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2013年7月13日 (土)

死票にこだわるべきか?

 マスコミは今回の参院選で、衆議院と参議院の「ねじれ解消」についてしきりに強調する。なんだか「ねじれ」状態が悪いことであるかのように感じられるが、とんでもない。今は「ねじれ」状態だからこそ自民党の暴走にいくらか歯止めがかけられている。しかし、次の参院選で「ねじれ」が解消されてしまえば、自民党のやりたい放題になるだろう。

 つまり改憲、原発再稼働、TPP交渉参加、消費税増税などが一気に進む可能性が高い。これはきわめて恐ろしいことだ。改憲も原発再稼働も国民の多くが反対しているのに、そのような声は無視されていくだろう。

 改憲も原発再稼働もTPPも消費増税も賛成していないのに、それでも自民党に投票してしまう国民が少なからずいる。その理由の一つに「小さな政党の候補者に入れてもどうせ当選できない」「投票する以上、死票にしたくない」という思考が働くのではなかろうか。

 また、日本人は自分が「多数派」に入っていることを好む傾向がある。「みんなと同じ」でいれば波風が立たないし、楽でいられる。だから自民党も民主党もダメなら共産党とか社民党・・・、という思考にはならずに自民党に戻ってしまうのではなかろうか。しかし、これでは永遠に状況はよくならない。

 自民党はしきりに経済成長を強調する。原発再稼働もそのために必要だと。今も収束の目途すら立たない福一が放射能を大気中へ、海へと放出し続けているのに、なんというまやかしだろう。原発がなくても電気が不足しないことが分かってしまったので、今度は再稼働の理由に経済成長を持ち出し、事故から国民の目を逸らそうということだろう。何よりも自民党こそ安全神話で国民を騙して原発を押し進めきたことを忘れてはならない。

 経済成長を続けて私たちの暮らしは本当に良くなったのだろうか? 物は豊かにはなったが、生活の中に化学物質が蔓延し、私の子どもの頃にはほとんどなかったアレルギーが激増した。携帯電話やインターネットの発達、多様な電気製品で便利にはなったが、電磁波などによる脅威は増える一方だ。

 化石燃料の大量消費は地球温暖化を促進させている。今年もまた猛暑だが、異常気象も温暖化の影響が大きいとされている。今は原発事故で温暖化対策も後退しているが、温暖化はやはり人類にとって大きな脅威だ。経済成長、発展を目指せば自然破壊も増大する。人類はとてつもない生物種を絶滅に追いやってしまったが、これは取り返しのつかない環境破壊であり自滅行為だ。

 経済成長は必ずデメリットを併せ持っているし、これからはデメリットによる弊害の方が大きくなっていくのではなかろうか。経済成長の負の部分こそ私たちはしっかり認識しなければならない。

 自民党政治によって貧困層が激増した。安定した職につけず、年金すら払えない若者が未来に希望を持てるはずもない。自民党が進めようとしている経済成長路線は一部の人たちに利益をもたらすだけで、庶民はそのしわ寄せの直撃を受ける。この体制から脱出したいとの思いが高まって民主党への政権交代が実現はしたが、結局は米国の圧力に抗うことはできず自民党とほとんど変わらなかった。

 この悪循環から脱出するためには、二大政党制から抜け出て、米国の圧力に容易に屈しそうにない政党に入れるしかない。「死票」にこだわっていたなら、今の状況を変えることは絶対にできないと私は思う。

 考えてみたら、(市町村レベルの選挙は別として)選挙で私の投票した候補者が当選したなどということはほとんどない。死票になることは分かっていても、だからといって賛成できない政策を掲げたり、平気で嘘をつく政党や候補者に投票するなどということにはならない。選挙とは有権者一人一人の意思表示なのだから、自分の考えにもっとも近い政策を掲げる政党や候補者に一票を投じるしかない。

 死票になるかどうかにこだわったり、多数派かどうかを気にすべきことではないと私は思う。

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コメント

謹啓、茨城では負ける候補を応援するのは馬鹿だ、との勝ち馬に乗りお零れを頂戴する卑しい政治風土が残存します。汚職防止を訴えて現職の松崎氏を破った豊田譲氏はゴルフ場認可で1億円を収賄し刑務所にお勤めし公民権を回復したら北茨城市長に再当選。中村喜四郎元建設大臣も刑務所帰りで復活。酷かったのが茨城県議会県会議長選に絡んだ黒い霧事件で逮捕された県会議員が留置所から立候補し全員当選、梶山静六県議は失踪し逮捕状が失効、国政に転じ官房長官まで位人臣を極めました。飲ませ食わせの供応選挙と見てみぬ振りの警察の馴れ合い選挙の帰結が日本一裕福な東海村の現実です。

茨城には「負ける候補を応援するのは馬鹿だ」という政治風土があるのですか。おそらく、それは茨城だけではなく全国にもあるのでしょう。日本人はほんとうに不正に鈍感だと思うのですが、結局、物事を荒立てたくないという意識がそうさせるのかもしれません。市民に不正を正すという視点がない限り、政治は良くならないと思います。

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