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2014年10月

2014年10月29日 (水)

問題だらけの地熱発電

 今年の春、道南に旅行に行った際に、森町の濁川にある森地熱発電所を見てきた。北海道電力の地熱発電所だ。日本では地熱資源のある場所の多くが国立公園や国定公園に指定されているのだが、ここはそのような自然公園ではない。

 濁川に沿った道を上流へと進んでいくと直径が2キロメートルほどの濁川盆地に出る。周囲を山に囲まれた盆地は田畑が広がり温泉がある。この盆地は、火山活動によってできたカルデラである。
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 森地熱発電所の場合、地下から熱水や蒸気を取り出す生産井や、発電に利用したあとの熱水を地下に戻す還元井は盆地にあるのだが、発電所と冷却塔は盆地を取り囲む山の中腹にある。盆地からはもくもくと蒸気を上げている冷却塔が見える。

 まず発電所に行ってみた。蒸気を上げている冷却塔はかなりの騒音をたてている。なるほど、こんな大きな音が出るのであれば、民家や温泉がある盆地に発電所を造れないだろう。しかも盆地は農業地帯なので、冷却塔からの水蒸気に含まれる硫化水素や亜硫酸ガスの影響も考えて山の中に造ったのではなかろうか。電源開発がトムラウシの地熱発電について説明をした時に騒音はほとんど出ないと言っていたが、とんでもない。せめて「ある程度の騒音は出ます」くらい言うべきだろう。

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 発電所が山の中にあるので、生産井や還元井との間には太いパイプラインが敷設されている。

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 盆地にはパイプを巡らせた施設がいくつかある。生産井や減圧器、還元井などであろう。

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 まさに大規模な工場群だ。しかも生産井は次第に蒸気量が減少するので次々と新しい井戸を掘らなければならないし、還元井も還元能力が低下してくるので新しいものを掘る必要がある。トムラウシのような山の中に造った場合、新たな井戸を掘るたびに自然が破壊されるだろう。

 水蒸気には硫化水素や亜硫酸ガス、熱水には砒素などの有毒物質が含まれており、毒性のある物質によって大気や土壌、あるいは地下水が汚染される危険性がある。また、熱水のくみ上げによって温泉の枯渇のほか、地震が誘発されたり地盤沈下が起きることが懸念される。

 ところで森地熱発電所は、当初出力5万キロワットとして認可された。しかし、その後蒸気量が減少して近年では発電出力が1.5万キロワット程度になったという。このために認可出力は半分の2.5キロワットに縮小された。(ウィキペディア参照)

 また、地熱発電は非常にコストの高い電力だ。事前の調査が必要な上、発電所の建設にも長い時間やコストがかかる。森地熱発電所のように発電出力が低下してしまうと、採算割れを起こしてしまうことになりかねない。かといって、新たな生産井や還元井を掘り続けるのもコストがかかるし環境破壊になる。

 国立公園など自然の保全を優先すべき場所の場合、初期調査ですら環境に悪影響を及ぼしかねない。

 電力会社はメリットばかりを強調するが、デメリットも多数あることを認識する必要がある。

2014年10月27日 (月)

トムラウシ地区の地熱発電計画に自然保護団体が反対を表明

 大雪山国立公園のトムラウシ地区に電源開発が地熱発電を計画していることについては1年ほど前に記事を書いた。

 トムラウシ地区の地熱発電計画で電源開発が説明会 

 この時点では、地元合意が得られれば年内にも調査に着手したいとの説明が電源開発からあった。しかし、地元の自然関係の団体等は難色を示し、地元住民の合意も得られない状況にある。

 地元の自然保護団体である十勝自然保護協会と地元新得町の自然関係団体は、トムラウシ地区での地熱発電開発について議論を重ねてきた。そして、計画の中止を求める要望書を関係省庁および電源開発に送付した(新得町には手渡し)。

 今回の要望には北海道の6団体(新得おもしろ調査隊、大雪と石狩の自然を守る会、十勝川源流部を考える会、十勝自然保護協会、北海道自然保護協会、北海道自然保護連合)のほか、日本自然保護協会も名を連ねている。以下が要望書。

自然保護団体がトムラウシ地区での地熱発電計画中止を要望(十勝自然保護協会活動速報)

 何と言っても、予定地は国立公園の第2種および第3種特別地域で、すぐ近くに原生自然環境保全地域がある。このようなところに巨大な排気塔やパイプラインなど大規模な工場ともいえる地熱発電所を建設するということ自体が容認しがたい。景観破壊はもとより、自然破壊、生物多様性の破壊につながるのは言うまでもないし、環境汚染や騒音なども懸念される。

2014年10月25日 (土)

初版で儲け、増刷でも儲ける悪質出版商法

【2015年1月23日追記】この記事で取り上げた「某自費出版会社との契約を巡るトラブル顛末記」の著者に関しては、700部を買い取る責務があることが分かっていながら支払いを拒否し続け、踏み倒しまで目論んでいることが判明したことをここに記しておく。したがって、この事例に関しては出版社には大きな落ち度はない。以下の記事(特に追記)を参照いただきたい。
zih*s*uppan*さんへのお返事(随時追記) 

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 今、とある出版社と増刷契約を巡ってトラブルになっている方がいる。以下がその方のブログ。

某自費出版会社との契約を巡るトラブル顛末記 

 契約形態はいわゆる共同出版タイプ。今では共同出版という用語はあまり使われなくなり自費出版という言い方になっているが、従来から行われている制作請負契約・販売委託契約による自費出版ではない。商業出版と同様に、本の所有権や出版権を出版社に設定し著者には売上金ではなく印税を支払う契約だが、出版費用は著者が負担するというタイプだ。

 私は、このような出版形態は著者と本を買う読者の双方から利益を得るという点で出版社に一方的に有利で不公正な契約だと思っている。また、売れないことを知りながら書店販売をメリットとして宣伝したり、褒めちぎった感想で著者を舞い上がらせたり、執拗な勧誘をするという点で悪質であるし、勧誘の仕方によっては法律に抵触することもあると思っている。このような商法では、今でも著者との間にトラブルが頻発している。ただし、こうした出版形態そのものが違法であるという裁判所の判断は出ていないようだ。

 上記のブログの方の経緯を簡単に説明しておきたい。初版の300部が売り切れたため、著者の方から出版社に増刷を求めた。増刷の最低部数は1000部と決まっている。出版社は難色を示し、増刷に当たって著者に「覚え書き」として買い取りの条件をつけた。出版社は「700部を上限に残部を著者が買い取る」という主旨の覚え書きを作成したつもりだったが、文章の書き方が不適切だったために、著者は「700部のうち残部を買い取る」と錯誤した。このため、契約が終了して買い取りをする段になって、買い取り部数をめぐってトラブルとなった。

 出版社によると約200部が売れたという。残部は約800部なので、出版社の意図していた買い取り条件では700部を買い取ってもらうことになる。しかし、著者解釈では約500部の買い取りになる。200部も違いがあるのだから、トラブルになるのは当然だ。

 錯誤の原因は、出版社の書いた覚え書きの文章が、二つの解釈が可能なものだったからだ。著者からそのことを指摘された出版社は、後にその事実を認めて謝罪し、著者の解釈による買い取り部数でよいと譲歩した。

 これで一件落着と思ったのだが、著者は他にも多数の不手際があったことを指摘し、また買い取り条件は不合理であるとして契約の無効を主張し、今も買い取りを拒んでいる。そのあたりの具体的な主張については著者ブログをお読みいただきたい。

 さて、私がここで言いたいのは、このような出版商法はまず本体契約で儲け、次に増刷で儲ける仕組みになっているということだ。とりわけこの出版社の場合、初版が300部と少ないので、1000部近く作製する場合よりも完売がたやすい。著者が友人、知人などに働きかけて宣伝するなど販促を頑張ったなら、完売もそれほど困難ではない部数だ。なお、憶測でしかないが、実際には完売していないのにも関わらず著者には完売したと伝えている可能性も否定できない。

 「完売」は著者に増刷という欲望を誘発させる。契約では増刷の場合は出版社が費用を負担するとなっているので、なおさらだ。しかし、出版社は当然のことながらそう簡単に増刷をしない。300部程度の売り上げ実績しかない素人の書いた本を1000部も作製するのはあまりにリスクが大きいからだ。だから、赤字にならないよう著者に買い取り条件をつけるのである。結果的に出版社は何ら費用負担をしなくて済むし、本が売れた分だけ利益を得られるのだ。もしかしたら、本が全く売れなくても著者による買い取り費用で利益を得ているのかもしれない。まあ、このあたりは仮定の話しでしかない。

 初版を小部数に抑えることで費用を比較的安くできるため顧客を確保しやすい。さらに増刷で儲けるチャンスを増やせる。一方で、著者は、本が売れなければ相応の費用を出して自著を買い取ることになるが、段ボールに10箱とかそれ以上の本が届いたなら、置き場所にも難儀することになりかねない。

 ただし、増刷に際して出版社側が甘言を用いて執拗な勧誘をしたり、虚偽説明で契約させるようなことがなければ、違法行為に該当するとは思えない。あくまでも「買い取り」であって、商品である著書を受け取ることができるのだから、著しく不公正な契約とも言い難い。「最高で700部を買い取る」という条件に合意した責任は著者にあるのだから、思ったほど売れなかったとしても後で異を唱えることにはならない。

 残念ながら、覚え書きに合意してしまった以上、著者を救済する手立てが私には思い浮かばない。いつまでも買い取りを拒否していたなら、さらに倉庫代などを請求されかねないし、法的手段をとられかねない。著者は苦戦を強いられた上に、買い取り費用以上の支払いをしなければならなくなる可能性も高い。「買い取り費用」は勉強代だと割り切り、本は希望者に配って読んでもらうといった建設的な方向で考えたほうが賢明ではないかと思う。

 そもそも、素人の書いた本はそう簡単に売れるものではない。そのことを一番よく分かっているのが出版社だ。ところが、多くの著者は「書店販売をしたい」という夢を持ってしまうのだ。書店販売をメリットとして宣伝する自費出版は、著者の夢を利用したあざとい商法である。

 自費出版を希望する方に再度ここで言っておきたい。「書店で売る」などという夢を見ないように、と。自分で売ったり配ったりできる部数を考え、印刷しすぎないのが賢明だ。印刷の質は落ちるが、注文に応じて必要部数だけを作製するオンデマンド出版という選択肢もある。

 一昔前は、自費出版というのは書店で売ることが目的ではなかった。売れないからこそ必要部数だけを制作請負契約で作ってもらったのだ。そういう請負契約をしている良心的な自費出版社は全国にある。請負契約の場合は増刷費用もはじめから著者負担だから、上記のような増刷トラブルも生じない。無名の著者の本は基本的に「売れない」ということを肝に銘じたほうがいい。

【10月26日追記】
 昨今は、制作請負契約であっても、書店流通つまり販売委託契約も合わせて扱っている自費出版社が多くなった。これは、共同出版商法が盛んになり書店流通をするのが当たり前という感覚の著者が増えてきていることと関係している。自費出版社側は販売を勧めたくないのに、著者が販売を望む場合が多いためにやむなく販売委託契約も扱うようになってきているのだ。

 しかし、取次や書店を通じて書籍を売る場合はさまざまな費用がかかる。取次との口座を持っていない出版社は口座を持っている出版社に委託する場合もあり、委託費用がかかる。また、著者から本を預かるので倉庫費用もかかる。あまり売れない場合はマイナス、つまり著者の持ち出しになることがあるので要注意だ。

 私は、安易に書店流通を勧めない自費出版社こそ良心的だと考えている。

2014年10月22日 (水)

巨大噴火の国に生きる日本人

 先の御嶽山の噴火で、火山の噴火の恐ろしさを実感した人も多いと思うが、御嶽山の噴火は規模の大きなものではない。火山が連なる日本列島では大噴火、巨大噴火が何度も発生している。

  北海道でも過去にはもちろん大きな噴火が何度もあった。大雪山国立公園の層雲峡に行ったことがある人は多いと思うが、石狩川の峡谷にそそり立つ柱状節理は大雪山の噴火で流れ出た火砕流が冷えて固まったものだ。あの景観を見ただけで、ものすごく大量の火山噴出物が堆積したことが分かる。

  新得町屈足の十勝川の河岸には火山灰の堆積した崖がある。これは十勝北部の三股盆地(カルデラ)から噴出したものだ。この噴火でも大量の噴出物が十勝地方を覆った。

  屈斜路湖は日本最大のカルデラ湖で、支笏湖は2番目に大きなカルデラ湖だ。洞爺湖もカルデラ湖。数万年前とは言え、これらの火山が大噴火を起こした時はどんな状態になったのだろう。樽前山の噴火では十勝地方にも火山灰が堆積している。大気はしばしば噴煙で覆われ、太陽はさえぎられてうす暗くなり、一面灰色の世界に変わるのだろう。考えただけでもぞっとする。

  しかし、もっと規模の大きい巨大噴火は九州の火山だ。たとえば阿蘇山は世界でも有数の大型カルデラを持つし、姶良カルデラも巨大カルデラだ。九州のカルデラが巨大噴火を起こした場合、その火山灰はなんと日本中におよび、北海道を除く地域では10センチ以上の火山灰が降り積もると言われている。以下参照。

御嶽山に続く巨大噴火はロシアンルーレットの可能性!?プチ鹿島の『余計な下世話!』vol.64  (東京BREAKING NEWS)

  南九州で巨大噴火が起きた場合、「火砕流で全て焼き尽くされる領域には1000万人以上の人口がある」という。仮に大噴火の前兆が捉えられたとしても、数千万人の住民をすみやかに避難させるというのはとても困難なことだろう。もちろん川内原発の管理などはできなくなる。

  神戸大学大学院の研究グループによると、日本で今後100年以内に火砕流が100キロ余り先まで達するような巨大噴火が起きる確率はおよそ1%だそうだ。

巨大噴火”今後100年間で確率約1%” (NHKニュース)

  九州中部で巨大噴火が起きたと仮定すると、火山灰は西日本で50センチ東日本で20センチ、北海道でも場所によって5センチ以上積もると予測されている。日本中に火山灰が降るのだから、九州ではなくても人々の生活は大変なことになる。火山灰によって交通は麻痺し、ライフラインにも支障がでるだろう。農耕地は壊滅的な被害を受けて日本中が飢饉に襲われるに違いない。

  火山灰で太陽光も遮られて寒冷化するだろうから、降灰の少ない北海道でも作物は凶作になる可能性がある。太陽光発電もできなくなる。各地で暴動や略奪が起き、サバイバルゲームのようになるだろう。こうなると国家存亡の危機になるに違いない。さらに原発のコントロールができなくなれば、日本が完全に終わるだけではなく、世界中に放射能をばら撒くことになる。

  そうした大噴火、巨大噴火はごくたまにしか起きないので、今のように人口が増え近代都市が広がってから巨大噴火による被害を受けていないにすぎない。火山噴火に関し平穏な時代に生きている私たちは巨大噴火のことなどすっかり忘れていたに等しい。しかし川内原発の再稼働の審査をめぐって、巨大噴火の危険性が火山の専門家からも指摘されているし、また御嶽山の突然の噴火によって火山噴火に対する危機意識がにわかに高まってきた。

  今は平穏であってもいつかは必ず大噴火、巨大噴火が起きることは間違いない。そして、それがいつなのかは誰にも分からないのだ。「備えあれば憂いなし」と言うが、巨大噴火に関しては多少の備えなど焼け石に水だろう。ということは、私たちは心の片隅で巨大噴火を自覚しつつ、自分の生きている時代にそれが起きないことを願うしかないのだろうか。死傷者を最小限にするために噴火予知の体制づくりをし、いざとなったら命に関わる場所に住んでいる人たちは避難する以外何もできそうにない。

  もっとも、いつ起きるか分からないことに怯えていてもストレスになるだけだから、運を天にまかせ、せめて火山の造り出す美しい景色を楽しみたいとも思う。

  ただし、巨大噴火が起きる前に日本中の原発を廃炉にしておく責任が我々の世代にある。否、巨大噴火だけではなく巨大地震や巨大津波がいつ襲うかも分からないのだから、一刻も早く原発を止めて使用済み核燃料の安全な保管を真剣に考えるべきだ。

写真は3万年前に噴火したとされる大雪山のお鉢平カルデラ。

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2014年10月17日 (金)

北電再値上げの暴挙

 15日、北海道電力の電気料金再値上げが国から認可された。11月1日から値上げが実施されるが、値上げ率は何と15.33%。電力消費量が多い冬場の緩和策として3月までは12.43%に抑えるというが、昨年9月に値上げしてから1年と数カ月で再び値上げ申請するという北電の暴挙に怒りを禁じえない。

 北電は値上げの理由として、泊原発の停止に伴い火力発電所の燃料費が年2千億円増加したとしている。燃料費が増加したのは事実だとしても、これは北海道電力だけの話しではない。2014年4月時点での日本の電力会社の電気料金を比較すると、北海道電力が最も高い。

 電気料金を徹底比較!『日本で一番高い電力会社』はいったいどこ?電気料金ランキング(エネチェンジ)

 原発を持たない沖縄電力より北海道電力の方が高いのに、更なる大幅値上げをするというのだ。火力発電の燃料の価格はどの電力会社でも大きく変わらないだろうから、燃料費の増加だけでは説明がつかない。日本一高い電気料金をとっていながら再度値上げするという本当の理由は、泊原発が不良債権となっているからだ。つまり、泊原発の維持費や安全対策費に膨大なお金をかけているということに他ならない。

 しかし、どれだけの道民が原発に賛同し、原発への依存を望んでいたのだろう? 北電は道民の意見などそっちのけで原発依存を強めていったのだ。

 北海道での原発建設は、一般の道民にほとんど何も知らされないまま、北電と北海道庁、通産省傘下の札幌通産局(限北海道通産局)の三者で進められた。そんな中で原発に懸念を持ち反対をしていた漁師ももちろんいた。泊原発の建設にあたっては反対する人たちと北電との間で壮絶なバトルが繰り広げられたが、最終的には建設へと進んでいったのだ。そして、平穏だった漁業中心の町は分断されてしまった。建設にあたっての経緯は以下の平田剛士さんのルポに詳しい。

漁民解体-岩内郡漁協と原発計画- (青空文庫)

 北電の原発建設は道民の理解を得て進められたわけではないし、むしろ地元反対を押し切り、補償金やさまざまな優遇というアメをばら撒いて勝ち得たとも言えるのだ。そして、北電は原発の依存度をどんどん高めるという方針を取ってきた。

 原発という不良債権は、安全性をないがしろにして原発建設をごり押しし、さらに原発依存を高めるという北電の経営方針から生じたのだから、北電は解体・清算してでも責任を持つべきだと思う。北電の身勝手な原発依存のツケを値上げとして道民に負担させるというのではとても納得いかない。

 泊原発に関しては多くの道民が原告となって廃炉を求める裁判も行われている。泊原発が福島原発のような過酷事故を起こしたなら、その処理や補償にかかる費用は計り知れないし、環境汚染や健康被害はお金で元に戻るわけではない。しかも使用済み燃料の処理や廃炉経費を考えるなら、非常に高い発電だ。日本国民は「原発は安くて安全」という嘘に騙されていただけだ。そんな原発は廃炉にするしかない。

 とりわけ今回の値上げはオール電化住宅の人たちにとっては大きな打撃だ。北電は火力発電を減らして泊原発による発電を増やしてきた。そして、「安全」「クリーン」などと喧伝し、原発でどうしても余ってしまう夜間電力対策としてオール電化住宅を推奨してきた。

 北海道新聞によると、オール電化住宅向けドリーム8契約の標準世帯では現在の年額電気料金は33万1067円だが、来年4月からは41万6177円になるという。年額8万5110円、月額にすると7000円強もの値上げになる。これはたまらないだろう。北電の勧めに従ってオール電化住宅にした人たちは、欺かれたも同然だろう。

 消費税増税に電気料金の大幅値上げは低所得者や年金生活者にとって死活問題とも言える。北海道の場合、自家用車を持たないと生活できない人も多く、燃料費の高騰も生活を圧迫している。さらに来年10月からは消費税の再増税が予定されている。まさに弱い者いじめの国だ。

2014年10月16日 (木)

蜘蛛仙人 八幡明彦さんを偲ぶ

 今年の5月31日、日本蜘蛛学会や東京蜘蛛談話会の会員であった八幡明彦さんが交通事故で亡くなられた。諸事情で蜘蛛学会の大会も欠席していた私は、八幡さんの訃報を最近になって知ったのだが、若く、また突然の悲しい知らせに残念でならない。

 私は八幡さんと親しい間柄だったわけではない。日本蜘蛛学会の大会で何度も顔を合わせているが、彼と親密に話しをした記憶もない。タランチュラを飼育したり、加治木町の蜘蛛合戦に参加するなど、かなりのクモおたくという印象を持っていたが、のちに学術面でも大変熱心な方であることを知った。

 然別湖で行われた東京蜘蛛談話会の観察・採集会の際は、一人で藪に入ってもくもくと捕虫網を振るっていた。そして採集品を管ビンに入れては私のところに持ってきて「これ何ですか?」と尋ねる。よく見ると、それらの多くは小さな幼体のクモだ。幼体だというだけでたいていのクモをすぐに釈放してしまう私は、その熱心さに驚いた。このように一人でもくもくとクモを採集するのは、いつものことらしい。

 また、彼はGIS(地理情報システム)を活用し、全国のイソコモリグモの生息可能海岸の推定も行った。単なる蜘蛛好き、蜘蛛おたくでは決してない。

 そして、八幡さんにはクモ愛好家とは異なるもう一つの顔があった。というのは、彼は東北地方太平洋沖地震の津波の被害を受けた宮城県南三陸町、旧歌津地区でテント小屋暮らしをしながら、蜘滝仙人(くもたきのりと)を名乗りって「歌津てんぐの山学校」を主宰し、復興支援だけではなく被災した子どもたちのためにさまざまな活動をしてきたのだ。

 彼の「歌津てんぐの山学校」のホームページには以下のように書かれている。

≪来歴≫
2011年3月から11月まで東日本大震災の緊急支援ボランティアを行った「RQ市民災害救援センター」の「RQ歌津センター」の活動から誕生した。
津波被害で歌津の「浜」は壊滅したが、同じく壊滅状態の志津川にある町役場からの救援の手は遅れた。ボランティアさえ来ない状況下で、町の人たちは江戸時代からの互助組織「契約会」が中心になって避難所運営をし、山の人が浜に物資を運びこんで自力で生き抜いた。2週間遅れてRQ市民災害支援センターがボランティア組織としては一番に歌津入りし、伊里前地区の契約会の紹介で、その地に土地を借りてテント村のボラセンを設営した。以来、斜面林の人の手でしか片付けられない漂着物の撤去と写真等思い出の品の洗浄、漁師さんの依頼での網のクリーニング作業、半壊した家の片付け作業、避難所や仮設住宅への支援など、しだいに地元の顔の見える関係でのお手伝いをするようになった。
そうした中で、地元に遊び場が作れないかというお母さん方の声を受け、棚田跡地の活用が始まった。夏休みには地元児童対象のサバイバル・キャンプを開催した。子供たちがキャンプ場に来てまず自作する竹のコップは、契約会の男たちが、津波翌日に竹を切って作ったコップを6月に避難所の詰め所を解散するまでずっと大切に名前を書いて使い続けたのを追体験である。このキャンプをきっかけに、毎週土日や長期休暇に子どもたちが集まる新たな遊び場となっていった。

 ボランティアとして被災地に入り、主体的かつ献身的な活動を続けるというのは誰にでもできることではない。八幡さんの尊敬すべきところは、惜しみなく他者のための活動を続ける優しさと行動力だ。地位とかお金とか名誉などとは無縁の活動であり、ここにこそ彼の人柄が滲み出ている。

 彼が地元の人たちから慕われていたことは、以下の記事でよく分かる。

「八幡明彦と共に」ご案内(あちゃあちゃ猪飼野仙人日記)

 長い髭を蓄えた風貌もテント小屋暮らしもまさに仙人だったが、無欲な生き方もまた仙人のようだった。

 あのどこか飄々とした、しかしとても真面目な八幡さんにもう会うことができないとは何とも寂しく悲しいが、心からご冥福をお祈りしたい。

2014年10月13日 (月)

共同出版にそっくりな共訳出版という商法

 新風舎や文芸社が広めたいわゆる「共同出版」商法に関しては、悪質な自費出版としてかなり知れ渡るようになった。共同出版商法は、出版社に所有権や出版権のある本をつくり著者に印税を支払う商業出版の形をとっているが、出版費用は著作者が負担する。著者と本の購入者の双方をお客にするという、出版社に一方的に有利な出版形態だ。

 この商法に勧誘するために、出版社は出版説明会を開いたり、新聞や雑誌などに広告を出したり、さまざまなコンテストを企画するなどあの手この手で著者にアピールするのだ。応募作品に対して褒めちぎった感想を送って著者を舞い上がらせ、「商業出版にはできないが出版する価値がある」などといって有料出版へと勧誘する。売れないことを承知で、流通前提の出版を持ちかけるのだ。詐欺とは言えなくても悪質きわまりない。

 ところで、この共同出版の翻訳バージョン?と思えるような共訳出版なる商法があることを最近知った。株式会社バベルによる「Co-PUB出版オーディション」である。

 バベルは翻訳を手掛けている出版社で、翻訳業界では名が知れている会社らしい。このため、いわゆる共同出版のように一般の人を対象としているわけではなく、翻訳者を目指す者を対象にしている。

 バベルのホームページの「Co-PUB出版オーディション」のページには以下のように書かれている。

「Co-PUBオーディションとは、Co-PUB出版を前提としたオーディションです。

Co-PUB出版にご参加いただくには、一定の翻訳レベルが必要です。
その為に事前に共通課題で審査をします。合格された方は、出版の資格が得られます。

その後、出版費用のお見積もりをお送りします。」

 応募した翻訳志望者が課題文を翻訳して返送すると、会社から評価が送られてくる。そして合格ラインの応募者に対し、有料の翻訳出版を提案するというシステムだ。出版費用の見積もりを送るというのだから、結構な額がかかるのではなかろうか。

 書籍の翻訳をしたなら、翻訳者は本来なら翻訳料をもらう。ところが、このシステムだと翻訳者が出版費用を支払うことになるのだ。1人で翻訳を担当する本もあるようだが、多くは数人が分担で翻訳を担当するようだ。こうすれば、一人当たりが負担する出版費用は低く抑えられるので応募しやすくなるだろう。

 「オーディション」と言うが、実際はどんな審査をしているのか分からない。「合格ライン」というのも不明だ。出版費用を翻訳者が出してくれるのだから、会社は本が売れなくても損失はない。もちろん本の売上金は出版社のものになるのだろう。

 こうしてみると、「共訳出版」なるものは「共同出版」とそっくりの「おいしい商法」という印象を受ける。翻訳家の卵を相手にしているところが違うだけだ。

 バベルは翻訳家の養成もしており、講座を受けて翻訳者を目指す人は少なくないだろう。しかし、この出版不況では翻訳本の販売も苦戦を強いられていることは想像に難くない。翻訳家養成講座を受けたところで、翻訳家として活躍するには実務を積まねばならないだろうし、そう簡単に生計をたてられるわけではないだろう。書籍の翻訳家への道は、素人が考えてもなかなか狭き門なのではないかと思う。そんな中で、翻訳者に出版費用を負担させるような商法が出てきたとしか思えない。

 ちなみに、以下のような記事があった。

翻訳本を出すのはお金がかかる? (アルコムワールド)

 この質問にある共訳出版がバベルかどうかは分からないが、40万円の支払いを求められたそうだ。仮に6人で翻訳を担当するとしたら240万円。高額な費用を請求する共同出版の費用と変わらない。どうも気を付けたほうがよさそうに思える。  また、バベルの翻訳スクールに関しては以下のような情報もある。

 翻訳スクールのバベル(悪徳商法?マニアックス)

2014年10月11日 (土)

マララさんのノーベル賞受賞と勇気

 昨日ノーベル平和賞に17歳のマララ・ユスフザイさんとカイラシュ・サトヤルティさんが決まったとの報道があった。お二人とも女子教育や子どもの抑圧に対する活動が認められての受賞だ。

 お二人の受賞で、女性であるというだけで教育を受けられなかったり、いまだに学校に行くこともできずに苛酷な労働をさせられている子ども達が世界にはたくさんいるという現実を痛感する。

 マララさんは弱冠11歳でタリバンによる女子教育の抑圧についてブログで告発した。昨年7月の誕生日に国連で行った演説では「銃弾が私たちを黙らせると思うのは間違いだ。1冊の本、1本のペンが世界を変えられる」と主張した。胸のすくような勇気ある発言だ。

 この言葉は、アドラー心理学の根幹をなす「勇気」と「教育の大切さ」に重なる。世界を変えるためには一人ひとりの「勇気」が原動力となるのだろうし、適切な教育があれば子ども達が勇気を持てるようになるに違いない。

 マララさんやサトヤルティさんの活動はもちろん賞賛されるべきすばらしいものだ。しかし、彼女や彼のような人たちが世の中を変えてくれるなどと思ってはいけない。それは単なる依存でしかない。世の中を変えるのは私たち一人ひとりの意思と行動力であり、マララさんもサトヤルティさんも、現状を変えようと努力している勇気ある人の一人だ。

 翻って日本はどうなのだろう? 今の時代、学校に行きたくても行けない、あるいは小さなうちから働かなければならないという子どもは皆無に近いだろう。というより、いやいや学校に通っている子どもは少なくないに違いない。「学校に行きたくても行けない」どころか、「学校にいく権利が保障されているが行きたくない」という状況に陥っている。

 学校では教室という閉鎖空間で同調圧力に締め付けられながら過ごさねばならない。自由にふるまうことなどほとんど許されない世界だ。中学・高校ともなれば受験という競争にさらされる。さらに、部活に拘束されて自由時間もろくにない生活を強いられる。これが日本の学校教育の実態だ。

 しかも、教師は教育行政に縛られ、自由に物も言えない。卒業式で「君が代」や「日の丸」を押しつけられても、勇気をもって抵抗する教師はごく少数でしかない。いじめがあっても見て見ぬふり。これでは勇気が持てる子どもが育つのは困難だ。

 誰でも教育を受ける権利が保障されているのに、その教育現場はまるで自由がない監獄のようではないか。この国で子ども達に勇気を持たせるのは本当に難しいとつくづく思う。せめて、教師はアドラー心理学を学んで欲しい。

 私は見ていないが、「世界の果ての通学路」という映画が話題を呼んだ。

世界の果ての通学路 解説 (映画「世界の果ての通学路」公式サイト)
映画「世界の果ての通学路」予告編(YouTube)

 学校に行きたい子ども達は、大変な苦労をものともせずに危険だらけの通学路を通って学校に行く。2時間も走って学校に通うマサイ族の子どもがいることに驚愕する。このような子ども達にとって、学校は決して監獄のようなところではないはずだ。しかし、よく考えてみれば日本もかつては同じような状態だった。一昔前には、北海道ではヒグマに怯えながら何キロもの道のりを歩いて通学していた子どももいたのだ。

 教育さえ受けられるようになればいいというわけではない。教育が子どもを支配する構造になっていれば、そこに自由や人権はないし、子どもの勇気もそがれるだろう。そんな国に明るい未来があるとは思えない。

 同調圧力に屈することのない勇気を持てるような教育こそ意味がある。しかし、残念ながら日本の教育はそれが決定的に欠けている。もし勇気のある国民が増えたなら政府は国民を騙し支配し続けられなくなるから、そうならないよう教育を利用して子どもを支配しようとしているとしか思えない。マララさんの受賞の報を受け、複雑な気持ちになった。

 日本はどんどんおかしな方向へと進んでいる。平和憲法はなし崩しにされ、日米ガイドラインを改訂し、平時であっても自衛隊が米軍に協力できるようにしようとしている。日本政府に必要なのは、米国に支配されない勇気だ。安倍首相はマララさんの爪の垢を煎じて飲んだほうがよさそうだ。

2014年10月 9日 (木)

LEDによる健康被害を報じないマスコミの罪

 日本人3人がLEDの開発でノーベル物理学賞を受賞したことをマスコミは華々しく報じた。それらの報道は、LEDは省エネにつながるとして大歓迎の一辺倒だ。6月にLEDによる健康被害について記事を書いたが、今回のノーベル賞受賞に際し、マスコミはLEDによる健康被害に関しては一切報じない。

 利便性追及は人類を滅ぼす 

 省エネはたしかに評価すべきことだし、LEDの発見や技術開発そのものを否定するつもりはない。しかし、デメリットをまったく報じずに賞賛しかしなければ、LEDはますます推奨されて普及し健康被害がじわじわと広がっていくことになりかねない。

 携帯電話の電磁波問題もマスコミはほとんど報じないが、まったく同じ構図がある。いまやいたるところに携帯電話の基地局があり、電磁波に過敏な人たちは平穏に暮らせる場所を奪われている。子どもも当たり前のように携帯電話やスマホを持つ時代だが、今後の健康被害のことを考えるとこのままではとても危険だとしか思えない。

 ほかにも太陽光発電による健康被害が気になる。太陽光発電の場合、ソーラーパネル自体が電磁波を出すということではないのだが、直流から交流に変換するパワーコンディショナーが電磁波を出す。体質にもよるのだろうが、太陽光発電で健康被害を訴えている人がいる。

 太陽光発電で健康被害 (化学物質過敏症支援センター)

 太陽光発電は、電磁波以外にもさまざまな問題を抱えている。以下の記事に問題点が具体的に説明されているが、ちっともクリーンではない。

危ない太陽光発電 (野菜とお花の自然栽培日記)

 また、オール電化住宅もかなり問題がある。

エコキュート記事、その1(動画のある部分) (安心・安全・信頼を探して(電磁波問題))
エコキュート記事、その2(文字とリンクのみの部分) (安心・安全・信頼を探して(電磁波問題))
エコキュートの低周波音被害~それは耳に聞こえない音による被害~ (安心・安全・信頼を探して(電磁波問題))

 科学技術の発展とともに私たちの暮らしはたしかに便利になった。しかし、それと同時に電磁波や化学物質に次々と晒されるようになったのだ。今の人々は、一昔前とは比べ物にならないくらい大量の電磁波を浴びているのだろう。今は大丈夫と思っても、いつ自分や家族の身に健康被害がふりかかってくるか分からない。原発事故による放射能被害も深刻な問題だが、だからといって省エネ製品や自然エネルギーなら問題ないというわけでは決してない。

 マスコミがLED・携帯電話・太陽光発電などによる健康被害や環境問題をなおざりにしてメリットしか報じないことに、危うさを感じざるを得ない。

【追記】

 電磁波問題を追及されているジャーナリストの黒薮哲哉氏も同様の記事を書かれていることに気づいたので、紹介しておきたい。

 LEDのリスクを提起する視点が欠落、ノーベル物理学賞をめぐるマスコミ報道の盲点(MEDIS KOKUSYO)

 黒薮さんの記事には具体的な研究例が紹介されているので、それらの記事をこちらにも示しておきたい。ブルーカットメガネの効果についても書かれている。

 ブルーライトを発するLED発光ダイオード)が目に影響を及ぼすメカニズムを解明 (岐阜薬科大学)
ブルーライトが忍び寄る(前編)  (大森医師会)
ブルーライトが忍び寄る(後編)  (大森医師会)
眼の専門家に聞く、LEDディスプレイから出る「ブルーライト」は何が悪い? (誠Style)

2014年10月 2日 (木)

故郷の光景(3)岡谷の旧林家住宅

 私の両親は上諏訪に住んでいた頃よく山やスキーに出かけたのだが、幼い私は母方の祖母のところに預けられた。といってもそこは祖母の家ではなく、祖母が住み込みで働いていた家で、上諏訪から二駅目の岡谷にあった。

 大きなお屋敷で土蔵があり、子どもの目にも庶民の家ではないことが分かったが、なぜ祖母がそこにいるのかは幼児の私には分からなかった。そのお屋敷は岡谷駅の近くにあったことは覚えている。「今日は岡谷に行くよ」と言われるとちょっぴり寂しい気がしたが、その大きなお屋敷が嫌ではなかった。両親の山行が日帰りのときは朝に預けられて夕方迎えにきたが、泊まりがけで預けられたこともあった。

 そのお屋敷には部屋がたくさんあり、部屋の周りに長い廊下が続いていた。夕方になるとここで働いているおばさんが廊下のカーテンを閉めて歩く。それが面白くてついて歩いた記憶がある。

 不思議なのは奥に洋間があることだった。洋間には滅多に入れてもらえなかったが、家族がそろった時などにたまに入れてもらえることがあった。そこは絨毯が敷かれて窓には豪華なカーテンがかかり、子どもにとっては別世界だった。ここにはコリントゲームがあり、それを見せてもらうのが楽しみだった。

 そのお屋敷が「旧林家住宅」として国の重要文化財になり、一般に公開されているのを知ったのは9年ほど前のことだったろうか。こんど上諏訪に行ったとき訪れてみようと思いつつ、今までいく機会がなかった。そこで、今年こそはと思って岡谷まで足を運んだ。

 「旧林家住宅」は、林国蔵によって明治40年に建てられたそうだ。諏訪や岡谷は養蚕で栄えた街だが、林家は岡谷の三大製糸家の一人で、この林家の住宅は「シルクと金唐紙の館」と言われている。土蔵を持った立派なお屋敷の由来が、今になってようやく理解できた。

 下の写真は廊下から庭を見たところ。この光景はよく覚えているのだが、子どもの頃はもっとずっと広かったように感じた。今見ると、こんなに狭かったのかと驚いてしまう。

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 林家の特徴は「金唐紙」。和紙で作られた壁紙なのだが、今は金色がかなり色あせている。2階の和室にはこの金唐紙が壁や天井に貼りめぐらされているのだが、こんな部屋があったとは知らなかった。

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 廊下にはクモの巣をかたどった欄間があるのだが、この欄間のことは覚えていない。

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 こちらが洋間。カーペットもカーテンも昔のままだという。

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 こちらは洋館の外観。

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 叔母の話しによると、祖父は生糸の売買をしていたそうだ。しかし若くして夫に先立たれた祖母は、同業者であった林家で働くことになったらしい。

 こうしてなつかしい岡谷の家を訪れてみると、子どもの頃の記憶通りのところもあれば、記憶にないことも多々ある。幼児の記憶とはそんなものなのかもしれない。しかし、「岡谷の家」は私にとってはほとんど記憶の彼方の存在だっただけに、再び訪問できて感慨深いものがある。

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