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2014年9月

2014年9月30日 (火)

御嶽山の噴火は予測不可で済ませるべきではない

 27日の御嶽山の噴火は、多くの登山者が亡くなるという惨事となった。火山噴火予知連の藤井会長は、今回のような水蒸気爆発は予知が困難だと言う。しかし、御嶽山が噴火する可能性が高いと指摘していた人がいた。

 「地震の目」「噴火の目」という独自理論を展開している木村政昭氏は、「富士山大噴火!」(宝島社)、や「東海地震も関東大地震も起きない!」(宝島社)で、東北地方太平洋沖地震のあとに噴火する可能性の高い火山について言及している。これらの本で木村氏は、本州で少なくとも3つの火山の噴火が予想されるとし、富士山(2011年±4年)、浅間山(2012年±4年)、御嶽山(2013年±4年)と予測している。

 木村氏の理論は具体的な発生年月を特定するようなものではないが、巨大地震と関連づけて噴火の可能性が高いことを指摘しているという意味では注目に値する。

 気象庁は「火山の状況に関する解説情報」を発表している。御嶽山の場合、噴火前の9月11日、12日、16日に火山性地震が増えており、「地震活動が活発になっていることから、火山活動の推移に注意してください」と注意喚起していた。しかし、この情報は気象庁のホームページに掲載されているだけだ。

火山の状況に関する解説情報の発表状況 御嶽山2014年(気象庁)

 読売新聞の以下の報道もある。

 御嶽山での火山性地震に水蒸気爆発のシグナル(読売新聞)

 火山性の地震の増加が見られたが、気象庁は直ちに噴火につながるとは考えずに噴火警戒レベルを引き上げることはしなかった。地震が増えても噴火しない場合もあることを考えると、地震の回数だけで噴火警戒レベルを上げることにはならないというのは分からなくもない。しかし、噴火警戒レベルを上げるには至らないということと、登山者などに火山性地震が増えているという情報を知らせるかどうかは別問題だ。

 現代の科学では地震や噴火は予知できないという人は多い。たしかに具体的な日時まで予測することはできないだろう。しかし地震に関していうなら、地震の前に地震雲が出現したり、ラドン濃度や地下水位に変化が見られるということは認められている。動物の異常行動なども昔から知られている。日時の予測はできなくても、前兆といえるものがあるのは確かだと思う。

 火山の噴火においても、注意深く観察していれば、火口からの水蒸気の噴出量の変化や硫黄臭などの強さ、いつもと違う微振動などといった変化があることが多いのではなかろうか。特に、山頂近くに山小屋があり登山者も多い山では、そうした変化は把握しやすいと思われる。

 地震の増加だけでは噴火は予知できないとしても、木村氏の予測、地震の増加、その他の変化を重ね合わせることで、少なくとも警戒する状態だったと言えるのではなかろうか。「噴火は予測できない」と言って済ませてしまうのは、すんなりとは納得できない。

 確実な噴火予知はできないとしても、火山性地震の増加という事実を登山者に知らせることは難しくない。たとえば気象庁など地震情報を把握している機関と観光業者が連携し、ロープーウェイの駅や登山口に地震が増えていることを掲示するようなことは簡単にできる。昨今は山の上でも電話が使えるのだから、山小屋に同様の注意喚起する掲示を出してもらうこともできるだろう。私なら、火山性地震が増えていることを知っていたなら登らないと思う。登山者に情報提供して注意喚起することが無意味とは思えない。

 今回の噴火で、私は御嶽山の山小屋の多さを初めて知った。気象庁が火山性地震の増加だけで噴火警戒レベルを上げたり注意喚起に踏み切れない背景には、観光業者への配慮があるように思えてならない。とくに噴火警戒レベルを上げて立入規制したなら、ロープーウェイや山小屋への経済的影響は避けられない。しかし経済的損失に気をつかっているのであれば、防災の観点からすれば本末転倒だ。山小屋もロープーウェイも危険であることを知りながら営業していると考えるべきだ。

 木村政昭氏は御嶽山の他に、富士山と浅間山の噴火も予測しており、3つの火山のうち浅間山が一番大きなエネルギーを蓄積していると思われるとしている。また富士山に関しては5つの兆候を挙げて警告している。島村英紀氏も富士山は山体膨張が進んでいて2006年からは加速していると指摘しているほか、噴火前に前兆があるかどうかも分からないとしている。

「富士山噴火しない」はあり得ない 前兆なしに噴火するケースも (夕刊フジ)

 富士山も浅間山も噴火の可能性が高いという認識のもとに、十分な警戒と防災の準備が必要だと思う。

 もちろん、たとえ噴火の予知があるていど可能であるとしても、原発が巨大噴火に対処できるなどということはあり得ないだろう。降灰によって電源喪失することもあり得るだろうし、原発に保管されている核燃料を速やかに安全なところに搬出できるとも思えない。過去に巨大地震や巨大津波、巨大噴火に繰り返し襲われてきた日本において、巨大地震も巨大津波も巨大噴火も決して想定外のできごとではない。

 御嶽山の噴火は、原子力をコントロールできると思っている傲慢な人間への自然からの警告と受け止めるべきだ。

2014年9月28日 (日)

汚染を拡大させる除染土の全国処分

 今日のNHKニュースで以下の報道があった。

 除染で出た土「最終処分」法案まとまる(NHKニュース)

福島県内の除染で出た土などを保管する中間貯蔵施設について、政府は、保管を始めてから30年以内に福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を取ることを定めた法案をまとめました。
今後、法案を閣議決定したうえで今月29日に召集される臨時国会に提出する方針です。

政府は、中間貯蔵施設で保管する除染で出た土などについて、保管を始めてから30年以内に福島県外で最終処分を完了する方針で、地元の要望を受けて、こうした内容を定めた法律の改正案をまとめました。
具体的には、有害物質のPCB=ポリ塩化ビフェニルの処理を行う国の特殊会社について定めた法律を改正し、この会社が中間貯蔵施設に関する事業を行うとしています。
そして、国の責務として中間貯蔵施設を整備し安全を確保するとともに、保管を始めてから30年以内に福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を取るとしています。
また、土などに含まれる放射性物質の濃度を低くしたり再生利用したりする技術開発などの状況を踏まえ、最終処分の方法を検討するとしています。
政府は、改正案を閣議決定したうえで今月29日に招集される臨時国会に提出する方針で、今後、最終処分に向けた具体策を早期に示すことができるかが課題となります。

 ツイッターでも、PCBの処理を行う会社が全国で除染土の処理を行うという情報が拡散されていたが、その根拠はこの法案だろう。

 この法案は29日、つまり明日の臨時国会に提出される予定とのこと。この法案が通れば、福島で保管されている大量の汚染土が全国で処理され、再利用した製品が出回ることになると推測される。いくら放射性物質の濃度を低くする処理をするからといっても完全に除去できるわけではないだろうし、セシウム以外にもストロンチウムやプルトニウムなどが含まれているだろう。

 ニュース記事では「30年以内に福島県外で最終処分を完了するために必要な措置をとる」となっている。気をつけねばならないのは、あくまでも「30年以内」ということだ。来年でも再来年でも30年以内だから、法案が成立すればすぐにでも県外での処理が始まる可能性があるのではなかろうか。

 除染土は増える一方だろうし、土を入れている袋も劣化してきている。不法投棄も問題になっている。福島県としては少しでも早く汚染土を処分したいと思っているに違いない。

 しかし、放射性物質を全国に拡散させるというやり方はとても容認できない。放射性物質は閉じ込めるのが原則であり、拡散させるという国の方針は明らかに原則に反している。この法案を通さないように声を上げるべきだと思う。

 そもそも、いくら除染しても放射性物質を取り除くことはできない。チェルノブイリでは穴を掘って汚染された家を埋めてしまったところもある。除染の限界を認識するべきだ。

2014年9月26日 (金)

故郷の光景(2)霧ヶ峰とクヌルプヒュッテ

 かつて上諏訪に住んでいた私の両親にとって、霧ヶ峰は何度行ったかわからない場所だろう。とりわけ若い頃から山やスキーが大好きだった父は、バス一本で行ける霧ヶ峰に頻繁に出かけた。母が霧ヶ峰で赤ん坊の私を背負っている写真もある。霧ヶ峰は私の両親にとって、自分の庭のような存在だった。

 東京に引っ越してからも、霧ヶ峰には時々行った。強清水(こわしみず)のスキー場でスキーをしたこともよく覚えている。強清水には父が勤めていた会社の宿泊施設があり、そこに泊まっては1基のリフトしかない猫の額のようなスキー場でスキーを楽しんだ。当時は今のようにリフトに頼るスキーではなく、歩いて登って(階段登行)は滑るということを繰り返していた。良い防寒具もないあの時代、きっとずいぶん寒かったのだろうが、不思議なことに寒かったという記憶はない。

 宿の窓から、雪を被った木々や、そこに時折訪れる小鳥(たぶんカラ類だったのだろう)を眺めたり、赤々と燃える食堂の薪ストーブで暖をとった記憶も蘇ってくる。あまりの静けさに耳鳴りがしたものだ。しかし、それが何歳くらいの頃だったのか、しかとした記憶がない。

 ニッコウキスゲが高原を黄色に染める7月、クヌルプヒュッテの裏から蝶々深山の方に登ったことがある。あの頃は道がなく獣のように草原を漕いで歩いたが、歩道にロープが張られた今ではとてもそんなことはできない。高原にはヒョウモンチョウやクジャクチョウが無数に舞い、ときおり憧れのキベリタテハも頭の上をかすめるように飛んでいた。8月の高原は赤とんぼ(アキアカネ)の大群が空を埋め、晩夏の高原は薄紫のマツムシソウに彩られる。高原はすばらしく魅力的な世界だった。

 父が亡くなってからは、母と上諏訪にお墓参りに行く度に霧ヶ峰に行った。いつもマツムシソウの咲く季節だ。父が「自分の山」と呼んだ殿城山にも二人で行った。母が亡くなりそんな山行も今は思い出となってしまった。

 今年は車山肩までバスで行き、車山湿原を回って常宿である沢渡(さわたり)のクヌルプヒュッテに泊まった。車山肩のコロボックルヒュッテも、なつかしい山小屋だ。この小屋を建てられた手塚宗求さんは一昨年亡くなられ、今は息子さんが継いでいる。下の写真は、車山肩の遊歩道から見た蝶々深山。なだらかな斜面と湿原の光景は霧ヶ峰を代表する風景だ。

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 こちらは車山湿原。

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 今ではコロボックルヒュッテやクヌルプヒュッテは車でも行けるようになってしまったが、強清水から歩かなければ行けなかったあの頃は、人里離れた別世界だった。とりわけクヌルプヒュッテは、今もほとんど変わっていない。ヒュッテの中に入ると、タイムマシンで昔に戻ったような感覚に襲われる。

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 手彫りを施した家具、食堂のテーブル、薪ストーブ・・・。どれも昔のままで懐かしい。以前はランプだったが後に自家発電になり、今は電気がきている。そんな変化はあるが、小屋に漂う落ち着いた雰囲気とぬくもりは昔とちっとも変っていない。

 変わったものといえば、クヌルプから見える光景。子どもの頃は向かいの車山肩にあるコロボックルヒュッテがよく見えた。しかし、今は小屋の前のヨーロッパトウヒなどが生長して見えなくなっている。木々の生長が、歳月の流れを感じさせる。

 クヌルプヒュッテを経営するのは松浦さんご夫妻と息子さん。この山小屋を建てた松浦さんはご高齢だが、お元気で働いておられた。できればこの小屋が末長く続いてほしいと願わずにはいられない。

 クヌルプに泊まったら必ず行くのが八島湿原だ。今は湿原の周りを木道が一周しているが、昔はもちろん木道などなく、沼の畔まで行くことができた。昨今はシカの食害がひどくなってきたそうで、湿原がすっぽりと柵で囲われていた。

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 霧ヶ峰に草原が広がっているのは、実は長年にわたって人為的に管理されてきたことが関係している。霧ヶ峰の大半は民有地(地元の複数の牧野組合が所有)で、かつては放牧、火入れ、採草が行われていた。父が撮影した昔の霧ヶ峰の写真には、大鎌で刈った草を荷馬車で運んでいる風景を撮ったものが何枚かある。採草が行われなくなってからは、徐々に草原が衰退している。

 クヌルプヒュッテがある沢渡周辺にはミズナラの樹叢がある。人為的な管理が行われる前は、霧ヶ峰高原はこのような森林に覆われていたのかもしれない。

 霧ヶ峰の光景も時代とともに変わっている。自然のままに任せるのがいいのか、人が管理して草原を維持するのがいいのか、判断は難しい。しかし、私の記憶の中の霧ヶ峰はやはりニッコウキスゲの咲き乱れる高原であり、マツムシソウが風に揺れる清々しい高原だ。

2014年9月24日 (水)

故郷の光景(1)上諏訪

 今年の夏、何年かぶりに生まれ故郷の上諏訪に行った。今までは上諏訪に行くといえば、いつも母と一緒だった。しかし、その母はもういない。今回は母の法要と納骨のために久しぶりに故郷を訪れたのだ。

 私が上諏訪にいたのは幼児期までなので、上諏訪の記憶は断片的でおぼろげでしかない。もちろん、60年近く経った上諏訪の街は、私が住んでいた頃とはすっかり変わってしまっている。しかし、駅前の商店街は子どものころの名残が色濃く漂っているし、狭い路地は昔のままだ。故郷というのは旅行でたまたま訪れた場所とは違い、それだけで言葉に言い表せない懐かしさがある。

 父も母も、今はなつかしい霧ヶ峰の麓である上諏訪のお墓で眠っている。父は江戸っ子だが、二人が出会ったのは上諏訪だ。ここを拠点に霧ヶ峰をはじめとした信州の山々に行ったはずだ。その後、上諏訪から都会に出てきたものの、最後は二人が出会った上諏訪に戻ってきた。それで良かったのだろうと思う。

 私が幼児期に住んでいたのは、湯の脇というところだ。中央線の踏み切りからそれほど遠くない場所で、近くに温泉があった。その場所がどうなっているのかと思って行ってみたのだが、なんと住んでいた家は今も残っていた。外壁は張り替えられていたが、たぶん間違いない。下の写真はかつて私が住んでいた湯の脇の通り。あの頃の家の大半は建て替えられているのだろうけれど、路地に入ると昔の雰囲気が少しだけ残っている。
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 上諏訪の駅を出ると、正面に壁のように段丘崖がそそり立っている。高島小学校や上諏訪中学校は市街地から階段を上った段丘上にあるのだが、この段丘は断層であると最近知った。叔母の話しによると、昭和東南海地震のとき、上諏訪はものすごく揺れたそうだ。

 それで調べてみたら、中央構造線と糸魚川-静岡構造線は諏訪湖で交わっており、上諏訪はフォッサマグナの西端に位置していることを知った。上諏訪の街は活断層の直下にあるのだ。東南海地震で大きく揺れるのはそのためだろう。そう知ってしまうと、なんだか怖いところに住んでいたのだと思えてくる。

諏訪湖での中央構造線のくいちがい(大鹿村中央構造線博物館)

 下の写真は、郵便局の横から高島小学校・上諏訪中学校に登る石の階段。子どもの頃の記憶ではもっと広かったと思うのだが、今行ってみると、ずいぶん狭い。
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 こちらは石段を登った奥にある手長神社。神社だけは今も大木がうっそうと茂り、昔とほとんど変わらない。私の幼少時にはここにフクロウが棲みついていたそうだが、今はもういないのだろう。私が生まれた時は、湯の脇ではなくこの近くに住んでいたそうだ。今も近くに叔母が住んでいて、このあたりはとても懐かしい。
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 諏訪湖畔の風景もすっかり変わってしまった。かつては夏になると両親が湖畔にホタルを見にでかけたという。冬になると諏訪湖は全面結氷して御神渡りができ、スケートもしたというが、昨今は全面結氷することも少なくなったらしい。今は公園や遊歩道ができ、昔の面影は見る影もない。湖畔の芝生は花火大会の見物のために、ロープで仕切られていた。あんなに静かだった湖畔はもうどこにもなく、湖岸の道は車が行き交い、遊歩道も観光客や散歩の人で賑やかだ。上諏訪にこれほど観光客が訪れるようになるとは夢にも思っていなかった。 P10509394


 子どもの頃、段丘の上にある叔母の家から諏訪湖を見下ろすと、市街地のはずれには緑の水田が広がっていたという記憶がうっすらとある。でも、今は緑がほとんど見えない。60年という歳月は景色を一変させてしまうものだとつくづく思う。

 原発事故によって、福島の人たちは故郷を奪われた。かけがえのない故郷を奪われるということがどういうことなのか、故郷の地を訪れることで少しは理解できたような気がする。

2014年9月21日 (日)

青い小花が涼しげなチシマセンブリ

 十勝の海岸ではチシマセンブリが見られる。チシマセンブリは4弁の青い小さな花を咲かせる愛らしい植物だ。ところが、場所によってずいぶん感じが異なる。下の写真は浜大樹のチシマセンブリ。花の色は水色で、花も草丈も10センチくらいしかない。確か、然別火山群の東ヌプカウシヌプリで見たチシマセンブリも、こんな感じだった。

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 こちらは十勝太や豊北原生花園のチシマセンブリ。花は大きく紫がかった青色で、草丈も20センチ前後ある。
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 地理的に大きく離れているわけではないのに、場所によってこれほどにまで形態が異なっている植物はそれほど多くないのではなかろうか。知らなかったら別種だと勘違いしそうだ。

 こうした違いは生育場所の環境からくるのだろうか? 見た目には同じような環境としか思えないのだが、ここまで形態が違うのはちょっと不思議だ。

 豊北原生花園にはガンコウランの広大な生育地があり、コケモモやハナゴケなどもある。なんだか高山に来たような気分になる。
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 しかし残念ながら、盗掘をする人がいる。下の写真のように、ガンコウランの群落の中に植物を掘り取ったと思われる穴がポッカリと開いていた。
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 一部の植物愛好家による盗掘だと思うのだが、私はこういう人たちが真の植物愛好家だとは思わない。単なる山野草マニアで、所有欲が強い自己中の人間だ。ほんとうの植物愛好家ならありのままの自然を大切にするし、生物多様性の保全に逆行したり、絶滅に加担するような行為はしないに違いない。

2014年9月19日 (金)

道路脇に生きるエゾマツムシソウ

 先日、浜大樹の海岸のエゾマツムシソウのことを書いたが、北海道のエゾマツムシソウの分布東限のことが気になって、再び十勝の海岸に出かけた。

 ネット情報によると晩成温泉のあたりには間違いなくあるのだが、それより東での情報が出てこない。晩成以東には分布していないのだろうか? そう思ってまず行ったのが十勝太(浦幌十勝川の河口)だ。ここは河口の左岸に海食崖が続いており、台地の上にはガンコウランの群落もある。浜大樹と似た環境があり、エゾマツムシソウが生育していてもおかしくない。海食崖の上を昆布刈石方面に向かってしばらく進んだが、残念ながら見つけることはできなかった。

 台地の下の河口部も覗いたが、ここも海浜植物ばかりでありそうにない。ついでに豊北原生花園にも行ってみた。ここにはガンコウランの広大な群落があり、コケモモやハナゴケもある。しかし、目を凝らして薄紫の花を探したが見つけることはできなかった。

 そこで、晩成に向かった。まず晩成の海岸に降りて下から台地の縁を見上げたが、エゾマツムシソウの薄紫の花は確認できない。温泉のある台地上にもどって生花苗沼方面へと道を進むと、舗装道路の脇にエゾマツムシソウが咲いている。道路脇にはコハマギクやエゾフウロもある。

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 生花苗沼は、海岸に沿って沼の一部が南西に細長く伸びている。エゾマツムシソウはその海食崖の縁にもあるのだが、人為的な環境である道路脇にも広がっているのだ。

 生花苗沼から引き返し、ホロカヤントウ沼も覗いてみた。以前来た時にはあったキャンプ場の小さな小屋と炊事棟がなくなっていた。海岸浸食が進み、取り壊したのだろう。ここの砂洲にもガンコウランの群落があるが、そこにはエゾマツムシソウは見られない。エゾマツムシソウがあるのは、やはり道路脇だった。

 エゾマツムシソウは海岸の砂地では生育できないようだ。海食崖の上や、ある程度安定した崖地に生育している。また草丈の低いエゾマツムシソウは、高茎草本が繁るところでは生きてはいけない。ササなどが繁茂しているところには生育できないが、草丈の低いガンコウランなどとなら共生できる。こうした限られた条件下で生き続けてきた植物と言えそうだ。

 道路脇は道路管理者によって草刈りが行われているのだが、この草刈りがエゾマツムシソウの生育を可能にしているのだ。もし草刈りをしなくなったら、高茎植物が繁茂して道エゾマツムシソウは消えてしまうだろう。

 さて、生花苗沼の南部にまでエゾマツムシソウが分布していることは分かった。しかし生花苗沼以東にも海食崖はあるので、ここが東限だと言い切ることはできない。

2014年9月17日 (水)

異常気象で危険が増大している首都圏

 守田敏也さんが東京新聞の記事を元に非常に重要な指摘をされていたので、紹介したい。

東京は世界一危ない都市・・・警鐘「首都沈没」(東京新聞より) (明日に向けて)

 簡単に言ってしまうと、関東平野は山に囲まれ東京湾に向かって緩く傾斜しているので、堤防が決壊したら首都圏は大洪水に見舞われ、日本は機能を失うというのだ。

 3.11以来、首都圏を襲う大地震や大津波の危険性、あるいは富士山噴火による降灰の被害などについてはしばしば報道されてきた。しかし、堤防の破堤による洪水被害に関しては、ほとんど知られていないのではなかろうか。

 守田さんも指摘しているように、江戸時代の治水は堤防の間に水を閉じ込めるのではなく、意図的に堤防から溢れさせることで決壊を防ぐというものだった。霞堤も同じような考え方だ。そして、溢れたときには防水林によって水の勢いを落とすという仕組みが造られていた。昔の日本人は自然の摂理に逆らわない治水をしていたのだ。

 ところが、ヨーロッパで発達した土木技術を導入したことでこうした優れた治水は廃れ、堤防とダムで水を抑え込む治水工事が進められてしまった。その結果、破堤した場合はとんでもない被害が生じるようになったのだ。ヨーロッパでは封じ込める治水が誤りであったことを認め、かつて日本で行われていたような「溢れさせる治水」に方向転換している。

 ところが日本の役所というのは、自分たちの過ちを決して認めようとはしない。だから、河川管理者は相変わらずダムだ、堤防だといって水を封じ込める治水にこだわり続けている。欧米では実行できていることが、日本ではできない。否、分かっていてもしようとしないのだ。

 昨今は地球温暖化で異常気象が激増していると言われている。毎年のように各地でゲリラ豪雨と呼ばれる集中豪雨があり、土砂災害や洪水被害で大きな被害が出ている。かつてのように「溢れされる治水」を維持していれば、洪水で浸水するところは居住地にできるわけがない。しかし「封じ込める治水」へと転換したために、洪水被害のことなど頭から消え去り、川のすぐ近くも宅地にしてしまった。「封じ込める治水」が洪水被害のリスクを大きくしているのだ。

 洪水に対してもっとも高いリスクを抱えているのが首都圏ということになる。本来東京湾に注いでいた利根川を大改修して大量の水を堤防で封じ込めているために、万一堤防が決壊したなら、大量の水が東京湾に向かって、すなわち首都圏に向かって流れ込むことになる。それが首都東京の置かれている状況だ。

 集中豪雨で洪水被害が出るたびに、相変わらず「堤防の強化やかさ上げ」「ダムによる治水」を声高に主張する人がいる。しかし、堤防もダムも限界があり想定外の大雨には対処できない。3.11の大津波には巨大防潮堤が役に立たなかったように・・・。

 いいかげんに「水を封じ込める治水」を転換していく必要があるだろう。とは言っても危険な地域に住む人たちをすぐに移住させることなど不可能だ。ならば今抱えている危険な状況を多くの人に知ってもらうために、堤防決壊のハザードマップを住民に配布すべきだ。あとは各自でできる対策(記事ではライフジャケットやペットボトルなどの用意を勧めている)をするしかない。

 それにしても、河川管理者はこういうリスクについて分かっているに違いない。にも関わらず首都圏の人には知らせない。この国がいかに国民の命をないがしろにしているかが分かる。

2014年9月15日 (月)

海岸に咲くエゾマツムシソウ

 14日は、浜大樹の海岸で行われた植物観察会に参加した。この日の私の最大の目的はエゾマツムシソウだった。

 十勝の海岸部は春から夏にかけては何回か行っているのだが、よく考えてみたら秋にはほとんど行ったことがない。エゾマツムシソウは、花の時期に行かなければまず気がつかない。

 私の故郷は信州の上諏訪で、霧ヶ峰には子どものころから何度となく行っている。その霧ヶ峰を代表する花といえば7月に高原を黄色く染めるニッコウキスゲと8月から9月にかけて藤色の花を咲かせるマツムシソウだろう。涼風の立ち始めた初秋の草原に咲き乱れるマツムシソウの花は、どことなく寂しげで哀愁を誘う。父の命日の頃はちょうどマツムシソウが盛りを迎える。父が亡くなってからは母と何度か霧ヶ峰を訪れたが、いつもマツムシソウの季節だ。その母も今年他界した。マツムシソウを見るとさまざまな思いが蘇る。

 北海道にはエゾマツムシソウがあるのだが、実は信州のマツムシソウとはずいぶん趣が異なる。信州のマツムシソウは、草丈が50センチから90センチほどになる。それに対して、エゾマツムシソウはずっと小さく、今回見たものはせいぜい15センチくらいしかない。風の強い海岸の地べたにしがみつくように生えている。色も信州のものより幾分濃い藤色だ。

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 海岸といっても砂浜に生育しているわけではない。海食崖の上の草地に生育しているのだが、ガンコウランの群落にも入り込んでいる。ガンコウランとエゾマツムシソウが一緒に見られるのは、北海道の一部の海岸だけではなかろうか。

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 エゾマツムシソウは思っていたより沢山あり、そのちょっと不思議な光景を堪能することができた。カシワの海岸林と海食崖の間の僅かな草地にしか生育できないようだが、海食崖の浸食が進んだり、ササが繁茂したら生育地がなくなってしまうのではないかと心配になる。

 いつまでも可憐な姿を絶やさずにいてほしいと思う。

***

こちらはマツムシソウが出てくる父の随筆と詩。

http://yamanobanka.sapolog.com/e76031.html
http://yamanobanka.sapolog.com/e76052.html

http://yamanobanka.sapolog.com/e76053.html

 

2014年9月13日 (土)

不可解なデング熱対策

 マスコミでは、代々木公園やその周辺で蚊に刺されたことによるデング熱の発症が報じられている。そして、代々木公園では大々的に薬剤散布が行われた。もしかしたら、病気を媒介する蚊を殺虫剤で殺すのは当たり前だと思っている人も少なくないのかもしれない。

 しかし、殺虫剤という化学物質をそんなに安易に散布することに驚いてしまう。薬剤散布は蚊だけを殺すわけではない。ほかの昆虫やクモなども殺してしまうだろうし、食物連鎖を通じて野鳥などにも影響を与えるだろう。あまりに安直な行為だ。

 そう思っていたら、松田道生さんのこんな記事を見つけた。

『朝の小鳥』10月放送分、スタジオ収録-話しはデング熱(syrinxブログ編)

 松田さんによると、NHKの職員だけでも千人単位の人が代々木公園を往復しているそうだ。それで発症したのはたった2人。1日、万単位の通行人がある代々木公園でも、デング熱を発症する人はごくごく少数ということだ。ところがマスコミはそういうことは全く報じない。

 さらに、最近では代々木公園以外で蚊に刺されてデング熱を発症した事例が出てきた。ことの経過を見ていれば、代々木公園以外でもウイルスを持った蚊が出現するのは当然予測できる。マスコミがこうして騒ぎ立てれば、代々木公園だけに薬剤散布するだけでは済まなくなる。疑いのある場所で薬剤散布ということになれば、街中に大量の殺虫剤をばら撒くことになる。果たしてそういう対策が最善なのだろうか?

 土砂災害が発生すれば、すぐに砂防ダム整備が必要だといい、堤防から水が溢れれば、ダムによる治水が必要だといい、津波で被害が出れば、防潮堤を造る必要があるという。この国では、なんでもこうした土木工事による対策が叫ばれる。しかし、自然は災害は土木工事だけでコントロールできるものではない。

 そして、その陰にあるのは、土木工事で利益を得る人たち。必ず、利権が絡んでいる。デング熱に関しても似たようなことが言えるのではないかと思っていたら、山本節子さんがやはり医療産業や化学工業ビジネスの思惑があるのではないかと指摘していた。

代々木公園が閉鎖されたわけ(WONDERFUL WORLD)
デング熱騒動でウハウハ? 農薬業界(WONDERFUL WORLD)

 私は陰謀論者ではない。しかし建設業界と同じように医療業界や農薬業界にも利権があることは間違いない。だから、こうした疑問が出されるのは当然だとも思う。

 医薬品を全否定するつもりはないが、医療業界は薬品業界と密接に繋がっており、そこに大きな利権構造があるのは明らかだ。だから、医者はがん患者に抗がん剤を当たり前のように処方するが、医者の大半は自分ががんになっても抗がん剤は使わないという。効果がほとんどなく副作用が大きいことを十分に知っているからだ。

 医療のタブー!なぜ“寿命を縮める”抗がん剤は使われるのか? (Business Journal)

 こんな矛盾したことをやっている裏には、製薬会社が抗がん剤を大きな収益源にしているという実態がある。もちろん病院などの医療機関も製薬会社とべったりの関係になっている。

 そもそもデング熱は熱帯地域ではありふれた感染症で、重症化することはそれほど多くはないし、2回目以降の感染で重症化しやすいという。また、人から人へは感染しない。ならば過剰に神経質になったり、広範囲に殺虫剤を散布して蚊の退治をしなければならないような恐ろしい病気とは言えないだろう。以下参照。

【インタビュー】デング熱について総合感染症科の具先生に聞きました(東北大学病院)

 それにも関わらず、デング熱が危険だと煽り農薬を大量散布する。背景に何があるのだろうかと疑ってかかることも必要だろう。

2014年9月12日 (金)

原子力推進派に騙されてはならない(その2)

 遠藤順子医師による講演会がYouTuboにアップされている。

遠藤順子20140803家族を放射能から守るために~国際原子力組織の動きと内部被曝  

 私は遠藤医師については全く知らなかったのだが、実に重要な問題点を指摘しており、多くの人に広めてもらいたい動画だ。講演自体は1時間ほどなので視聴されることをお勧めするが、重要な点について簡単に紹介しておきたい。

 講演で語られているのは以下について。
1国際原子力組織の福島後の動き
2チェルノブイリで何が起こってきたか
3内部被曝による細胞損傷の機序
4「放射性セシウムは安全」論への反論
5食品の放射線基準の考え方について

 冒頭の「国際原子力組織の福島後の動き」だけでも視聴に値する。特筆すべきは、IAEAについての以下の指摘だろう。

1996年4月IAEAの会議(ウィーン)「チェルノブイリ事故から10年」
「再び事故が起こるのは避けられない」として、そのとき取るべき方策も話し合われた。

「次回の原発事故にあたっては、人々を避難させず、情報をきちんと統制すること」

 福島の事故を顧みれば、事故当初からまさにこの方針が貫かれている。だから、SPEEDIの情報は隠され、関東地方にプルームが襲ったときも屋内退避の指示すらしなかった。そして御用学者に「福島の事故程度では健康被害は起きず、体調不良はストレスによるもの」という発言をさせ、除染することで汚染地に住民を帰還させるというのが政府の方針だ。IAEAが主導し日本政府はそれに従っているということだ。

 また遠藤医師は、最近の国際機関側の人物の以下の発言を紹介している。

「(情報統制のことだが)チェルノブイリは失敗したが、フクシマはうまく行った・・・」

 この発言からも、福島の事故においてはIAEAの方針通りに進められていることが裏付けられる。原子力推進派に不都合な事実は、まず隠蔽されていると思ったほうがいい。

 遠藤医師は元ICRP科学事務局長Jack Valentin博士の以下の告白も紹介している。

「内部被曝による被曝は数百倍も過小評価されている可能性があるため、ICRPモデルを原発事故に使用することはもはやできない。体制側にある放射線防護機関は、チェルノブイリのリスクモデルを見ておらず、誤った評価をしている」(2009)

 内部告発だから信ぴょう性は高い。ICRPも自分たちの理論が正しくなく、著しい過小評価をしていることを分かっているはずだ。しかし、原発を推進するためにはその誤ったモデルを主張し日本国民を騙しつづける必要がある。

 原発事故直後から、福島の事故がチェルノブイリに匹敵する惨事であり被曝による健康被害に警鐘を鳴らす人たちがネット等で発言していた。クリス・バズビー氏然り、アー二―・ガンダーセン氏然り。日本でも矢ヶ崎克馬氏などが被曝の危険性について積極的に発言をしていた。ところが、インターネットが発達して誰もが簡単に情報を手に入れられる時代になったにも関わらず、私たち日本人の多くはこうした警告に耳を傾けることなく、マスコミを通じて政府や原子力関係者、御用学者の垂れ流す情報に洗脳されている。

 さらにネット上では「工作員」と呼ばれるような人たちが跋扈し、原子力推進派に不利な情報の統制に躍起となっている。私自身は、未だに海へ大気へと垂れ流されつづける放射性物質のことを考えると、福島の事故の規模はとっくにチェルノブイリを超えていると思っている。しかも制御不能状態。それを政府は必死に隠しているに違いない。

 故郷に愛着を持つのはごく自然なことであり、誰しもが仕事や故郷を簡単に捨て去る気にはなれない。御用学者達の「大きな健康被害は起きないだろう」という言葉を信じたい気持ちになるのは分からなくもない。しかし、原子力推進派はこうした住民の気持ちを利用し、彼らを欺いているのだ。

 遠藤医師は、内部被曝のしくみについても最新の研究を紹介して詳しく説明している。もちろん原発推進派はこうしたことも知っているだろうが、無視を貫いている。

 すぐに頭に浮かぶだけでも、遠藤医師のほかに菅谷昭医師、小野俊一医師、西尾正道医師、高岡滋医師、三田茂医師、きむらとも医師、松江寛人医師、安藤御史医師などが原発事故による被ばくの危険性に警鐘を鳴らしている(もちろん他にも同様の主張をしている医師は何人もいるだろう)。片や、原子力推進派を擁護するかのような発言を繰り返している医師もいる。ここに医師としての矜持、姿勢がはっきりと表れている。

 原発の過酷事故は福島が最後ではない。IAEAはもちろん今後も原発事故があることを想定しているだろう。それでも原発を推進するのだ。自分たちの利益のために。しかし、原発事故のリスクが最も高い国といえば、間違いなく繰り返し大地震・大津波・火山噴火に見舞われてきた日本だ。こんな危険な国である以上、原発は廃止するしかない。

 原爆を落とされ、福島の原発事故を体験した日本国民が原発反対を貫くことをせずして、誰が原発災害という人災を阻止することができるのだろうか。推進派に騙されていてはならないのだ。

 日本では、チェルノブイリの原発事故で被災した子ども達の保養活動が行われていた。そうしたグループが発行した「私たちの涙で雪だるまがとけた」という本がある。ネットでも公開されているので読んでほしいのだが、これが原発事故による健康被害の実態だ。なんの責任もない子ども達がまっさきに犠牲者になる。

 私たちの涙で雪だるまが溶けた 子どもたちのチェルノブイリ 

原子力推進派に騙されてはならない(その1)

2014年9月11日 (木)

原子力推進派に騙されてはならない(その1)

 今日で東日本大震災および福島の原発事故から3年半になる。地震のあと、福島第一原発は次々と爆発を起こした。あの爆発の映像を見たときは、ほんとうに気が遠くなるような思いだった。とうとう日本もチェルノブイリと同じ過ちを起こしてしまった!と。

 福島第一原発の爆発は複数回起きているが、とりわけ3月15と20~21日には人口密集地である首都圏まで放射能プルームが到達した。そのことは放射線量の増加ですぐに分かったことだし、小出裕章さんも事故後間もなくこの事実を公表していた。当然、SPEEDIでも予測されたことだった。

 米軍は3月20~21日の放射能プルームについて情報を持っており、横須賀基地に配備されていた米原子力空母ジョージ・ワシントンは21日にさっさと出港し、横須賀基地や厚木基地の将兵や家族にも屋内退避するよう通知していた。

 もちろん日本政府が関東地方の放射線量の上昇を知らないわけはない。ところが、日本政府は「ただちに健康に影響を与えることはない」と言って避難どころか屋内退避の勧告すらしなかった。これは意図的に国民を被曝させたといっても過言ではないだろう。これについては以下の「院長さん」こと小野俊一医師のブログを参照していただきたい。

1153.2011年3月下旬に首都圏をおそった放射能プルーム(院長の独り言)

 2014年9月6日の毎日新聞記事に「東京電力福島第1原発事故後、上空に巻き上げられた放射性物質の雲状の塊「放射性プルーム(放射性雲)」が、これまで知られていた2011年3月15~16日に加え、約1週間後の20~21日にも、東北・関東地方に拡散していく状況が、原子力規制庁と環境省による大気汚染監視装置のデータ分析から裏付けられた」と書かれている。

 院長さんによると、この時は柏では1時間で150Bqものセシウムを吸入したことになるという。これほど重要なデータが、3年半もたった今ごろになって公表されるとはどういうことなのだろう。国民を馬鹿にしているとしか思えない。

 このこと一つをとっても、国民には重要な情報が隠されていることが分かる。つまり、我々は事故直後から騙され続けているのだ。

 ところで、原子力規制委員会は9月10日に川内原発について「新規制基準に適合している」と結論づけた審査書を決定して設計変更を許可した。

川内原発「新基準に適合」審査書を決定 規制委(とある原発の溶融貫通)

 国民からの意見を聴取するパブリックコメントには1万7819通の意見が寄せられたそうだ。その締切はたしか先月の15日だった。多くの反対意見があったに違いない。ところが締切から1カ月もたたずに、再稼働にお墨付きを与えてしまったのだ。国民の意見を精査したとは到底思えない。しかも火山学者の意見も無視。

 ここから見えるのは、規制委がとにかく原子力発電を続けたいという国の意向を受けて突っ走っている姿だ。「無理が通れば道理引っ込む」というが、「無理をごり押しして道理を無視」しているのが日本政府と電力会社の実態だ。

 今、日本国民が騙され続けたり、あるいは騙されていなくても黙っていたなら、道理など簡単に踏みにじられてしまう。

原子力推進派に騙されてはならない(その2)

2014年9月 3日 (水)

オニグモに産卵するオニグモヤドリキモグリバエ

 下の写真は一週間ほど前の夕方に撮影したもので、雌のオニグモに産卵しようとしているオニグモヤドリキモグリバエだ。オニグモの右下に黄色い小さなハエが2匹いるのだが、飛んでいるのでピントがきれいに合っていない。しかし、右側の個体はハエであることが分かると思う。

P10509971

 オニグモヤドリキモグリバエは今ごろの季節によく見られるクモの寄生バエだ。オニグモの腹部についている白い点のようなものがハエの卵。ちょうどオニグモが網を張る夕刻時をねらってハエが集まってくるようだ。このオニグモのまわりには3、4匹のハエが飛びまわっていた。

 ハエが産卵するときはすごい早技をする。ハエはオニグモの下方を飛びまわって産卵のチャンスをうかがっているのだが、いきなりすごい速さでオニグモの腹部に突進し、一瞬のうちに産卵する。動画撮影しない限り、産卵の瞬間はとても撮影できそうにない。

 オニグモもこのハエをとても嫌がっているのだが、産卵されるのを回避することもできないようだ。なんだか気の毒だが、これも自然の摂理だ。

 オニグモはこれから産卵をするのだが、実は産卵時にハエの幼虫がオニグモのお腹を伝ってオニグモの卵のう(多数の卵のかたまりを糸で包んだもの)に潜り込むことが分かっている。おそらく産卵時の独特の振動をハエが察知して、卵に乗り移るのだろう。ハエの幼虫はオニグモの卵を食べて成長して蛹になり、やがて成虫となって卵のうから出ていく。つまり、オニグモがハエに食べられるわけではなく、オニグモの卵が食べられるのだ。

 オニグモヤドリキモグリバエと名前がつけられているように、主な宿主はオニグモのようだが、オニグモ以外のクモにも寄生することがあるそうだ。北海道では注意深く観察しているとハエの卵がついているオニグモがよく見られるので、珍しい寄生バエというわけではない。

 それにしても、このハエはクモの産卵シーズンになるまでどこでどうやって過ごしているのかと不思議でならない。秋に成虫になったハエは、オニグモが産卵間近になる翌年の夏までどこかでひっそりと生き続けているのだろうか?

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不思議なオニグモの寄生バエ

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