰もが世界に向けて自由に物を言えるようになったのは歓迎すべきことだと思う。その一方で、常に名誉毀損のリスクにさらされるようになったのだ。もちろんツイッターでも同じリスクがある。

 匿名だから他人を誹謗中傷しても大丈夫だろうなどと考えるのは甘い。誹謗中傷は不法行為で損害賠償の対象だし、度を越せば犯罪になる。被害者がプロバイダーに発信者情報の開示を求めて損害賠償の裁判を提起することもあるし、刑事事件になればもちろん捜査機関は発信者を突きとめる。それにも関わらず、匿名を利用したネットによる誹謗中傷、嫌がらせは後を絶たない。

 日向製錬所が黒木睦子さんを訴えた件では、黒木さんや支援者を誹謗中傷するツイッターアカウントが実にたくさん湧いてきた。問題は、そこでの発言の内容だ。単に感想を述べる程度ならまだしも、どう考えても名誉毀損としか思えない発言もある。

 例えば、三浦万尚さんが代表になっている日向製錬所産廃問題ネットワークの詐欺疑惑に関する発言だ。ネットワークはカンパを呼び掛け、沈殿池や井戸などの水質調査を行っている。検査機関に検査を依頼するには多額の費用がかかるからだ。

 そのカンパに関し、黒木さんや支援者を批判する人たちは、「詐欺に注意」などと呼び掛けている。このような発言は、ネットワークが詐欺組織であると言っているに等しい。しかし、詐欺をしていなければとんでもない名誉毀損だ。

 詐欺をしているという明確な証拠をつかんでいるなら公共の利益のために詐欺であると指摘するのはいいだろう。例えば通帳の入金記録と会計帳簿を入手し、実際には10万円のカンパがあったのに、会計帳簿には5万円の収入しか記載せず、差額の5万円の使途が不明なってしまっている、などという証拠をつかんでいるのなら、詐欺だというのも分かる。しかし、詐欺、詐欺と騒いでいる人たちがそのような証拠をつかんでいるとはとても思えない。

 また山に埋められたスラグから有害物質が溶出しているかどうかを調べるための調査は、2、3回で済むという性質のものではない。スラグを浸透した雨水がゆっくりと地下水や河川に流れ込むことを考えれば、何年にもわたって調査をすることが望ましい。そのためにカンパ金をプールしておくということもあるだろう。つまり、今の時点では、第三者が詐欺などとはとても言えないと私は理解している。

 だから、ネットワークに関わっている人が「詐欺」発言をしている人たちの発信者情報の開示を求めて発信者を特定できれば、名誉毀損で民事訴訟を起こすこともできる。また、悪質であれば刑事事件にもなり得るだろう。詐欺、詐欺と騒いでいる人たちは、事の重大さやリスクを分かってやっているのだろうか。以下の記事をよく読んでいただきたい。

Twitter匿名アカウントの個人特定可能に。悪口・誹謗中傷は名誉毀損で訴えられるかも。 (Web Marketing Diary)

 もちろん「詐欺」発言だけが名誉毀損ではない。事実無根の中傷で実名の人の評価を低下させたのであれば名誉毀損だ。黒木さんと彼女の支援者を批判している人たちは、あまりに軽率な発言が多いと言わざるを得ない。

 ところで、私は以前、インターネット新聞JANJANの市民記者として記事を投稿していた(大谷憲史氏も同じくJANJANの市民記者だったらしい)。私の書く記事は、悪質出版商法問題とか、環境問題など企業や行政批判などが大半だった。そして、自費出版(共同出版)問題を書いた連載記事に関し、文芸社がインターネット新聞社に対して名誉毀損を理由に削除を要請し、削除しなければ法的手段に訴えると恫喝した。

 なぜか、著者である私ではなく記事を掲載したメディアを恫喝してきたのだ。このために、私はインターネット新聞社に記事に書いたことが真実であることを示す証拠を送り、インターネット新聞社は削除要請に応じなかった。結局、文芸社もインターネット新聞社を訴えることはしなかった。個人や企業を名指しで批判する場合、事実に基づいて記事を書くのは当然だが、その事実を裏付ける証拠を保存しておくということは極めて重要だ。

 匿名性の高いネットを利用して、遊び感覚や嫌がらせ目的で実名の者を誹謗中傷するのは論外であるが、公共の利益を目的とした告発的言論にも恫喝訴訟がつきまとうことを頭に入れておかねばならないだろう。

2015年2月 6日 (金)

黒木睦子さんの裁判、2回目の口頭弁論で分かったこと

 去る2月4日に、(株)日向製錬所と(有)サンアイが黒木睦子さんを訴えた裁判の二回目の口頭弁論があった。この裁判は日向製錬所とサンアイが時期を少しずらして別々に提訴したものだが、訴えの内容がほぼ同じということで併合された。二つの企業ははじめから併合を目論んで提訴したとしか思えない。

 一回目の口頭弁論で裁判長は黒木さんに訴状に対する認否の書面と、事実経緯を説明した書面の提出を求めていた。

 さて、第二回目の口頭弁論について傍聴者による報告が公開されている。一つは、「鰯」さんによるもので、もう一つは「市民メディアみやざきCMM」の市民記者である大谷憲史さんによるものだ。他にもあるかもしれないが、ここではこの二人の報告をもとに私の意見を述べておきたい。

2月4日宮崎地洋裁判所延岡支部1号法廷メモ(鰯の独白)

【ケイ・ファイル】第2回口頭弁論レポート(市民メディアみやざきCMM)

 この口頭弁論で、裁判長はこの裁判では名誉毀損が争点であることで間違いないかどうかを確認している。裁判所はこの事件が「人格権の侵害」であり、「法人の無形の損害」であると理解しているとのこと。

 さらに、黒木さんに対し、平成24年7月30日に行った水質調査結果を証拠として裁判所に提出するように求めた。

 この二つのことから分かるのは、裁判所は名誉毀損の裁判であるが、争点の一つは水質検査にあると理解しているということだ。つまり、黒木さんの行った「有害」と出た水質検査結果は、埋められたグリーンサンドが産廃(ゴミ)か否かを判断する有力な証拠になると認識しているのである。

 この裁判は名誉毀損の形をとっているが、グリーンサンドが有害(産廃)か否かを証明することが求められているということだ。名誉毀損を利用した典型的なスラップと言ってもいいだろう。

 大谷氏は「次回は、被告が提出した「経過説明書」への反論を原告側に投げましたので、そのことがメインになります」と書いているが、これは違うだろう。経過説明は裁判所が事実確認のために提出を求めたものと思われる。裁判では、答弁書に対して原告が反論をすることになる。すなわち、黒木さんの提出した「訴状に対する認否」に対し、原告が具体的に主張をする。そして、黒木さんは、次の準備書面で原告の主張に反論することになる。この黒木さんの反論こそ、この裁判の中でもっとも重要なものになるだろう。

 ところで名誉毀損裁判は勝訴がとても困難な裁判のひとつだ。名誉毀損の場合、免責要件というのがある。すなわち、1事実の公共性、2目的の公益性、3真実性・真実相当性だ。これらが証明されれば、不法行為は成立しないものとされる。ただし、これらは訴えられた被告が証明しなければならない。今回の問題は産廃問題でありひいては公害問題であるから、1と2はたぶんクリアできるだろう。問題は3「真実性・真実相当性」の証明である。

 つまり、黒木さんがブログやツイッターに書いたことが真実であるということを、黒木さん自身が証拠を提出して証明しなければならないのだ。たとえば、誰それがこう言った、ということをブログに書いたとする。それが真実であり「私は嘘を書いていません」と書面や口頭弁論で主張しても、裁判所は真実であることを証明したとは認めない。紙やメールに書いたことであればそれが証拠になるし、録音していればそれも証拠になる。しかし、そのような証拠がない場合は、真実であることを証明するのが極めて困難だ。今回の裁判でも、重要な取引関係の書面などは原告側が持っていて、黒木さんは持っていない。ここに名誉毀損裁判の難しさがある。

 しかし、今回の事件では黒木さんの水質検査の結果があるし、埋められたグリーンサンドが産廃であると証明できそうな証拠も皆無ではない。したがって「真実相当性」を証明するために全力を尽くすしかないだろう。

 ところで、大谷氏は、口頭弁論前に裁判所に出向き、黒木さんの提出した答弁書の閲覧をしている。閲覧は誰でもできるのでこの行為自体は問題ないが、この書面の内容について口頭弁論前にツイッターで呟き、ブロマガにも投稿している。

【ケイ・ファイル】答弁書の閲覧 

 裁判の書面は口頭弁論の場で「陳述した」と認められる。口頭弁論の前に書面の内容に関わることを公にしてしまうのは、軽率であり非常識と言うほかない。

 もう一つ、水質検査結果のことについても言及しておきたい。大谷氏も含め、黒木さんや支援者を批判する人たちは、黒木さんの行った水質検査の原本に異様なほどの拘りをもち、「原本が証拠として提出されていない」と批判している。

 原本というのは、検査会社から黒木さんが受け取った検査技師の朱印が押された報告である。重要な原本を裁判の証拠として提出してしまったら、手元に戻らなくなる。したがって、裁判ではコピーを提出すればいい。もし原告が原本が見たいということであれば、口頭弁論の日に持参して確認してもらえばいいのだ。裁判では契約書のような重要な証拠を提出することがあるが、もちろん原本そのものを証拠として出すようなことは普通はしない。もっとも彼らの言う「原本」とは、朱印のある原本というより単に検査会社の出した報告のことを指すらしい。であるなら、言葉の使い方を間違えている。

 この「原本」騒動で思い出したことがある。私が関わっている「えりもの森裁判」では、越境伐採の疑惑が持たれている。原告らは、被告である北海道が、定められた境界(林班界という)を超えて樹木の伐採をしたと指摘した。すると、被告は「境界を変更した」という主張をしたのだ。しかし、林班は森林簿の作成の基になるものであり、簡単に変更することは考えられない。そこで、口頭弁論のときに境界の書かれた林班図の原本を見せるように求めた。出てきた原本は、なんと白い修正液で林班界が書きなおされていたのである。越境伐採を隠すために故意に修正したとしか思えない。裁判ではこんな偽造と言えるようなことも平気で行われる。

 また、訴状に対する認否を行う答弁書では、具体的な反論をする必要はなく、証拠が提出される場合もあるが、準備書面で反論する際に証拠を提出するということでも構わない。証拠が出されていないと騒ぐ大谷氏たちの主張は異常としか思えない。

 また、大谷氏や黒木さん批判者による三浦万尚さん、東海アマさん(実名を晒している)へのネガキャンも尋常ではない。とりわけ日向製錬所産廃問題ネットワークの寄付に関して詐欺疑惑を指摘しているが、ネットワークが寄付金を詐取したという根拠は何も示しておらず憶測にすぎない。

 他者の批判をするのは自由だが、不確実な情報を元に、事実ではないことを事実であるかのように報じたら名誉毀損にあたるのではなかろうか。匿名であっても、訴えられる可能性がある。

「モノ言えない社会は息苦しい」名誉毀損で訴えられたネトウヨ大学生の告白(CMM NEWS)

 私はネットワークのメンバーではないし、組織の実態は分からない。しかし、彼らのネットワークに対するネガキャンや妨害は、私の目には常軌を逸しているとしか映らない。

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2015年2月 3日 (火)

イスラム国を生んだのは米国であり日本にも責任がある

 前回の記事で、「暴力を暴力で封じ込めようとしたなら憎しみが連鎖して泥沼にはまり込むだけだ。」と書いた。なぜなら、イスラム国という暴力集団はまさに暴力から生まれたからだ。そういう背景について分かりやすく説明しているのが、ジャーナリストの志葉玲さんの記事だ。

イスラム国は日米の外交・安全保障政策の失敗が産んだモンスター~暴走を止めるためにやるべきことは? 

 米軍はイラク戦争でなりふり構わず攻撃をし、子どもでも女性でも撃ちまくった。あの爆撃の映像を覚えている人は多いだろう。米軍の攻撃に怒りを燃やした多くのイラク人が、米軍を相手に武器を手にすることになった。米軍の容赦ない攻撃がイラクの人たちの憎悪を駆り立てたのだ。

 イラク戦争前のサダム政権は確かに人権問題では酷い状態だったが、イラクの人たちにとって米軍の攻撃は「サダムより酷い」と言わしめるものだった。そして、米国や日本が軍事的・経済的に支援した新生イラク政府は、米軍よりもさらに酷い拷問や虐殺を繰り返したと志葉氏は書いている。

 かつてイラクではイスラム教のシーア派もスンニ派も共存していた。ところがシーア派至上主義者が主導する新生イラク政府は、スンニ派はサダムの支持者であるとして激しい攻撃を加えた。シーア派によるスンニ派への暴行や虐殺が繰り広げられる中で、シーア派を容赦なく攻撃するイスラム国という過激な暴力集団が生まれたのだ。

 米国の圧倒的な軍事力を行使したイラク戦争が新政権の暴力を生み、新政権の暴力がイスラム国という暴力集団を生んだのだ。つまり、この暴力の連鎖の根っこには、米軍によりイラク戦争がある。米国の暴力がイラクの人たちの憎悪を煽り報復の世界をもたらしたのだ。紛れもなくここには暴力の連鎖、憎悪の連鎖がある。

 そして、日本はそのイラク戦争に無関係ではない。沖縄の米軍基地から、米軍がイラクへと出撃していったからだ。さらに米国のポチと化した安倍首相は、集団的自衛権の行使容認や改憲によって米軍へとすり寄ろうとしている。これでは、日本に恨みが向けられるのも当然といえるだろう。

 イスラム国などの過激派のおぞましい残虐行為に皆が憤り「テロに屈しない」と連呼する。あの残虐行為を許せないのは当たり前だが、残虐集団の誕生は日本と無関係ではない。安倍首相が中東で宣戦布告のような発言をしたら、暴力の矛先が日本へと向けられるのは必然とも言えるだろう。

 人質事件で最悪の結果を迎え安倍首相は「罪を償わせるために国際社会と連携していく」と報復とう受け取れる宣言をしたのだから、まさに憎悪の連鎖、暴力の連鎖に日本も加わると宣戦布告したようなものだ。安倍首相は、人質を殺した加害者を裁判にかけると弁明しているが、日本が米国に追従している以上、そんな言葉は虚しいだけだ。

 志葉さんは「集団的自衛権の行使や単なる米国追従では同じ間違いを繰り返すだけ。上記したように、少なくともイラクにおいては、イラク戦争やその後のイラク政府の暴挙の数々が招いた宗派間対立こそがISISに付けいる隙を与えている。もし、日本を含む国際社会が強く働きかけ、イラク政府が全ての宗派や民族の融和と和解を進めるにようになれば、ISISも弱体化していくだろう」と書いている。

 ほんとうにその通りだと思う。志葉さんはイスラム国を「モンスター」と言っているが、それはあくまでも比喩であり、かれらは言葉の通じる人間であることは間違いない。イスラム国が残虐極まりない行為をしているのは事実だが、以前はスンニ派もシーア派もあれほどにまで憎しみ合っていなかったのだ。対話、和解での解決が不可能とは思えない。憎悪と報復の連鎖ではこの悪循環を断ち切ることはできず、泥沼にはまり犠牲者を増やすだけだ。

 安倍首相はまさにその泥沼に片足を踏み込んだ。安倍首相を選んだ国民しかこれを止めることはできないだろう。私たち国民の責任は大きい。

2015年2月 1日 (日)

暴力から生じるのは憎しみの連鎖でしかない

 ここ数日、朝目覚めるたびに後藤さん開放のニュースが流れることを願っていたが、今朝はその願いもむなしく悲報を知った。残念でならない。

 今回の湯川さんと後藤さんの人質事件については前回の記事でも触れたが、昨年秋に彼らを救うことは不可能ではなかった。湯川さんがイスラム国の裁判にかけられるということで、9月には常岡浩介さんと中田考さんが通訳のためにイスラム国の支配地に行っているが、空爆などで湯川さんに会うことができなかった。

 しかも、彼らは帰国してから北大生のことに絡んで警察から事情聴取を受け、イスラム国と連絡ができない状況になってしまった。この時期にイスラム国と連絡をとって対処していたなら、殺害の対象にはならなかっただろう。

 常岡さんと中田さんの身動きがとれない中、湯川さんの救出に向かったのが後藤さんだ。おそらく後藤さんはイスラム国の危険性を十分に知りながらも、自分たちが殺される可能性は低いと考えていたのだろう。日本は平和憲法があり、イスラム国を攻撃する敵国だという認識はなかったはずだ。

 しかし、安倍首相の中東訪問での宣戦布告ともいえる発言が彼らを硬直させ、方針を転換させることになったのは想像に難くない。あの発言によって、湯川さんと後藤さんは人質として殺害対象にされてしまったのだ。

 この危機的状況から二人を救いだす方法は皆無ではなかった。常岡さんも中田さんも自らイスラム国との交渉役を申し出たからだ。彼らに交渉を委ねていたなら、湯川さんと後藤さんは助かっていたかもしれない。しかし、日本政府はイスラム国との直接的な交渉手段を持たないにも関わらず、彼らの申し出を無視してしまった。これが、湯川さん殺害の引き金になった。本気で国民の救出に全力を尽くしたとはとても言えない。

 そして、身代金が取り下げられてヨルダンで拘束されている死刑囚の開放が後藤さん開放の条件になってしまった。日本政府は直接交渉の場すら奪われ、後藤さんの命はヨルダン政府の交渉に委ねられてしまった。

 こうやって見て行くと、失敗の積み重ねによって救出可能だった人が殺害されてしまったと言っても過言ではないだろう。

 相も変わらず自己責任を口にする人は多いが、国が国民の命を救うのは当然のことだ。自己責任で行う登山などでも、事故が起きてしまったなら懸命な救助をする。危険なところに行った自己責任はあるが、だからといって見殺しにしていいということにはならない。そこを履きちがえるのは責任転嫁でしかない。

 イスラム国が後藤さんを殺害したときのメッセージは以下だ。安倍首相はテロリストを完全に敵に回してしまった。

日本政府よ 邪悪な有志連合を構成する愚かな同盟諸国のように お前たちはまだ我々がアラーの加護により 権威と力を持ったカリフ国家であることを理解していない 軍すべてがお前たちの血に飢えている 安倍(首相)よ 勝ち目のない戦争に参加するという無謀な決断によって このナイフは健二だけを殺害するのではなく お前の国民はどこにいたとしても殺されることになる 日本にとっての悪夢を始めよう

 安倍首相は彼らの救出に失敗した自分の責任を棚に上げ、バカの一つ覚えのように「テロに屈しない」という言葉を繰り返した。そして後藤さんが殺害された今、「テロリストたちを決して許さない。罪を償わせるために国際社会と連携していく」と語った。この言葉は報復ととれるものであり、暴力に対して暴力で対処すると言っているようなものだ。まさに悪夢であり、最悪だ。

 暴力を暴力で封じ込めようとしたなら憎しみが連鎖して泥沼にはまり込むだけだ。罪のない二人を惨殺するというイスラム国の行為を容認できないのは当たり前だが、暴力での対処を宣言するのは火に油を注ぐことにしかならない。

 暴力の連鎖を絶つためには、安倍首相の暴走を食い止めて平和憲法を堅持し、集団的自衛権の行使を認めないことに尽きると思う。後藤さんの母親の石堂順子さんも悲しみの中で「憎悪の連鎖になってはならない」と言っている。安倍首相には石堂さんの言葉を胸に刻んでほしい。

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