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2013年11月

2013年11月27日 (水)

民主主義を捨てた日本

 昨日、特定秘密保護法案が衆院を通過した。いよいよ安倍政権の暴走が本格化した。

 国民がこの法案の恐ろしさを気づきはじめてから各地で反対の集会やデモが行われるようになった。先日は御用メディアNHKまでがデモについて報じた。25日には福島で公聴会が開かれ、意見を述べた7人全員が反対や慎重審議を求めた。昨日は国会議事堂前に法案に反対する大勢の市民が詰めかけた。共同通信の世論調査では6割が「知る権利が守られるとは思わない」と回答した。

 それにも関わらず、ごり押しで衆院を通過してしまった。なぜこれほどまで急ぐのか?

 安倍首相の支持率は11月24日に実施された共同通信の世論調査によると57.9%であり、まだ大きく低下していない。アベノミクスという経済政策に期待している国民はいまだに多い。しかしアベノミクスは時間がたてばたつほど化けの皮が剥がれていくだろう。安倍首相にとっては、支持率が高いうちに稀代の悪法である秘密保護法を通してしまいたいに違いない。早ければ早いほどいい。

 もう一つ、マスコミの抵抗がある。いつもは権力寄りの報道ばかりしているマスコミも、秘密保護法に関してはかなりの危機感を持っている。報道機関としては当然のことだ。今日の北海道新聞では「拡大運用 際限なく」とか「知る権利 崖っぷち」と題して秘密保護法の問題点を大きく報じているし、「強行採決」という連載記事も掲載した。社説はもちろん秘密保護法の批判である(もっと早くから報じるべきではあったが・・・)。

秘密保護法案、衆院通過 ノーを突き付けて廃案に(北海道新聞)

 秘密保護法案を何としても成立させたい政府にとって、マスコミに問題点を暴かれ、国民が危険性に気づいて大騒ぎされたら都合が悪い。マスコミが書きたてる前に何としてでも衆院を通過させたいのだ。早い者勝ちと思っているのだろう。

 しかも、政府には隠したいことがいっぱいある。告発されたら困ることがいっぱいある。原発問題、TPP、オスプレイ、米国との関係・・・。マスコミはある程度コントロールして御用メディアにすることはできる。しかし、マスコミが伝えない事実を伝えようとするインターネットメディアは目の上のたんこぶだろう。市民メディアやブロガーの口封じにも特定秘密保護法は有効に違いない。言論の自由が保障されない世の中になる。

 安倍政権がこれほどまで強行な姿勢をとれるのも、7月の参院選でのねじれ解消がある。衆院さえ通してしまえば楽勝だと思っているのだろう。

 多くの国民がこの法案に警戒心を抱いているのは、何が特定秘密なのか分からないこと、そして公務員だけではなくごく普通の市民まで処罰されかねないという点だろう。「何が特定秘密なのか秘密」というのは無茶苦茶な話しだ。市民運動などにも関わっていないごく普通の市民が、理由も分からず突然逮捕されてしまうということもあり得るのだ。道新の社説には一例として以下のような事例を取り上げている。

 市民団体が自衛隊基地の監視活動をした場合、監視対象に特定秘密が入っていれば「管理を害した」として罪に問われかねない。
 秘密の漏えいや取得をめぐり共謀、教唆、扇動すれば、実際に秘密が漏れなくても最高懲役5年となる。
 例えば避難計画策定のため原発情報を得ようとだれかと話し合ったり、だれかに働きかけたり、大勢の前で呼びかけたりした場合、その情報が特定秘密なら入手していなくても罰せられる恐れがある。

 国民が自分の身を守るために原発に関する情報を手に入れようと誰かと話しあったり、誰かに働きかけたりしただけで、逮捕されかねないのだ。毎日新聞でも具体例を挙げている。

特集:特定秘密保護法案、成立したら――市民生活こうなる 崩壊する知る権利 

 秘密保護法を成立させれば、政府にとって都合の悪い情報をいくらでも隠せるし、公務員やうるさい国民の口を封じることができるのだ。さらに「適正評価」の際にはプライバシーが丸裸にされる。つまりは国民を縛る独裁政治がかんたんに実現できることになる。人々は政治にまつわる噂話すらできなくなるのではないか。北朝鮮と何も変わらない。

 そもそも私たち国民には行政機関が所有する情報を知る権利があり情報公開を求めることができる。国民主権を謳っている以上、当然のことだ。しかし、今でさえ行政にとって都合の悪い情報は黒塗りにされている。特定秘密保護法案が成立したなら、ますます情報の隠蔽が加速するだろう。国民に主権はなくなる。民主主義を捨てたと同じだ。

 特定秘密保護法に疑問を持たない国民もかなりいるようだが、そういう人は「自分は関係ない」と思っていないだろうか? 独裁政治とはそんな甘いものではない。今日は日本版NSC法案(国家安全保障会議設置法案)も成立してしまった。この国は平和憲法をかなぐり捨てて戦争へとまっしぐらだ。治安維持法やナチス・ドイツを思い出せばどんなことになるか容易に想像できる。

 この世紀の悪法が成立した日は、後に歴史に刻まれる日になるだろう。日本国民が主権を捨て独裁政治を許した日として。

特定秘密保護法が濫用されまくるのは確実な理由について(志葉玲・Yahooニュース)

立法府が自滅した日。特定秘密保護法案衆議院通過。もはや民主主義の保護は議会外野党の市民の力だけ。日本が直面する80年前のドイツの悪夢。 (明日うらしま)

2013年11月26日 (火)

脱原発運動が「反対のための反対」にならないために

 福島の原発事故以降、原発に反対する人たちが急増し、今まで原発に何の疑問も感じていなかったような人たち、あるいは今まで市民運動とは無縁だったような人たちが脱原発運動に参加するようになっている。それはそれで大いに結構なことだ。しかし、脱原発を掲げている人の中には疑問を感じざるを得ない人も見受けられる。

 たとえば自分の主張が絶対に正しいと信じて他者に押し付け、違う意見を認めようとはしないタイプの人だ。

 脱原発といっても個々の人たちの考え方は様々だ。今すぐにすべての原発を廃炉にすべきだという人もいれば、○○年までに原発ゼロという人もいるだろう。小出裕章さんのように、日本の農業を守るために年齢に応じて汚染されたものを食べるべきだという考えの人もいるし、それには反対だという人もいる。除染などしても意味がないという人もいるだろうし、汚染の程度によって決めるべきだという人もいるだろう。脱原発という大きな目標は同じでも、細かいところでは考えが違うということはいくらでもある。

 ところが自分と異なる意見を認めようとせず、考えの違う人を蔑むような発言をする人がいる。たとえばキエフ並みの汚染がある東京から避難しない人たちは馬鹿であるかのような言い方をする人がいる。東京がある程度汚染されているのは事実だし、被ばくを恐れて移住した人もいる。しかし、さまざまなリスクを考えて移住しないという選択をする人たちもいるだろうし、移住したくてもできない人もいる。そういう人たち苦渋の判断は尊重しなければならない。

 しかも東京よりはるかに汚染が深刻な福島に住む人たちは、こうした発言をどう思うだろう。自分の意見を言うのはいいが、自分と違う考えの人を否定するかのような発言をすべきではない。個人個人の状況や判断を尊重せず、馬鹿だと切り捨てる態度に独善性を感じる。

 脱原発の市民団体が各地にできたが、声の大きい独善的な人が自分と考えが違う人を切り捨ててしまうのであればメンバーは混乱するだろうし、反発して出て行く人もいるだろう。運動自体が縮小しかねないし分裂してしまうこともあり得る。そうなれば原発推進派に益をもたらすことになりかねない。

 組織で大事なのは民主的運営であり、できる限り多様な意見を尊重するということではなかろうか。かといって組織自体の方針もある程度明確にしなければ運動が進められないこともあるだろう。方針などに関わる重要なことでメンバーの意見がかみ合わない状態になったときには、徹底的に議論して民主的に解決する努力が求められる。それが組織運営の難しいところではないかと思う。

 私個人としては、できれば組織はあまり大きくなりすぎないほうがいいと感じている。組織が大きくなればなるほど中枢とメンバーとの意思疎通が困難になるし、民主的な運営から離れていくような気がしてならない。大きな組織になればなるほど、速やかな行動は難しくなっていく気がする。

 また、目的が同じだからという理由で脱原発運動をしている団体や個人の批判はすべきではないと考える人もいるようだ。しかし、たとえ同じ目的をもった同志であっても、明らかな間違いや不適切な情報(不確実なことを断定的に言うなど)を広めているような場合は指摘して訂正を促すことは必要だし、不正があるのなら正していかなければならないだろう。「批判=運動の足を引っ張る」ではない。仲間内だからといって間違いや不正に目をつむってしまうことの方がおかしな話だ。

 多様な意見は尊重するが間違いや不正に対しては厳しく、というのが市民運動において何よりも大事なのではなかろうか。それができずに視野が狭くなってしまうと「反対のための反対」と受け止められかねないし、それは運動において大きなマイナスになってしまう。

 私は若い頃から自然保護運動に関わってきたが、以前ある方から「自然保護団体は何でも反対する」という意見を聞いたことがある。まるで「反対することが目的になっている」とでも言いたいかのような意見にちょっと驚いた。

 自然保護団体もたくさんあるので一概には言えないだろうが、少なくともこれまで私が関わってきた自然保護団体は「何でも反対」とか「はじめに反対ありき」だとは思わない。反対の声を上げるには理由があるし、全面中止を求めることもあれば、代替案やより適切と思われる工法などを提案することもある。外から見ているだけなら内部の判断や議論などは分からないのだろう。

 ただし、ごく少数であるが中には「反対のための反対」という意識で活動しているのではないかと感じる人がいないわけではない。しかし、そのような方はたいてい途中でトラブルを起こして抜けていく。独善的なタイプの人は民主的な組織にはなじまないのだ。

 脱原発の運動をしている人たちを見ていると、「反対のための反対」に陥っている人が一定程度いるような気がしてならない。いままで市民運動にかかわったことがないような人たちの中にそんな人が多いのかもしれない。何としても原発を廃止したいという強い思いは分かるのだが、「反対のための反対」ではいつか破綻してしまう気がしてならない。それでは推進派の思う壺だろう。

 脱原発で声を上げている人たちは、自分自身が独善的になっていないか、「はじめに反対ありき」の思考に陥っていないか、立ち止まってみる必要があるのではなかろうか。

2013年11月24日 (日)

「原発ホワイトアウト」が描き出した利権構造

 先日、話題の「原発ホワイトアウト」を読んだ。原発をめぐっての電力業界と政治家、官僚の利権構造を描いた現役官僚による告発小説だ。

 私は自然保護に関わっているので、大型土木公共事業における政・官・業の癒着と利権構造に関しては身にしみて感じてきた。治水や利水の名の元につくられるダム、地域経済の発展の名目の元に建設される公共事業の大半は、建設すること自体が目的といってもいいくらい利権まみれの世界だ。そこにあるのは道理ではなくお金や出世の世界である。

 原発ホワイトアウトの著者が描こうとしたのも、日本の中枢部のそうした世界だ。国民がどんなに原発ゼロを望み、再稼働反対の声を上げても、金の亡者たちは「うるさい蠅」くらにししか思っていないのだろう。彼らにとっては、利権構造を守ることこそ大事なのだ。

 著者である若杉洌さんへのインタビュー動画を見れば、彼が本を書いた意図がよく分かる。この動画だけでも見る価値がある。


内部告発か?「原発ホワイトアウト」 覆面官僚を直撃 投稿者 tvpickup

 この小説の柱は電力モンスターシステムの告発である。電力モンスターシステムとは電力会社が取引先に仕事を発注する際に相場の2割増しくらいで発注し、業界団体その儲けを業界団体に預託する。そのお金を政治献金やマスコミ対策につかうため、都合の悪い情報がなかなか出ないというシステム。小説に出てくる関東電力ではその預託金額は年800億円くらいだという。

 以下はインタビューでの若杉さんの発言

電力会社・政権政党・霞が関がどのように無理矢理に再稼働しようとしているか1人でも多くの人に知ってもらいたい。

モンスターシステムは麻薬みたいなもの。一度断ち切らないといけないが、断ち切るためには国民がちゃんとこれは麻薬だと認識して取り上げないといけない。官邸前で再稼働反対と叫んでいるだけでは麻薬を取り上げられない。政治献金やパーティー券は一定額以上の公表が全額公表にするとか、電気料金は誰もが使うという意味で税金と同じなので、1円単位まで支出先を公開させるなどすれば「たまり金」が発生することも防止できる。こうしたことを再稼働する前に要求しないといけない。

できるだけ覆面のまま政権の中枢に残って、いろいろなことを耳をそばだてて見聞きして、国民のみなさまに還元しないといけない、真実をできるだけ息長く伝えたい。

だいたい魂を売り渡したような悪い奴は1割くらいしかいなくて、残りの9割は迷っている。自分の上司とか政治家がおかしなことを言っていると。自分も出世したいし飛ばされたくないからこの人たちのことを聞いていた方が安全だと思う一方で、でもおかしいよねと、その間で揺れ動いている人たちが9割。私としては9割の公務員の方に是非同志としてやろうじゃないかと、きちんと職場の中や外でも発信すれば必ず変わっていくと思う。

 国民の命などそっちのけで、電力モンスターシステムを守ることに必死になっているのがこの国の中枢の姿なのだ。だからこそ被ばくによる健康被害はできる限り隠して住民を汚染地域に戻そうとするし、被ばくした人たちに満足な補償もしない。汚染された農地で農業を、汚染された海で漁業をさせる。原発が地震で壊れたことは何としても認めないし、使用済み核燃料の保管についても先延ばしするだけ。おそらく金の亡者たちは自分自身や家族に大きな災いが降りかからない限り、原発事故の反省などする気はないのではないか。それどころか日本でまた原発が爆発したなら、海外に逃げようと思っているのかもしれない。

 どこの国にも利権構造はあるだろう。しかし、この国の利権構造の強固さは凄まじい。これほどにまでお金に拘る人たちが政治をつかさどっていると思うと情けないやら腹立たしいやら虚しいやら・・・。そしてこんな政治家を選んだのはほかならぬ私たち国民なのだから、絶望感に襲われる。

 しかし、利権に群がる人たちはどうしてそこまでお金に目がくらんでしまうのだろう。いくらお金があったところで大地震を止めることはできない。大地震に襲われたら原発は持たないだろうし、原発を稼働したならまたいつか大惨事に見舞われるに違いない。いくらお金があったところで原発が爆発して放射能がばら撒かれたなら、被ばくよる被害は消すことはできない。いくらお金があっても、あの世にまでお金を持っていくことはできない。それにも関わらずお金に拘りつづけ、原発の再稼働をしたがる人たちはもはや狂気というほかない。

 そしてさらに恐ろしいのが、原発の情報も良識ある人の告発も封じこめようとする特定秘密保護法だ。原発に関する情報も特定秘密に指定すれば隠すことができる。福島の原発事故の原因究明すら棚に上げて再稼働に突き進もうとする政府にとって、これほど都合のいいことはないだろう。国民の言論の自由は監視され制限される。個人のブロガーですら監視対象になる。公務員の口を塞ぎ、うるさい国民の口を塞ぎ、政府はやりたい放題になるだろう。限りなく恐ろしい国ではないか。

2013年11月19日 (火)

御用学者考-江守正多さんは御用学者か

 ツイッターで地球温暖化に関わるやりとりをする中で、江守正多さんが原発反対を言わないから御用学者というような主張をする人がいた。そこで、いわゆる御用学者について考えてみたい。

 御用学者とは「はてなキーワード」によると、「おもに権力者・権力側に迎合し、調査結果などを権力者ないし依頼者に都合の良い方向に導き出す学者。省庁の審議会に招かれその省庁の進める方針に従った意見を述べる、等々、御用学者の活躍の幅は広い」と書かれている。では、具体的にはどうだろう。

 私は動植物に関心があり自然保護にも関わっているが、もちろん環境問題に関しても御用学者がいる。自然破壊の主たるものはダムや道路工事など大型公共事業による開発行為だ。御用学者と言われる人たちは、そうした公共事業の事業者が設置する審議会、検討会、委員会などの委員となり自然環境への影響について意見を述べる。もちろん彼らは自然破壊を安易に是認はしない。しかし、たとえば希少植物があれば移植をしなさいとか、希少猛禽類が生息していれば繁殖期を避けて工事をしなさいなどと条件をつけて結果として事業にゴーサインを出すのである。

 このような事業者が設置する委員会の委員になる人がすべて御用学者というわけではない。時には事業に反対する意見を言う研究者もいる。しかし、そのような人が委員として再任されることはない。

 では、こうした御用学者の個々の研究が捏造や恣意的操作をしているのかといえばそうではない。環境破壊を伴う事業では環境アセスメントが行われるが、この調査をするのは研究者ではなくコンサルタント会社(アセス会社)である。そしてコンサルタント会社こそデータの恣意的操作などを行って事業者に都合のよい報告書を出すことをしばしば行う。御用学者はそれを見逃すのである。

 御用学者と言われる人たちの中には、環境保全を謳う団体に関わっていることすらある。建前は環境保全を口にしてはいても、また自分でデータの操作などはしなくても、行政の設置する委員会等で行政の意向を汲んだ発言をするのだ。

 原発の敷地にある活断層の判断に関わって注目された研究者として渡辺満久さんがいる。彼は日本では複数の原発敷地内に活断層があると指摘している。しかし、彼は原発には肯定的な立場だ。原子力は使ってもいい、使うべきだ、という立場でありながら、活断層があるようなところに原発を建てるべきではないと主張している。

 「原発と活断層~その実態を聞く」活断層の専門家・東洋大学教授渡辺満久氏(みんな楽しくHappyがいい)

 彼は決して反原発ではない。しかし、だからといって彼が研究者として間違ったことを言っているとか、多くの地質の研究者とは異なる見解を独自に主張していると言う人は聞いたことがない。脱原発派の人で渡辺さんが御用学者だという人はいるだろうか?

 活断層問題で御用学者と言われるのは、明らかに電力会社の側に立ち、活断層ではないと主張するような研究者だ。

 福島の原発事故以前から反原発を唱えている物理学者として槌田敦さんがいる。たしかに彼は権力者におもねるようなことはなく御用学者の要素はまったくない。しかし、槌田氏の主張する「気温の上昇が原因で、二酸化炭素の増加はその結果」という主張には多くの人が疑義を呈している。

 つまり、槌田氏の言っていることは数年の時間スケールにおける気温と二酸化炭素の相関関係であり、長期的に見れば二酸化炭素の増加が気温の上昇に先だっているという主張だ。反原発を主張する人の見解が必ずしも正しいとは言い切れない。

 以上のように、環境やエネルギー等の政策に対する研究者個人の見解と、その研究者が御用学者であるか否かは全く関係がないのである。

 また、研究費が国から出ているから御用学者だという見方もあるようだ。しかし、そんなことを言えば国立大学の教員や国立の研究機関に所属する研究者はみな御用学者ということになってしまう。しかし、実際にはそんなことはない。確かに国から研究費を得ていれば国の意向に反する研究はしにくいという事情はあるだろう。しかし権力者と迎合しない研究者も間違いなくいる。また、データの操作や捏造までする研究者は例外的な存在に過ぎないだろう。それがバレたなら研究者生命に関わるのだから。

 こういった事実にも関わらず、地球温暖化問題に限っては、原発に反対している研究者は御用学者ではないが脱原発をはっきり言わない人は御用学者だと思い込んでいる人が多いように見える。

 少なくとも江守正多さんに関して、私は御用学者といえる根拠を見出すことはできない。

 地球温暖化はたしかに原発推進派に有利に働く。しかし、地球温暖化が事実であろうとなかろうと、原発推進派は原発の再稼働に向けて邁進するに違いない。なぜなら、原発の稼働そのものが利権を生みだすのだから。原子力の専門家とてすべてが御用学者になるわけではなく、原発の危険性を唱える人たちは何人もいる。原発推進のためにわざわざ世界の気象学者を御用学者に仕立てて地球温暖化を捏造しているとはとても思えないし、そんなことは不可能だろう。

2013年11月18日 (月)

隠される健康被害

 11月12日に福島県県民健康管理調査の検討委員会が開かれて、子どもの甲状腺がん調査の最新の結果が公表された。この日、私のツイッターのタイムラインにはこれに関する情報が次々と流れてきた。

 ところが私の購読している北海道新聞では、翌13日の朝刊、夕刊、そして14日の朝刊にもこれに関する記事が見当たらなかった。NHKラジオのニュースでも報じていた記憶はない。前回の公表のときは北海道新聞にも小さな記事が載っていたのだが、今回はなぜ載らなかったのだろうかと不可解だった。

 もちろん取り上げた新聞もあるようだが、概して詳しく報じられたように思えない。おそらくテレビではほとんど報じられなかったのだろう。この発表について詳しく取り上げているのはネットメディアばかりだ。

福島県検査で甲状腺がん58人~最年少は8歳(OurPlanet-YV)

福島県:小児甲状腺がん、検査結果の「59人」が意味すること(JANJAN Blog)

福島県の小児甲状腺がんは10万人に42人の割合!(明日に向けて)

事故後2年半で、すでにチェルノブイリ以上の発ガン率という調査結果をどう見るべきか?(BLOGOS)

 ネットユーザーが増えたといっても、ニュースやこのような情報をこまめにチェックしている人が多いとは思えない。ツイッターをやっていても、原発関連情報を意識的に集めている人でなければ甲状腺がんの調査結果も知らないままだろう。

 昨今は新聞を購読していない人も多い。若者の新聞離れはかなり進んでいるようだが、高齢者などでもニュースはテレビに頼っている人が少なくないだろう。とすると、多くの人たちはこのニュースを知らないままということになる。

 今回の発表によると、甲状腺がんやその疑いのある子どもは59人とのことだ。検査結果が公表されるたびに数が増えている。検査体制ができていなかったチェルノブイリの場合と福島を単純に比べることはできないが、現在の数値から推測してチェルノブイリ以上になるのではないかという声が多い。いくら検討委員会のメンバーが「被ばくと関係がない」と言っても、この数字を見たら誰もそんなことは信じないだろう。恐れていたことだが、原発事故による被ばくの影響がいよいよ深刻さを増してきた。

 そして甲状腺がんの増加と反比例するかのように、マスコミによる検査結果の報道が小さくなっているように思えてならない。つまり、マスコミは増え続ける甲状腺がんについて意図的に隠そうとしているのではなかろうか。この検査結果の公表に合わせるように小泉元首相が脱原発の記者会見をぶつけたのは偶然だったのだろうか。

 気になるのは、現在こうやって公表されているのは子どもの甲状腺がんの検査データだけということだ。被ばくによる疾病は甲状腺がんだけではない。白血病、心臓病、循環器系の病気、白内障・・・さまざまな病気が増え、免疫力も低下するといわれている。もちろん子どもだけではなく大人も同じだ。子どもの甲状腺がんの検査だけを公表することで、それ以外の病気や大人の健康被害についてはなるべく表に出ないようにしているかのようにも思える。

 被ばくが疑われる健康被害の実態をどう隠すのか・・・それが原子力業界と日本政府が頭を悩ませていることに違いない。なんとおぞましいことか。

2013年11月15日 (金)

温暖化は危機的状況であると指摘する江守正多氏(追記あり)

 先日東京に行った際に、気になっていた本を2冊購入した。その一冊は江守正多氏(国立環境研究所)著、「異常気象と人類の選択」(角川SSC新書)だ。

  本書の第一部は地球温暖化の現状、異常気象の問題、主な懐疑論に対する反論などで、第二部で今後の対策について考察している。第一部はこれまでの主張のまとめとも言えるもので、本書の執筆のねらいは主に第二部にあると言えるだろう。  

 第一部の中でいわゆる温暖化論者と懐疑論者の「陰謀」の泥仕合のことにも触れられていて、ここは興味深く読んだ。なぜなら、福島の原発事故が起こって以来、脱原発を主張する人たちの中に少なからず温暖化陰謀論を唱える人がおり、私もツイッターではしばしばそのような方たちに絡まれるからだ(私のツイッターのフォロワーは大半が脱原発派)。  

 もちろん懐疑論を支持する人がいるのは当然だし、そういう意見を持つこと自体は尊重する。また温暖化論を主張することが原発推進派の片棒を担ぐという側面があることも否定はしない。しかし、私が疑問に思うのは、脱原発の懐疑論者は温暖化陰謀論のバイアスがかかっている人が多いのではないかということだ。つまり、「はじめに温暖化論否定ありき」の人が多いとしか思えない。  

 そういう人たちは、「原発推進者=温暖化論支持者=温暖化論は誤り」という先入観があり、温暖化支持者に対して徹底的に懐疑論者の主張を提示して絡む、という構図があるように感じてならない。懐疑論や陰謀論を支持するのは自由だが、なぜそんなに温暖化論支持者に対してムキになって反論しなければならないのか、なぜ違う考えを尊重できないのか、私はそれが不思議で仕方ない。  

 江守さんはこの点について、以下のように述べている。

もしも、「温暖化論は陰謀に違いないが、懐疑論が陰謀という話しには耳を貸さない」という人がいたら、それは典型的なダブルスタンダードであり、その人をダブルスタンダードにさせている何らかの動機がその人の中にあるとしか僕には思えません。

 これに関してはまったく同感だ。昨日、今日と私はツイッターで温暖化問題で絡んでくる人とやりとりをしたのだが、たとえばクライメートゲート事件には石油業界が関わっている疑惑があるという指摘をしてもそのことは無視する。そして、原発推進派による陰謀の話しばかりするのだ。なんだか自分は絶対に正しいと思い込み、温暖化論支持者を追い詰めることが正義だと勘違いしているかのように感じられる。  

 温暖化問題にしても原発問題にしても、所詮、素人は素人としての判断しかできないし、素人は素人なりにさまざまな専門家の見解を俯瞰し、どういう見解がより真実性があるかを判断することしかできない。専門家ではない以上、専門領域について何が正しいのかを判断する知識や能力を持たないからだ。だから私は懐疑論や陰謀論の支持者に対して自分から意見を押しつけるつもりはない。

 また温暖化問題に関しては、この記事を書いて以降、自分の意見を何回も書いているが、懐疑論について懐疑的な立場をとりつつも間違いだと断定はしていない。IPCCの予測も絶対に正しいとは思っていないし、小氷期に入って温暖化が緩和されたり気温が低下する可能性も否定するつもりはない。あくまでも私の見解を示しながらも、各人が考えて判断すべきというスタンスをとっている。ところが、ツイッターで絡む人たちは、温暖化のことでは素人であるにも関わらず、ひたすら温暖化論が間違いであるという主張を押しつけようとする。この押しつけの強さにはほとほと呆れる。  

 さらにIPCCが国連環境計画(UNEP)によって設立されたことから推し量り、IPCCそのものが原発推進派であるかのような言説まで現れた。IPCCが国連環境計画と世界気象気候(WMO)によって設立されたことは事実だ(国連環境計画参照)。  

 しかし、だからといってIPCCそのものが原発推進派に牛耳られているという説はあまりに飛躍しすぎではないか。IPCCにまったく問題がないとは言わないが、少なくとも報告書では様々な専門家の見解を反映させ、できるかぎり情報を客観的に評価するシステムになっている。たとえ原発推進派と関係している研究者が紛れこんでいたとしても、核心的な主張まで意図的に変えることなど不可能だろう。透明性や客観性を確保した組織において、いったいどうやったら科学的事実をねじ曲げられるというのだろう。研究者の大半が御用学者だと主張するならそれまでだが、そういう主張こそ無理があるし、もしそう主張するなら根拠を示すべきだ。  

 話しを元に戻そう。本書を読むに当たって考えなければならないのは、現在の地球温暖化という人類の病がどこまでひどいのか、人類はどういう状況に置かれているのか、ということだろう。これについて江守氏は以下のように説明している。  

 第二部で詳しく説明しますが、温暖化問題において現代文明の置かれた状況を病気にたとえると、それは慢性の生活習慣病で、今はたいした症状が出ていませんが、放っておくとどんどんひどい症状が出る可能性がある、というものです。ここまではよくあるたとえですが、本書における認識の核心にあるのは次の事実です。実は、しばらく放っておいたせいで病気はかなり進行しており、運動や食事療法や薬で完治するような段階はすでに過ぎてしまっています。完治するためには、思い切った手術をする必要があります。しかし、手術が失敗して病状が悪化する可能性もあります。治療費もたくさんかかります。  

 これが気象の専門家である江守さんの認識だ。第二章ではこの病気の治療や治療することのリスク、また放置した場合のリスクなどについて論じている。そして、江守さんが非常に中立な視点で本書を書いていることは注目に値する。  

 彼の結論を言ってしまうと、温暖化対策を進めるにも、対策をせずに放置するにしてもリスクがあるという主張だ。進むもリスク退くもリスクだが、だからといって諦めてしまうのではなく、各人が自分の動機をあからさまに語った上でリスクを論じるべきではないかと提唱している。

 いずれにしても、温暖化がこの先どうなるのか誰にもはっきりとしたことは言えない。温暖化を放置するとどんなリスクが生じるのか、対策をした場合のリスクはどうなのか、それすら不確定要素は大きいし、個人の判断、考え方でかなり変わってしまう。ただし、どういう選択をしてもリスクがある、そしてたとえ素人であっても自分の判断によって生じるリスクを受け入れて覚悟するべきではないかという主張には賛同できる。つまり、江守さんは中立的立場から考えうる対策やリスクを示しながら、一人一人がどんなリスクを選択し覚悟すべきなのかを問いかけているのだ。

 江守さんのリスク論はとても興味深いのだが、引用すると長くなるし手短に説明するのも難しいので、興味ある人は是非本書を読んでいただきたいと思う。

 なお、最近15年ほどは世界の平均気温が停滞していること、太陽活動が停滞していることから地球は小氷期に突入しているという説がある。それが事実であり今後も顕著な気温上昇が起こらない、あるいは低下していくのならとりあえず温暖化問題は先送りされたと言えるかもしれない。しかし、それとて不確実な話しであるし、あくまでも問題の先送りに過ぎない。江守さんはこの点に関しては、300年ほど前の「マウンダー極小期」と同じ程度の停滞期が再来したとしても、温暖化による気温上昇の一部を打ち消す程度だろうとしている。

 ところで、今日の北海道新聞に「切迫する温暖化直視を」という江守氏の論説が掲載され、先日公表されたIPCCの第5次報告書の新しいメッセージを紹介している。それは世界の二酸化炭素排出量を過去からある時点まですべて累積したものは、世界平均気温の上昇量ときれいな比例関係にあるということだ。そしてこの関係から、産業化以降の世界の平均温度上昇を50%以上の確率で2度以下に抑えようとするならば、人類が排出できる二酸化炭素の総量は8400億トンと推定されるが、人類はすでに5300億トンを排出してしまっているので残りは3000億トンになる。このままの排出量が続けば、30年ほどで上限に達してしまうという。

 もちろんこれが絶対に正しいとは言えないが、正しいとするなら人類は極めて厳しい状況に置かれており、難しい選択を迫られていると言わざるを得ない。

 もっとも温暖化は陰謀だと信じている人や、温暖化による悪影響を楽観視している人たちは、江守さんの主張を聞く耳を持たないのだろう。彼らにとっては「温暖化論は誤り」という結論が先にあるのだから、温暖化論を否定する主張を探して広めることが正義なのだ。

【11月16日追記】
 
ダブルスタンダードと陰謀論で思い出したことがあるので補足しておきたい。

 ケムトレイルをご存知だろうか。ケミカルトレイルの略で、航空機による航跡のことを指す。陰謀論を唱える人たちは、米国が人口を減らすことを目的に飛行機を使って有害物質や病原菌などを空中散布しており、その際の航跡がケムトレイルであると主張していた。

 これに関して、スノーデン氏は温暖化を防止するためにエアロゾルを散布しているのだと指摘した。ところがケムトレイル陰謀論を信じて主張してきた人たちはなかなかこれを認めようとはしない。

 ならば、米国による盗聴をはじめとしたスノーデン氏の数々の告発も信じられないということになってしまう。しかしスノーデン氏が告発者ではないというなら、それ相応の根拠が必要だろう。

 陰謀論に取りつかれた人には「陰謀が真実」という思い込みが先にあるのだ。だからそれ以外の情報は疑ってかかって信じようとはしない。そして自分の主張を裏付けるような情報を探してきては補強するのである。温暖化陰謀論を唱える人たちと実によく似ている。

2013年11月14日 (木)

森林を追われたトタテグモ

 前回の記事でキシノウエトタテグモを紹介し、「森林の雨に当たりにくい斜面や崖地などに穴を掘って生活している」と書いたのだが、トタテグモ類の生息地については少し説明が必要だ。

 私が東京に住んでいた頃、キシノウエトタテグモの生息地として思い浮かべるのは崖地だった。クモ愛好者の多くは「崖地に多い」という認識だったと思うし、自分が見ていた生息地も散策路の脇にある崖地だった。だから、「キシノウエトタテの生息地は崖地」「崖地があればキシノウエトタテがいるかもしれない」というように頭にインプットされていたと思う。また、巣穴に両開きの扉をつけるカネコトタテグモもキシノウエトタテグモと似たようなところに棲んでいる。

 ところで北海道にはエゾトタテグモが生息している。しかし、以前はエゾトタテグモの観察例が少なく、住居(巣穴)が確認されたのは1973年になってからだ。この記録は東亜蜘蛛学会(現在は日本蜘蛛学会)の機関誌である「ATYPUS」の61号に掲載されている。それによると、発見場所は阿寒湖周辺の崖地で、横穴式両開きとなっている。

 その後、北海道に住むようになった私は、折に触れ崖地でエゾトタテグモの巣穴を探したのだが、一向に見つからない。しかし家の近くで死体や徘徊している個体を見かけることもあり、生息していることは間違いなかった。生息しているのは間違いないのに崖地で巣穴が見つからないのだから、なんだか狐につままれた気分だった。

 後年、エゾトタテグモが森林に仕掛けたピットフォールトラップによくかかることを知った。ピットフォールトラップというのは地面に穴を掘ってプラスチックのコップなどを埋め込み、地表を徘徊する昆虫などを捕える罠である。また、森の中の地面を掘っていると土の中から立派なエゾトタテグモが出てくるという場面にも遭遇した。

 つまり、エゾトタテグモは崖地に巣穴をつくることは少なく、ふつうは森林の地表に巣穴を掘って棲んでいるのだ。森林の地表は落ち葉や植物に覆われているので、エゾトタテグモの巣穴は簡単に見つけることができない。崖地に巣穴があれば見つけるのは比較的容易だが、森林の地表であれば見つけるのは困難になる。

 キシノウエトタテグモやカネコトタテグモが崖地でよく見られる上、最初にエゾトタテグモが発見されたのが崖地であったため、私はすっかり崖地に巣穴があると思い込んでいた。しかし、崖地の巣穴というのは実は珍しいのである。思い込みとは実に恐ろしい。

 ということは、キシノウエトタテグモの生息地も崖地とは限らないはずだ。池田博明氏の「クモ生理生態事典」では、生息地は家の土台石、敷石の脇、石垣、崖、植え込みの地面、木の根元などとなっている。しかし、これらの生息地はほとんど人為的な環境である。では、もともとはどんなところに棲んでいたのだろうか? 以下のサイトでそのことに触れられている。

キシノウエトタテグモ(東京都環境局)

 ここでは「本来は森の中の地面に生活するクモですが、寺や神社の境内や人家の周辺にも生息しています」となっている。

 キシノウエトタテグモももともとは森林の地面に穴を掘って生活するクモなのだが、道路脇の崖地や建物の土台近くなどにも生息地を拡大したのだろう。こうした場所は雨が当たりにくいという利点もある。そして、そのような人家周辺の生息地こそ人目につくために、キシノウエトタテの生息地は「崖地や建物の土台石」と思うようになってしまったのだ。しかし、崖地や人家周辺というのはこのクモの本来の生息地ではない。

 話しをエゾトタテグモに戻そう。エゾトタテグモの場合、崖地の巣穴は珍しいと書いたが、それは寒さとの関係ではないかと私は考えている。寒冷な北海道ではクモの多くは積雪下で越冬する。雪が積もってしまえば、地表近くでも0度くらいに保たれるのだ。しかし、積雪下にならないような崖地の巣穴はもろに寒さに晒されてしまうだろう。マイナス20度とか30度という寒さに対する耐寒性を持たなければ生きていけない。雪にすっぽり被われる地表の巣穴なら、容易に越冬できる。

 ところで、前述の「クモ生理生態事典」のキシノウエトタテグモの項には「東京・横浜・京都など大都市の中心部に多く, 郊外に行くに従って減少する.」と書かれている。

 本来は森の地面に穴を掘ってひっそりと生活していたはずのクモが、大都市の中心部に多く、郊外に行くに従って減少するというのはどういうことなのだろうか?

 ビルのひしめく大都市といっても、一気に自然が破壊されたわけではない。お寺や神社、庭園、大学の構内、墓地などは人手が加わってはいるもののある程度の樹木が残されてきた。都会には大きな改変を免れた緑地が点々とあり、そこには餌動物もかろうじて生息している。キシノウエトタテグモは、森林からそんな人為的環境へと進出して生き延びてきたのだろう。

 一方、郊外の住宅地は丘陵地や農地などをブルドーザーで崩し、根こそぎ自然を破壊してしまったところが多い。そんなところでは森林から人為的環境に移り住む余裕すらあまりなかったのではなかろうか。

 都会に生息しているからといって、都会の環境が彼らにとって好適な生息地だとは思えない。本来の生息地である森林を追われ、かろうじて残された猫の額のような緑地の中の人為的環境に生き残っているということを忘れてはならないと思う。

2013年11月12日 (火)

生息地破壊が懸念されるキシノウエトタテグモ

 数日ほど東京に行っていたのだが、その間に散歩がてらに実家近くのキシノウエトタテグモの生息地を覗いてきた。

 キシノウエトタテグモは森林の雨の当たりにくい斜面や崖地などに穴を掘って生活している原始的なクモの一種だ。巣穴といっても、穴にはちゃんと扉がついているために、注意深く探さないとどこに巣穴があるのか分からない。意識して探さない限り、一般の人が気づくことはほとんどないだろう。

 下の写真の中央に巣がある。

P10503391

 こちらは巣穴を開いたところ(上の巣穴とは別の巣)。

P10503492

 このクモが生息している崖地には、よく見ると扉の取れた古巣がある。だから、古巣の存在でもキシノウエトタテグモが生息しているかどうかの見当はつく。

 今回はあまり大きな巣穴は見つからなかったが、小さめのものはいくつかあり、まだ健在であることが確認できた。

 今の季節は見られないが、7月頃に行くと「クモタケ」というクモに寄生するキノコが巣穴から生えていることもある。このクモタケの存在もキシノウエトタテグモが生息していることの目印になる。

 キシノウエトタテグモは環境省のレッドリストで準絶滅危惧に指定されている。

 キシノウエトタテグモは人家周辺などにも生息しており決して珍しいクモではないのだが、このクモがよく見られる崖地は工事などで簡単に壊されてしまいかねない場所も少なくない。しかもこんなところに希少なクモが生息していると気づく人はまずいない。そんなわけで生息地の破壊が懸念されるクモの一つだ。

 キシノウエトタテグモやそれに寄生するクモタケの写真はこちらをどうぞ。

キシノウエトタテグモ(クモ画像集)

2013年11月 6日 (水)

間違いなく大地震に襲われる日本で原発はあり得ない

 今日の北海道新聞に「泊原発周辺隆起が問題」との記事が出ていた。変動地形学の専門家3人が、泊原発の近くにある海底活断層が積丹半島の海岸の隆起を起こしたとする研究成果を、日本活断層学会(30日につくば市で開催)で発表するとのこと。専門家3人とは、東洋大の渡辺満久教授、広島大の中田高名誉教授、名古屋大の鈴木康弘教授である。

 記事によると、積丹半島の西側には全長約70キロの海底活断層があり、マグニチュード7・5以上の地震を起こすとしている。それが専門家の判断である。

 この海底活断層の存在については渡辺教授が2009年に指摘しているのだが、今回の研究では積丹半島の海岸の隆起の原因が活断層によるものであり、今も断層活動が続いていると結論づけているとのこと。

 海底活断層と積丹半島の海岸の隆起については、地理学者である小野有五氏が「北海道電力〈泊原発〉の問題は何か」(泊原発の廃炉をめざす会編、寿郎社)でかなり詳しく取り上げている。積丹半島は過去に活断層が何度も動き、隆起を繰り返してきたことが地形から読みとれるのである。

 ところが、北電は海底活断層の存在を認めようとせず、再稼働をしようとしているのである。

 以前にも紹介したが、渡辺教授によると、日本の原発は佐賀県の玄海原発を除いてすべて活断層のそばあるいは真上にあるという。電力会社はその存在を認めず、国も電力会社の言いなりになって活断層の近くの原発を認めてきたのだ。滅茶苦茶な国というほかない。

日本中の原発52基はすべて活断層のそば、あるいは真上にある(小海キリスト教会牧師所感)

 もし原発の真下、あるいは近くの活断層が動いたなら、耐震設計など何の役にもたたないことくらい素人でも分かる。

 日本がプレートの境界に位置し、頻繁に大地震が起きていることは周知の事実だ。日本列島は「地震の巣」の上にあるのだ。

原子力発電と地震(よくわかる原子力)

 「原発ホワイトアウト」という本が話題になっている。私は読んでいないのだが、この本の帯には赤い大きな字で「原発はまた、必ず爆発する!」と書かれている。故高木仁三郎氏が将来深刻な原発事故が起きると予想したことが現実となったように、巨大地震が頻繁に起きる日本で原発を稼働させたなら、いつかまた大地震で原発が爆発するだろう。時間の問題でしかない。

 チェルノブイリの原発事故による死者は100万人にものぼるとされている。原発がひとたび爆発したならば気が遠くなるほどの人たちが犠牲になり、環境が汚染される。被ばくによって病気になったり亡くなった人たちは原発被害者そのものだし、電力会社に殺されたも同然だ。

 福島の原発事故は収束とは程遠く、時間がたつほどそのどうしようもない現実が明らかになっている。私たちはとんでもない負の遺産を抱え込んでしまった。もし日本で再び原発が爆発したなら、日本人は住むところを失い、汚染されていない食べ物は得られなくなるだろう。国は破綻し、被害の補償など何も得られないに違いない。

 大地震が頻発するところに原発を建設すること自体が大間違いだ。

 それともう一つ、使用済み核燃料の処理ができないという現実がある。いつか処理の技術が確立されるだろうと先送りしてきたのに、まったく目途が立っていない。何万年も厳重に管理しなければならない核廃棄物という爆弾を私たちは大量に抱えてしまった。

 この二つのことを考えただけでも原発を止める以外に選択肢はない。いったい「原発はやむを得ない」とか「再稼働が必要」などという人は、どう考えているのだろう。

 原発が必要だという人たちは、お金に目がくらんでいるか保身しか頭にないのだろう。お金、保身・・・人間の愚かさの象徴のように思えてならない。

2013年11月 1日 (金)

スノーデン氏と秘密保護法

 元CIA職員のスノーデン氏の告発によって、米国の情報機関であるNSAによる盗聴などが次々と暴露された。在米公館の盗聴やメルケル首相の携帯電話の盗聴などなど、ヨーロッパでは大きな怒りや抗議の声が上がっている。

摘発すべきはアサンジ氏スノーデン氏ではなく米政府(植草一秀の『知られざる真実』)

 誰もが自分の電話が盗聴されたり、メールが盗み見られていたなら強い憤りや不安を感じるし、許しがたいという気持ちが湧くのが自然だ。盗聴などということはあってはならない。信頼を裏切る行為をしている米国が非難されるのは当たり前だ。

 ところが、日本のメディアはスノーデン氏のことをあまり大きく取り上げないし、在米公館の盗聴に関してもなんの抗議もしない。それもそのはず、この国は秘密保護法の制定と日本版NSC創設で米国と同じ道を歩もうとしているからだ。

 今日の北海道新聞の「各自核論」というコーナーで、ジャーナリストの堤未果氏が秘密保護法について書いているのだが、その一部を以下に引用したい。

 だがもっと重要なことは、この法案が今欧州で最も危険視されている米国NSAの複製、「日本版NSC(国家安全保障会議)創設案」とセットになっている事だろう。この二つの法も組み合わさる事で政府に強大な権限を与える効果を発揮する。その証拠にCIA(米中央情報局)のスノーデン元職員のようなNSA内部告発者が後を絶たない米国では、現在この「秘密保護法」にあたる「公職機密法」の導入を検討中だ。政府の暴走を防ぐために、現行法では大統領であっても、個人的なメモやメール、全ての資料が記録され、その後公文書管理下におかれる。だが「公職機密法」が通過すれば、同国はさらなる秘密国家体制へと向かうだろう。

 スノーデン氏などの告発に対して米国が取ろうとしている対処は、盗聴をなくすということではなく、「公職機密法」をつくってますます秘密を隠すということだ。

 ところで、日本版NSC(国家安全保障会議)は安倍首相が6年前以上も前から設置を目論んでいるのだが、中身は以下が参考になる。集団的自衛権行使の解禁が主目的といっていいだろう。

日本版NSC(国家安全保障会議)の恐ろしさ(反戦な家づくり)

 秘密保護法は、国民の「知る権利」を奪い、告発者を処罰し、国民をがんじがらめにしてしまう恐るべき法律だ。しかも、何が特定秘密に該当するのかも分からない。原発に関することも、被ばくによる健康被害のことも、TPPのことも、基地問題も、何もかも秘密になりかねない。情報公開で公文書を開示請求しても、黒塗りだらけになってしまうだろう(今でも肝心なことは黒塗りになっていることが多いが)。そして、普通の市民が簡単に犯罪者として逮捕されかねない。

 自民党が政権をとり、国会のねじれも解消した今、自民党は暴走を始めている。消費税増税、TPPへの参加、秘密保護法、日本版NSC、そして改憲・・・。弱者に負担を押しつけ、情報を統制し、内部告発を封じ込め、主権者である国民を縛りつけ、米国の属国になろうとしている。これを放置すれば、簡単に戦前のような体制ができあがるだろう。

 ところが驚くことに、先日の共同通信の実施した世論調査によると、秘密保護法に反対の国民は50.6%しかいないという。インターネットが発達し、これほどまで一般の人たちが情報を得られやすくなったにも関わらず、多くの人が秘密保護法の危険性に気づいていないようだ。

 日本国民の危機意識の低さはどうにもならないのだろうか。

秘密保護法に反対(秘密保全法制対策本部) (日本弁護士連合会)

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